child−9 八重
「………で、帰国早々、どーして東急ハンズなわけ? しかも池袋の………」
鼻歌交じりにショッピングに勤しんでいるみちるの楽しそうな背中に、はるかは呆れたような声を投げ掛ける。
「ハンズじゃないと売ってないのよ。池袋に来たのは、サンシャインの地下にも用事があるからよ」
「キャラクターもののグッズ買おうなんて思ってる?」
「あら、よく分かったわね」
「さいですか………」
はるかは深く溜め息を付いた。買い物をするのはかまわないし、それに付き合うのも嫌ではない。しかし、結局のところ自分が荷物持ちをやらされるのだ。程々にしてほしいと思う。
「ま、タクシーで帰ればいいか」
はるかは独りごちる。たくさんの荷物を抱え、電車を乗り継いで麻布十番まで行くのは、御免被りたい。
「そう言や、せつなはどうするって言ってたっけ?」
「今日の午後は半休取るって言ってたわよ。今暇だから大丈夫なんだって。この時間なら、戻ってきてるんじゃない?」
みちるは腕時計をチラリと見、次いではるかにも見せながら答えた。
「なら、今夜は四人でパーティーだな」
「あら、四人だけでいいの?」
「あいつらも呼ぶのか? うるさいぞ」
「楽しくていいじゃない」
歌うように楽しげに答えてくるみちるに、はるかは小さく笑って肩を竦める。
「ついでだから、パーティー・グッズも買っちゃおっかなぁ」
「おいおい………」
いつになくはしゃいでいるみちるに、はるかは呆れ顔である。しかし、久しぶりの日本だから、楽しみたいと言う気持ちは分からないでもない。
一通り買い物を済ませ(結局、パーティー・グッズも買った)て東急ハンズを出、左側に設置されているエスカレータで、地下道へと向かう。
「あら!」
エスカレータを降り地下道へ入ると、みちるが小さく声を上げた。みちるの視線の先に目を向けると、地下道の壁にポスターが張られてあった。
「あたしたちのミュージカルだわ。ちょうど今公演されているところみたいね。時間があるから、観て行きましょうか?」
みちるは尋ねるが、その瞳はもう観ることを決めている瞳だった。はるかは腕時計で時間を確認する。十五時の公演には充分間に合う時間だった。ただし、チケットが残っていればの話だが。
「お付き合いしましょ! だけど、その前にこの荷物をどうにかしたいんだけど?」
はるかは両手に持った紙袋を、持ち上げて見せた。
「近くにコインロッカーあるんじゃない? 取り敢えず、行ってみましょうよ」
そう言うと、みちるはさっさと歩き出してしまった。
「やれやれ………」
はるかは嘆息すると、みちるの背中を追い掛けた。
「ん? なんだ?」
地下道の中程に差し掛かったとき、前方からドッと人並みが押し寄せてきた。必死の形相で走ってくるその人々は、まるで何かから逃げているようでもあった。
「どうしたの? 何があったの?」
「逃げろ! 凍死するぞ!!」
みちるが若い男性を捕まえて訪ねると、その男性はそう叫んで、みちるたちの背後に逃げて行った。
「凍死する? 冷房の効きすぎ?」
「………にしちゃあ、この慌て振りは異常じゃないか?」
人の流れに逆らって、ふたりは悠々と地下道を進んだ。ロッテリアが右手に見えてきたところで、ひとまず足を止めた。もう前方から逃げてくる人々の姿はなくなっていた。ロッテリアを覗いてみると、客も店員も、その姿が見えなかった。前方の臨時チケット売り場にも人の姿がない。周囲には、人っ子独りいない状態だった。
「確かに、少し寒すぎるな………」
肌を刺すような冷気が、前方から流れてくる。
「なぁんか、事件の匂いがするわね」
どこか諦めたような笑みを浮かべて、みちるはそう言った。
フラワーショップを右手に見ながら、ふたりはサンシャイン60の地下一階に足を踏み入れた。
肌を刺すような冷たい空気。凍った床。まるで極寒の地にでも来てしまったかのような光景が、ふたりの目の前に広がっていた。
「冷房の効きすぎで、こんな風にはならないわよね?」
「サンシャイン60のクーラーは、冷蔵庫並みの冷却機能があるんじゃないか?」
吐く息が真っ白だった。鳥肌が立ち、唇も自然と震えてしまっている。
「変身した方がよさそうだ。このままだと、本当に凍ってしまう」
はるかはみちるを見た。みちるは無言で肯く。はるかが言うように、生身の状態ではとてもまともに動ける状態ではなかった。
ふたりはセーラー戦士に変身する。セーラー・コスチュームは耐熱性に優れている。変身しさえすれば、ある程度の低温下でも普段と同じように動くことができる。
ふたりはサンシャイン60の内部を、更に奥へと進む。
「さて、サンシャイン60をこんな風にした犯人は、どこにいるのかなぁ?」
「フロアを順番に最上階まで調べる?」
「亜美を呼ぼう。そんな効率の悪いことをやっちゃいられない。そんなことしたら、今夜のパーティーできないよ?」
「確かにそうね………。あら?」
前方を見つめるネプチューンの表情が曇った。
「生身のお子様が、ひとりで平然とお散歩してるんだけど、これはどう説明すればいいのかしら………」
「散歩? あたしには、凍った床の上を、滑って遊んでいるようにしか見えないんだが………」
「そうね、楽しそうね」
インフォメーションセンターが見えた。ウラヌスとネプチューンのふたりが見つめる先には、ひとりの女の子がいた。小学校三年生くらいの女の子で、水たまりに出来た氷の上を滑って遊ぶように、凍結した床の上をはしゃぎながら滑っている。時折走っては、勢いを付けていた。
「子供は風の子?」
ネプチューンが首を傾げる。
子供は多少の寒さは平気なものである。それだけなら、逃げそびれてしまった子供が、現実の状況を逆手にとって楽しんでいると言う、逞しくも微笑ましい光景なのだが、目の前の状況は、そんな悠長なことを言っていられる状態ではなかった。彼女の周囲には、氷のオブジェと化してしまった人々の姿があったからだ。
多数の人間のオブジェを見ながら、優雅にスケートを楽しんでいるお子様の姿は、ある意味異常だった。
「雪ん子かしらね………」
そんな伝説の妖怪がいたことを思い出したネプチューンが、冗談とも本気とも取れる口調で呟いた。
「冬ならまだしも、今は夏だぜ?」
そんな馬鹿なことがあるかい、と言った風に、ウラヌスは答えた。妖怪の存在を否定しているわけではない。冬の妖怪が、夏場に都会で遊んでいると言う状況を否定したのだ。
「本人に訊いてみるか」
結局はそうするしかないと判断したふたりは、凍った床に足を取られないように慎重に歩を運びながら、少女に近寄っていった。
「ビュ〜〜〜〜〜ン!!」
ふたりの姿に気が付かないのか、少女はそう叫びながら、楽しそうに床の上を滑っている。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
ウラヌスが声を掛けた。しかし、少女は気付かない。声が小さかったのかと思い、もう一度今度はかなり大きめの声で声を掛けてみたが、やはり少女の反応はなかった。
「無視されてるみたいね」
同情気味にネプチューンが言った。聞こえていないはずはないのだ。ウラヌスは少女の目の前に回り込んで声を掛けたのだから。百歩譲って、聞こえなかったとしても、姿は見えているはずである。
ウラヌスの額に「♯」マークが浮かんだような気がした。
ウラヌスはドカドカと無遠慮に少女に歩み寄った。ズンとばかりに正面に仁王立ちとなり、滑ってくる少女を待ち構えた。
ウラヌスの手前で止まった少女は、なんだよぉと言う目つきで、ウラヌスの顔を見上げた。
「コスプレのお姉さん、こんなトコで何してんの? ミュージカルは文化会館四階の方だよ」
少女はウラヌスとネプチューンを、ミュージカルを観劇に来たコスプレイヤーだと思ったらしい。親切にもミュージカルを公演している会場の場所を教えてくれた。セーラームーンなら、「どうもありがとう」と言ってそのままミュージカル会場に行ってしまうところなのだが、生憎と目の前にいるのは泣く子も黙るセーラーウラヌスである。そんな少女のありがた迷惑な親切は無視した。
「お姉さんはアニメ派なのね。うん、良く似てるよ」
似てるも何も、本人なのだから似てて当然である。そもそも、何と比べて「似てる」のか、その対象が気になるところである。
「お嬢ちゃんは、ここで何をしてるのかなぁ?」
少女の言葉を軽く受け流し、ウラヌスは逆に質問した。
「見て分かんないの? 遊んでるんだよ」
あっけらかんと少女は答える。「このお姉さん、ひょっとして馬鹿?」と、顔に書いてある。
「そう言うことを訊いてるんじゃない」
ウラヌスの声のトーンが、一段下がった。
「じゃ、どういうこと?」
「こんなところで、遊んでいて楽しいのかな?」
「あ、これ? 凄いでしょ? あたしがやったんだよ! サンシャインの中、ぜ〜んぶ凍らせちゃった」
エヘヘと、少女は愛らしく笑った。自分のしたことに対して、満足している笑みだった。
ウラヌスが少女と会話をしている間、ネプチューンは氷のオブジェと化してしまった人々の状態を調べていた。ウラヌスが目を向けると、ネプチューンは視線を落として首を左右に振った。氷のオブジェと化してしまった人々は、ネプチューンが調べたかぎりでは、その全員が絶命していた。
「あんな風になったら、人間は生きていられないって分かるよね?」
ウラヌスは、氷漬けとなった人々指し示して尋ねた。
「うん、もちろん!」
「じゃあ、どうしてこんなことしたのかな?」
「みんなでゲームしてんだもん。一番多く人間を殺した子が、ママからご褒美もらえるんだよ。サンシャインの中全部凍らせたから、八重( が一番かもしれないよ。エライ?」)
八重というのは、どうやら自分の名前らしい。いまどきにしては、少し古風な名前だ。
八重はウラヌスに誉めてもらいたいらしく、目をキラキラさせて顔を見つめている。その表情からは、少しも罪悪感を感じない。
「ママって言ったわね?」
感情を爆発させそうなウラヌスを制して、今度はネプチューンが尋ねた。
「ママがあなたに、こんなことをさせたの?」
「うん」
ニコッと笑いながら、少女は答えた。
ネプチューンは深い溜め息を付きながら、ウラヌスに顔に向けた。平静さを取り戻したウラヌスは、お手上げのポーズを取った。
「じゃあ、そろそろ帰んないとママに怒られるから、帰るね」
愛らしく笑ってバイバイと手を振ると、八重はクルリと背を向けた。つられてにこやかにバイバイと手を振りそうになる。
「ま、待ちなさい! このまま帰すわけにはいかないわ!」
「ふぅ………」
慌ててウラヌスが呼び止めると、八重は背を向けたままわざとらしく息を吐き出して、肩を落とした。
「見逃してあげようと思ったのに、馬鹿なお姉さんたちね。下手な正義感は、命を落とすわよ。コスプレしてセーラー戦士になりきるのは勝手だけど、節度を弁えた方がいいわね」
ひどく大人びたセリフを言いながら、八重は振り向いてきた。
「あたしたちをただのコスプレイヤーさんだと思ったら、大間違いよ」
険しい表情で、ネプチューンが言った。
「はいはい、分かった分かった。そのまんまの恰好で、そこで永久に凍ってなさい」
ニコッと笑うと、ふうっと息を吐き出した。
「!? ネプチューン( !!」)
瞬時にふたりは、左右に分かれて「それ」を回避した。
「氷結の息( !? なんなのこの子!?」)
華麗に左右に分かれて飛び退いたのはいいが、凍った床に足を取られて豪快に尻餅を付いたネプチューンが、目尻に涙を浮かべながら驚きの声を上げた。
「いまどきの小学生は、凄い技を持ってる」
尻餅を付かないまでも、やはりバランスを崩したウラヌスは、片膝を付いた姿勢のまま呟いた。
「ネプチューン( 。うさぎのドジが移ったんじゃないの? それとも、お尻が重たくなった?」)
「失礼ね! どっちも違うわよ! ………つぅっ!」
立ち上がろうとしたネプチューンが、右足首を押さえて再び座り込んだ。倒れないように踏ん張った時、足首を捻ってしまったようだ。
「前言撤回」
「らじゃあ」
ウラヌスはすくっと立ち上がると、八重に向かって身構えた。
「あれ、あれ、あれ!?」
八重は交互に首を左右に動かしながら、慌てている様子だった。避けられるとは思っていなかったのだろう。しかもターゲットが左右に分かれてしまったので、どちらを先に攻撃したらいいのか、考え倦ねている様子だった。どんなに凄い能力を持っていても、戦いに関しては全くのど素人だった。ウラヌスたちの敵ではない。
「軽くお灸を据えてから、じっくりと話を聞くとしよう」
口元に一瞬だけ笑みを浮かべたあと、すぐに真剣な表情に戻し、ウラヌスは走り出すポーズを取った。そんな動作を見せる必要は全くないのだが、そうすることで八重を慌てさせようと言う意図があった。
「う〜〜〜!! 来るなぁ!!」
八重は叫ぶと、はあっと息を吐き出した。しかし、ウラヌスの方が動きが速い。彼女が息を吐き終えた時には、既にウラヌスは彼女の背後に回り込んでいた。
「アレ!?」
「こっちよ」
ウラヌスの姿を見失ってキョロキョロとしている八重に、ウラヌスは背後から左肩を叩いた。
「わぁっ!!」
八重はびっくりして一メートル程飛び上がったあと、その場にお尻から着地した。
「このお姉さんは風のように早く動くから、捕まえるの大変よぉ?」
僅かに足を引きずりながら、ネプチューンは歩み寄ってきた。
「さ、観念しなさい」
ウラヌスが手を差し伸べたその時だった。
「なに!?」
突然八重が泣き出したかと思うと、差し出した右腕が瞬時に凍り付いた。
「うっ!?」
「ウラヌス( ! 衝撃を与えちゃ駄目!!」)
慌てて後ろに退いたウラヌスに、ネプチューンが叫んだ。瞬間的に凍らされた物体は、細胞が脆くなっている。少しの衝撃で、粉々に砕けてしまう恐れがあった。
「来るな! 来るな! 来るなぁ!!」
凄まじい冷気を振りまきながら、八重は狂ったように叫んだ。
「マズイわ、なんとかしないと………」
周囲の状況を見ながら、ネプチューンは呟いた。このまま冷却を続けられると、サンシャイン60そのものが崩れてしまう。
「可愛そうだけど………」
倒すしかない。ネプチューンはそう決断した。その時―――。
「落ち着け、八重!!」
鋭い声が一喝した。
尻餅を付いたまま泣き叫ぶ八重の右横に、すらりと背の高い女性―――いや、少女だった―――が、いつの間にか立っていた。
彼女の登場と同時に、周囲の空気が一変した。肌を刺すようだった空気が、ほんのりと暖かみを帯びている。事実、彼女の足下だけ、凍結していた床が溶けて元通りになっている。
「こっちにもセーラー戦士がいたのか」
背の高い少女は、睨むようにウラヌスとネプチューンを見た。
「五十鈴お姉ちゃぁ………ん」
ぐすぐすと鼻を啜りながら、八重は背の高い少女―――五十鈴の顔を見上げた。
「あたしが来たから、もう安心だよ」
五十鈴は優しげな視線を八重に落とした。次いで、もう一度ウラヌスを睨む。
「ウラヌス( !!」)
素早くネプチューンがウラヌスの前方に躍り出て、五十鈴の攻撃をシールドした。衝撃で僅かにバランスを崩す、捻った右足に激痛が走った。
「炎って言うより、超高熱の熱波か!?」
「くっ………」
ネプチューンは歯噛みした。手袋がブスブスと燻っている。
「シールドしたって言うのに………」
背中に冷や汗が流れた。
「応援を呼んだ方がよさそうだ」
ウラヌスは呻くように言った。右腕は完全に機能を失っていた。早く手当をしないと、本当に使い物にならなくなってしまう。それにこのままだと、衝撃を恐れるあまり動くことができない。ネプチューンも右足を捻挫しているようだから、素早くは動けないだろう。
「どうやら、あの子はあたしたちのことが分かるらしい」
「そのようね」
五十鈴は自分たちが、本物のセーラー戦士であることを知っているらしい。だからこそ、いきなり問答無用の攻撃を仕掛けてきたのだ。
「プルート( が来てくれるわ。どうやら、あの子は後楽園で一騒動起こした子らしいわ。サターン) ( とパラス) ( も来るわ」)
「サターン( が来るのか? 助かる」)
サターンなら、その治癒能力で右腕を治療してくれるだろう。ネプチューンは、プルートと交信していたディープ・アクア・ミラーを、すうっと消滅させた。
「あの子は一瞬でここまで来たみたいだけど、三人が来るまでは数分掛かるわね。それまでは、なんとしてでも凌ぐわ」
「すまない」
「ツケにしとくわね」
「そりゃどうも、ご丁寧に」
振り向いてニコリと笑ったネプチューンに、ウラヌスは笑い返す。右腕全体が痺れてきた。左腕をやられていたら、心臓が心配だったところだ。とは言え、このままでは時間の問題だろう。
「犠牲者の中にセーラー戦士が混じっていたら、世間はさぞかし驚くでしょうね」
「生憎と世間様はそうは思わないと思うわ。ただのコスプレイヤーだと思うかも」
「あははっ。そうかもしんない」
五十鈴は笑った。
「じゃあ、トドメ行くかな」
「そう簡単に行くかしら? なんだか、息が上がってるみたいだけど?」
五十鈴は苦しげに息をしていた。第二撃を撃ってこないのは、そのためだろうと思えた。額には脂汗さえ浮いている。
「うるさい!」
彼女の気迫と同時に熱波が来た。しかし、先程より威力が弱い。
「五十鈴お姉ちゃん、大丈夫?」
苦しそうな五十鈴が、流石に心配になったのだろう。不安げな顔を、八重は向けた。
「大丈夫。下がってな」
五十鈴は、八重を後ろに匿おうとした。しかし、
「あたしがやる!」
五十鈴の腕を振り解いて、八重は前に踏み出した。
「うぅぅぅっっっ」
力を集中させる。
「来るぞ!」
ウラヌスが小さく叫ぶ。ネプチューンは右手にディープ・アクア・ミラーを出現させた。
「はあぁぁぁっっっ」
八重が大きく息を吐き出した。
「サブマリン・リフレクション!!」
唸りを上げて接近してきた冷気を、ネプチューンはサブマリン・リフレクションで吹き飛ばした。
「あれ!? なに今の!?」
八重は目を丸くして驚いている。どうやら八重は、ネプチューンたちのことをまだ普通の人間だと思っていたらしい。
「下がって八重! あの人たちは、本物のセーラー戦士だよ!」
「え!? 本物!? 本物なんていたの!?」
八重はセーラー戦士そのものの存在を信じていなかったらしい。
「下がって!!」
五十鈴がもう一度叫んだとき、状況が一変した。周囲の温度が、急激に低下していく。
「ん? どうした、八重?」
八重の様子がおかしいことに、五十鈴は気付いた。
「あっ、あっ、あっ」
八重は小刻みに体を震わせている。全身から冷気が放出する。
「八重!? うわっ!!」
五十鈴が後方に弾き飛ばされた。自らのガードのために張っていた熱波のシールドが、八重の放つ冷気と反発したがために、反動で吹き飛ばされてしまったようだ。
「あっ、あっ、あっ。お姉ちゃん、八重の体なんか変! 止まんない! 力が止まんないの!!」
冷気が渦を巻いていた。ネプチューンたちからの位置では、もうまともに八重の姿を確認することができない。
「力が暴走しているの!?」
「自分で制御できないのか!?」
ネプチューンはディープ・アクア・ミラーのパワーを使って、周囲にシールドを張った。そうでもしないと、体が凍り付いてしいそうだったからだ。
「マズイ! ビルが崩れる!!」
「でも、止めるにはあの子を殺すしかないわ!」
「やむを得ない!」
非情の決断を迫られていた。サンシャイン60が崩れれば大惨事となってしまう。それを避けるためには、例え少女でも命を奪わなければならない。
「あぁぁぁぁっっっ!! いやぁぁぁぁぁっっっ!!」
白い渦の向こうから、八重の絶叫が響く。制御のできなくなったパワーが、一気に放出し出したのだ。このままでは、どのみち八重も助からない。
「行くわ!」
ネプチューンはウラヌスにディープ・アクア・ミラーを手渡した。ウラヌスは既に半身不随の状態だった。攻撃を仕掛けることはできない。八重を倒すのは、自分の役目だと感じた。
「五十鈴! 八重!!」
ネプチューンが仕掛けようとしたとき、声が響いた。全く別の声だった。しかし、ウラヌスとネプチューンの位置からでは、冷気が邪魔をしてその声を発した者の姿を見ることができない。
「一美ちゃん! 八重ちゃんが!!」
また別の声が聞こえた。今度はかなり幼い声だ。
「また子供かよ………」
もうウンザリだと言うように、ウラヌスは呟いた。新たに現れたのは、どうやらふたりとも子供のようだった。
「来た!」
ネプチューンが小さく叫んだ。ディープ・アクア・ミラーの張っていたシールドの外側に、更にエネルギーのシールドが張られた。プルートのガーネット・ボールだ。
「何が起こっているの!?」
「どうもこうも、さっぱり分からない」
プルートの問い掛けに、ウラヌスは答えた。ガーネット・ボールの中に、プルートとは別の気配を感じた。
「サターン( ! ウラヌス) ( の治療を!」)
「え!? あ、はい!!」
状況をまだよくできていないサターンだったが、ネプチューンのその指示には素早く対応した。ヒーリング能力で、ウラヌスの右腕の治療を始めた。
だしぬけに冷気の渦が消滅した。小学校の高学年くらいの女の子が、ぐったりとしている八重の体を抱き締めていた。
「八重ゴメン。守ってやれなくて………」
そう聞こえたような気がした。とても悲しげな声だった。
パリンと音を立てて、八重の体は粉々に砕けた。氷の結晶となって、床にこぼれ落ちた。
「あなたたちの目的はなに!? 答えなさい!」
セーラームーンの声だった。少女たちの右側、ウラヌスたちから見ると左側に、セーラームーンたち四人の姿が見えた。
セーラームーンの口調は静かだった。しかし、その内からは強い怒りが感じられた。
「人類の抹殺」
床に散乱しているかつて八重だったものを、静かに見渡すよう首を巡らせながら、少女はぽつりと言った。
「………あの人はそう言ってるわ。あたしには、あまり関係のないことだけど………」
ゆっくりとした動作で立ち上がり、仲間たちの方に振り返る。いつ来たのか、人数は四人に増えている。喧嘩っ早そうな男の子が、ふたり含まれていた。
「帰ろ」
短く言った。首を振る者はだれひとりとしていなかった。
少女はもう一度セーラームーンの顔を見た。視線が合った。まるでそれが合図だったかのように、子供たちの姿は、唐突にその場から消失してしまった。