child−8 七海


 ここが渋谷なのか?
 うさぎとちびうさは、真剣にそう悩んだ。
 渋谷駅とその周辺を経由する交通機関は、ほぼ壊滅状態であった。六本木通りをタクシーを使って移動し、青山トンネルを抜けたところまで進んだ地点で、ふたりはタクシーを降りた。残りの道程を、ふたりは渋谷までは走って来なければならなかった。
 逃げ惑う人々の流れに逆らうようにして、ふたりは渋谷駅付近に到着した。そして、見てしまった。まるで空襲を受けたあとのような渋谷の光景を。何がどうなったらこんな状態になるのか、分かるように説明してほしかった。
 ありとあらゆる建物が崩壊していた。瓦礫の下からは、人々の苦しげな呻き声が聞こえてくる。女性の救いを求める声。子供の泣き声。訳もなく叫ぶ男性の声。ふたりは体の震えが止まらなくなってしまった。
 既にレスキュー隊も到着していた。懸命の救助活動を行っているが、如何せんまだ人員が足りなかった。
 何が起こったのかは分からない。しかし、異常な現象が起きたと言うことだけは分かる。
「ま、まもちゃんはドコ!?」
 うさぎはやっとの思いで、衛のことを口に出した。だがそのお陰で、少し気分が楽になった。
「これじゃ分かんないよぉ………」
 ちびうさは泣きべそを書いていた。衛は普通の人間ではない。無事なはずだと分かってはいても、この凄惨な光景を目の当たりにしてしまうと、そんな楽観的な考えも消え失せてしまう。
 建物の全てが崩壊しているために、どこに何があったのかさえ分からない状況だった。これでは何を目安にどこを捜せばいいのか、全く分からない。線路の残骸のようなものが確認できるので、駅があったであろう場所が辛うじて判断できる程度だった。
「まもちゃんはドコに行くって言ってたの?」
「分かんない。うさぎは知らないの?」
「そんなこと言われたって………」
 うさぎはありとあらゆる可能性を必死に考えた。衛が行きそうな場所………。
「あっ!」
 ひとつだけ思い当たる節があった。
「『109』かも………。前に、あそこでタンクトップほしいって言ったから………」
「そう言えばまもちゃん。注文してたやつが入ったとか言ってたっけ」
 とは言うものの、どこが「109」があった場所なのか見当が付かなかった。
「駅があの辺りだとすると、あたしたちはこっちから来たから………。えっと、あの辺りだと思う」
 自分たちが来た方向、駅の位置、そして高速道路の位置を見て、ちびうさは「109」があったであろうだいたいの位置の見当を付けた。その辺りの分析は、さすが衛の娘(別次元の未来の)と言ったところか。
「ちょ、ちょっと待って! 高速道路が、何で無事なのよ!?」
 殆ど無意識のうちに確認した高速道路が、全くの無傷な姿で残っていることに、ちびうさは仰天した。駅周辺の建物が、殆ど原型を留めていないほど倒壊していると言うのに、すぐ近くを通っている高速三号渋谷線は、何の影響も受けた様子はない。高速道路上では、渋谷駅周辺で起きた惨事を、通行する車両が速度を落として見物しているため、大渋滞を引き起こしている。よくよく思い返してみると、十番街から向かってきた時も、青山の近辺はいつもと変わらない街並みだった。それが突然、瓦礫の山と化したこの光景へと変貌したのである。
「ここでいったい、何が起こったって言うのよ………」
 うさぎもようやく、この状況の異常さに気付いた。爆発があったにしろ、地震が起こったにしろ、駅周辺だけが見事に崩壊しているこの状況は、とても常識では理解できない。常識では考えられない現象が起こったとしか、考えられないのだ。
 ふたりは衛のことも忘れて、しばし茫然と周囲を見回していた。
 視線を感じた。強い意志が感じられた。ふたりは引き寄せられるように、その方向に顔を向けた。ふたつの人影が見えた。右斜め前方、距離にして百メートル。小学生くらいの女の子のふたり連れだった。ひとりは小学校高学年くらい。もうひとりは三歳から四歳くらいの女の子だった。強い視線を向けているのは、年上の方の女の子だった。
「あの子は………」
 見覚えのある女の子だった。いつだったか、この渋谷で見掛けたあの女の子だった。強烈に印象に残っていたので、すぐにその子だと分かった。
「うさぎ………?」
 ちびうさは、うさぎの顔と女の子の顔を交互に見比べた。
「ちびうさ、気を付けて」
「気を付けてって、なにを?」
「いつでも変身できるようにしておいて」
「変身って………」
 ちびうさには、うさぎが何故突然そんなことを言い出したのか、理解できなかった。自分たちの目の前には、事故を免れたらしいふたりの女の子の姿しかない。なのにうさぎは、何に対して警戒をしろと言うのか。うさぎは答えないまま、女の子たちの方を見つめている。
「その顔だと、あたしのこと覚えてるわね」
「お姉さんもね」
 うさぎが声を掛けると、少女は軽い笑みを浮かべた表情で答えてきた。
「偶然かしら?」
「偶然でしょ?」
 女の子は、今度ははっきりと笑った。傍らの四歳くらいの女の子―――妹だろうか―――が、不思議そうに自分と女の子の顔を見比べている。
 沈黙が流れた。お互い、次ぎにどういう行動を取るべきなのか、考え倦ねている様子だった。
「リトル・クイーン! スモール・レディ!!」
 その沈黙を何の前触れもなく破り、セレセレがふわりと宙から舞い降りてきた。うさぎとちびうさのやや前方、ふたりを守るようにセレセレは陣取る。
「あなた、今どこから来たの? 空から舞い降りてきたように見えたけど?」
 女の子が、セレセレに向かって言った。
「あなたこそ何者ですの!? あなたの内から、恐ろしい力を感じますわ!」
「へぇ、あなた、わたしの“力”が分かるんだ。もしかして、仲間?」
「一美お姉ちゃん、違う。この人の“力”は、七海たちとは違う」
 傍らの女の子が、怯えたような声で言った。年上の女の子の後ろに、身を隠すように回り込んだ。
「この人たちは仲間じゃない。別の強い“力”を感じる。七海、この人たちキライ!」
「別の力? どういうこと?」
「七海たちとは違う“力”。とっても怖い“力”。この人たちは、七海たちを苛めようとしてる。七海、この人たち退治する!」
「待ちなさい七海!!」
 ガクンという凄まじい衝撃を感じた。気が付いたときには、宙を舞っていた。優に百メートルは飛び上がっている。このまま地面に叩き付けられたら、即死は免れない。
 三人は宙に舞った状態でセーラー戦士に変身すると、ふわりと地面に降り立った。
「セーラー戦士!?」
 一美と呼ばれた方の年上の女の子が、驚きの声を上げた。
「セーラー戦士って、本当にいたんだ………。そっか、特別な“力”か………。なるほどね」
「渋谷の街をこんな風にしたのは、あなたたちなの!?」
 セーラームーンが一歩前に踏み出して、叫び訊いた。
「七海がやったんだよ! 凄いでしょ?」
 三歳くらいの女の子―――七海は、無邪気な笑顔で、自慢げに言ってきた。
「セーラームーンだよね? お姉さん」
 セーラームーンが言葉を発するより先に、一美の方が問い掛けてきた。
「ええ、あたしがセーラームーンよ」
「悪人を退治して、面白いの?」
 セーラームーンの活躍は、一部の新聞やワイドショー番組でニュースとして取り上げられたことがある。しかし、それはあくまで宝石泥棒や謎の怪事件などを解決に導いた、謎のスーパーヒロインとして話題になっただけである。ダーク・キングダムやシャドゥ・ギャラクティカなどとの真の戦いなど、報じられるはずもない。だから、一美はそんな訊き方をしてきたのだ。
「わたしたちも退治するの? でも、普通の人には、わたしたちは倒せないわよ。いえ、普通の人たちじゃないわね、お姉さんたちは………。セーラー戦士って、ただのコスプレイヤーさんだと思ってたけど、今本当に変身したもんね。特別な力を持った人たちだったんだね」
 あたしたちみたいに………。言葉尻にそう付け加えるような言い方で、一美は言った。
「あなたたちのその力はなに!?」
「竜の力」
「りゅう?」
「そう、竜よ」
「七海たちは『りゅうのいでんし』を持ってるんだよ。だから強いんだよ。普通の人より、ずっとずっと強いんだよ。今ね、七海たちは『ちからだめし』をしてるの」
「力試し?」
「七海、おしゃべりはダメよ」
 何か答えようとした七海を、一美は制した。
「お遊びでこんなことをされたのでは、たまらない」
 鋭い声が飛んだ。衛だった。左腕を怪我しているのだろうか、右手で左腕を押さえている。
「遊びじゃなきゃいいの?」
 七海は首を傾げながら訊いてきた。一美は可笑しかったのか、小さく噴き出していた。
「子供に何を言っても無駄みたいよ、まもちゃん」
「あんただって、子供じゃないのよ」
 呆れたように言うちびムーンに向かって、一美は突っ込みを入れた。自分と同じ年格好の女の子に、子供扱いされたくはないだろう。
「あっ!」
 突然、七海が声を上げた。
「一美お姉ちゃん! 八重お姉ちゃんが変!!」
 天を仰ぎ見ながら、七海は叫ぶように言った。
「変て、どういうこと?」
「苦しんでるの! とっても苦しがってるの!!」
「八重は確か、池袋だったな………。おいで七海。飛ぶよ」
「わ〜い! 七海を抱っこしてくれるの?」
「さぁ、いらっしゃい」
 一美が両手を広げると、七海は嬉しそうに飛び付いた。
「セーラームーンはどうするの?」
「今は、八重の方が心配でしょ?」
「え? でも、一美お姉ちゃんなら、すぐにやっつけられるでしょ?」
「お姉ちゃんが弱い者苛め嫌いなの、知ってるでしょ?」
「あ、そっか! そうだよね」
 一美に抱き付いている七海は、ニコニコしながら言った。そんな七海に、一美は優しく笑いかけると、次ぎにセーラームーンに視線を戻した。
「セーラームーンのお姉さん、また今度ね」
 言い終えた瞬間に、ふたりの姿はその場から消滅した。
「空間転移? いえ、違いますわね。本当に跳んで行ったのかも………」
 セレスは上空を見上げた。彼女たちの移動した軌跡を探るように、視線を走らせる。
セーラームーン(うさぎ)、あの子、竜の力って言ったよね? 竜の力ってなんだろう………」
「分かんないわよ、あたしには………」
 セーラームーンは衛の元に駆け寄っていた。膝を突いている衛の左腕を、ヒーリング・エスカレーションで治療している。
「竜の遺伝子を研究していた学者がいたはずだ」
 衛は顔を上げて、ちびムーンを見た。
「あ、ちっちゃい方の子が、そんなこと言ってたっけ………。まもちゃん、大丈夫なの?」
「俺はな………」
 衛は悔しげに表情を歪めた。特別な能力を持つ衛だからこそ、その程度の怪我ですんだのだろう。
「咄嗟のことで、俺も自分を守るのが精一杯だった」
「まもちゃん………」
 セーラームーンは、掛ける言葉を見付けられなかった。それは、ちびムーンも同じだった。
「こんな時に申し訳ないのですが………」
 非常に言いにくそうに、セレスが声を掛けてきた。
「お二方と連絡が取れないって、ルナが怒ってましたけど………」
「あ、通信機家に忘れてきた」
「あたしも………」
「全く………」
 衛は呆れたように溜め息を付くと、ゆっくりと立ち上がった。改めて周囲を見回す。
「ひどいもんだな………」
 ポツリと言った。
 その時、通信機のコール音が響いた。セレスが持っている通信機だ。
「はい、セレセレですわん。あら、ダイアナ。ええ、合流できましたわん。やはり、お二方とも、渋谷にいらしたわ。ええ、リトル・キングも無事ですわ」
 どうやら、ダイアナから連絡が入ったらしい。残念ながら、セレス以外の者にはダイアナの声が聞こえなかった。
「イケブクロ? そこへ行けばいいのね。分かった」
 セレスは通信機のスイッチを入れたまま、セーラームーンに顔を向けた。
「イケブクロと言うところに向かってほしいそうですわん。なんだか、あちらはとんでもないことになってるらしいです」
「とんでもないこと?」
「ダイアナもよく分かってないみたいです。ネプチューンさんからの連絡とか言ってましたわん」
ネプチューン(みっちょん)!? 来てるの!?」
「そうらしいですわね」
 セレスとしては、二十世紀での彼女たちの事情をあまりよく知らない。だから、ネプチューンの名前を出したときに、セーラームーンが何故驚いたのかが、実はよく分かっていなかった。
「とにかく、急いで池袋に行った方がよさそうだな」
 衛はそう言うと、素早くタキシード仮面に変身をした。