child−7 六月
「お仕事、終わり〜っと」
両手を大きく広げ、六月は気持ちよさそうに大きく息を吸い込んだ。
「やっぱ、あたしたちがサンシャインに行けばよかったかもね。六月の能力は、密閉された空間の方が効率がいい」
「くじ引きだから、しょーがないんじゃない?」
何やら反省気味の二葉だったが、六月はあっけらかんとしていた。
「帰ろうよ二葉ちゃん。お腹空いた」
「もうちょっと待ってよ。今、みんなのチェックしてるから」
二葉は言いながら、膝の上に置いているノートパソコンのキーボードを叩く。
「取り終えず、だいたいはオッケーみたい」
「誰が一番?」
「さぁ、まだ分かんないよ。今頃、ママが集計してくれてるよ、きっと」
「六月たちが一番だといいね。ママからご褒美もらえるし」
「五十鈴にゃ負けたくないよね………おや?」
二葉は気配を感じて顔を上げた。高校生くらいの女の子が、こちらをじっと見ている。髪留めとして使用している真っ赤な大きなリボンが、とてもよく似合っていた。
「六月ぃ。生き残りがいるよ」
「え? あ、ホントだ」
芝公園を経由して東京タワーにやって来た美奈子は、凄惨なタワー周辺の状況に肝を冷やした。生きとし生けるもの全てが死滅したのではないかと感じられるその一画は、まるで作り物の世界のように目に映っていた。実際にこの場所に自分がいるのだと言うことが認識できず、ブラウン管を通して見ているような錯覚さえ覚えた。
覆面パトカーが美奈子の横に、タイヤを鳴らしながら横付けしてきた。
「み、美奈子ちゃん!?」
パワーウィンドゥが開き、中からガスマスクを装着した若木トシオが顔を覗かせた。
「なんで、こんなところに!?」
「なんでって………。調査に来たんだけど?」
「いや、そんなことよりマスクをしないとヤバイって!」
「これって、やっぱ毒ガス?」
「種類はまだ判明していないけど、十中八九毒ガスだ。まだかなりの高濃度で残留しているはずだから、そのままだと危険だよ」
若木は覆面パトカーから飛び出すと、後部トランクを開けて予備のガスマスクを取り出してきた。
「さぁ、これを!」
「やぁよ、かっこ悪い」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思うんだけど………」
若木としては渋い顔をせざるを得ない。実際、毒ガスは高濃度で残っているはずだった。ガスマスクなしで、無事でいられるはずがないのだ。
「そんな不格好なマスクじゃ、服に似合わないじゃない」
今日の美奈子は、白地の上品な花柄のブラウスに、薄い橙色の激ミニフレアスカートという出で立ちだった。とは言うものの、ガスマスクに似合う服装なんてあるのだろうか。
「で、美奈子ちゃんはなんで平気なの?」
若木はようやくその不可解な点に気付いた。
「何でって言われても………。何で?」
美奈子は逆に尋ねた。
「な、なんでだろ………。もう既に、毒ガス吸っちゃってると思うんだけど………」
「細かいこと気にしてたってしょうがないじゃない。『病は気から』って言うし」
「いや、あのね………」
「あ、もしかして、美人には効果のない毒ガスなのかも!」
美奈子はあっけらかんと言ってのけたが、そんなことがあるわけもないし、そのような奇っ怪な毒ガスがあるはずもない。
「ま、取り敢えずその辺調べて来るから、若木っちはそこで大人しくしててよ」
美奈子は言い終えると、短いフレアスカートを翻してくるりと反転した。
「ひとりじゃ危ないってば! テロリストがいるかもしれないんだぜ!」
「若木っち何か忘れてなぁい?」
美奈子は再びスカートを翻して反転し、ズイっと若木に迫った。
「な、何かって?」
「あたしはだぁれ?」
「美奈子ちゃん」
「じゃなくて」
「美人の美奈子ちゃん」
「あのね」
「美人で可愛い美奈子ちゃん」
「間違いじゃないけどね」
美奈子は満足顔で肯く。
「そうじゃなくって、じゅうよ〜〜〜〜〜なこと忘れてるでしょ?」
「あっ」
若木はようやく思い出したようだ。美奈子がセーラー戦士であると言うことを。
「じゃ、そういうことで」
右手をピッと挙げると、美奈子は三度クルリと跳ねるように反転する。若木は、まるでピクニックにでも出掛けるように楽しげな美奈子の後ろ姿を見つめながら、
「今日は薄いブルーか………」
などと呟いた。
取り敢えず美奈子は、東京タワーの周囲を一回りしてみることにした。そこかしこに横たわっている遺体は、なるべく見ないようにした。まともに見ていたら、気が変になりそうだったからだ。霊感の強いレイなどは、きっと人々の無念の声が聞こえてしまって、とてもこの場を歩けないだろうと思った。先程までは若木と一緒だったからあまり感じなかったが、ひとりになると、流石に人の遺体を見るのは辛い。嘔吐感を必死に抑えながら、美奈子は右回りで東京タワーの裏手に回った。
芝公園スタジオを通り過ぎたところで、美奈子はハタと足を止めた。右手前方に見えるプラスチック製のベンチシートのところに、小学生くらいのふたりの女の子を発見したからだ。遺体ではなく、元気に動いている。
「生き残りがいた?」
ふたりの様子に何か違和感を覚えながらも、美奈子はまずそう考えた。
ふたりの女の子が、自分に気付いた。不思議そうな視線を向けてくる。
「あなたたち、何ともないの?」
美奈子の方が先にそう尋ねた。東京タワーに近いところには、何人もの人が折り重なるようにして倒れている。ピクリとも動かないところを見ると、やはり既に息絶えてしまっているのだろう。それにも拘わらず、ふたりの女の子はピンピンしていた。彼女たちのいる一部分だけ、何事もなかったとは常識では考えられない。
「お姉さんこそ、どうして平気だったの?」
ベンチに座っている女の子の方が訊いてきた。膝の上には、ノートパソコンが置かれている。こんな状況だと言うのに、悠長にパソコンを操作していたらしい。
「………」
美奈子は無言で、探るような視線をふたりに向けた。今の言葉から、この女の子たちは、この場で何が起こったのか明らかに知っていると感じた。知っているからこそ、自分にどうして平気だったのかと訊いてきたのだ。
「美人のお姉さんには、効果のない毒ガスだったみたいよ」
美奈子はカマを掛けてみることにした。信じがたいことだが、この事件に少女たちが関わっている可能性は極めて高い。
「アンタのガスって、そんな奇っ怪な性質を持つガスだったの?」
「うん。六月も初めて知った」
ふたりの女の子は、顔を見合わせて感心している。
「って言うより、お姉さんが特異体質とか?」
ベンチに座る女の子は、珍獣でも見るような目を美奈子に向けてきた。
「あなたたち、どうしてここにいるの?」
「どうしてって………。ん、まあ、遊びに来たってトコかな」
「六月たち、ゲームしに来たの」
美奈子が再び尋ねると、ベンチに座っている女の子が即座に答え、その前にちょこんと立っている女の子がその後を受けるように言った。
美奈子が次の言葉に詰まっていると、携帯電話の呼び出し音が鳴り響いた。流行の着メロでも着うたでもなく、シンプルな電子音だった。自分の携帯電話ではない。
「何だろう………」
ベンチに座っている女の子が、スカートのポケットに手を突っ込んで、二つ折りタイプの携帯電話を取り出して耳に当てた。
「もしもし? うん、二葉。池袋? うん、行けばいいのね。分かった」
通話を終えると、パタリと携帯電話を閉じた。
「六月、移動するよ」
「どこに行くの?」
「池袋」
「八重ちゃんトコだ。何かあったの?」
「ちょっとマズイことになってるみたい」
「?」
「電車ん中で話すよ。取り敢えず、五十鈴にすぐに向かうように念を送って」
「うん。………今送った。すぐ行くって」
「さんきゅ」
「でも、電車賃大丈夫?」
「あ………。今検索する」
ベンチに座っている女の子は、慌てたようにノートパソコンを操作し始めた。
「な、なんとか大丈夫みたい」
「よかったね」
ふたりはホッとしたように顔を見合わせた。
「もしもぉし、話に加わってもいいかしらぁ?」
ひとり蚊帳の外だった美奈子は、間延びした声で話し掛けた。ふたりの女の子が、驚いたような視線を送ってくる。どうやら、すっかり忘れられていたらしい。失礼な話である。
「お姉さんのこと忘れてた」
「あのね。こんっなに美人のお姉さんの存在を、そんな簡単に忘れないでくれる?」
「美人って、自分で言う?」
「美人が美人って言って、何が悪いの?」
「悪きゃないけど………」
ベンチに座っている女の子は、返答に困ってしまった。美奈子は勝ち誇ったように小さくガッツポーズする。
「このお姉さんどうするの? もう一度六月の息吹き掛けてみる?」
ちょこんと立っている女の子の方が、ベンチに座っている女の子に尋ねた。立っている女の子は、どうやら六月と言う名前らしい。座っている方の女の子は、確か先程、携帯電話を出るとき二葉と名乗ったように思う。
「いいよ、ほっとこ。このお姉さん面白そうだし」
ノートパソコンをパタンと畳むと、二葉はベンチから立ち上がった。
「お姉さん気に入ったから、今日は殺さないでおいてあげる。んじゃね、バイバイ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
そのまま何喰わぬ顔で立ち去ろうとする女の子たちを、美奈子は慌てて呼び止めた。何か知っているらしいこの女の子たちを、このまますんなりと帰してしまうわけにはいかない。
「ちょっとそこでじっとしててね」
二葉は美奈子に向かって振り向くと、フッと息を吐くような仕草をした。
「!?」
突然のことで、美奈子は自分の身に何が起こったのか理解できなかった。気が付くと、全身びしょ濡れの状態で、その場に茫然と佇んでいた。頭から水を掛けられたとか、そう言う感じではなかった。強いて言えば、水球の中に一瞬だけ閉じこめられたような感じだった。いや、実際にそうだったらしい。ちょうどその時現場に駆け付ける形となったまことは、水球の中に捕らわれた美奈子を目撃していた。
「大丈夫か、美奈!」
「あ、うん。一応生きてるみたい………」
女の子たちの姿は、既に視界から消え失せていた。
「何が起こったんだ?」
「あたしにもよく分からないのよ………」
自分でも理解できていないことを、他人に説明できるわけもない。
「美奈子ちゃん! あ、まこちゃんも!?」
背後から声が投じられた。振り向くと、ガスマスクを付けた若木が、三人の機動隊員を引き連れて走ってくるのが見えた。
「テロリストは!?」
「さぁ………。あたしが来たときには、こんな状態になってた」
勢い込んで訊いてくる若木に、右手で美奈子をちょいちょいと指差しながら、まことは答えた。
「はうっ!」
美奈子を見た若木が、大袈裟に仰け反った。鼻からタラリと血が滴り落ちる。
「若木っち〜〜〜。いい歳して、美奈に欲情すんなよぉ」
「そんなこと言ったって………」
びしょ濡れの美奈子は、上も下も下着が透けてしまっている。これはかなり、男心を刺激する。
「池袋」
「へ? 若木っちを生きたまま袋詰めする気か!?」
まことの耳には「生け袋」と聞こえたらしい。
「まこ、池袋に行くわよ!!」
「あ、ちょっと待て美奈!! いくらなんでも、その恰好じゃマズイって!!」
既に走り出している美奈子を、まことは慌てて追い掛けていった。