エピローグ


 渋谷は人が溢れかえっていた。
 破壊された悲惨な状況が嘘のようだった。それもそのはずである。まだ、事件そのものが起きる前なのだから。
 変身を解いたうさぎたちは、渋谷駅の近くに来ていた。うさぎの考えが正しければ、ここである事件が起こるはずだった。
 小さな悲鳴が上がった。西口付近からだった。
 小学生くらいの女の子が、転んで尻餅を付いていた。どうやら、二十代前半の男性が、急いでいて女の子を突き飛ばしてしまったらしかった。二葉によく似た女の子だった。
 転んだ女の子に見向きもせず、男性は走り去ろうとした。
「あいつ!」
 男性を追い掛けようとしたまことを、
「待って」
 うさぎは呼び止めた。うさぎの記憶が正しければ、その後男性は炎に包まれるはずだった。しかし、それでは以前と何ら変わりがない。
「ああ! ったくよぉ!!」
 走り去ったはずの男性が、女の子のところに戻ってきた。
「ごめん! ごめんよ。大丈夫だったか?」
 男性は女の子を助け起こす。
「げっ。膝小僧擦り剥いちゃってんじゃないか………。参ったな………」
 男性は女の子を抱え上げると、近くの派出所に向かって走っていった。
「あの人、本当はいい人だったのね」
 声が聞こえた。一美の声だった。
 顔を向けてみた。一美と八尋の姿が見えた。一美の後ろから、ピンクのぬいぐるみを抱いた七海が、ちょこんと顔を出した。
「とんでもないこと、やったのね」
 吐息を吐くように、うさぎは言った。
「みんな生き返ってます。元通りに。ひとりを除いて………」
 一美は答えた。一美と八尋は、たったひとりだけ、生き返らせることをやめた人物がいた。それが誰なのか、わざわざ言う必要はなかった。聞かなくても分かっていたから、うさぎは敢えて尋ねようとはしなかった。
「他のみんなは?」
 別のことを訊いた。みんな生き返っているのなら、彼女の仲間たちも生き返っているはずである。しかし、この場に他の仲間たちの姿は見えなかった。
「元の生活に戻ってます。だって、あの子たちは本当の『竜の子供』じゃないもの。普通に暮らして当然だもの」
 一美は少し寂しそうに言った。
 背の高い小学生くらいの女の子が、一美の方を見ながら通り過ぎていった。ふと立ち止まって首を傾げたが、そのまま歩き去っていく。女の子は、五十鈴によく似ていた。
「あの子は………」
 せつなが五十鈴によく似た女の子を目で追った。本人だと感じた。しかし、一美を見てもそれが誰なのか分からなかったようだ。
 双子の男の子が走り回っている。母親らしき女性に注意を受けているが、やんちゃなふたりは聞き入れない。がっしりとした体格の男の子にぶつかって、反対に弾き飛ばされている。
「あの子たち………」
 亜美は小さく笑った。秋葉原で出会った双子の男の子たちだ。
 気弱そうな女の子が母親の後ろに隠れながら、そんな彼らの様子を眺めている。
「みんなの記憶。消しちゃった」
 一美はニッコリと笑って見せた。とても悲しそうな笑顔だった。見覚えのある顔の子供たちが、次々と何喰わぬ顔で通り過ぎていく。
「俺は、こいつらに付いて行こうと思います。まだ、答えを見付けられてないから。両親と俺の関係する人たちの記憶は全て消しました」
 八尋はそう言うと、最後にちびうさを見た。
「ちびうさだけだ。俺のこと覚えてるのは」
「九助や桃ちゃんは、お兄ちゃんのこと忘れちゃったんだね」
「うん」
 八尋は寂しそうだった。だけど、悲しそうな表情は見せなかった。
「あたしたちは、あたしたちのこの能力(ちから)が必要になる時まで、どこかでひっそりと暮らします。あ、でも、あたしたちの能力(ちから)が必要になる時なんて、きっと来ませんよね。地球には、お姉さんたちがいるものね」
 一美は眩しそうに、うさぎの顔を見上げた。
「うん、任せて。あなたたちが平和に暮らしていけるように、あたしたちがんばるから」
「でも、万が一、お姉さんたちがピンチの時は、きっと助けに来ます」
「心強いわ」
 うさぎは小さく肯いた。
「はい。じゃあ、あたしたち、もう行きます」
「じゃあ、みなさん」
「バイバイ! お姉ちゃんたち!」
 一美と八尋は、七海の手を引いて去っていった。
 七海の元気な歌声が聞こえる。
「お星の水兵さん。素敵な水兵さん………」
 三人の姿が、人混みに紛れていく。
「白いシャツ着た水兵さん………。あたしたちのことだったのかもね」
 みちるがポツリと言った。
 三人の姿は、もうどこにも見えなかった。それでも皆、三人が去っていった方向から、しばらくは目を離すことができなかった。