child−22 最後の決断


「神崎零貴個人の復讐劇だったって言うのか………」
 セーラームーンから直接話を聞いたタキシード仮面は、怒りで紅潮させた顔を雷精の群れへと向けた。
「あの子たちは利用されただけなのよ。と言うより、そうすることでしか生きることができなかった。特に『竜の遺伝子』を移植された子供たちは、常に神崎零貴に『調整』してもらう必要があったのよ。あの子は………一美は全てを知っていた。全てを知っていたから、仲間たちを守るために、神崎零貴に従うしかなかった。実の母親なのに………」
 セーラームーンはやるせない気持ちになっていた。理不尽すぎる。戦うべき相手は子供たちではなく、彼らを生み出した神崎零貴の方だったのである。何故そのことに、もっと早く気が付かなかったのか………。気付いてさえいれば、少なくとも今日のこの惨事は防げたかもしれなかった。
「神崎零貴は、どこにいるんだ!?」
 神崎零貴を倒しに行くつもりで、タキシード仮面は訊いた。
「教えてくれなかった………」
「聞きだそう!」
 タキシード仮面は、一美の姿を捜した。

 ビックサイトの外に脱出するタイミングを失ったちびうさたちは、東展示棟とエントランスホールを結ぶ通路上にいた。両サイドの動く歩道は機能を停止しているので、三人は通路の中央を移動していた。
 走って逃げたくとも、逃げ惑う集団の中にいるので、どうにも思うように移動できない。集団の流れに任せて移動しているのが現状だった。
 雷精は羽音を響かせて、頭上を我が物顔で飛び回っている。無差別に息を吐き、手当たり次第に殺戮を繰り返していた。
「もうやだよぉ………。怖いよぉ」
 とうとう桃子が、その場にしゃがみ込んで泣き出してしまった。
「ダメだよ、ももちゃん! 逃げなきゃ!!」
「逃げるって言っても、どこに逃げればいいのぉ!? どこに逃げたって、怪物が追っ掛けてくるじゃない」
 確かに桃子の言うとおりだった。どこに逃げても、雷精が待ち構えている。しかし、この場でじっと動かないでいるのも危険なのだ。できるだけ、雷精の少ない場所を探して身を隠すしか生き延びる方法はない。
セーラームーン(うさぎ)たちは、どこに行っちゃったのよぉ………)
 てっきり助けに来てくれると思っていたセーラームーンたちが、なかなか姿を見せない。雷精にやられるとは思えないので、どこかで戦っているのだろうが、ちびうさは次第に心細くなってきていた。
「よし! がんばれ!!」
 前方から声援する声が聞こえてきた。顔を上げてみると、セレスが雷精の群れを相手に、孤軍奮闘している姿が見えた。
セレス(セレセレ)だけ!? パラス(パラパラ)は!?」
 戦っているのがセレスひとりだったので、ちびうさは思わず声を出して驚いていた。ちびうさは、パラスが津波を阻止に向かったことを知らなかったようだ。
「そうじゃねえよ! なにやってんだ! 頼りねぇなぁ!!」
 セレスの戦い振りに、文句を言ってる声が上がった。たったひとりで雷精の群れと戦っているセレスは、確かに見ていて危なっかしい。だが、声援を受けるならまだしも、文句を言われる筋合いはないはずだった。セレスは彼らを守るために戦っているのだから。
「何をやってんだよぉ! 向こうじゃねぇ! 先にこっちのやつを片付けろよ!!」
「ちょっとお兄さん!」
 腹に据えかねたちびうさは、人並みを掻き分けてつかつかと歩み寄り、セレスの戦い振りに文句を言っている大学生風の男性の前に仁王立ちした。
「なんだ、お前ぇ?」
セレス(セレセレ)は誰のために戦ってると思ってんの!? 文句言うなら、お兄さんが戦えばいいじゃない!」
「あ? ()に言ってんだお前? だったら、お前が戦え!」
 男性はちびうさを前に押し出した。
「え!?」
 ちょうどそのちびうさの目の前に、雷精が飛来してきた。
「きゃあ!! ちびうさちゃん!!」
 桃子が絶叫した。
「ちびうさぁ!!」
 九助が突っ込んできた。力一杯、ちびうさをその場に押し倒すような恰好になった。その九助の頭の上を、いかずちが通り過ぎていく。いかずちは、ちびうさを押しやった青年に直撃した。
 雷精は旋回し、今度は倒れているふたりを標的にした。
「スモール・レディ!!」
 セレスがふたりの盾となるべく、雷精の前に身を躍らせた。(ブレス)が吐かれる。セレスはシールドしたが、その勢いに後方に弾かれてしまった。人の集団の中に飛ばされたが、誰ひとりとしてセレスを助け起こそうとする者はいなかった。蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ去り、セレスの周囲にぽっかりとした空間が空いた。
 雷精にとっては、絶好の標的だった。
「!!」
 二本のいかずちが、セレスの体を掠めた。セレスは声にならない悲鳴を上げる。
「セレセレぇ!!」
「九助! ちびうさちゃん! 逃げてぇ!!」
 桃子のその声に顔を上げると、三匹の雷精がこちらに迫ってくるのが見えた。パカリと口を開けた。(ブレス)が吐き出された。ちびうさは思わず目を閉じた。九助が自分の上に覆い被さってきた。
 バチッ!!
 炸裂音が響いた。ちびうさは身を強張らせた。
「大丈夫か!?」
 その声に閉じていた目を開ける。
「八尋お兄ちゃん!?」
「八尋兄ちゃん!!」
 八尋だった。八尋が助けに来てくれたのだ。
「桃! こっちへ」
 八尋は桃子を呼んだ。桃子が走り寄ってくる。
「三人とも、俺に掴まれ」
 三人が自分に捕まったのを確認すると、八尋は飛翔(ジャンプ)した。
「え!? ここは………」
 九助が目を真ん丸にして、周りをキョロキョロしする。見慣れた街並みだった。
「ここって、十番商店街!?」
 桃子も驚いている。瞬きする一瞬の間に、東京ビックサイトの中から麻布十番商店街まで移動してしまったのだ。
「ここには、雷精は来ない」
 八尋は言った。九助も桃子も、狐に摘まれたような顔をしている。
「じゃあな」
「待って八尋お兄ちゃん。あたしも行く。セレス(セレセレ)を助けないと」
 立ち去ろうとした八尋を、ちびうさは呼び止めた。
「悪い、あっちまで手が回らなかった。すぐに助けに行く」
「あたしも行く」
「そうか。そうだよな」
 納得したように、八尋は肯いた。
「じゃあね、桃ちゃん、九助」
「お、おい、ちびうさ。行くってどこに!?」
「ビックサイト。みんなが待ってるから」
 ちびうさは言いながら、ちびムーンの姿に変身していた。
「ありがとう九助、あたしを守ってくれて。かっこよかったぞ!」
 ちびムーンは愛らしく笑った。八尋の手を取り、肯いてみせる。
「よし、行くぞ」
 八尋はビックサイトに向かって飛翔(ジャンプ)した。
「俺たち、もしかして夢見てる?」
「かもしんない………」
 九助と桃子は、唖然としてふたりが消えていった上空を見上げた。

 八尋とちびムーンは、倒れているセレスを助け出した。ちょうどその時、パラスも戻ってきたところだった。
セレス(セレセレ)、大丈夫?」
「あんまし大丈夫じゃないですわん。体のあちこちが、ビリビリ痺れてます」
「電気付く?」
 どっから持ってきたのか、パラスはセレスの鼻の穴にコンセントを差し込む。辛そうなセレスだったが、パラスのこのボケに、
「分けて差し上げますわよ!!」
「ふぎゃぁぁぁ!!」
 さすがに怒ったらしく、パラスの両腕を掴んで自分の体に残った電流をプレゼントした。
「意外と元気じゃん………」
 心配して損した。と言う風に、ちびムーンは溜め息を付いた。
「おかしいな。雷精がいない………」
 周りを見回しながら、八尋は言った。確かに、あれだけいた雷精の姿が全く見えない。
「なんだか知りませんけど、さっき大挙して外に飛び出して行きましたわよ」
「外に………?」
 八尋は訝しむ。八尋はまだ九椚が死んだことを知らない。だから、九椚の暴走が収まって、彼のコントロールが再開したのかもしれないと考えた。
(八尋………。八尋………。どこにいるの………?)
「ん!? この声、一美か?」
 頭の中に響いてきた声に、八尋は答えた。
(八尋? よかった、無事だったのね。だったら、お願いがあるの。あたしのところに来て)
「セーラー戦士となら、戦わないぞ」
(そっか。八尋はいなかったから、知らないのね。大丈夫。セーラー戦士と戦うわけじゃないわ)
「分かった。そっちに行く」
 一美との会話を切ると、八尋はちびムーンに視線を向けた。
「またあとで会おう。ちびうさ」
「うん。きっとだよ」
 ちびムーンの返事を待ってから、八尋は一美のいる場所へ向けて飛翔(ジャンプ)して行った。

「みんなはどこに行った?」
 一美のもとに帰ってきた八尋は、そこにいるのが一美ひとりだということに驚いた。
「二葉はセーラー戦士が守ってくれているわ。あとのみんなは………」
 一美は力無く首を横に振った。
「なんてこった!」
 八尋は吐き捨てるように言った。
「あたしの能力(ちから)で、雷精を吹き飛ばそうかと考えてたんだけど、八尋が来てくれたから計画を変えるわ」
「なにをするんだ?」
「あたしの考えを伝えるわ。手を出して」
 八尋は言われるままに、一美に右手を差し出した。一美は八尋の手を取る。小さい手だった。こんなにも小さい手だったのかと、八尋は改めて驚いた。
 手を通して、一美の考えが伝わってくる。
「………そんなこと、出来るのか!?」
 ややあって、八尋は驚きに目を見開いたまま、一美の顔を見つめた。
「あたしと八尋が協力すれば、できるわ」
「それしか、方法はないよな………」
 八尋は背後を振り返った。地面には、息絶えた人々が折り重なるようにして倒れていた。逃げ惑う人々は、それを踏み付けるようにして移動していく。
 上空には雷精がひしめき合っていた。セーラー戦士たちが総攻撃を仕掛けている。恐らく、何らかの方法で、雷精を一箇所に呼び集めたのだ。
「よし、やろうか」
「うん」
 ふたりは手と手を取り合った。強烈な光りを発する。
「なに!?」
 その凄まじい閃光に、セーラームーンは驚いて下を見下ろした。
「一美ちゃんと八尋くん? タキシード仮面(まもちゃん)、ふたりが!」
「よし、行こう!」
 雷精の始末を仲間たちに任せ、セーラームーとタキシード仮面のふたりは、一美と八尋の元に降下する。
「何をしているの!?」
「後始末を付けます」
 一美が答えてきた。
「あたしたちがやって来たことの後始末を付けます」
「後始末って………」
「ありがとうございます、セーラームーン。あたしを信じてくれて。お姉さんたちに会って、いろいろと決心することができました」
 時空が歪んだ。視界が真っ白に染まっていく。
「これはなに!? 一美ちゃん、なにをしているの!? 八尋くん!」
「俺たちにしか、出来ないこと、です」
 八尋の声が、遠く聞こえた。
「さようなら、セーラームーンのお姉さん」
 一美の声が、次第に遠くなっていった。

 出し抜けに光りが収まった。頭上からは、ジリジリとした太陽の陽射しが照りつけている。
セーラームーン(うさぎ)! タキシード仮面(まもちゃん)!!」
 ビックサイトの方から、ちびムーンたちが走り寄ってきた。上空からは、ウラヌスを先頭に、仲間のセーラー戦士たちが下りてくる。
「何が起こったの!? あたしたちが攻撃する前に、雷精たちが消滅したぞ」
「二葉が消えたわ! どういうこと!?」
 何が何だか分からなかった。周りを見回して見ると、あれだけ倒れていた人々の姿がどこかに消えてしまっていた。
「時空が歪んだ気がしたわ」
 プルートが言った。納得いかないと言った顔で、太陽を眩しげに見上げた。
 スーツを着たサラリーマン風の男性が、物珍しそうに自分たちの姿を見て去っていく。
「キミたち、キミたち」
「はい?」
 全員が顔を向けると、守衛らしき中年の男性が、額に汗を浮かべて自分たちを見ていた。
「困るなぁ。こんなトコでコスプレされたんじゃ………。夏コミは来月だよ」
「え!? 来月!?」
 全員が自分の耳を疑った。
「きょ、今日って何日ですか!?」
「おいおい、しっかりしてくれよ。今日は七月十二日土曜日だよ」
 中年の守衛は、早く着替えてこの場から立ち去るように言い置くと、ビックサイトの方に戻って行った。
「時を戻したって言うの!?」
 プルートが、信じられないといった顔をした。時間を操れるのは、クロノスの血を引く自分だけと思っていたからだ。
「一美ちゃんと、八尋くんがやったって言うの………?」
 しかし、どこを捜しても、ふたりの姿は見当たらなかった。
「だけど、時を戻したってことは………」
「事件そのものは、まだ何も起きてないってことよね」
 ジュピターとマーズが、顔を見合わせる。
「だけど、何で七月十二日なんだ? 単純に、事件がなかったことにするんなら、一週間前でよかったんじゃないの?」
 ウラヌスは、訳が分からんと言った顔をしている。説明してほしそうな目をネプチューンに向けたが、ネプチューンは首を横に振って、マーキュリーにバトンタッチした。しかし、マーキュリーもお手上げのポーズを取る。
「戻しすぎちゃったってことはないわよね?」
「それとも、七月十二日じゃないといけない理由があったとか………」
 ヴィーナスに続いて、サターンが言った。
「あっ!」
 突然、セーラームーンが声を上げた。
タキシード仮面(まもちゃん)! 渋谷よ! 渋谷に行こう!!」
「何で渋谷なの?」
 ちびムーンが尋ねると、
「七月十二日の土曜日は、あたしとまもちゃんが渋谷でデートしてたのよ!」
 セーラームーンは大発見をしたような表情で、そう答えた。