child−21 命消えゆ
縦横無尽に飛行する雷精の群れは、一向に減る様子がなかった。セーラー戦士たちもがんばってくれているのだが、大きな技が使えないので対応に苦慮しているようだった。
羽音を響かせて飛び回る雷精は、パニックになって逃げ惑う人々に、容赦なくいかずちの息を吐き付ける。
自分たちの方に向かってくる雷精を、六月は発見した。一美も二葉も、まだそれに気付いていない。いつの間にか、五十鈴と八尋がいなくなってしまっている。まともに雷精と戦えるのは、一美と二葉のふたりだけだった。しかし、ふたりは他の雷精の相手で精一杯だった。
雷精が迫ってくる。自分も戦わなければならない。六月は大きく息を吸い込んだ。その時、ヴィーナスの言葉が頭を過ぎった。
「ガスを吐く子は、周りを充分に注意してね」
ヴィーナスはそう言った。その意味を、六月も理解していた。自分の能力は、この場では危険すぎる。
「ダメ!!」
息( を吐こうとした六月だったが、両手で口を押さえて思い留まった。自分のすぐ近くに、一美や二葉や七海がいる。今ここで毒の息) ( を吐いてしまったら、自分は助かるだろうが三人が自分の毒で死んでしまう。だから、六月は思い留まった。しかし、それが六月にとっての命取りとなった。)
迫り来る雷精と目が合った。
いかずちの息( が吐き出されるのが見えた。)
それが六月が生きている間に見た、最後の映像となってしまった。
九椚はその視界の隅で、六月が倒れる様を捉えて胸が締め付けられる思いだった。自分のせいだった。自分が六月を殺してしまったのだ。ひとりでいるのが寂しくて、常に一美や二葉や五十鈴といった姉たちの後ろで、何かしゃべるわけでもなく、ただちょこんと居座っているだけの可愛らしい六月の姿を思い出して、九椚は涙を零した。
九椚は自分の“力”の暴走を必死に食い止めようとしているのだが、最早完全にコントロールできない状態になっていた。姉弟たちは、自分の発する突風と雷精のふたつを警戒しなければならなかった。
「十球磨ぁ!!」
九椚は大声で十球磨を呼んだ。どこにいるのか分からなかったが、とにかく呼びつけた。
十球磨はすぐに自分の近くに走り寄ってきた。怯えたような目で自分を見ている。足を踏ん張っているのは、突風によって押し戻されないようにするためなのだろう。自分対してに怯えているが、近寄れるギリギリのところまで、十球磨は来てくれたようだった。
「十球磨。お前に頼みがある」
九椚は決断した。
「俺を石にしろ」
「え!?」
聞き間違えたのかと思ったのだろう。十球磨は聞き返してきた。
「お前の能力( で、俺を石にするんだ。俺が石になれば、これ以上雷精が増えることはない」)
「でも、そんなことしたら兄ちゃんが………」
「自業自得だ。気にすんな」
「兄ちゃん………」
十球磨は今にも泣き出しそうだった。
「くうっ!!」
九椚は精一杯の力を発揮して、自分の体から噴き出す突風を止めた。
「今だ! 早くしろ!! みんなやられちまうぞ!」
十球磨の息( を浴びるには、噴き出す突風が邪魔だった。九椚は突風を止めて、十球磨の息を浴びれるようにしたのだ。しかし、長くは抑えることができない。)
「早くしろって言ってんだろ!!」
「ゴメン、兄ちゃん!」
十球磨は自分の目を両手で覆って、石化の息( を吐き付けた。灰色のガスが、九椚の体を包んだ。)
「………サンキュー」
九椚は笑った。笑ったまま石になった。
「兄ちゃん………」
十球磨は石になった九椚に近寄り、ボロボロと大粒の涙を流した。
「逃げて、十球磨!!」
十球磨の背後に迫る雷精を発見し、二葉は絶叫した。十球磨は気付いていない。
「十球磨ぁ!!」
雷精が吐き出した息( は、十球磨を直撃し、更にその衝撃で石化した九椚の体を完全に粉砕した。)
「九椚! 十球磨!!」
一−二分の間の出来事だった。しかし、その僅か一−二分の間に三人の弟妹が命を落とした。やりきれない気持ちで、一美は顔を上げる。雷精の群れと必死に戦ってくれているセーラー戦士たちの姿が見える。決着を付けるつもりで今日のこの場所のヒントを与えたはずなのに、決着をつけるどころか、彼女たちに自分たちの不始末の手伝いをさせてしまっている。
セーラームーンの手を掴んで自分たちの情報を伝えたとき、一美は同時にセーラー戦士たちの情報も受け取っていた。信じられないような敵と、彼女たちは密かに戦っていた。この地球が平和なのは、彼女たちがいたからこそなのである。
「あたしは、何をやってるのよ………」
大きく頭を振った。戦う相手を間違えている。自分が戦わなければならない相手は、雷精でも人間でもない。ましてや、セーラー戦士でもない。
「ごめん五十鈴。みんなを守れなかった………」
自分が本当に戦うべき相手のところに向かった五十鈴を思い、一美は涙を流した。
「二葉! 七海を連れてここから離れて!!」
パワーを解放して、一気にケリを付けるしかないと思った。自分が本気を出しさえすれば、この周囲一帯がメチャメチャになってしまうが、雷精も全滅させることができる。
二葉は一美の意図を察知し、七海の手を取った。大事そうにぬいぐるみを抱えていた七海が、一美に不安そうな顔を向ける。
「大丈夫。あとで迎えに行くから」
一美のその言葉に、七海は笑顔で肯いた。
二葉は七海の手を取り、ビックサイトに背を向けた。駅の向こう側まで移動すれば、取り敢えず一美の攻撃の直撃を受けることはない。雷精の群れは、ビックサイトの周辺に固まっていた。一美の攻撃は、ビックサイトの周辺のみに対して行われるはずだ。だから、ビックサイトから離れてしまえば、大きな危険はない。
駅へと逃げる途中、ビックサイトから逃げてきた男性の集団とぶつかった。
「なんて人たち!」
自分たちを押し退けて逃げていく男性たちの背中に向かって、二葉は罵った。彼らは自分たちだけが助かれば、それで良いのだ。目の前に自分たちより明らかに年下の女の子たちが逃げていても、助けて一緒に逃げようなどと考えもしないやつらだった。ましてや、そんな彼女たちを押し退けて逃げても、良心が痛むことがない連中だった。
殺してやりたいと思ったが、今は一刻も早くこの場から離れなくてはならない。自分たちがモタモタしていては、一美がなかなか攻撃できない。
「?」
七海の手を掴んでいたはずの手が、突然空を切った。
「七海?」
二葉は慌てて振り向く。
七海は、男性たちとぶつかった拍子に落としてしまったらしいぬいぐるみを、拾いに戻っていたのだ。落としてしまったことに気付いて、慌てて拾いに行ったのだろう。
七海はぬいぐるみを大事そうに拾い上げると、付いていた汚れを手で払った。その七海の頭上に、迫る雷精の姿が見えた。
「七海、危ない!!」
二葉は声を限りに叫んだ。その声は、上空のジュピターの耳にも届いた。
「七海ちゃん!?」
ジュピターは下を見る。いかずちの息( を受けて、吹き飛ぶ七海の姿が見えた。)
「七海ちゃん!!」
ジュピターは猛加速で降下し、七海を攻撃した雷精を拳で粉砕した。
「七海!」
七海の元に、二葉も駆け寄ってくる。
「七海ちゃん、しっかりしろ!!」
ジュピターは七海の小さな体を抱き起こした。ぐったりしている七海が、僅かに顔を上げた。
「あ、まこちゃんお姉ちゃんだ………。七海ね、まこちゃんお姉ちゃんにもらったぬいぐるみ、大事にしてるよ」
七海は雷精の攻撃を受けたにも拘わらず、ぬいぐるみを手放してはいなかった。
「また一緒に、ゲームセーターで遊ぼうね………」
にっこりと笑いながらそう言うと、七海は事切れた。
「七海ぃ!!」
「七海ちゃん!!」
ジュピターは七海の亡骸を抱き締めて、天を仰いで声を上げて泣いた。
ヴィーナスとマーズが気付いて降下してきた。七海の死を悲しんでいるジュピターを、雷精の攻撃から守る。
「他のみんなは?」
ヴィーナスが二葉に尋ねた。
「一美はあそこに………。八尋と五十鈴はどこに行ったか分からないの。他の子たちは………みんな、死んじゃった………」
しゃくり上げるように、二葉は答えてきた。
「東京タワーで一緒にいたあの子も?」
「はい………」
「なんてこと………」
ヴィーナスは唇を噛み、大きく首を左右に振った。
「たぶん八尋くんだと思うけど、ビックサイトの中に大きな“気”を感じるわ。ちびうさちゃんの“気”も近くに感じる。もうひとりの“気”は、どこにも感じないわ」
素早く“気”を探ったマーズが、ヴィーナスに言った。
「八尋くんは、ちびうさたちを守りに行ってくれてるのかも」
「たぶん、そうね」
「あなた、名前は?」
ヴィーナスは再び二葉に目を向ける。
「二葉です」
「あたしから離れちゃダメよ、二葉。あなただけでも、あたしが絶対に守ってあげるから」
ヴィーナスはそう言うと、泣いている二葉の頭を、腰にそっと抱き寄せてやった。
テレビ中継は続けられていた。かなり離れた位置からの撮影なので詳細はよく分からないが、かなりの被害が出ている様子は窺い知れた。うるさいくらいに叫ぶ男性レポーターの声も、既に掠れてしまっている。
「楽しいの?」
その声に、零貴はドキリとして首を巡らせた。部屋の入り口に、いつの間にか五十鈴が立っていた。どこか冷めたような目で、自分を見つめている。椅子を回して、体を五十鈴の方に向けた。
「なんで、ここにいるの?」
「全てを終わらせるために」
零貴の問い掛けに、五十鈴は間髪を入れずに答えた。
「全てを終わらせるですって………?」
「そう………。零貴さん。あたしたちにね、もう疲れちゃったの。あなたのおもちゃでいることに」
「なるほど、それであたしを殺しに来たってわけ? 意外だったわ」
「一美でなくて?」
零貴の眉が、ピクンと撥ねた。
「ええ」
「一美には、まだやってもらいたいことがあるのよ。あんたみたいなカスは、あたしで充分」
「ナメられたものね」
零貴は薄く笑った。
「あたしが、そう簡単にやられると思っているの?」
次の瞬間、炎の塊が襲ってきた。五十鈴は咄嗟にガードしたが、驚きを隠すことはできなかった。
「何を驚いているの?」
驚きに目を見開いたままの五十鈴に、零貴は笑い混じりに言った。
「あたしも持っているのよ、竜の力をね。ただし、あなたと同じく、コピーだけどね」
「でも………」
「なんでこんなに長生きしてるかって? それはね、力を無理に使わずに平穏に暮らしていれば、普通に生きられるのよ。あなたたちは無理に力を使っているから、その反動で生命力が削られていくの。ああ、そうか。教えてなかったわね、あなたたちには………」
零貴の嘲笑が耳に痛かった。自分たちは、完全に零貴のモルモットだったというわけだ。一美は零貴も竜の力を持っていると知っていたのだろう。だから、自分が行くと言ったのだ。そんなこと夢にも思っていなかった五十鈴は、悔しげに表情を歪めた。
「許さない!!」
五十鈴は熱波を放った。だが、零貴は椅子に腰を下ろしたまま、それを片手で弾いた。
「随分と力が弱っているわね」
「うるさい!!」
続けて二発放った。しかし、二発とも弾かれてしまう。五十鈴は肩で大きく息をする。
「苦しそうね。そろそろ限界かしら? でも、コピーなんて幾らでも作れるから、心配しなくていいわよ。安心して死になさい」
零貴は炎の息( を吐いた。五十鈴はそれを必死にガードする。)
「しぶといわね」
「あたしもそう簡単にやられるわけにはいかないの。あなたの狂った考えから、みんなを解放するために」
「狂った考えですって?」
「ええ。あなたの復讐劇は、今日で終わりよ」
五十鈴は零貴の顔を睨み付けた。
「お前に何が分かるって言うの?」
静かな口調で零貴は言った。しかし、その言葉からは怒りが溢れていた。
「あたしの父の発表を、学会の能無しどもは笑い飛ばした。妄想だ。非現実的だってね。学会が父の考えを受け入れさえしてくれれば、父は狂うことはなかった。竜の遺伝子は手元にあったのに、誰も信じてくれなかった。だから父は、あたしを実験台にした。あたしの体に竜の遺伝子を植え付けて、人工的に竜の力を受け継いだ者を作った。それもこれも、父の考えを馬鹿にした者たちに、自分の考えが正しかったことを認めさせるために」
零貴はチラリとテレビを見た。閃光が迸っている映像が映っていた。
「だけど、父はそれだけじゃ飽き足りなかったわ。あたしは所詮コピーだもの。父は成人したあたしの体を、再び使うことを考えた。あたしの知らない間に、あたしの体内から卵子を取り出して、自分の発掘した竜の子孫の精子と人工授精させ、それをまたあたしの体内に戻したのよ。あたしが妊娠に気付いたときには、もうどうしようもなくなっていたわ。だって、そんなこと夢にも思っていなかったもの。身に覚えがなかったから、自分が妊娠していることに気付かなかったわ。マリア様もびっくりの処女受胎よ」
零貴は肩を竦めて笑った。
「それが、一美なのね」
「知ってたの?」
「見れば分かるわよ」
馬鹿にするなと言うように、五十鈴は口元を歪めた。
「そうよ。一美はオリジナルの竜人の精子と、コピーのあたしの卵子を使って作られた………。産まなければよかった。産むべきじゃなかったわ」
「だから、道具にしたの?」
「そうよ。あたしの人生を滅茶苦茶にした人間たちに復讐するためにね。そのくらいの役に立ってもらわないと困るわ。産んでやったんだから」
「自分の子供なのに!」
「あの子はとても良い子よ。あたしの言うことを聞かなければ、あなたたちを見殺しにするって言ったら、大人しくあたしに従ったわ。あたしに従って、人間たちに復讐するための戦いの先頭に立ってくれると約束したわ」
「狂ってるよ。あんたは、やっぱり。そんなの逆恨みじゃないか! 恨むんなら、自分の父親を恨めよ!」
「殺してやったわよ。真っ先にね」
零貴は自分の右手を見つめた。右手はまるで、何かを握り潰しているかのようにゆっくりと閉じられる。
「もう、おしゃべりはお終い。あたしに逆らう子は、必要ないわ。どこへでも行きなさい。どうせ、もう長くは生きられないわ。それとも、今ここであたしに殺されたい?」
「死ぬのは、あんたも同じよ」
「!?」
零貴がその異常に気付いた時には、既に手の施しようがなくなっていた。
「五十鈴、あなた………」
「万が一、あたしがあんたに殺されちゃった時の保険を掛けといたのよ」
五十鈴は笑った。
「くっ!」
窓の外に目を向けると、視界いっぱいに炎が広がっていた。廊下も真っ赤に染まっている。五十鈴は、予( め各所に火を放っていたのだ。零貴としゃべっていたのは、火の手が広がるまでの時間稼ぎにすぎなかったのだ。)
「報いを受けなよ」
「五十鈴!」
零貴は鬼の形相で五十鈴を睨んだ。しかし、今となってはどうすることもできなかった。脱出路はない。
部屋が炎に包まれる。
「一美、後始末よろしくね」
零貴の怒りの炎に全身を焼かれながら、五十鈴は一美に最後の念波を送った。