child−2 ちびうさ
給食の時間は、ちびうさが一番好きな時間だった。
三十世紀では決して食べることの出来ない珍味(?)が味わえるからだ。「鯨の大和煮」なるものが出てきたときは、本当に驚いた。鯨など食べられないと思っていたからだ。しかも、三十世紀では絶滅してしまっている生物なのだ。博物館で剥製になった姿しかみたことがない。「揚げパン」はなかなか美味しかった。ダイエット中だと言う、桃子の分までペロリと平らげてしまった。
「太るぞ」
九助が意地悪そうに言うのだが、ちびうさは気にしなかった。色気よりは食い気である。美味しい物が食べられないと、かえってストレスになって、美容によろしくない。その辺は、さすがにうさぎの娘だけはある。最もらしいご意見をお述べになる。
時々ニ十世紀に遊びに来るちびうさは、数日間滞在するときは、必ず十番小学校に通っていた。
家の中にいても退屈だし、周りをブラブラと散歩するのも飽きたので、暇潰しも兼ねて十番小学校に行くのである。記憶の操作は、例によってルナPを使えば簡単にできるので、苦労することはなかった。それに、学校に行けば仲の良い桃子や九助にも会える。
「退屈するなら、何で遊びに来るのよ?」
と、うさぎから突っ込まれるのだが、それは突っ込んではいけないところである。別に三十世紀が嫌いなわけではないのだが、王宮の堅苦しさに幻滅しているのも事実だった。自分はもっと自由でありたいと思うのだ。二十世紀でのびのびと生活している自分が、王宮でプリンセスを演じている自分より、より自分らしいと思う。
「う〜〜〜ん、お腹いっぱぁい!」
今日も二十世紀の珍味にありつけて、ちびうさは大満足だった。二十世紀に来なければ、牛乳なんかも一生口にしなかったと思う。
「ちびうさがデブうさになったって、知らないぞ」
「余計なお世話ですよぉ!」
なおも絡んでくる九助に、ちびうさは小憎らしくアカンベーをする。
「九助は、スリムな女の子が好みらしいよ」
桃子が耳打ちしてきた。ちびうさは、「ふ〜ん」と相槌を打つ。
「別に、あたしは九助のためにスリムでいたいと思わないもん」
「そりゃそうだわ」
あっそうか、と言う風に口元に手を当てて、桃子は笑った。
「ちびうさちゃんは、まもちゃん一筋だもんね」
「まあね………」
ちょっと曖昧に答えてから、ちびうさは桃ちゃんのウエストをチラリと見る。
「桃ちゃんスリムでスタイルいいから、九助の好みかもねぇ」
少し会わない間に、桃子はグッと美人になったと思った。将来は物凄い美人になるのではないだろうかと思う。三十世紀で桃子や九助を捜したこともあったが、残念ながら見付けることはできなかった。自分のいる三十世紀は、今のこの二十世紀の延長線上にないと言うことが、少しばかり寂しかった。
「えっ!?」
突然のちびうさの突っ込みに、桃子は頬を赤らめた。
(ははぁ〜ん)
ちびうさは心の中だけで大きく肯いた。桃子のダイエットには、密かに理由があるらしい。勘の良いちびうさは、その理由が分かってしまった。
「も、もうすぐ夏休みだね! 楽しみだよね!」
桃子は大慌てで、話題を変えてきた。
「そうだ、ちびうさちゃん、一緒に夏コミ行かない?」
「なぁに? 『なつこみ』って。何が『込む』の?」
「知らないの? コミックマーケット。一年に二回、夏と冬にやってる同人誌の即売会だよ。すっごい大規模なのよ!」
「同人誌………」
そう言われてもあまりピンと来ないのだが、うさぎや美奈子が何冊か持っていたような気がする。普通の本屋さんでは売っていない本である。(ちびうさの認識)
「ねぇ、行こ!」
「うん、いいよ! いつなの?」
同人誌にはあまり興味がないちびうさだったが、桃子と一緒なら行ってもいいと思った。
「三日間あるんだけど、あたしが行きたいのは二日目の八月十六日よ」
「随分先なんだぁ。夏休みになってからだね」
今日は七月十四日の月曜日なので、約一ヶ月ほど先の話だと言うことになる。そんな長い間二十世紀にいて、大丈夫だろうかとも思う。
「うん、そうよ!」
ちびうさの事情など知らない桃子は、当然とばかりに答えてきた。
「ドコでやるの? 麻布十番会館?」
イベントと言えば、パティオ十番か、麻布十番会館しか思い当たらない。実のところ、ちびうさは麻布十番一帯以外は、未知の世界なのだ。
「ちびうさちゃん、本当に知らないのね。お台場にある東京ビックサイトってとこでやるのよ。『ゆりかもめ』に乗って行くの」
「ゆりかごめ?」
「ゆ・り・か・も・め」
「カモメに乗るんだ」
「で、電車の名前だからね、ちびうさちゃん。………九助、あんたはボディーガード兼荷物持ちね」
「え!? 俺も!?」
自分とは関係のない世界の話だと思っていたから、突然誘われて九助も少しばかり驚いた。
「嫌なの?」
「ちぇっ! しょうがねぇなぁ」
文句は言うが、一応付いてきてくれるようだ。桃子が嬉しそうに、ニコッと笑った。
「たいくつ〜〜〜」
校舎の裏手に並んでいる桜の木の枝に寝そべり、パラパラは大きな欠伸をひとつした。
「確かに、退屈ですわねん………」
パラパラの寝そべっているすぐ上の枝に腰を下ろして、膝を抱えていたセレセレが、同意を示した。暇すぎるのも、けっこう苦痛なのである。セレセレは、疲れたように大きな溜め息を付いた。
今回、ちびうさに同行してきたのは、セレセレとパラパラのふたりだった。四人一緒にくっついて来ても、特に大きな問題にはならないのだが、来たってやることがないので、ローテーションを組んで同行していた。前回はジュンジュンとベスベスが同行したので、今回はセレセレとパラパラの番と言うわけだ。
「パラパラもガッコー行きたい! ジュギョウ受けたい! キョーシツで遊びたい!」
「スモール・レディに言いなさいな。どうせ、ダメでしょうけど」
セレセレはオーバーに肩を竦めて見せた。セレセレとパラパラは、見た目ちびうさと同学年には見えない。年上に見えてしまう。「老い」と言う概念がなくなってしまった三十世紀で、歳のことを気にしても仕方がないのだが、見た目ではカルテットの四人はちびうさより年上でも、実年齢はちびうさの方が遥かに上だった。
実際、ふたりが小学校に通うのはそれほど難しいことではない。ルナPを使って誤魔化すことは可能なのだ。だが、面倒なことが起きてからでは困ると言うことで、ふたりが学校に通うことは認めてもらえないのである。なので、校舎の裏手の人目の届かない場所で、ダラダラと時間を過ごしているのである。
「スモール・レディみたいに、ちっちゃくなって誤魔化すのもダメ?」
「だから、あたしに訊かないでよ。スモール・レディに訊きなさいって………」
「う〜〜〜」
パラパラは口を尖らせる。
本来なら、既にちびうさは小学校に通う歳ではない。見た目で歳を仮定するなら、中学校へ行くべきだったが、「ちびうさ」時は「年齢若返り現象」が起きるので、見た目は小学生で通るのである。ちなみに、現在は小学四年生だ。
「う〜〜〜。タイクツタイクツタイクツぅ〜〜〜」
枝の上で、パラパラはジタバタと暴れた。セレセレはパラパラを無視し、首だけ巡らせて後方の道路を見た。
よく似た顔立ちの小学生中学年くらいの男の子ふたりが、ぴょんぴょんと跳ねながら十番小学校から遠ざかって行くのが見えた。
「?」
授業が終わるにはまだ早かった。よく見ると、ふたりの男の子はランドセルなるものを背負っていなかった。
不思議に感じながらも、セレセレはそれ以上のことを考えるのをやめた。二十世紀のことは、よく分からないからだ。自分の知らない事情があるのだろうと、その時は勝手に解釈していた。
一日の授業も終わり、ちびうさは桃ちゃんと九助と三人で、いつものように下校していた。セレセレとパラパラはと言うと、その三人の後ろからこっそり付いてきていた。と言っても、電信柱の陰をこそこそと移動して、付いてきている訳ではない。電信柱のてっぺんやら家の屋根やらの上を器用にぴょんぴょんと跳ねて、移動しているのである。さすが、元デッドムーン・サーカス団である。並の身軽さではない。まるで、忍者である。
「………でね、昨夜の話だけどね」
桃子がテレビ番組の内容に関して、楽しそうに話をしているのだが、時々しか二十世紀に遊びに来ないちびうさにとっては、ちんぷんかんぷんなところもあった。それでも適当に相槌を打てるのは、我ながらさすがだと思う。
「おっ! 八尋にーちゃんだ!」
つまらなそうに桃子の話を聞いていた九助は、前方に見知った顔を見付けて笑顔になった。地獄に仏とばかりに、大声で声を掛ける。
「おお九助か! いいなぁ、可愛い子ふたりも侍( らせて………。両手に花じゃないか」)
呼び止められて振り向いた「八尋にーちゃん」は、茶化すように言ってきた。ランドセルを背負っているから小学生なのだろうが、かなり背が高かった。高校生と言っても、充分通用するのではないかと思えた。何かスポーツをやっているのだろうか、頑丈そうな体格をしている。スポーツ刈りのような頭髪をしていて、前髪の部分は思わず触りたくなるほど、ツンツンと突っ立っていた。健康的に陽に焼けた顔で、ニッと笑った。
「可愛いって、こいつらがぁ!?」
ちびうさと桃子が、「可愛いだなんてぇ」とブリっ子して照れて見せている様を横目でチラリと見てから、九助はげんなりして言った。
「こいつらの本性知ったら、きっと驚くよ」
「何よ、本性って!?」
ジロリと桃ちゃんが九助を睨む。
「憎まれ口叩いている割には、一緒に下校するんだな」
「えっ!? そ、それはっ………」
「で、どっちなんだよ。本命は?」
「へっ!?」
思いも掛けなかった「八尋にーちゃん」からの質問に、九助は素っ頓狂な声を出して顔を赤らめた。
「分かり易いやつだなぁ………」
そう言うと、「八尋にーちゃん」は楽しそうに笑った。どうやら、本当にこのふたりのうちのどちらかが、九助の「本命」のようである。
「苛めるのはこの辺にしといてやるか。いい加減、俺に紹介してくれよ」
「う、うん」
九助は気を取り直すと、「八尋にーちゃん」にちびうさと桃子を紹介した。
「ちびうさ………? 面白い名前だな」
「小兎( ってのが、本名だっけ?」)
「へぇ、よく覚えてんじゃん」
二十世紀での自分の正式な名前「月野小兎」を覚えていた九助に、ちびうさは意外そうな目を向けた。
「まぁ、一応な………」
九助は照れたように鼻の頭を掻いた。
「なんか、『ちびうさ』の方が呼ばれ慣れてるって言うか………。だから、お兄ちゃんも『ちびうさ』でいいよ」
「そっか、サンキュー。じゃあ、そう呼ばせてもらうよ」
八尋はそう言うと、白い歯を見せた。
九助の説明によると、八尋は九助の家の近所に最近引っ越して来たのだそうだ。九助とは妙に馬が合い、いつの間にか、本当の兄弟のような付き合いになったらしい。
「俺んトコは歳の離れた姉貴だからさ、歳の近い兄貴がずっと欲しかったんだよね」
八尋を紹介するとき、九助は嬉しそうにそう付け加えた。
四人は少しばかり立ち話をすると、やがて別れた。九助は八尋と共に自分たちの家の方に向かい、ちびうさは桃子とは彼女の両親が経営する中華料理店の店先で別れた。
「楽しそうだねぇ、スモール・レディ」
ちびうさがひとりになるのを見計らって、パラパラが声を掛けた。物凄く、恨みがましい声音で。
「パラパラもショーガッコー行きたい! 楽しそうだもん」
「ダメだよぉ………。小学校の授業、パラパラには分からないじゃん」
「大丈夫! 修行がんばる! かっこいいショーができるように修行受ける!」
「修行じゃなくて、授業だよぉ………。それに、何か思いっきし、勘違いしてるよ、たぶん」
どうやって説明したらいいものか、ちびうさは頭を悩ます。恐らくパラパラは、小学校の「小」の意味を「SHOW」だと勘違いしているらしい。ちびうさは無言で、セレセレの右肩にタッチする。「後は任せた」と言うことらしい。
「え、えっとぉ………。パラパラは見た目だと完全にアウトだけど、精神年齢ならオッケーですわん」
セレセレの言葉は全くもってフォローになってない。
「ぶぅ!」
パラパラは怒って頬を膨らませ、口を尖らせた。結果オーライ。パラパラを小学校の話題から、少しばかり遠ざけられたような感もある。
「なんか、話が全然噛み合ってないんだけど………」
フグのように頬を膨らませてプンプンと怒っているパラパラに、タジタジのセレセレを見ながら、ちびうさは眉間に右手の人差し指を当てて俯いた。
「?」
ふと、何かを感じて、ちびうさは顔を上げた。見慣れないふたり組が、セレセレに対して、未だに文句を言っているパラパラの肩越しに見えた。何の気なしに、ちびうさはそのふたり組を目で追った。
姉妹だろうか。小学校高学年くらいの勉強ができそうな女の子と、その少し年下に見える大人しそうな女の子のふたり組だった。
十番小学校の方向から歩いて来たのだが、ふたりとも見覚えはなかった。それにランドセルを背負っていないから、下校途中だとは思えなかった。
特に気にすべき光景ではないはずなのだが、何故かちびうさはそのふたりが気になって仕方がなかった。具体的に何が気になるのかと問われても、説明はできなかった。強いて言えば、そのふたり組の周囲だけ、空気が違って見えたと言うことだけだ。
「スモール・レディ?」
ちびうさの視線に、セレセレが気付いた。
「あのふたりが、どうかしましたか?」
「え? うん、何でもない………」
漠然と気になっているだけなので、答えようがなかった。なおもちびうさがふたり組を目で追っていると、年嵩の方の女の子がこちらに気付いた。チラリと視線を送ってくる。冷たい視線だった。
その瞬間、ちびうさは金縛りに遭ったかのように、その場で動けなくなってしまった。そんなちびうさを一瞥すると、口元に冷淡な笑みを浮かべて、少女たちはそのまま一の橋の方に向かって歩き去ってしまった。
「どうしたの? スモール・レディ」
心配そうなセレセレの声で、ちびうさは我に返った。金縛りも、いつの間にか解けていた。
「あのふたり、嫌な感じがした………」
ちびうさは少しばか青ざめた表情で、ふたり組が去っていった方向を、しばらくの間見つめていた。
「あっ! まもちゃんだ!」
自宅へと向かう道すがら、ちびうさは衛の姿を発見した。
「やぁ、ちびうさ。お帰り」
衛はちびうさの姿を見付けると、いつものクールな表情でそう言ってくれた。
「ただいまぁ!」
なんでもない会話なのだが、このごく自然な会話が、ちびうさは大好きだった。
「まもちゃん、お出掛け?」
「ああ、ちょっと渋谷までな」
「うさぎも?」
「いや、今日はひとりだ」
「ふ〜ん………」
一緒に行こうかな、とも思ったが、思い留まった。付いてきてもいいのなら、今の会話の中で誘ってくれるはずである。誘われなかったと言うことは、衛はひとりで行きたいところがあると言うことだ。うさぎならここで、強引に同行を申し出て衛に怒られるところなのだが、ちびうさはそこまでお馬鹿ではない。衛の事情も、きちんと理解できる女の子なのだ。
「お土産買ってきてね」
とは言うものの、しっかりお強請りはする。その辺は、うさぎよりちゃっかり者なのである。
「ああ、分かった」
衛は小さく笑うと、ちびうさに背を向けた。
「格好いいですわ、リトル・キング」
セレセレがボーっとして衛の背中を見つめている。セレセレは衛のことを「リトル・キング」、うさぎのことを「リトル・クイーン」と呼んでいた。
「惚れちゃダメよ」
まさかそんなことはないだろうと思いつつも、ちびうさは一応念を押した。
九助と八尋は、自宅に向かって歩いていた。
ビルの工事現場の前を通り掛かる。
ガシャン!!
頭上で何かが崩れる音が響いた。
「え!?」
ふたりは同時に顔を上げる。クレーンで運んでいた鉄骨のワイヤーが外れ、自分たち目掛けて落下してくるのが見えた。
「うわぁぁぁ!!」
頭を抱えて、九助はその場に座り込んだ。
(冗談じゃない!)
落下してくる鉄骨を見つめたまま、八尋はそう思った。直撃を受けたら即死だ。しかし、今から逃げても間に合わない。ましてや、九助を置いて逃げるわけにもいかない。
「九助!!」
八尋は咄嗟に、九助に覆い被さった。九助だけは助けなくてはいけない。自分の大きな体なら、九助を完全に守ることができる。
その時、自分の中の何かが弾けたような気がした。
凄まじい轟音のあと、静寂が戻ってきた。八尋は恐る恐る顔を上げた。
「え!?」
落下してきた鉄骨は、全部で六本だった。その全てが、器用にも八尋たちを避けて地面に落下していた。
「すっげぇ!! 俺たちって、めちゃくちゃラッキー!!」
自分の体の下から顔を伸ばしてきた九助が、驚きの声を上げた。
大人たちが走り寄ってくる。
「奇跡だ」
口々にそう叫んでいる。
(違う………)
九助はアスファルトに食い込んでいる鉄骨を見つめながら、そう思った。
(これは奇跡なんかじゃない)
奇跡は、何度も起こらない。
八尋は無言で、振るえている自分の両手を見つめた。