child−18 東京ビックサイト


 東京臨海新交通臨海線「ゆりかもめ」は、予想通りの大混雑だった。沿線上に様々な行楽地があり、また夏休みの週末ということも手伝ってか、異常な程の混雑振りだった。
 車で行くと言うはるかとみちるのふたりを除いて、全員が「ゆりかもめ」で現地まで向かうことにしたのだが、始発の新橋駅はホームに辿り着くまでにもかなりの時間が必要だった。更にホームには入場制限が掛けられ、やっとの思いで乗り込んだ「ゆりかもめ」も、すし詰め状態だった。結果、女性陣にぐるりを包囲される形となった衛は、さすがにバツが悪そうに苦笑いした。
 朝から並ぶという気合いの入った桃子に引っ張って行かれ、ちびうさは一足先に会場に向かっているはずだった。今頃は、入場待ちの大行列の中でその人の多さに面食らっているところだろう。ちびうさが向かっていると言うことは、もちろんセレセレとパラパラも、陰ながらちびうさに付き従って、ビックサイトのどこかにいることだろう。
「ちっくしょう! どっかのヲタが、あたしのお尻撫でて行ったぁ!!」
 国際展示場正門駅で「ゆりかもめ」を下車したとき、ホームで美奈子が大声で喚いて、ムサいお兄さんたちの注目を浴びてしまった。
「男ばっかりだと思ってたけど、けっこう女の子も多いんだな」
 コミケに初体験となったまことや亜美、ほたるは、その人の多さに圧倒されていた。会場の国際展示場、通称東京ビックサイトは駅の目の前にあるのだが、人の行列は駅の内部から続いていた。
「うわぁ………。これ並ぶのかよぉ………」
 炎天下の中、それだけでも暑いというのに、それに加えてこの人の多さに、まことはウンザリしたように言った。すぐにでも冷房の効いた屋内に入りたいところだと言うのに、この行列を並ばなければならないのかと思うと、気を失いたくなる。
「ビックサイトの中、冷房なんて効いてないわよ?」
 あっさりと言ってきた美奈子の言葉に、まことは本当に気を失いかけた。
 何げにコミケに詳しかったのは、せつなである。本のカタログは当日持ち運びに不便だと、いつどこで購入したものやら、人数分のCD−ROMのカタログが用意されていた。辞典並みに重い本のカタログは、かなり邪魔になると言うことだった。さらにはどこで調達したのか、サークル入場証まで持っていた。
「衛さん、使う?」
 せつなは衛にサークル入場証を渡そうとしたが、
「いや、俺も大学の友人から一枚だけ手に入れた」
 と言って、シャツのポケットからサークル入場証を取り出して見せた。
「へぇ、それがサークル入場証っていうやつなんだぁ」
 衛が手にしているサークル入場証を、うさぎが物珍しげに見ている。
「サークル入場証がふたつあるってことは………うさぎ!」
「うん! あたしたちに使えってことよね!!」
 見事なまでに自分勝手な論理である。
「遊びに来たんじゃないんだぞ?」
 衛が釘を差す。
「だぁいじょうぶよぉ! やーねー、まもちゃんたらぁ!」
「不安だわ………」
 喜々としたうさぎの様子を見ていたレイは、額に手を当て、俯いてしまった。

 会場の入り口まで行くのに、駅から十五分も掛かってしまった。それもこれも混雑のせいである。駅名の「国際展示場正門」と言う名称通り、会場入り口までは普段なら徒歩一分の距離である。しかしながら、混雑のため牛歩を余儀なくされ、結果十五分も掛かってしまったと言うわけだ。
 天から容赦なく照りつける太陽の光と人々の熱気で、汗だくになりながら八人は会場に向かった。
 会場入り口で、二手に分かれることになった。「コスプレイヤーさんになりきり組」と「まじめに外で警備組」の二組である。
 会場に入っていったのは、うさぎと美奈子(結局サークル入場証は使わせてもらえなかった)、まこと、せつなの四人。衛と亜美、レイ、ほたるの四人は、ひとまず会場入り口前に設けられている「待ち合わせ広場」で待機することにした。渋滞に填っているらしいはるかとみちるは、まだ会場に到着していないようだった。
「じゃ、行ってきまぁす!」
 スキップしながら会場入りしたうさぎと美奈子の後ろ姿を見つめて、
「やっぱり不安だわ………」
 レイはがっくりと肩を落とした。

「あいっかわらず、凄い人だわね………」
 物陰で素早く変身したうさぎたちは、そのままの姿で悠々と会場を歩き回っていた。時々、写真撮影の許可を求められ、その度に四人はモデルとなった。本人たちなのだから、さすがキメポーズもキマっている。
「凄いですね。それ、地毛ですか?」
 セーラームーンのヘアスタイルを見て、ノーマルセーラームーンのコスプレをしている同年代の女の子が、羨ましそうに訊いてきた。彼女の方はカツラである。手作り感のある、黄色い毛糸を使ったカツラだった。
「うん、地毛よ」
 セーラームーンが自慢げに答えると、
「羨ましいです! でも、そのコスのセーラームーンって何ですか? オリジナルですか?」
 女の子はマジマジとセーラームーンの姿を見つめた。現在のセーラームーンはネオ・エターナルセーラームーンである。アニメとマンガの終了後のバージョンアップ形態なので、一般の人が知らないのは当然である。
「え? あ、そうそう。オリジナル」
「かっこいいですね!!」
 女の子は興奮気味に褒め称えた。
 気を良くしたセーラームーンたちは、任務を忘れてコスプレ広場の方に移動した。
「うわぁ。なんじゃこりゃあ!」
 口をあんぐりと開けて、ジュピターは広場の人の集団を見つめた。どこに目を向けても人、人、人。アニメやマンガ、アメリカ映画などのキャラクターに扮した人々と、そんなコスプレイヤーたちを撮影するカメラマンたちが、まさにダンゴ状態で、限定された空間にひしめき合っていた。
息ジュピター(まこちゃん)てば、さっきっから驚きっぱなし」
「カルチャーショック受けてるんですけど………」
 人々のパワーに、ジュピターは完全に圧倒されていた。
セーラームーン(うさぎ)セーラームーン(うさぎ)。あそこにセレニティがいるよ!」
「え? ドコドコ? おお〜〜〜。ホントだ! あたしだよぉ。あたしがいるよぉ!」
「あそこにはマーズが! サターンとマーキュリーもいる! うわぁ………セーラー玉三郎がいるぅ。なんてマイナーなっ」
 どうやら、そこの一画のセーラー戦士たちはお友だち同士のようである。プリンセス・セレニティを中心にして、かっこよくポーズを決めている。
「ホンモノのセーラームーン(うさぎ)より、清楚かも………」
「なぬ!?」
 ヴィーナスのポロリと零した一言に、セーラームーンはムッとしてジト目を向ける。
「すみませ〜ん。一枚いいですかぁ?」
 小太りのお兄さんが、ヴィーナスに声を掛けてきた。汗でギトギトになった顔で、ニカッと笑う。着ている紺のTシャツは、汗で変色していた。すっぱい匂いがプ〜ンと鼻を突く。
「うっ!」
 そのあまりにもの芳ばしい香りに、ヴィーナスは一瞬気を失いそうになる。
「クレッセントビームのポ〜ズを取ってもらえませんかぁ?」
 お兄さんは、ねっとりとした口調でリクエストしてきた。
「いいですよぉ」
 ヴィーナスはにっこりと笑うと、
「クレッセント・ビーム!!」
 ビッと指先から本当にビームを放つ。クレッセント・ビームはこめかみを掠め、上空へと消える。お兄さんはカメラを構えたままの姿勢で、気を失っていた。
「ふん!」
「あ、あのねヴィーナス(みなP)………」
 お兄さんを蔑んだ目で見、ツンと鼻を上げたヴィーナスに、セーラームーンは呆れたように声を掛ける。
「どうしたの? 今、クレッセント・ビームが見えたけど………」
 耳のピアスから、亜美の怪訝そうな声が聞こえてきた。
ヴィーナス(みな)が、怪人汗ドロ男を撃退したトコ」
「へ?」
 亜美はその意味が、すぐには理解できなかった。

 神崎零貴の現在の所在は、とうとう掴むことができなかった。衛とせつなが、ルナ、アルテミス、ダイアナと協力して調査を行っていたのだが、なかなか足取りが掴めなかった。
 美奈子の方も若木を通して警視庁を動かしたようなのだが、優秀な日本警察といえど、彼女の居場所を突き止めることができない状況だった。
「ただ、最近。神崎零貴は、身寄りのない子供たちを、立て続けに数人引き取ったらしい」
「それが彼女たちなんですね………」
 亜美は納得したように言う、だが、
「それだったら………」
「孤児院に残された記録は、本名以外はでたらめだった」
 身元不明の人間に孤児を託すわけはないと亜美は考えたのだが、衛が先回りして情報を伝えた。亜美は無言で小刻みに肯いた。
「神崎零貴は、何を基準に子供たちを引き取ったんでしょうか?」
 レイが疑問に感じていることを、衛も同じく感じていた。
「竜の遺伝子を持つ子供たちだと、分かっていて引き取ったのかしら………」
「問題はそこだと、俺も思う。だとすると、神崎零貴は、どうやってそれを調査したかだ………」
「何か特別な力を、もともと持った子たちだったんでしょうか?」
 ほたるが問う。
「いや。いたって普通の子供たちだったようだ。子供たちのいた孤児院も、そういった類の特別な孤児院だったわけじゃない」
「謎だらけね………」
 レイは言いながら、ビックサイトへと向かう人の流れに目を向けた。これでもかと言うほど、どんどんと人が集まってきていた。
 一週間前に、東京各所で大事件が起こったとは思えない有様だった。このあまりにも普段と変わらない顔付きの人々を見ていると、一週間前の事件など、まるで別次元の夢物語のように思えてくる。
「自分の身に降り掛かってこなければ、何故こうもみんな、無関心でいられるんでしょうか………」
 底抜けに陽気な表情の彼らを見ていると、怒りさえ沸き上がってくる。
 衛は無言で、レイの左肩に右手を添えた。

 セーラームーンたちの会場入りに遅れること四十分。ようやくネプチューンがコスプレ広場に姿を現した。優雅に歩いているネプチューンの後ろには、カメラを持ったお兄さんたちが、文字通り金魚のフンのように、ゾロゾロとひっついていた。
「凄い人気ね。ネプチューン(みっちょん)
「勝手にくっついて来たのよぉ………。うっとおしいったら、ありゃしない」
 口ではそう文句を言っているものの、悪い気はしていないようである。
ウラヌス(はるかさん)はまもちゃんと合流できたのかしら」
「まだだと思うわよ。たぶん、まだ高速道路(コーソク)の上よ」
「え?」
「痺れ切らして、置いてきちゃったから」
「あらら………」
 気の毒はウラヌスである。今頃はまだ、高速道路の大渋滞の真っ只中にいるのだろう。はるかの仏頂面が目に浮かぶ。
「そろそろ十二時ね。ちびうさたちを捜した方がいいかも」
 いつまでも遊んでいるわけにはいかない。セーラームーンは気を引き締めた。
「たぶん、東展示棟の方にいるわよね。………お〜い、そこで重さ二十キロのガーネット・ロッドを振り回してるプルートぉ! そろそろ行くよぉ!」
 お兄さんたちの集団の前で、ぐるんぐるんとガーネット・ロッドを振り回してサービスしているプルートに向かって、ヴィーナスは声を投じた。
「ハ〜イ、じゃ、カウントを取りま〜す! 五、四、三、二、一! ハイ! ありがとうございましたぁ!」
 突然その場を仕切ったのは、いつの間にか来ていた浅沼だった。
「浅沼ちゃん!? 何で、ここにいるのさ?」
「まことさんたちが来るって聞いたから、僕も応援に来たんじゃないですかぁ」
「そんな立派なカメラ持って?」
「あ、いや、これは部の連中に頼まれて………」
 ジュピターの鋭い突っ込みにしどろもどろになった浅沼は、やはりレイヤーさんを写しに来たようだった。

 ちびうさは桃子や九助とともに、東展示棟のアニメ系サークルのブースに来ていた。この日のために貯めていたお小遣いで、ごっそりとお目当ての同人誌を買い込んだ桃子は、たいそう満足顔である。対して、荷物持ちの九助は、げんなりとしている。桃子の買った同人誌の重さで、リュックサックのベルトが肩に食い込んでいるからである。
「重いと言うより、痛い………」
 ちびうさが言葉を掛けるより先に、九助は言ってきた。同情を請う瞳だった。しかし、ちびうさはそんなに甘くない。
「泣き言言わない! オトコでしょ!?」
「ちぇっ」
 九助は不満げに口を尖らせるしかなかった。
「あっ。セーラームーンだ!」
「え!?」
 桃子が声を上げたので、ちびうさはその視線の先を追った。
「あ、コスプレイヤーさんの方ね」
「別のセーラームーンがいるの?」
「ホンモノ! ………じゃない、うさぎもセーラームーンやってるはずなんだ」
「え!? うさぎさん、セーラームーンのコスしてるの? 見たい! ドコにいるのかなぁ。うさぎさん、似合いそうだよねぇ、セーラームーン」
「広場の方じゃねぇの?」
 首を伸ばしてその辺を捜し出した桃子に、九助は言った。どうやら、九助もうさぎのセーラームーンを見たいらしい。
「そっか。じゃ、後で行ってみよっか」
 桃子はもう見るつもりでいる。ちびうさは、余計なことを言ってしまったと後悔をしたが、今となっては後の祭りである。
「………なんだろう? この感じ」
 何か“得体の知れないもの”の存在を感じ、ちびうさは緊張した。
「今、何時か分かる?」
「えっと、十二時ちょうどだな」
 九助が腕時計を見ながら答えた。
 何か、強烈な圧力を感じていた。押し潰されるような感覚が、ちびうさを襲っていた。
「こっちから、何かが来る!?」
 ちびうさは圧力を感じる方向に、体を巡らせた。