child−17 八尋


 一美がリビングに入ると、あたふたとしている七海の姿が真っ先に視界に飛び込んできた。
「あ、一美!」
 入ってきて一美に気付いて、二葉が駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
 いつになく慌てている様子の二葉に、一美は尋ねた。
「八尋がいないのよ」
「え? さっきまでいたと思ったけど………。七海と遊んでたわよね?」
「お兄ちゃん、いなくなっちゃったの」
 ピンクのうさぎのぬいぐるみを大事そうに抱えた七海が、心細そうな声を出した。
 八尋がホームに来てから、既に五日が経過していた。八尋もだいぶホームに馴染んでいた。面倒見の良い八尋は、六月や十球磨、七海の良き遊び相手となってくれていた。十球磨の悪戯には手を焼いていた一美たちだったのだが、八尋が面倒を見るようになってから、十球磨の悪戯が激減したのは大助かりだった。今までは、十球磨の相手は九椚ひとりだった。面倒を見る相手が違うと、こうも違うものかと感心してしまったほどだ。
「裏山にもいなかったよ。ホント、どこ行っちまったんだろ」
 背後で五十鈴の声がした。振り向くと、五十鈴と十球磨のふたりの姿が見えた。ふたりで裏山まで捜しに行っていたのだろう。
「帰っちまったのかな?」
「あたしたちに黙って?」
 五十鈴のその考えを否定するように、二葉は言った。
「いいじゃねえかよ、いなきゃいないでさ! どうせ、戦力としては使えないんだし」
 そう言う九椚は、荒んだ表情をしていた。八尋に十球磨(こぶん)を取られてしまった九椚は、ホームの中でもひとりでいることが多くなった。時々、姿が見えなくなることもしばしばあった。
「あんた、顔色悪いよ? 大丈夫なの?」
 二‐三日前から、九椚の様子が少しおかしかった。時々目眩を起こしている様子も見受けられ、顔色も優れない。食欲だけは相変わらずだったが。
「何だよ、一美。心配してんのか? お前が心配なのは、八尋だけかと思ってたぜ」
「あたしは平等のつもりだけど?」
「そうかい? 随分と待遇が違うような気もすっけどな」
「あんた、ひょっとしてヤキモチを焼いてんの?」
 九椚のその態度に、五十鈴は勘ぐるような視線を向けてきた。
「馬鹿言ってんなよ! 誰がこんなペチャパイに! あっ」
 思わず口走ってしまってから、九椚は恐る恐る一美に視線を向ける。ねっとりとした笑いを浮かべて、一美が自分を見つめている。
「お、お、俺、その辺捜してきてやるよ!!」
 大慌てで、九椚は逃げるようにその場から走り去っていった。
「胸は二葉姉ちゃんが一番あるよね」
 ゴン!
 あっけらかんと言った十球磨の脳天に、無言の一美と五十鈴の拳がめり込んだ。

 ちびうさは自分の部屋で、美奈子から借りたマンガを読んでいた。晴天に恵まれないこの夏、外に出掛けてもどうも気分が今ひとつ乗らない。もちろん、気分が乗らないのは天気のせいだけではなかった。
「スモール・レディ」
 外からコンコンと窓が叩かれた。目を向けると、セレセレが神妙な顔付きでこちらを覗き込んでいた。
「どしたの?」
 窓を開け、ちびうさは尋ねた。
「彼が来てます」
「彼?」
 ちびうさは、セレセレが指差す方向に目を向けた。
「八尋お兄ちゃん!?」
 そこにいたのは、先日一美たちの元に行ったはずの八尋だった。

「やぁ、ちびうさ」
 転がるようにして家から出てきたちびうさに、八尋はニッコリと笑いかけてきた。
「帰って来たの!?」
「いや、ちょっと様子を見に来ただけ」
 言いながら、八尋は周りを眺める。
「一美のように、跳躍(ジャンプ)できるようになってさ。だから、ちびうさに会いに来た」
「あたしに?」
「いけないか?」
 少し照れたような笑みを、八尋は浮かべた。
「でも、抜け駆けしたら、九助が怒るな」
「え?」
「気付いてないのか?」
「何が?」
 八尋はやれやれといった風に、肩を竦めてから、
「おい、大丈夫だよ! そんな殺気立てて、俺を見るなよ」
 電柱の陰に向かって首を伸ばした。セレセレとパラパラが、そろそろと電柱の陰から姿を現す。しかし、警戒を解いたわけではなかった。
「いろいろ試してみたけど、俺の能力は防御にしか働かないらしい。あいつらにとっては、戦力外ってことだ」
 八尋はそこで言葉を切り、ちびうさに視線を戻した。
「あいつらの狙いはお台場だ。時間は正午きっかり。具体的に何をどうするかは、戦力外の俺は教えてもらえなかった」
「それを言いに、わざわざ?」
「これはついで。ちびうさに会いに来たって言ったろ?」
 八尋はそう言ってから、くるりと背を向けた。
「ビックサイトに行くんだろ? 九助と桃を守ってやってくれよな」
「八尋お兄ちゃん。あたしたちとは戦わないよね?」
「言ったろ? 俺の能力は防御にしか働かないって。攻撃できないんだから、戦うことはできないよ。だけど、弟や妹たちがキミたちと戦うようなことになったら、俺は全力で弟たちや妹たちを守らなければならない。あいつらを倒すつもりだったら、先に俺を倒すんだぞ。俺は、ちびうさにならやられてもいいと思ってる」
 僅かに首を巡らせて、八尋はそう言った。本心ではなかった。八尋は、本気でセーラー戦士たちと戦おうとは思っていない。自分が戦わなければならない相手は、もしかするとここ数日一緒に生活した弟妹かもしれないのだ。
「お兄ちゃん!」
「じゃあな。ビックサイトで、また会おう」
 八尋は言うと、その場から瞬時に消えてしまった。
「彼の瞳は、何かを決意している瞳でした」
 セレセレがちびうさの背中に声を投じた。
「うん。お兄ちゃん。何か考えてるよね………」
 八尋の考えていることを必死に想像してみたが、ちびうさは答えを見付けることはできなかった。

 次ぎに八尋が向かったのは、九助のところだった。九助はどうやら、友だちの家に遊びに行く途中らしく、暗闇坂を登っているところだった。
「おい、九助」
 八尋が背後から声を掛けると、九助は必要以上に驚いて、振り向いてきた。
「や、八尋にーちゃん!? や、やっぱり出たぁ!!」
「俺は幽霊か」
「え? ホンモノ?」
「当たり前だ」
「びっくりしたぁ………」
 九助はホッとしたように胸を撫で下ろした。
「こんなとこで会うから、てっきり幽霊かと………」
「ん、ああ、そっか」
 暗闇坂はその昔、昼間でも幽霊が出たと言われている坂である。道の両側に生い茂る木々が陽の光を遮ってしまい、昼間でも薄暗いところから、いつしか暗闇坂と呼ばれるようになった場所である。坂の下にあるU国大使館は、別名「ヘルハウス」とも呼ばれている場所で、長いこと使用されていない。
「どうしたんだよ、八尋にーちゃん。家に帰ってないって話じゃん! 今までどこにいたんだよ。おじさんとおばさん、心配してたよ」
「ちょっと友だちの家にな」
「そうならそうと、言っておかなきゃ駄目じゃんかぁ。レイさんににーちゃんの居場所占ってもらおうと思って、火川神社行くところだったんだぜ」
 九助は友だちの家に遊びに行こうとしていたわけではなく、火川神社のレイのところに、自分の居場所を占いで捜してもらおうと、頼みに行くところだったようである。
「悪りぃ、悪りぃ」
「ま、元気そうだからいいけどさ」
 九助は二カッと笑った。
「なぁ、九助」
「なに?」
「いや、何でもない」
「変なの! なんか、いつものにーちゃんじゃないよ?」
「そうか?」
 八尋は笑って見せた。その八尋の笑顔を見た九助は、安心したように同じように笑った。
「じゃあな、九助。ちびうさもいいけど、桃も大事にしろよ」
 八尋はそう言うと、九助の目の前から忽然と姿を消してしまった。
「や、八尋にーちゃん!?」
 九助は青ざめて、周囲を見回した。しかし、八尋の姿はどこにも見当たらない。
「や、やっぱ、ゆ、ゆ、ゆ、幽霊!?」
 生唾をゴクリと飲み込んだ。

 八尋は最後に、自分の家を訪れた。
 と言っても、「ただいまぁ」と戻ってきたわけではなく、上空から様子を窺う程度に留めた。
 すぐにホームに戻ることにしていたので、家に帰っても意味がなかったからである。それに、この家にはもう二度と戻ってくるつもりはなかった。
 住み慣れた自分の家を見下ろし、耳を澄ます。“能力(ちから)”を使えば、短い距離ならば透視もできるようになっていた。
 八尋はここ数日で、様々な能力を開花されていた。それもこれも、強大な力を持つ一美の影響であることは、八尋もよく分かっていた。ホームにいる“竜の子供たち”は、大抵の場合、何か特化した能力を持っている。それは母体となっている竜が、かつてどんな能力を持っていたのかが関係していると思われた。ただ、一美だけは違った。一美だけは、全ての能力が使えた。仲間の持つあらゆる能力を、一美は全て持っていた。そして、ただ持っているだけでなく、その能力は誰よりも優れていた。その気になれば、死者を甦らすことも可能だと本人は話していた。時間も飛び越えることもできた。八尋の目の前で、一美は一度だけ時間を飛び越えて見せた。その時は、さすがに驚いたものだ。
「八尋にも、できるはずだよ」
 その時、一美は自分に向かってそう言った。
「そんなことが、本当に俺にできるのか?」
 八尋は自分の両手を見つめて呟いた。
 テーブルに突っ伏して眠っていた母親が、ハタと顔を上げた。自分のいる方向に顔を上げた。
もちろん、母親からは自分の姿は見えていない。だが、八尋はドキリとした。まるで、そこに自分の姿を見付けたかのように、母親はじっとこちらを見つめている。
「母さん………」
 自分を見上げる母親は、かなりやつれた感じだった。頬はこけ、目は窪み、顔色も良くなかった。それが、突然いなくなってしまった自分のせいであることは、八尋は痛いほど分かっていた。胸が締め付けられるように苦しかった。しかし、もう決めたことだった。
「母さんを、頼むよ」
 八尋はまだ見ぬ、自分の弟か妹に母親のことを託すと、そっとその場から離れた。

「ドコ行ってたのよ!? 八尋!」
 ホームに戻った八尋を真っ先に出迎えたのは、今にも泣き出しそうな顔をした一美だった。八尋はこんな一美を初めて見たから、思わず言葉がしどろもどろになる。
「い、いやぁ、ちょっと、気分転換に、その辺を散歩に………」
「馬鹿! みんな心配してたんだからね!」
 八尋の言葉を、一美は素直に信じたようだった。
「あーっ! 八尋お兄ちゃんだぁ!!」
 ピンクのぬいぐるみを抱えた七海が、どこからともなくひょっこりと姿を表した。
「?」
 八尋が不思議そうな顔をしていると、
「この子、ちょっとの距離だけど、瞬間転移ができるようになったみたい。あたしたちの飛翔とは違って、どっちかって言うとテレポーテーションみたいなやつね」
「へぇ、凄いな」
 八尋が感心したような目を向けると、七海は「エヘヘ」と笑った。
「だって、この子はオリジナルだから」
 一美は小声でそう言った。八尋はホームに来てから、一美にオリジナルとコピーの違いを聞かされていた。竜の遺伝子をコピーされた者は、どんなに訓練しても新たな能力を開花させることはない。これに、時々零貴が“調整”をしてやらなければ、能力の暴走を起こしてしまうと言うことだった。
「なんてことを………!!」
 それを聞いたとき、八尋は益々零貴に対する反発を強めた。一美が零貴に強い反発を示していることを、その時に知った。そして、オリジナルは自分と一美、そして七海の三人だけであることも。
 八尋は一美が戦っている理由を知ってしまった。何故一美が先日のような大量虐殺を容認したのか、理由が分かってしまった。一美は零貴から、弟妹たちを守りたかったのだ。だが、そのことで一美が思い悩んでいることも知っていた。
「本当の敵は、零貴さんじゃないのか?」
 先日、八尋はそう一美に問い掛けた。一美は答えなかった。一美がその気なら、八尋は一美に協力してもいいと考えていた。だが、一美が迷う理由も分かっていた。零貴がいなくなれば、遺伝子をコピーされた子供たちは、何れ能力の暴走を起こして死んでしまうのだ。
 本当に倒さなければならない相手は、誰なのか分かっている。しかし、それができないことも事実なのだ。
「八尋ぉ………。ドコに行ってたんだよぉ………」
 五十鈴が自分たちを発見して、駆け寄ってきた。
「ま、いいや、帰ってきたんなら。ちょうどいい、当日の段取りの打ち合わせを始めようぜ」
 五十鈴は一美を見て、そう言った。
 二日後は、決行の日だった。