child−16 ホーム


「ここは、廃校なのか?」
 目の前に(そび)える、半ば崩れかけた鉄筋コンクリート製の建物を見上げて、八尋は素直な感想を口にした。見た目はどこにでもあるような何の変哲もない校舎だった。ただ、使われることがなくなってから、かなりの年月が経過しているのではないかと思われた。木造ではないことが唯一の救いであるかのようで、ところどころに(ひび)の走っている壁や、場所によっては外壁が剥がれ落ちているところもあり、老朽化が激しい建物であった。壊す費用が算出できないまま放置され、そして忘れ去られてしまった廃校なのかもしれない。
「あたしたちの『家』よ」
 八尋と七海を抱えてここまで“跳躍(ジャンプ)”してきた一美が、最も簡単な言葉でこの建物のことを説明した。
 ここに移動するまでは一瞬の出来事だった。空に浮かんだと思ったら周囲の景色が歪み、気が付いたらこの場に降ろされていた。だから、八尋にはここが、日本のどの場所になるのか全く検討も付かなかった。いや、日本なのかさえも分からない。ただ、校舎の形や周囲の雰囲気で、日本なのではないかと感じるだけである。
「家、だって………?」
 八尋は驚きに目を見開いたまま、周囲を見回した。周囲は雑木林で囲まれ、校庭だろうと思われる広い敷地には雑草が生え放題生え、花壇らしきものは手入れをされている様子はない。
 とても、人が住めるような場所ではないと思えた。住んでいるとしたら、野良猫か野良犬の類が関の山だろう。ホームレスだって、寄り付きそうにない場所だった。
「そんなに驚かないでよ………。少しの間、あなたも生活するんだから」
「え? このお兄ちゃん、ずっと七海たちと一緒じゃないの?」
「そ、そうね。ずっと一緒ね」
 七海から思わぬ突っ込みを受け、一美は慌てて訂正した。一美はつい本音を口走ってしまっていたのである。今いる仲間たちの身の安全を確保するため、零貴に従う振りをして八尋を連れては来たが、一美は八尋を自分たちの仲間に引き込むつもりは全くなかった。
「のんびりしていていいのか? 早く戻らないとマズイんじゃないのか?」
 所在なげに佇んでいる一美に、八尋は声を掛けた。八尋としては、一美たちが移動してくれなければ、どこへ行くこともできない。どこに何があるのかさえ分からないのだ。それに、石化してしまった十球磨を、早く元通りにしてやらなくてはいけないはずだ。
「あ、ゴメン。こっち」
 一美は校舎の裏手の方へと、歩を進めた。

 外見とは裏腹に、校舎の中は予想外なほど綺麗だった。これならば、なるほど生活感がある。このくらい綺麗ならば、しばらくは生活できそうだと八尋は思った。
 廊下をしばらく歩くと、大騒ぎしている声が響いてきた。少女たちの声の中に、火川神社で最初に遭遇したふたりの少年の声も混じっている。
「ギャーギャー騒がない! 自業自得なんだかんね!」
 部屋に入るなり、一美は大声で怒鳴った。部屋―――と言うより、教室だった。ただ、机や教壇、黒板さえも取り外され、リビングのように改造されていた。部屋のほぼ中央には合成木材らしい素材で作られた大きいテーブルがドンと居座り、安物のソファーがその周囲に並べられている。部屋の隅の方には、室内アンテナを取り付けられた十五インチサイズのテレビが置かれている。驚いたことに、画面の脇にチャンネルを切り替えるためのダイアルが取り付けられていた。年代物のテレビだった。果たして、まともに映るのだろうかと、少しばかり疑いたくなる。
「ほら、もう泣かない!」
 驚いている八尋を部屋の入り口に残し、一美はつかつかと部屋の中に足を踏み入れる。一美のあとを、七海はちょこちょこと撥ねるような足取りで付いていく。
「一美姉ちゃぁん………」
「一美!」
 歩み寄ってきた一美を見て、十球磨は涙と鼻水でドロドロになった顔を上げ、五十鈴が「遅い」と言う風に視線を向けてきた。その時部屋の入り口に突っ立っている八尋に気付いたが、見て見ぬふりをした。
「全く、世話がやけるわね」
 溜め息を付きながら、一美は十球磨の前で腰を落とした。
「本当に治せるのか?」
 九椚は疑わしげな視線を一美に向けた。
「まあね」
 一美は素っ気なく答えると、石化した十球磨の半身に手を添えた。ふうっと息を吹き掛けた。すると、みるみる内に石となっていた細胞が元の状態に戻っていく。完全な状態に戻るまで、三分と掛からなかった。
「どう?」
「うん! 動く、動く! 姉ちゃんサンキュー!!」
 十球磨はその場でピョンピョンと跳ねて、喜びを全身で表現した。
「掠めただけだから、皮膚の表面が石化しただけだったみたいだけど、下手したら死んでいたんだかんね。あんたの能力は諸刃の剣なんだ。次は充分気を付けるのよ」
「『ものはのけん』ってなに?」
「ゴメン、あんたには難しい表現だった………。とにかく、気を付けなさい」
「うん」
 飛び跳ねている十球磨を上目遣いに見上げたあと、一美はゆっくりと立ち上がった。
「………凄いな、キミは。何でもできるんだな」
 八尋は感心したように、声を掛けた。
「だぁれ? この人」
 部屋の入り口に突っ立ったままの八尋に気付いた六月が、一美に訊いてきた。
「八尋よ。あたしたちの新しい兄弟」
「てめぇ! てめぇがさっき邪魔をしなければ、十球磨はこんなことにはならなかったんだぞ!」
 九椚か突っ掛かって行った。八尋の元に一瞬で駆け寄ると、その胸ぐらを掴んだ。
「攻撃を仕掛けてきたのはキミたちの方だ。俺は自分の身を守っただけだ」
 胸ぐらを掴まれた八尋だったが、落ち着き払った声で答えてきた。体格は九椚の方がいいが、身長は八尋の方が高い。八尋は冷めような目で、九椚の激高した顔を見下ろした。
「なんだとぉ!」
「やめなさい、九椚! 八尋の言う通りよ! 元はと言えば、あたしの制止を振り切って仕掛けた、あんたたちが悪いのよ!?」
 鼻息荒く掴み掛かった九椚を、一美はピシャリと制した。九椚は言い換えさせなくなり、不服そうに表情を歪めた。
「で、こいつにはどんな能力があるんだ?」
 五十鈴が訊いてきた。最も重要なことである。仲間の能力をきちんと把握しておかないと、自分の身が危うくなる。
「こいつ、凄いんだぜ! 九椚兄ちゃんのウインドソード簡単に弾いたんだ!」
 興奮気味に十球磨は言った。
「凄いかどうかは別問題だ。俺も本気でやったわけじゃない」
 ムスッとした表情で、九椚が言った。負け惜しみとも取れる言葉だった。
 で、どうなんだよ実際は? と言う風に、五十鈴は一美に視線を送ってきた。馬鹿ふたりの意見を聞いていても始まらない。しかし、一美は肩を竦める。
「さぁ………。あたしにも分かんない」
「悪いが俺もよく分かっていない。俺自身にどんな能力があるのか………。取り敢えず、防御には働く能力らしい」
「ようは、戦力外だってことだよ。麻布くんだりまで行って、これじゃあたまんねーよっ」
 引き捨てるように九椚は言う。
「そう言えば、何でお前たちが麻布に行ってるんだよ!? お前、昨日のあたしたちの会話聞いてたね!?」
 五十鈴がジロリと九椚を見た。
「零貴さんの差し金らしいけど?」
 それを聞いていた一美が、肩を竦めた。
「差し金とは言ってくれるわね………」
 背後で声がしたので、八尋は驚いて振り返った。大人の女性が立っていた。小柄で、細身の女性だった。顔立ちがどことなく一美に似ているので、八尋はその顔をじっと見つめてしまった。
「零貴さん、いつからそこにいたの?」
「あんたたちが部屋に入った時からよ。一応、迎えに出たつもりなんだけど?」
「あたしじゃなくって、八尋を迎えたかったんでしょ?」
「両方よ」
 零貴は腕を組んで、小さく笑った。
「この人は?」
 八尋は一美に尋ねたのだが、
「七海たちのママだよ!」
 答えた来たのは七海だった。もう一度八尋が一美に視線を向けると、一美は顔の表情で七海の言うとおりだと答えた。
「そう。これからは、あたしがあなたの母親よ」
 零貴がそう言ってきたので、八尋は零貴の方に向き直った。
「ちょっと待ってくれ」
 微笑もうとした零貴を、八尋は右手を突き出して制した。
「俺は自分の正体を知りたくてここに来ただけだ。いつまでもここにいるとは限らない」
「正体を知ったら、ここにいたくなるわよ。あの子たちのようにね。あなたたちは、人間社会では普通には生活できないのよ」
「誰がそんなことを決めたんだ?」
 八尋は挑戦的な視線を零貴に向けた。
「あんたが、勝手にそう思ってるだけじゃないのか?」
「そう言ってられるのも、今のうちだけよ。自分の中のバケモノに気付いたら、そんな強がりも言えなくなるわ」
「あんたは、何でそのバケモノを集めるんだ?」
「趣味よ」
 軽くあしらうようにそう答えると、零貴はくるりと踵を返した。

 食事は七海を覗く少女全員で、手分けをしながら作るようだった。零貴の分まで作るのだが、彼女は子供たちと一緒に食事をしないらしい。いつも誰かが、部屋まで運んでいっているとのことだった。
 校舎の裏手側に、簡易シャワーボックスが設置されていた。ガスが通っているのは驚きだったが、ガスや電気、水道が使えなければここで生活をしているわけがないなと納得しながら、八尋はシャワーを浴びて汗を流した。八尋がシャワーを浴びて部屋に戻ると、テーブルの上に夕食が用意されていた。メニューは野菜を中心にした炒め物と、炒り卵、そして具の入っていない味噌汁だった。
「あ、旨いじゃん」
 炒め物を口にした八尋は、見た目はいびつな野菜の盛り合わせだったが、味がまともだったことに素直に驚いた。
「味付けは一美ちゃん担当だよ」
 六月が教えてくれた。
「へぇ………」
「何よ? その意外そうな顔………」
 見つめられた一美は、少しはにかんだような笑みを浮かべた。
「人は見掛けに寄らないなぁって」
「七海! 八尋のご飯取り上げて!」
「は〜い」
「ご、ゴメン! 冗談だってばぁ!!」
 八尋は大慌てで、自分のお椀を抱えた。
 楽しいひとときだった。いつまでも、こんな安穏とした日々が続けばいいと思った。不可能なことだとは思っていたが、そう祈らずにはいられない一美だった。

 空き部屋はたくさんあるので、八尋は好きな部屋をひとりで使っていいと零貴に言われた。八尋は空いている二階の一部屋を使うことにした。「二年四組」と書かれた木製のプレートが、ドアの上に取り付けられていた。
 教室を改造した部屋は、ひとりで使うには広すぎた。病院で使われているようなベッドが部屋の隅に置かれていたので、取り敢えず潜り込んだ八尋だったが、なかなか寝付けなかった。
「散歩でもするか………」
 きっと気持ちが高ぶっているので眠れないのだろうと思い、八尋は気持ちを落ち着かせるために星空の下を散歩しようと、外へと足を向けた。
 弟妹たちはみんな眠ってしまったのだろう。騒がしい声は聞こえなかった。
 外へ出ると、ひんやりとした夜気が身を包んだ。今年の夏は、今のところ冷夏だった。ひんやりとした空気は、寒いほどだった。
 梟の鳴き声が遠く聞こえ、虫たちの鳴き声がうるさいくらいに辺りに響いている。梟の鳴き声などは、テレビでしか聞いたことがなかった。実際に夜の闇の中で聞くと、けっこう不気味な感じだった。
「ん?」
 水の流れる音が聞こえてきた。近くに川があるなどとは、聞いていなかった。不思議に思い、八尋は音の聞こえてきた方に足を向けた。
「ああ、なんだ………」
 どうやら、誰かがシャワーを使っているようだった。全員寝てしまっているものだとばかり思っていたが、起きている弟妹もいたようだ。
 八尋がそのまま簡易シャワーボックスを見つめていると、シャワーの音が途切れ、中から人が姿を現した。
「え!? だれ!?」
 人の気配に気付き、こちらに目を向けてきたのは一美だった。バスタオルを一枚体に撒いたままの恰好だった。
「ああ、ご、ごめん!!」
 咄嗟に謝ってから、何で謝る必要があったのだろうと八尋は首を捻った。別にやましいことをしていたわけでもないので、謝る必要などはどこにもなかったはずだ。
「覗いたの?」
「え!?」
 八尋は一瞬、何を言われたのか分からなかった。が、すぐにその言葉の意味を理解し、思わず顔を赤くした。
「と、とんでもない!!」
 両手を突き出して、慌てて否定した。見てもいないのに、ノゾキ扱いされたのではたまらない。
「九椚じゃないから、そんなことはしないか」
 ホッとしたような笑みを、一美は浮かべた。
「あいつ、覗くのか?」
「しょっちゅうよ! あたしはけっこう覗かれてる」
「他は?」
「七海を覗くほどアホじゃないし、六月もねぇ。まぁ、七海はひとりじゃ入れないから、交替で一緒に入るんだけどね。今日は、二葉の当番だったの。五十鈴や二葉だと、見つかったその場で攻撃されるから、あんまし見ないみたい。ほら、そこの木が燃えちゃってるでしょ? あれ、五十鈴がやったのよ」
 一美は、八尋の右手側の方を指でちょいちょいと示した。見ると、けっこうな巨木が、無惨な姿になっている。
「キミは攻撃しないのか?」
 視線を一美に戻し、八尋は訊いた。
「あたしが攻撃したら、あいつ死んじゃうもん。加減が難しいのよ、あたしの力は強すぎて」
 一美は諦めたように肩を竦めた。
 一美は八尋の目の前まで歩み寄って来ると、首を伸ばして顔を覗き込んできた。
「八尋、カノジョいる?」
「へ!?」
「あ、ごめん、変なこと訊いて………」
 一美はチロリと舌を出した。石けんのいい香りが、八尋の鼻を擽る。バスタオルの下は、どうなっているのだろうかと、つい考えてしまう。
「エッチ」
 その考えを読んだかのように、一美は言ってきた。八尋はドキリとなって、思わず身を引いた。そんな八尋を見て、一美は可笑しそうに笑った。
「あ、あたし、部屋に帰るわ。七海が起きて、あたしがいないことが分かると泣き出すかもしんないし」
 ひとしきり笑ったあと、一美はそう言うと、八尋に背を向けた。
「なぁ、ひとつだけ訊いていいか?」
 足早に歩き去ろうとした一美の小さな背中に、八尋は声を投じた。一美はピタリと足を止めた。
「次ぎに狙うのは、お台場だな?」
「………それを聞いてどうするの?」
 一美は振り向かなかった。
「その日までは、俺も付き合う」
「あの子が来るから? あの子を守るつもり?」
「………」
 一美の言う「あの子」とは、ちびうさのことだと思えた。八尋はちびうさに対して、特別な感情を持っているわけではないが、一美はそう思っているようだった。
「無茶苦茶なことをするようなら、俺が君たちを止めるかもしれない」
 八尋のその言葉を受けると、一美の肩がピクンと撥ねた。
「その時は、あたしと戦うことになるかもよ?」
「そうならないためにも、もう少し君たちのことを俺に話してくれ」
「分かってる……」
「どっちにしろ、一緒にいるのは次のお台場までだけどな」
「終わったあとは?」
「好きにさせてもらう」
「うん………」
 小さく肯いてから、一美は遠ざかって行った。次の目標はお台場なのかと言う八尋の問いには答えなかったが、その悲しげな背中は、八尋の考えが正しいと告げているようでもあった。