child−13 九椚
八尋は左膝小僧に、痛々しいまでの擦り傷を作っていた。よく見ると、両方の腕にも生々しい擦り傷がある。
「どうしたの?」
会うなり、ちびうさはそう尋ねた。
「ジョギング中に転んじゃってさぁ……」
八尋は照れ臭そうに笑った。
「痛くない?」
尋ねる桃子の顔の方が痛そうに見える。
「ちょっと痛いけどな。大丈夫」
八尋はニッコリと微笑む。
「八尋にーちゃん、意外とそそっかしいんだよなぁ。最近、よく転ぶよね」
「お前に言われたくない」
九助に「そそっかしい」と言われた八尋は、少しばかりむくれて見せた。
「桃ちゃんもよく転ぶよね」
「こいつは、平らなところでも転ぶんだよな」
「ふ、ふたりとも、そんなことバラさなくてもっっっ」
日曜日の午前中のパーラー“クラウン”は、客も疎らだった。小学生だけで喫茶店にはなかなか入れないところなのだが、パーラーだけは別である。それに、この時間はまことがアルバイトに入っている時間帯だった。四人は窓際の席に陣取り、ジュースを飲みながら既に二時間も居座っている。そろそろ、十二時に差し掛かろうという時刻だった。
「なんか、浮かない顔してるね」
会話の途中途中で表情を曇らせる八尋に気になったちびうさは、思い切って尋ねてみた。
「うん、ちょっとな。変な夢も見るし………」
言ってしまってから、八尋は「しまった」と言う顔をした。言うつもりがなかったことを、弾みで言ってしまったようだった。
「ちびうさちゃんの知り合いに、そう言うことに詳しい人いたよね?」
桃子が身を乗り出すようにして訊いてきた。
「レイちゃんのこと? う〜ん、レイちゃんの場合は、ちょっと違うかも………」
「レイは、物の怪の類だよな」
話を聞いていたらしい、まことが口を挟んできた。ピザを運んできてくれたようだ。もちろん、まことのおごりである。
「物の怪って言うと、妖怪ですか?」
八尋はちょっと興味ありという顔をした。小学生の男の子ともなると、やはり妖怪や怪獣の類には興味があるようだった。
「妖怪や幽霊、ツキモノ系は得意だと思うよ。頼めばお払いもしてくれる」
「う〜ん、そうですか………」
「一応、相談してみる? 今、いるかな?」
八尋に訊いてから、ちびうさはまことの顔を見た。昨日の事件のことで、どこかで打ち合わせをやっている可能性もあるからだ。
「夕方はマズイけど、今なら大丈夫だと思うよ」
まことはウインクしながら答えた。どうやら、打ち合わせは夕方から行うらしい。
「気になるんなら、相談してみれば? あたしたちが知らないだけで、夢のことも詳しいかもしれないし………。それに、会うだけでも気が紛れるかもよ。レイ、超美人だし」
「うん! 行こう、行こう、八尋にーちゃん! その人、本当にすっごい美人なんだよ!! 姉貴の知り合いでさ。うちにも遊びに来たことがあるんだ。お淑やかでさ。大和撫子ってのは、ああいう人のことを言うんだよな」
九助が急に乗り気になった。どちらかと言うと、八尋が心配と言うより、美人の巫女さんに会いたいのだろう。桃子がムッとした表情で九助を睨んでいるが、本人は全く気付いていない。
「誉めすぎじゃないか、ちょっと………」
まことは苦笑する。
「まぁ、とにかく美人なんだ! 行こうぜ、八尋にーちゃん」
「じゃ、行ってみっか………」
半ば九助に押し切られる形で、八尋は火川神社に行くことになった。
レイは竹箒で境内を掃除していた。階段を昇ってきた見知った小さい影を見付けて、柔らかい笑みを浮かべる。
「あ! いたいた。レイちゃん!」
ちびうさが元気に走り寄ってきた。
「こんにちは!」
桃子がちょこんとお辞儀をする。
「ね? すっごい美人だろ?」
九助が傍らの男の子に、そう言っているのが聞こえた。
九助の隣の男の子だけは、レイは初めて見る顔だった。
「九助の知り合いの八尋お兄ちゃん」
ちびうさがそう紹介してくれた。「お兄ちゃん」と言うからには、九助たちより年上なのだろう。背丈だけ見れば高校生くらいなのだが、それにしては顔付きが幼い。
「こんにちは、八尋と言います」
八尋は軽く会釈をした。
(ホントだ。すっげぇ美人だ………)
八尋は心臓が高鳴るのを感じていた。テレビで見る、いわゆる「美人」と言われているタレントの比ではない。巫女装束のせいか、凡人とはかけ離れた高貴なオーラを感じる。
八尋はしばし時間を忘れて、レイの姿を見つめてしまった。
「八尋にーちゃん。ボーっとしちゃってるし………」
九助が突っ込みを入れると、八尋は慌てて我に返った。
「す、すみません!!」
大慌てでレイに謝った。
「?」
レイは八尋の表情の中に、「普通とは何か違うもの」を感じて、僅かに眉を顰めた。小さな動きだったので、誰ひとりとして、そのレイの表情の変化に気付く者はいなかったが。
「ちょっと、レイちゃんにお願いがあるんだけど………」
ちびうさが話を切り出した。
レイは、
「なぁに?」
と尋ね返しながら、首を左に傾ける。ドキリとするような仕草だった。
「八尋お兄ちゃんの相談に乗って欲しいんだ」
「どんな相談かしら?」
レイはその神秘的な瞳を、八尋に向けた。自分のところに相談に来たということは、色恋の相談事ではないだろう。先程自分が感じた「何か」と関係があるのかもしれないと感じ、レイは少し不安になる。
「うん………」
八尋は少し言い辛そうに言い淀んでから、
「実は………」
と、話を始めた。
「………考えすぎだよぉ。八尋にーちゃん!」
話を聞き終えてから、九助は両手を頭の後ろで組みながらそう言った。
八尋は幼い頃から繰り返し見る夢のこと。そして夢だと思っていたにも拘わらず、夢の中と同じことが現実の自分の身にも起こっていること。時々起こる不思議な現象について、詳しくレイに語った。
「その怪我は、それが原因だったんだ………」
八尋の話を全て信じたらしいちびうさは、愁いを帯びた目で、八尋の腕の傷を見つめた。
「夢診断は、あたしの範疇じゃないんだけど、現実に怪我をしているって言うには気になるわよね」
これはどうやら亜美の範疇のようだと考えながら、レイは考える仕草をした。レイは、八尋の話の全てを信用したわけではなかった。しかし、真剣に相談してくる相手に、頭ごなしにこうだと決めつけるわけにはいかない。
(夢遊病かもしれない………)
そう思ったが、口に出すことは憚( れた。取り敢えず聞けるだけの情報を聞いてから、亜美に話を持ち掛けるしかないと、レイは考えた。)
「その夢は、いつ頃から見てるの?」
「気が付いた時にはもう見てました。昔は一ヶ月に一回くらいのペースだったんですけど、最近は二日おきくらいに見るようになって………。転ぶ夢は、一ヶ月くらい前から時々見るようになりました」
「ご両親には夢のことは?」
「話したことはありますが、信じてくれませんでした………」
両親の話をする時の八尋の表情が、今まで以上に悲しげに見えたので、レイはそれが気になった。だが、そのことについては、八尋は話そうとはしなかった。話そうとしなかったことを、レイは敢えて尋ねるようなことはしない。自分から話さないと言うことは、話したくない事情があるのだろう。
専門の医者に診せるべきだろうか。レイがそう考えたとき、上空を旋回していたフォボスとディモスが、慌ただしく鳴き声を上げた。警戒を促す鳴き声だった。
レイの表情に緊張が走った。ちびうさも同じく表情を硬くする。あれ程までに慌てたフォボスとディモスを、今まで見たことがない。彼女たちがあれ程まで慌てて警戒を促す何かが、迫って来ていると言うことなのだ。これは尋常ではない。
「フォボスとディモス、どうしたのかなぁ? あんなに騒いで」
桃子が上空を見上げる。
「え? あのカラス、名前付いてんのか?」
「そうよ、知らなかったの?」
桃子は少し自慢げに言った。ちびうさは桃子にはフォボスとディモスのことを教えたが、九助には話していなかったということになる。ほんの少しも優越感に浸れた。
「ちびうさちゃん」
レイの緊張した声が、ちびうさの耳に届いた。自分の背後に回るように、手で合図を送っている。
レイの視線は階段に向けられていた。階下から何か来ると言うのだろうか。
人影が見えた。数はふたつ。それ程大きい人影ではない。
姿が確認できた。小学校高学年くらいの男の子のふたり連れだった。
(あの子たちは………!)
レイの第六感が、このふたりの少年が超危険人物であると告げていた。「人」ならざる者の気配を感じた。
(「竜の遺伝子」を持つ子供!?)
直感でそう感じた。
レイは竹箒を手放し、腕時計型通信機のスイッチをこっそりと入れた。スイッチを入れただけだ。「どうしたんですか?」と言うダイアナの声が聞こえたが、レイは答えなかった。
「見ぃ付けた」
右側の男の子が言った。浅黒い肌を持つ、体格の良い少年だった。八尋も体格の良い方だが、その少年は更に肉付きがよかった。身長は、八尋ほどは高くない。
「一美姉ちゃんはまだ来てないようだね。ってことは、僕たちの方が先に見付けたってことだね。今日のゲームも、僕たちの勝ちだね」
左側にいる男の子が、嬉しそうにそう言った。細面の少年で、目は細く意地悪そうな輝きを放っていた。このふたり、分かり易く言ってしまうと、ジャイアンとスネ夫のようなふたりだった。もちろん、体格が良い方がジャイアンで、細面の細目がスネ夫である。
「お前は俺たちの仲間だ。一緒に来い!」
命令口調で“ジャイアン”が言ってきた。しかし、誰に向けられた言葉なのか分からない。
左右から、ふたつの小さな影が飛び出してきた。セレセレとパラパラのふたりだった。セレセレとパラパラは、ちびうさを守るようにその手前に陣取った。
「なんだ? こいつら、どっから湧いて出た?」
突然現れたセレセレとパラパラに、九助が驚いて目をパチパチとさせた。ちびうさは、僅かに九助と桃子の方に移動した。セレセレとパラパラは自分しか守らない。ならば、自分は九助と桃子を守ろう。ちびうさはそう考えたのだ。八尋はレイのすぐ前にいるから、八尋のことはレイが守ってくれる。
レイは探るような視線で、ふたりの少年を見つめていた。ふたりの出方を窺っているのだ。通信機はオンのままになっている。ダイアナのことだ。通信機を通して聞こえてくる会話の内容を聞けば、こちらの状態を分かってくれるはずだ。
「分かんねーのかよ! お前だよ、お前! お前に言ってんだよ!!」
ここでようやく、“ジャイアン”は対象者を指で突っつくようにして示した。彼が「仲間」と呼んだのは、どうやら八尋のことのようである。
「何で俺がお前たちの仲間なんだ? 俺はお前たちなんか知らない」
八尋は答えた。
「こいつ、もしかしてまだ目覚めてないんじゃないの? 九椚兄ちゃん」
“スネ夫”があからさまに眉を顰めた。
「十球磨。ちょっと遊んでやれ」
「え? 駄目だよぉ。僕の能力( はマズイって」)
「それもそうか………」
“ジャイアン”はフッと大人びた笑いを浮かべた。どうやら“ジャイアン”が九椚。“スネ夫”の方が十球磨という名らしい。
「じゃ、俺が遊んでやる」
九椚はそう言うと、右手を振り上げ、サッと振り下ろす。
バチッ!!
八尋の目の前で、閃光が煌めく。
「ちびうさちゃん。桃ちゃんと九助を連れて逃げなさい」
レイがちびうさの背後に音もなく移動してきて、そう囁いた。どうやら彼らは実力行使に出るようだ。戦闘になれば、桃子と九助が邪魔だった。
「八尋お兄ちゃんは?」
「ふたりの狙いは彼らしいから、彼が逃げても追われるだけだわ。それよりも、早く九助と桃ちゃんを安全な場所に避難させた方がいいわ」
「でも………」
九助も桃子も、何が起こっているのか理解できていない。訳も分からず、その場で茫然としているだけだ。この場が危険かどうかも、ふたりはまだ分かっていないのだ。そんなふたりに、何から逃げろと説明すればいいのか。
「こいつ凄いよ! 九椚兄ちゃんのウインドソード弾いたよ!!」
「手加減はしたつもりだけど、こんな簡単に弾かれるとは思っていなかった。しかもこいつ、殆ど無意気のうちにやりやがった………」
何がどうなったのか分からないが、ふたりの少年は勝手に驚いている。
「あなたたち、『竜の力』を持つ子たちね?」
レイは鋭い視線で、ふたりを睨み付けた。子供たちを庇うように、最前列へと歩み出た。
「へぇ、驚いたなぁ。お姉さん、俺たちのことが分かるんだ?」
九椚の態度が、僅かに挑戦的になった。興味の対象が、八尋からレイに移っている。興味の対象が自分に向けられれば、ちびうさたちが逃げやすくなるはずだと考えたレイの作戦だった。
「桃ちゃん、九助逃げるよ!」
そのレイの意図を察知したから、ちびうさはこのタイミングでふたりに声を掛けた。
「何で逃げるんだよ?」
九助の反応は、予想通りだった。目の前にいるのが宇宙人やモンスターの類ならまだしも、いるのは自分と同じ歳くらいの少年ふたりである。逃げろと言われてもピンと来ないのは、当然である。
「ゴメンネ、ふたりとも」
説明している時間はなかった。ちびうさはルナPを呼び出すと、ふたりに催眠ガスを浴びせた。
「セレセレ! パラパラ!」
ちびうさの指示を受けて、ふたりが動く。白い気体が充満する空間の中から、桃子と九助を助け出すと、ふたりを抱えて大きくジャンプした。
「ふたりを安全なところに!」
「了解ですわん!」
「らじゃあですぅ!!」
セレセレとパラパラのふたりは、九助と桃子を抱えたまま、社務所の裏の方へと消えていった。
「なんだなんだ? 何が起こった?」
予想外の展開に、九椚と十球磨のふたりは、少しばかり慌てた。
「悪いけど、あなたたちの好き勝手をやらせるわけにはいかないわ。神聖な神社を汚す者よ。炎の制裁をお受けなさい」
レイはいつの間にか、セーラーマーズに変身していた。
「え!? セーラー戦士!?」
八尋が目を丸くして、辺りをキョロキョロとした。レイの姿でも捜しているのだろう。マーズがその神秘的な目を八尋に向けると、
「うそ………」
八尋は、レイがセーラーマーズであることに気付いたようだった。
「やっぱりそうか………」
九椚はニタリと笑った。
「セーラー戦士はやっつけろって、ママから言われてるんだよね」
「あなたの言うママって何者? 神崎零貴?」
「こいつ、ママの名前知ってるよ?」
「わ、馬鹿っ」
「あっ………」
十球磨は慌てて口を両手で押さえた。
「あなたたちの後ろにいるのは、やはり神崎零貴だったのね………」
「十球磨ぁ、余計なことを………。しょうがない。知られちゃったんなら、この場で始末しないとママに怒られちゃうから、覚悟してよ、綺麗なお姉さん!」
九椚の周りに風が渦巻いた。
「八尋お兄ちゃん、気を付けて! こいつら、とんでもないやつらなの!」
ちびうさは八尋の後ろに回り込むと、その背中に言った。
「ああ、何となくだが分かるよ。だけど、ちびうさは何で逃げないんだ?」
「だって、あたしは戦士だもん!」
振り向いた八尋に、ちびうさは愛らしくニコッと笑った。