child−12 クラウン
夜が明けると、一美は未だ眠そうな七海を連れて、麻布十番へと向かった。
鉄道とバスを乗り継いで麻布十番商店街の入り口に到着した時は、まだ八時を少し回ったばかりの時刻だった。
商店街入り口のウェンディーズ以外は、まだ殆どの店が開店前だった。
「ゲームセンターがあるよ!」
七海が目敏くゲームセンターを発見した。“クラウン”である。
“クラウン”は朝八時からのオープンだった。ちょうど今、開店したところだ。
「ちょっと覗いて行こうか?」
一美が微笑みながら訊くと、七海は嬉しそうに肯いた。
ターゲットの少年を捜すにしても、この時刻ではまだ家の中にいる時間だろう。少しばかり、時間を調整しなければならない。それにゲームセーターなら、ターゲットの少年が偶然遊びに来ることも考えられる。
自動ドアは、まだ開け放たれた状態のままだった。ふたりは入り口に立って店内を覗き込む。
“クラウン”の店内には、まだ客はひとりもいなかった。大学生くらいの男性が、忙しそうに店内を掃除している姿が見えた。
一美はちょっと躊躇った。子供のふたり連れが朝早くからゲームセンターで遊んでいたら、目立ってしまう。
「七海?」
一美が店内に入ろうかどうしようか迷っているうちに、傍らにいたはずの七海の姿が見えなくなってしまった。小さい七海は、ゲームの筐体の陰に隠れてしまうと、全く見えなくなってしまう。
「七海!」
一美は店内に響き渡る声で、七海を呼んだ。掃除をしていた男性が驚いて目を向けてきたが、かまってはいられなかった。
「七海ぃ………」
七海はすぐに見つかった。一美は安堵のため、深く息を吐いた。よくよく考えてみれば、七海がひとりで勝手に自分から遠ざかるような真似をするわけがなかった。八重を失った影響が、自分にこんな形で現れるとは思っていなかったので、一美は自嘲気味に苦笑した。
七海はクレーンゲームの前にいて、ガラスにペタリと両手を付けて、中を覗き込んでいた。
「あのぬいぐるみが欲しいの?」
歩み寄った一美が尋ねると、七海は遠慮がちに「うん」と答えた。
「ちょっとやってみよっか?」
一美はポケットからボロボロの財布を取り出した。
「いいの? お金大丈夫?」
「零貴さんがお小遣いくれたから、少しなら大丈夫」
心配そうな七海の頭を、軽くポンと一回叩くと、一美はウインクしてみせた。実際のところ、交通費と食事代以外の余分なお金は貰っていないのだが、七海の笑顔が見たい一心で、一美は嘘を付いた。自分が食事を我慢すればいいだけのことなのだ。それに帰りは、公共の交通機関を使わずに、自分が“跳躍”すればいいのだ。
しかし、いざやってみると、けっこう難しかった。簡単に取れそうに見えたのだが、あと少しと言うところでアームに引っ掛かってくれない。
「ごめん七海。もうお金ないや………」
つい熱くなって、七海の分の食事代も使い込んでしまった。七海には、菓子パンで我慢してもらうしかないようだ。
「うん、諦める………」
七海は名残惜しそうに、クレーンゲームから離れた。一美はその小さな背中のあとを、トボトボと追った。
いつの間にか、店内には客が集まっていた。大学生風の男性が四人ほど、それぞれビデオゲームの前に座って、カシャカシャと目まぐるしくレバーを操作している。
「おい、おちびちゃん!」
背後から声が投じられた。一美と七海が同時に振り向くと、七海に向かってぬいぐるみが放り投げられてきた。先程の数回のプレイで取れなかった、七海が欲しがっていた「ルーティーくん人形」だった。
「やるよ、プレゼントだ」
ピンク色の派手な色のうさぎのぬいぐるみを受け取って驚いている七海向かって、背の高い高校生くらいの女の子がそう言った。ポニーテールがよく似合う美人だった。
七海は一美に、貰ってもいいのかと尋ねるように視線を送る。一美が肯くと、満面の笑みを浮かべて、
「ありがとうお姉ちゃん!」
と、お礼を言った。
「すみません、ありがとうございます」
一美も改めて礼を言う。七海のこんなにも喜んでいる姿を見るのは、本当に久しぶりだった。自分まで嬉しくなってしまう。
「いや、アンタがけっこうズラしてくれてたからね。取りやすかった」
ポニーテールのお姉さんは、にっこりと笑った。
「あらら、早いなまこちゃんは………」
先程店内を掃除していた男性が、右手でガシャガシャと鍵の束を鳴らしながら、残念そうに言ってきた。
「ふるちゃんも、いいトコあるじゃん」
まこちゃんと呼ばれたポニーテールのお姉さん―――まことは、鍵の束を持って所在なげにしている元基にそう言った。どうやら元基は、店長の権限で、女の子にぬいぐるみをサービスするつもりでいたようだ。少しばかり、まことの方がタイミングが早かったというわけだ。
「この辺じゃあまり見掛けない顔だね。夏休みだから、遊びに来てるのかな?」
まことは、一美と七海のふたりに尋ねた。まことの目には、ふたりは仲の良い姉妹に映っていた。七海に視線を合わせるために、まことは腰を落とした。
「七海たちね、お友だち捜してるの」
「友だち?」
「うん!」
七海は屈託のない笑みを浮かべたが、まことは首を捻った。
「き、きのう仲良くなった友だちなんです」
慌てて一美がその場を取り繕った。最もらしい嘘を並べる。親戚の家に遊びに来ている姉妹だと勘違いしてくれているのなら、それで押し通そうと考えたのだ。
「ふうん、そっか。見つかるといいな、その友だち」
まことは七海の頭を軽く撫でると、立ち上がった。
「ふるちゃん! うさぎたち来てる?」
店の奥のカウンターの中で、暇そうに欠伸をしている元基に、まことは声を掛けた。
「いや、今日はまだ誰も来てないよ。ルナとアルテミスならいたけど………。例の件かい?」
「うん。まあね」
ふたりとも、周りの目を気にして、多くは会話をしない。
「バイトまではまだ時間があるから、亜美んトコにでも行ってみるか………」
亜美ならば、単独で何かを掴んでいるかもしれないと思った。まことは呟くと、少女たちに視線を落とした。
「あたしはよくこのゲーセンに来てるから、たまに覗いてみな。一緒にゲームをして遊ぼう」
「うん! 七海、このぬいぐるみ大事にするね!」
「七海ちゃんて言うのか。あたしはまこと。友だちはまこちゃんて呼ぶよ」
「まこちゃんお姉ちゃん」
七海はぬいぐるみを抱いて、ニコニコしている。
「一美です。今日はどうもお世話になりました」
一美はちょこんと頭を下げた。
「暇だったら、お昼頃、向こうにある喫茶店においで。お昼ご飯ご馳走してあげるから。詳しい場所は………あそこで暇そうにしてるお兄さんが教えてくれるから」
まことはそう言ってウインクをすると、ゲームセンターを出て行った。
せつなとほたるのふたりは、新宿に来ていた。昨日、唯一仲間たちの誰も向かうことができなかった場所だった。昨日起こった事件の中で、一番の被害が出た場所だった。
「姉さん、これは………」
現場の状態を見て、ほたるは言葉を無くした。報道番組の中で、新宿だけは現場の映像がなかった。被害がひどくて、撮影ができないと伝えられていたが、実際に現場を見るとその理由がはっきりと分かった。撮影できないのではない。撮影はできても、報道ができないのである。
「こんなものを日本中に報道したら、確かにパニックになるわね………」
せつなとほたるは、アルタの屋上に立っていた。新宿駅へのルートは、警察と自衛隊で完全に封鎖されているので、通常の手段で来ることはできなかった。ふたりはセーラー戦士に変身して新宿駅まで飛来し、アルタの屋上に降り立ったから変身を解いたのだ。
ふたりの眼前に広がっているのは、石像の群れだった。ありとあらゆるものが石像と化していた。人も木も、車もビルさえも完全に石化した状態で、無言のまま佇んでいる。
一面が、灰色の世界だった。
報道もテロの可能性を示唆していたし、報道を見た人々も、昨日の事件は世界的なテロリストの仕業だとだと思っている。しかし、この新宿駅周辺の映像が公開されたら、状況は一変してしまう。現在の科学力では、物質を石に変えることはできない。新宿駅一帯のこの状況は、明らかに“人ならざるもの”が関与していると認めざるを得ない。
「石化したあとに、とても強い風が吹いたみたいだわ」
下を見下ろし、ほたるは言った。石化した人々や車が、横転して無惨に破損している。
「元に戻せたとしても、これじゃ………」
腕や首が欠けた状態で石化を解くわけにもいかない。セーラームーンのヒーリング・エスカレーションならば、石化を解くことも可能だろうが、その前に破損した状態を修復させてからでなくてはならない。これだけの人々を修復するのは、体力的に不可能だ。
「司令室に戻って、ルナたちと対策を考えましょう。敵の中に、石化の息を吐く者がいるのだとしたら、こちらも対応を考えないといけないわ」
せつなは、ほたるの肩に手を置きながらそう言った。
一美と七海のふたりは、昼時にはちゃっかりとパーラー“クラウン”にまことを尋ねてきた。
まことのもてなしのナポリタンをペロリと平らげ、今はデザートのスペシャルビックパフェを頬張っていた。
「家出少女じゃないの?」
観葉植物の陰からふたりの様子を様子を見ていた宇奈月が、奥で洗い物をしているまことに囁くように言ってきた。
「う〜ん。様子が変なのは確かなんだけど、家出とはちょっと違うみたいなんだよなぁ………。ほら、荷物とか持ってないし」
「プチ家出ってやつかもよ? お母さんと喧嘩したんで、家を飛び出して来ちゃったとか。で、十番にいる友だちを捜してる」
「泊めて貰うために?」
「そう!」
いつもながら、宇奈月の想像力には感心する。勝手に見事なストーリーを描いてしまって、そうだと断定している。
当たらずとも遠からずだと思うから、まこともあからさまには否定しない。
「どうするの? 今晩泊めてなんて言われたら」
「そんときゃ、ちゃんと理由を訊くよ」
食器洗い機に数枚の皿を並べながら、まことは答えた。
結局、午前中だけでは、ターゲットの少年を見つけ出すことはできなかった。まことと別れたすぐあとにゲームセンターを出た一美と七海は、商店街を中心に少年を捜し回ったが、近くにある二箇所の公園でも、その少年の姿を見掛けることはなかった。
お腹も空いてきたしクタクタにもなったので、ゲームセンターに戻って、元基にパーラー“クラウン”の場所を聞き、まことを尋ねてきたと言うわけだ。
「七海、お腹いっぱい!!」
顔中生クリームだらけにして、七海はごちそうさまを言った。
タイミングを見計らって、まことがジュースを運んできてくれた。正に至れり尽くせりである。
「すみません。今日会ったばかりのお姉さんに、すっかり甘えてしまって………」
七海の顔をハンカチで拭いてやりながら、一美はまことに礼を言った。まことに出会っていなければ、こんな豪勢な昼食にはありつけなかった。
「いいえ、どういたしまして。午後も捜すのかい? 友だち」
「はい。夕方までがんばってみようと思います。見つからなかったら、今日は諦めます」
「そっか、がんばってな。仕事中だからあんまり相手できないけど、ゆっくりしていっていいよ。もう少し早く来れば、あたしの友だちもお客で来てたんだけど、用事が出来て、ちょっと前に帰っちゃったんだ」
まことはそう言うと、再び奥の方へと消えていった。
「まこちゃんお姉ちゃんて、優しいね」
七海はすっかりまことを気に入ってしまったようだ。まことに取って貰ったぬいぐるみを、肌身離さず持っている。
「まこちゃんお姉ちゃんは、殺さないでもいいよね?」
小さな声で、七海は訊いてきた。一美はドキリとしたが、
「うん、そうだね」
と答えると、七海は嬉しそうな笑顔を作った。
一美は窓外に視線を向けて、表情を曇らせる。この街も、いつか破壊しなければならない時が来るのだろう。無差別に攻撃を行う中、まことだけを助けることは至難の業だ。七海にだけは、この街を攻撃させたくないと思った。
「!?」
何かを感じて,ハッとなった。
「お姉ちゃん!」
七海も同じく「それ」を感じたようだ。だれかが、「竜の力」を使ったのだ。しかし、仲間のものではない。知らない“力”だった。
ふたりは席を立った。
「ごちそうさまでした、まことさん」
一美は奥に向かって声を掛ける。
「もう行くのかい?」
「捜してる友だちが外を通り掛かったんで、追い掛けます。ありがとうございました」
「バイバイ、まこちゃんお姉ちゃん!」
ふたりは慌ただしく、パーラー“クラウン”を出て行った。
入れ違いに、浅沼がパーラーに入ってくる。
「どうしたんですか?」
「あ、いや………」
浅沼の怪訝そうな視線に、まことは曖昧に答えるだけだった。