child−11 コピー


 重い空気の中、まるでそれを掻き分けるように、一美は冷たい鉄筋コンクリート製の廊下をひとりで歩いていた。進行方向左側に均等に並んでいる窓からは、星明かりが差し込んでくる。頭上の蛍光灯には灯が入ってないので、それが電灯の代わりだった。
 カツンカツンという硬質の自分の足音が不気味に辺りに響いているが、怖いという感情は沸いてこなかった。そう言えば、もう何年も怖いとか恐ろしいとか言う感情を抱いたことがない。強いて言えば、自分自身がこの世で一番恐ろしい存在だった。
 右手に並ぶ扉を幾つか通り過ぎ、隙間から明かりの漏れている扉の前で足を止めた。中に人の気配を感じた。
 一美は扉をガラリと開けて、部屋の中に入った。
 質素な机が、綺麗に並べられていた。自分の側から数えて三列目の一番前の席に細い花瓶が置かれ、美しい花が生けられている。
 教壇の前のその席は、いつも八重が座っていた席だった。
「何のマネ?」
 窓際に置かれた事務机に腰を下ろし、細長い煙草を燻らせながら、ぼんやりと外を眺めている零貴に、一美は投げ捨てるような言葉で訊いた。
 自分が「教室」に入ってきたことに気付いているはずなのに、こちらに顔を向けようともしない。それも腹立たしかった。
「三継と四吹は?」
 一美の質問を無視して、零貴は逆に問い掛けてきた。
「帰って来ないわ」
 いちいち腹を立てていても仕方がないと思うから、一美はその問いに答えてやる。
「そう。じゃ、花瓶をあとふたつ用意しなきゃね」
 まるで母親が、子供のためにおやつでも用意するかのような気楽な口調で、零貴はサラリとそう言った。依然として顔は外に向けられたままだった。一美が憎しみを込めた表情で自分を睨んでいることなど、少しも気付いていないだろう。いや、分かっていて、敢えて見ないようにしているのかもしれなかった。
「八重は何故暴走したの?」
「竜の力を制御できなかったからじゃないの?」
 驚くほどあっさりとした口調で、零貴は即座に答えてきた。
「そんな簡単な言葉で………」
「他に理由が考えられないもの。そう言うしか、ないじゃない?」
 そこで零貴は、ようやく一美の顔に目を向けた。ふうと、煙草の煙を口から吐き出した。
「生身の人間では、竜の力をコントロールしきれないことがある。あなたには知っているはずでしょう?」
「八重は生身だったって言うの!?」
「あら、言ってなかったかしら? オリジナルの遺伝子を持つのは、あなたと七海のふたりだけなのよ?」
「八重のことは聞いてなかった。知っていたら、ひとりでは行動させなかったわ」
「そうなの? じゃあ、あなたのミスね」
 零貴は僅かに、口元に笑いを浮かべた。しかし、本心から笑っているのではないことは、目を見れば分かる。
「くっ………」
 一美は何も言えなくなり、顔を下に向けた。
「あなたと七海のふたり以外は、遺伝子をコピーしたにすぎない。今まで何人もの弟や妹たちが、力をコントロールしきれなくて自滅した。あなたは、その全てを見てきているでしょう? 確かに、今残っているのは適合性の良い子たちではあるけど、オリジナルのあなたたち程の安定感はないわ。そう言ったはずよ?」
「分かったわよ!!」
 少しヒステリックに、一美は答えた。零貴は今度は本当に口元に笑いを浮かべ、
「次の作戦に向けて、準備を始めなさい」
 素っ気ない口調でそう言った。
「み、みんな動揺しているわ! すぐには無理よ!!」
 これには一美が色をなした。八重の死を目の当たりにした姉弟たちのショックは大きい。八重だけじゃない。戻って来ない三継と四吹も、恐らくは力の暴走で自滅したのかもしれない。(マーキュリーとの戦いで自滅したとは、知らなかった)
 姉弟たちがショックから立ち直るのには、かなりの歳月が必要だろう。
「期間は三日間あるわ。どの日を狙うかは、あなたの判断に任せる」
 だが、零貴はそんな時間すら与えてくれない。
「そんな! 最終日を狙ったとしたって、八日しかないわ!」
「八日もあるじゃない」
 零貴は僅かに首を傾けながら、一美の顔を見た。その目は笑っているようだった。煙草を灰皿に押し付けて、火を消した。一美が答えに詰まっていると、零貴は事務机の引き出しをおもむろに開けた。
「明日、麻布十番に行きなさい」
 引き出しから取り出した写真を、一美に向かってひょいと投げた。宙を漂う写真を、一美は引ったくるようにして掴む。
 写真には男の子が写っていた。自分と同じ歳くらいか、それとも少し上か。健康的に日焼けした肌が印象的な男の子だった。
 この男の子がどうした? 一美は目で問い掛ける。
「あなたと同じ、オリジナルかもしれないわ」
「調べろって言うの!? どうやって調べるのよ!? 目印でも付いてるわけ?」
「七海を連れて行きなさい。七海なら分かるでしょう? あの子には、そういう力がある」
「この子がオリジナルだったとしたら?」
「連れてきなさい。戦力になる。不安定なコピーを増やすよりは、安心でしょ?」
「分かった。でも、できるかどうか分からない」
「やるのよ」
 強制的に、零貴は言った。
「三人を失った穴埋めをしなきゃいけないわ。でないと、残っているコピーの負担が大きくなるわよ? 力を使いすぎて、自滅してもいいの? あたしはかまわないんだけど」
 零貴は口元に薄い笑いを浮かべていた。一美は悔しげに唇を噛むしかない。
「………セーラー戦士が、あたしたちのことを知ったわ」
 声を絞り出すように、一美はやっとのことでそう言った。
「セーラー戦士? あんなコスプレのお馬鹿さんたちに、いったい何ができるって言うの? だからどうしたって言うのよ?」
「普通の人間じゃなかったわ。特別な“力”を持ってる。八重はセーラー戦士と戦って暴走した。報告聞いてないの?」
「竜の力を持つあなたたちと、互角に戦ったって言うの?」
「互角じゃない。明らかに、セーラー戦士の方が能力が上だわ」
「驚いたわね、そんなウルトラマンみたいな存在が実際にいるなんて………。テレビの報道もアテにはならないわね」
 戯けた表情でそう言いながら、零貴は二本目の煙草に火を付けた。一美の言っていることを、まるで信用していない風だった。八重を死なせてしまった言い訳としか考えていないのだろう。
「あの子たちでは、セーラー戦士とまともに戦うことはできないわ」
「なら、あなたが戦えばいいじゃない。あなたの言うとおりなら、セーラー戦士と戦ったら、また誰か暴走するかもしれないわよ? コピーを幾つ無くしてもあたしはかまわないけど、七海だけは困るわ。あの子は貴重なオリジナルのサンプルだもの」
「コピー、コピーってあなた!!」
「コピーを作ったのは、ただ単に頭数が欲しかっただけ。あたしはオリジナルにしか興味はないの。それに、コピーなんていつでも作れるしね。子供なら、その辺に幾らでもいるし」
「なんて人!?」
「あら、怒ったの? あたしを殺す? それはかまわないけど、あたしを殺したら、コピーの子たちがどうなるか分かるわよね? あたしが時々『調整』してあげないと、あの子たちは暴走するわよ? まぁ、どっちにしても、それ程長くは生きられない体だけど」
「くっ………」
 一美は白く色が変わる程、唇を噛んだ。
「ふふふ………。本当に殺してやりたいって顔ね」
「あなたそれでも………!」
「『人か』って? 残念だけど、あたしは人であることを、とうに捨てたわ。あなたを産んだ時にね(・・・・・・・・・・)………」
「………」
「行きなさい。もう話すことはないわ」
 小さく息を吐いた後、零貴は言った。
 一美は無言のまま、クルリと背を向ける。一美がドアの前に差し掛かった時、零貴は煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、顔を上げた。
一美(かずみ)………」
 消え入りそうな声で、一美の背中に声を掛けた。一美に向かって「かずみ」と声を掛けたのだ。いや、声を掛けたと言うより、投げたと言う感じだった。
 ドアに手を掛けたまま、一美は金縛りにでもあったかのように動きを止めた。
「………随分と懐かしい呼び方ね。今のあたしは『ひとみ』でしょ? あなたが見付けた最初の竜の遺伝子を持つ子供。ナンバー・ワン」
 一美は振り向かなかった。零貴がどんな顔をして自分を見ているのか、知りたくなかったからだ。今更、母親(・・)としての顔など見たくはない。
「もう二度と、その名前で呼ばないで!」
 吐き捨てるようにそう言うと、荒々しくドアを開けて部屋を後にした。
 零貴は額に右手を当てて大きく頭を振ると、窓外に目を向けた。星が美しく瞬いている。
 零貴は三本目の煙草に火を付けた。

 階段は闇に包まれていた。四方が壁に囲まれているので、星明かりが差し込んでくることがないからだ。電灯は当然の如くその本来の仕事を休み、沈黙を守っている。
 一寸先は「闇」だった。
 見下ろすと、どこまでも闇が続いている。暗黒の落とし穴が、口を開けて自分を待ってるようでもあった。
 普通の人間なら降りることを戸惑う闇の階段も、一美は臆することなく降りてゆく。足下を確かめることもなく、まるでそこに階段があることが見えているかのように、平然と歩を進める。
 二階層分を降りると、二葉と五十鈴のふたりが待ち構えていた。
「みんなは?」
 虚ろな目を、一美はふたりに向けた。
「七海は泣き疲れて眠っちゃったわ。六月が側に付いてる。あとのふたりは、どっかに遊びに行ったみたい」
 二葉が答えてきた。彼女の言うあとのふたりとは、たぶん九椚と十球磨のふたりのことだろう。このふたりの男の子は、手に負えないくらいやんちゃだ。ガキ大将肌の九椚が、十球磨や三継、四吹を従えて、良く近くに「探検」と称して遊びに行っていた。きっと今晩も、ふたりで裏山にでも遊びに行っているのだろう。
「三継と四吹が戻ってこないと言うのに、呑気なものね………」
「あいつらは楽しきゃ何でもいいのさ」
 五十鈴がお手上げのポーズを取った。
「五十鈴の体の具合は?」
「今は落ち着いている。心配してくれるんだ?」
「一応ね、友だちだから」
「ありがと」
 皮肉った笑いを、五十鈴は浮かべる。
「『友だち』か………。『姉妹』と言わないと、ママに怒られるよ?」
「ふっ………」
一美は下を向いて、小さく笑った。一美と五十鈴、二葉、そして九椚は同じ歳だった。姉妹と思う方が無理がある。五十鈴もそれは分かっていた。
「次の作戦は決まったのかい? あれを狙うんだろ?」
 五十鈴は「作戦」と言ってきた。今日のことも「ゲーム」だとは言われていたが、弟や妹たちのように本当に「ゲーム」だと思っていたわけではない。零貴は本当に「ご褒美」を出すつもりだったのかもしれないが、八重が死に、三継と四吹のふたりが戻ってこない状況では、「ゲーム」の「ご褒美」を出すわけにはいかないのだろう。もちろん、貰っても誰も喜ばない。
「できるの?」
 一美は眉根を寄せた。全員が動揺している。そんな精神状態で、果たして「作戦」が成功するのだろうか。
「あたしも二葉も問題ない。六月と七海は難しいかもしれないけどね。九椚も十球磨も大丈夫だろう。やつらは馬鹿だから」
 五十鈴の言い方に、横にいた二葉が思わず噴き出した。
「ホント、あのふたりは無神経だから………」
「それに、やらないとマズイんでしょ?」
「まあ………ね」
 一美は階段を下りきった。
「最悪はあたしひとりでやろうと思ってたけど、ふたりができるのなら心強いわ」
「心にもないことを言う………」
 五十鈴が苦笑した。一美は「竜の力」を持つ子供たちの中で、飛び抜けて能力が高い。恐らく、姉弟全ての能力を団結して、ようやく一美のレベルに達することができる程の力の開きがある。今日の「作戦」だとて、一美がその気になれば、五箇所同時に攻撃することができたはずだ。自分の向かった渋谷でも七海に「仕事」をさせたのは、何かトラブルがあった時に瞬時に動くためだったのだろうと思う。そうしたにも拘わらず、八重を目の前で失った一美の悲しみは、自分たち以上だと思える。
「セーラー戦士をどうするの? あの人たち、ただのコスプレイヤーさんじゃなかったんでしょ?」
 二葉は直接セーラー戦士とは対峙していない。東京タワーで美奈子とは会ったが、その時美奈子は変身をしなかった。
「セーラー戦士が出てきたら、あたしが戦うわ」
「何人もいるんでしょ?」
「心配ない」
 一美は短く答えただけだった。
「無理をすれば、一美も八重のようになるのよ?」
「大丈夫よ、五十鈴。あたしは八重のようにはならない」
 自分は八重のようなコピーではない。自分の能力の暴走に、歯止めが利かなくなるようなことはない。
「そうだったな、一美はあたしたちとは違うもんな」
「五十鈴。もしかして知ってるの?」
「まぁね………」
 一美と五十鈴の意味深な会話に二葉が僅かに首を捻ったが、その会話の意味するところまでは二葉は知らなかった。
「何の話?」
 のけ者にされたような気になったのか、二葉が不服そうな顔で訊いてきた。
「一美があたしたちのリーダーだって話?」
「ああ、なんだそんなこと?」
 五十鈴が上手くその場を誤魔化した。自分たちが「竜の遺伝子持つ者」ではなく、「竜の遺伝子を植え付けられた者」だと知ったら、零貴を殺してしまうかもしれない。自分たちは、零貴によって選ばれた子供たちだと思っているからだ。確かに別の意味では「選ばれた」と言うことにはなるが。
「明日、やらなきゃいけないことができた。七海を連れて出掛ける」
「どこへ行くの?」
「東京の麻布十番。仲間らしい子が見つかったんだって。見に行ってくるわ」
「ママの指示?」
「うん。零貴さんからの命令」
「そう………」
 二葉のその表情から、新しい仲間についてはあまり歓迎していない様子が読み取れた。
「ごめん、もう寝るわ」
 まだ何か言いたげな二葉にそう言い残すと、ふたりの間をすり抜けるようにして、廊下の闇の中に消えていった。