child−0 零貴
「竜の遺伝子………ですか?」
幼い少女の耳に飛び込んできたのは、訝しむ母親の声だった。
「ああ、そう言う特異な遺伝子を持った人間がいるんだ」
半信半疑の母親に対し、話題を切り出した父親は大真面目だった。
「そんなもの調べて、どうするんです?」
半ば呆れたような母親の声。
″正気とは思えないわ″
母親の声によく似た別の「声」が、少女の脳裏を掠めた。
「発掘調査から戻ってから、狂ったように何かを調べていると思ったら、そんなことだったんですか」
母親は、呆れたように嘆息した。
「そんなことだと!? 重大な発見なんだぞ」
「それで、どうするおつもりなんですか?」
「学会で発表する」
さも当然、と言った風に、父親は母親に答えた。
「やめてください。いい笑い者になるだけですよ」
「笑い者になど、なるものか!」
父親は声を荒げた。
少女は思わず、首を窄めた。大嫌いな声だったからである。怒った時の父親の声は、少女は大嫌いだった。普段は優しいのに、怒ったときだけ人が変わったようになる。だから、大嫌いだった。
少女は、自分が怒られたような気がしたので、首を窄めたのだ。
少女は自分のベッドの中で、両親の会話を聞いていた。実際には聞こえるはずのない会話を。何故なら、少女の寝室は二階の奥まったところにあり、両親は一階の玄関に程近い居間で話をしているからだ。
時間はよく分からなかった。両親がまだ床に入っていないことから考えると、それ程遅い時間ではないようだ。
「これは、素晴らしい発見なんだ!」
興奮気味の父親の声が、また耳に飛び込んできた。
「そんな発見が何になるって言うんです? そもそも、竜の遺伝子って何なんですか?」
「太古に滅びた竜の遺伝子だ」
「そんな非現実的な話、誰が信じるって言うんです?」
「わたしの研究を発表すれば、誰もが信じるしかなくなる」
「あなた、どうかしてますよ………」
母親の声は、完全に呆れてしまっていた。
「お前も手伝え。そうすれば、何れ分かる。俺の言っていることが正しいと分かる」
父親は尚も追いすがるように言う。しかし、母親は深い溜め息を付くばかりである。
「百歩譲って、そんな遺伝子を持った人たちがいたとしましょう。でも、そんな遺伝子を持った人たちが、現代で何の役に立つと思っていらっしゃるのですか?」
「分からないのか?」
「分かりませんよ」
「彼らは超人類なんだ。人智を超えた、素晴らしい人間なんだ。いや、『人間』ではないな。竜の遺伝子を持っているから、『竜人』と呼ぶべきか」
「あなた………」
母親はここで、また深い溜め息を付いた。
「その能力をどう使うおつもりですか? そんな能力を持った人間が、普通の暮らしができるとは思えないわ」
呆れ返ってはいるものの、母親は父親の話に付き合った。しかし、口調は諭すような感じになっていた。
″反発しては駄目。話を受け入れて、そして宥めなければ………″
母親の声によく似た声が、脳裏で流れた。
「そうだ。彼らには彼らに相応しい世界が必要だ。何の能力も持たない人間など、彼らにとっては家畜以下だ」
その夜は延々とふたりの会話が続いた。いつまで続いていたのかは分からない。いつの間にか、寝てしまったからだ。
数日後、少女は母親に連れられて家を出た。母親は、海外旅行にでも行くような大きなスーツケースを手にしていた。
「お母さん、お父さんは?」
ふたりだけで旅行に行くのはおかしい。いつもは、必ず三人で出掛けていた。だから不思議に思って、少女は母親に尋ねた。
「お父さんはお仕事が忙しいの。しばらくは、お母さんと一緒に、お爺ちゃんとお婆ちゃんの家で暮らしましょうね」
「ホント? 零貴ね、お爺ちゃんとお婆ちゃん、だーい好き!」
少女は無邪気に喜んだ。
家を離れて、数日が過ぎた。少女は母親の実家で、平穏な生活を送っていた。
家を離れて七日目の夜、突然父親が迎えに現れた。優しげに微笑む父親は、少女の一番好きな顔をしていた。
少女は今度は、父親に手を引かれて家に戻ってきた。
「お母さんは?」
家に戻る車の中で、少女は父親に尋ねた。車の中には、当然いるはずの母親の姿がなかったからだ。
父親が突然訪問してきてから、母親と祖父母の姿を見掛けていなかった。
「お母さんは、あとから来るよ」
父親はそう言うと、冷たい笑みを浮かべた。その顔は、自分のよく知っている優しい父親の顔ではなかった。何か別の生き物のような感じがした。
少女はこの時、自分の父親を恐ろしいと感じていた。