第四章
「この力………。これは本当にあなたの力なの!?」
うさぎは叫ぶように訊いた。凄まじい妖気に、全身が粟立っている。醜悪なオリエンの“妖気”に、身が押し潰されそうだった。
「ボクは、あなたを手に入れるために、この力を得た」
オリエンの背後に、一瞬だけ不気味な影が揺らめいた。邪悪な影だった。思わず身が震えてしまうほどに。
(今のは、なに………!?)
ほんの一瞬現れただけだったので、その正体を見極めることができなかった。
「消えろ! 愚民ども!!」
オリエンは右手を天に高々と突き上げた。頭上で轟音が鳴り響いた。暗黒のいかずちが、天から一直線に地面を目指す。十番街にあるビルを直撃した。十階建てのビルは上半分が木っ端微塵に吹き飛んでしまった。
「次は本気で攻撃する」
オリエンは冷たく言い放った。今の攻撃は、手を抜いたと暗に告げているのだ。
「あなたは今、何をしたか分かっているの!? 今のあなたの攻撃で、何人の人が死んだと思っているの!?」
「何人の命が失われようと、ボクの知ったことじゃない。地球の民は根絶やしにするんと言ったのを、聞いていなかったのかい?」
「こんなことをさせるために、クイーンはあなたを転生させたんじゃないわ!!」
うさぎの言葉に、オリエンはかぶりを振った。
「じゃあ、クイーン・セレニティは、ボクに何をさせたかったと言うんだ!? 転生してもなお、絶望を味あわせる為に、ボクを転生させたとでも言うのか!? ボクは道化なのか!?」
オリエンは怒りと悲しみが綯い交ぜになった視線を、うさぎに向けた。
「うさぎ様!!」
上空からふたつの影が、うさぎの左右に降り立った。人間の姿に戻った、フォボスとディモスだった。
「あなたたち、どうして………!?」
「我がプリンセスの命により、馳せ参じました」
うさぎの問いに、ふたりは同時に答えた。フォボスとディモスは、視線をオリエンに向けていた。臨戦態勢で身構えている。
「我がプリンセスは、他の守護神の方々とともに、商店街で妖魔の大群と戦っております」
フォボスはチラリとうさぎに目を向けた。
「そうか、四守護神も転生していたのか………。ボクも転生しているのだから、当たり前だな………」
オリエンはひとりごちた。
うさぎを守るように、フォボスとディモスはすり足で一歩ずつ前へ出た。
「邪魔だ! ボクはセレニティと話をしている!!」
オリエンは右手を翳すと、凄まじい突風が発生する。フォボスとディモスは、その突風に煽られて、うさぎの背後まで押しやられてしまう。
「うさぎ様には手を出させない!!」
ふたりはふわりと身を躍らせた。だが、それが命取りになった。空中では踏ん張りが利かないのだ。再び起こった突風にふたりは吹き飛ばされ、一の橋公園の上を走る高速道路の支柱に、激しく背中を打ち付けた。
「ぐっ!!」
「あうっ!」
息が止まるほどの激痛に、ふたりはその場に蹲った。起き上がることができない。
「うさぎぃ!! あ、フォボス、ディモス!」
一の橋公園のトンネルを潜って、ちびムーン、サターン、パラスの三人が現れた。うさぎのところに行くにも、フォボスとディモスのところに行くにも距離がある。三人はトンネルを出たところで立ち往生してしまった。
「なんだ!? 四守護神ではないが………」
「アンタが妖魔を操ってるのね!?」
ちびムーンは威勢良くオリエンを指差した。そのちびムーンを見て、オリエンの表情が曇った。
(なんだ、あいつは………? セレニティに似ているが………)
「罪もない人たちを苦しめるなんて許せない! 愛と正義のセーラー服美少女戦士セーラーレディムーン! 未来の月に代わって、お・し・お・き・よ!!」
「お前は何者だ!? 何故、セレニティに似ている!?」
オリエンは困惑していた。彼女はセレニティによく似ている。とても、他人とは思えなかった。しかし、セレニティの一族なら、自分が知らないはずがないのだ。
「似てちゃ悪いわけ!? あ、あたしもあんまり嬉しくないんだけど………」
ちびムーンがオリエンに食ってかかった。「あたしもあんまり〜」からのところは、ボソボソと呟いたので、聞こえたのはサターンだけだったようだ。
「ちびムーン。今はそんなことを言い争っている場合じゃないわよ」
話が脱線しそうだったので、サターンが慌てて窘めた。
「そ、そうだった………」
サターンにそう言われれば、いつまでもくだらないことで口論をしているちびムーンではない。
「とっとと。あたしにやられちゃいなさい! ピンク・シュガー・エターナル………」
「むん!!」
オリエンの行動は素早かった。ちびムーンが技を放つより先に、先手を打っていた。
「な、なに!?」
「結界!?」
光のドームのようなもので、突如として周囲を囲まれてしまった。
「こんなものぉ! 壊れちゃえ!!」
パラスが技を放った。無数の鋭い氷柱( が光の壁に叩き込まれる。だが、)
「ええぇ!? うそぉ!? 壊れないのぉ? パラパラ困っちゃうぅ!」
けっこう自信を持って放った技だったらしく、パラスはショックで肩を落とした。
サターンがサイレンス・グレイブでの攻撃を試みるが、光の壁はビクともしなかった。
「くっ! 不覚!」
サターンは毒突いたが、後の祭りである。強力な技を使えば結界は破壊できなくもないが、それでは中にいるちびムーンとパラスも無事ではすまない。
「こらぁ!! ここから出しなさい!!」
ちびムーンは結界の中で地団駄を踏んだ。
「セレニティに似た方を傷付ける気はない。その中で大人しくしていてもらおう」
オリエンは言い放つと、視線をうさぎに向けた。
「セレニティ。彼女は何者だ………?」
「あたしの………娘よ!」
「何だと!?」
オリエンは目を見開いた。ちびムーンをチラリと見やる。
うさぎとしては、時間稼ぎのつもりだった。もう少し持ちこたえていれば、仲間たちが状況を打開してくれると信じていたからだ。それに、嘘は付いていない。
「ば、馬鹿な………。本当にそうなのか!?」
オリエンはちびムーンを見つめている。
「そ、そう言うことになってるんだけど一応………」
「くっ………。信じられん」
オリエンは大きくかぶりを振った。
「何よ。結局うさぎにフラれた腹癒せでこんなことしてるわけ!? 根性曲がってんじゃないの? だから、モテないのよ」
「ちびムーン( ! そんな、火に油を注ぐようなことを言っちゃ………」)
慌ててサターンが止めに入ったが、今となっては後の祭りである。オリエンは顔を真っ赤にして、目を血走らせて怒りを露わにしている。
「ボクのセレニティを………。貴様が汚したのか、エンディミオン!!」
そのオリエンの視線の先には、ふみなに体を支えられるようにして立っている衛がいた。
「原崎、もういい。危険だから、下がっていてくれ」
衛はふみなの手を振り解いた。だが、ふみなは再び衛の腕を掴む。
「どういうこと!? あの少年はいったい何なの………!?」
「やつは………」
衛は返答に困った。本当のことが話せるわけもない。やはり、ひとりで来るべきだったと後悔したが、今となってはどうしようもなかった。
自分の能力( も使ったので、傷の回復は早かった。常人の十倍のスピードで回復しているはずだ。)
ベッドで気が付いた衛は、看病で疲れて眠っていたふみなを起こさないように、こっそりと病室を抜け出した。だが、傷はまだ完全に直っていなかった。加えて能力を使って傷を快復させたために、体力を著しく消耗していた。思うように歩けないところを、衛がいなくなったとこに気付いて捜しに来たふみなに見つかってしまったのだ。
「まもちゃん、来ちゃダメ! ふみなさん、まもちゃんを連れて逃げて!!」
うさぎは叫んだが、衛は動かなかった。真っ直ぐに睨むようにオリエンを見つめる。
「貴様は満足か………?」
ゆっくりとした口調で、オリエンが訊いてきた。衛は無言のままだ。
「生まれ変わってまで、セレニティと出逢えて嬉しいか?」
答えない衛を無視して、オリエンは言葉を続ける。
「もし、前世の記憶を取り戻さなかったとしても、貴様はセレニティを愛していたと思うか? 運命に左右されず、今の彼女を愛せたか?」
「………」
「どうなんだ、エンディミオン。答えろ! 貴様には答える義務がある」
「………分からない」
衛は首を横に振った。唇を咬んで、視線を地面に落とした。
「何言ってるの、まもちゃん!!」
結界の中のちびムーンが叫んだ。
「分からないなんて言わないでよ! うさぎはどうすればいいの!? それじゃ、うさぎが可愛そうじゃない!」
衛はちびムーンに目を向ける。視線が合った。
「じゃあ、あたしに何!? あたしは何のために生まれてきたの!?」
ちびムーンは涙ながら訴えかけた。衛はうさぎを愛してはいなかったのか? 前世からの宿命に縛られて、ふたりは結ばれたのか? それならば、自分の存在とはいったい何なのだ?
ちびムーンは嗚咽するしかなかった。自分の存在を否定された気がして、無性に悲しかったのだ。
「まもちゃん………」
うさぎも茫然としていた。衛は自分を愛してくれていたのではなかったのか? ただ、運命に縛られて、自分を愛しているように錯覚していただけなのか? 過去の出来事などは関係なく、衛は自分を愛してくれていたのではなかったのか?
「うさ、俺は………」
衛はうさぎに視線を向けた。うさぎは自分を見つめたまま、ボロボロと大粒の涙を流していた。
「衛クン………」
ふみなとしては、どうすることもできない。状況が理解できないのだ。
(この人たちは、いったい何を話しているの!?)
思考はパニック寸前だった。
「やはり、貴様にセレニティを渡すわけにはいかない。情けを掛けて生かしておいたが、それは間違いだったようだな………」
この時、オリエンは何故か悲しげな表情をしてみせた。
「死ね! エンディミオン!!」
突風が衛を襲った。自分が攻撃されると悟った衛は、既にふみなを突き放していた。
突風は衛ひとりを飲み込んだ。錐もみ状態で吹き飛ばされ、受け身も取れずに地面に激突した。鈍い音がした。衝撃で、塞がっていた傷口が開いて激しく出血した。
「まもちゃん!!」
うさぎとちびムーンが同時に叫んだ。助けに行きたくとも、ちびムーンは結界から出ることもできない。うさぎは変身するのも忘れて、ただ茫然と立ち尽くしていた。
フォボスとディモスもダメージから回復しきれていない。しかも、いつの間にか周囲に結界が張られている。これでは、例え回復しても、どうすることもできない。
「くっ………」
衛は腕で状態を支えて起き上がった。顔を起こそうとした瞬間、再び衝撃が衛を襲った。
衛はまるで、紙屑のように吹き飛ばされる。
(マズイ、代謝機能も低下している。傷の快復にパワーを使いすぎている為に、変身もできない………!)
衛は心の中で呻いた。為す術がない。
ふみなは衛に突き飛ばされた時に足を捻挫したらしく、なかなか立ち上がることができない。それにも増して、目の前で展開されている光景が未だに理解できず、加えて自らの生命の危険を感じて足が竦んでしまっている。
三度、凄まじい衝撃に衛の身は宙を舞った。今度は左肩から地面に激突する。しかし、衛は今度も立ち上がった。ふらつく足で地面を踏ん張るが、既に意識が朦朧としていた。ガクリと右膝を地面に突いた。同時に血反吐を吐いた。左胸の開いた傷口からは、血が溢れるように流れ出ている。左手を当て、ハンド・ヒーリングを試みるが、殆ど快復はしなかった。
もう一度攻撃を受けたら、耐えられるだけの体力は残っていない。
(俺は、殺されるのか)
虚ろな瞳で、前方を見やる。偶然にも、視線の先にはうさぎがいた。
「う、うさ………。すまない………」
その消え入りそうな声は、うさぎには届かないだろう。
うさぎが自分に向かって、何かを語りかけた。しかし、もう衛の耳はその声を捉えることができなかった。
「今、楽にしてやるよ。エンディミオン」
オリエンは笑った。トドメの一撃を放つため、右手を前方に突き出した。その時── 。
「待って!!」
うさぎが叫んだ。目に一杯の涙を貯めて。
「お願い、もうやめて! これ以上やったら、まもちゃんが死んじゃうよ!!」
うさぎはオリエンに訴えかけた。オリエンは右手を降ろし、うさぎに顔を向けた。
「駄目だ。この男がいるかぎり、あなたはボクを見てはくれない」
オリエンは首を左右に振った。
「オリエンお願い。もう、まもちゃんを傷付けるのはやめて………」
「この男は、あなたを本当に愛しているか分からないと言ったのだぞ。それでも、あなたはこの男を庇うのか!?」
「あたしはまもちゃんが好きなの………。彼が何と言おうと、あたしはまもちゃんが大好きなの!!」
「セレニティ………。あなたは、まだ………」
「あたしが欲しいのなら………。あたしが欲しいのなら、あげるから………。あたし、あなたのところに行くから………。あたしを好きにしていいから………。だから………、だから、お願い。お願いだから………、まもちゃんを殺さないで………!!」
うさぎはその場に崩れ落ちて嗚咽した。オリエンは、そのうさぎの横に瞬間移動してきた。愛おしそうに、うさぎに視線を落とした。
「うさぎぃ! しっかりしてよ!! そんなやつのいいなりになっちゃダメだよ! 戦ってよ! 戦ってそいつを倒してよ!!」
ちびムーンが必死の声も、うさぎの耳には届かなかった。
うさぎは泣き崩れている。
「エンディミオン………」
オリエンは憎々しげに衛を見た。衛は虫の息だ。あと一撃で、本当に息の根を止めることができるだろう。オリエンは右手を前方に突き出す。トドメを刺すために。
だが、それはできなかった。いや、トドメを刺さなかった。右手を降ろすと、そのままオリエンはうさぎの右肩にそっと添えた。
「ボクと行こう。セレニティ」
その手に誘われるように、うさぎは立ち上がった。一瞬だけ衛に目を向けた。
「さ・よ・な・ら・ま・も・ちゃ・ん」
うさぎの口がそう動いたように見えた。
オリエンは、そのうさぎの肩をそっと抱き寄せる。何故か、ちびムーンに顔を向け悲しげな笑みを浮かべると、うさぎとともにその身を霧のように消滅させていった。
オリエンが去ったことで、結界が消滅した。ちびムーンとサターンが、衛に駆け寄る。パラスは、フォボスとディモスのところへ向かった。
暗雲が晴れた。煌めく星空が美しい。妖気も消滅していた。
サターンがその治癒能力で、衛の治療を始めた。
「うさ………」
衛は前方を見つめたままだった。うさぎが立っていた、その場所から顔を背けることができなかった。だが、そこにはもう彼女の姿はない。
うさぎの最後のメッセージを、衛は目で捉えていた。今まで見た中で、最も悲しげな瞳で、彼女は自分を見つめていた。彼女の表情が、目に焼き付いて離れない。
「うさ、俺は………」
衛は、そのまま気を失ってしまった。