第三章


 小一時間ほどで、衛のアパートに行っていたメンバーが戻ってきた。衛の身の回りのものを詰め込んできたと思われるスポーツバッグを、まことが抱えている。
 病室へと入ってくるなり、ほたるが不思議そうな顔をした。
「ちびうさちゃん。うさぎさんは?」
「え!? うさぎ? 知らないよ。一緒じゃなかったの?」
 ちびうさが合点がいかない表情で、大きな瞳をほたるに向けた。
「忘れ物をしたって言って、うさぎだけアパートに引き返したんだ」
 まことがちびうさに対し、補足説明をする。
「あたしたちは、まもちゃんが使うタオルとか歯ブラシとかを買いに、スーパーに寄ってから来たんだけど………」
「そんなに、のんびり買い物してたつもりはないわよねぇ」
 美奈子は亜美に同意を求めた。時間にルーズな美奈子に対し、亜美は時間に正確な女の子だった。途中、寄り道をしたがった美奈子を窘めたのも、亜美だった。美奈子としては、まだ二日酔いの頭痛が残っていたので休憩したかったのだが、そうは問屋が卸さない。亜美はそう言うところは厳しいのだ。美奈子の場合は、自業自得だから尚更だった。
「おかしいわねぇ。忘れ物を取りに引き返しただけだったら、うさぎちゃんの方が早く戻ってもいいはずなんだけど………」
 時間配分を間違えたのかと思い、亜美は表情を曇らせる。
「まさか、あのコ!」
 突然、レイが緊迫したような声を上げた。
「彼女が言っていた、知り合いって人をひとりで捜しに行ったんじゃ!?」
「まさか!」
「いや、そういうコだよ、うさぎは………」
 亜美が否定的に言ったが、まことは亜美の考えを肯定しなかった。まことは言ってから、悔しげに唇を咬んだ。
「もし本当に、お姉さんが言っていた人が、まもちゃんをこんな目に遭わせた犯人だったとしたら………」
 ちびうさの顔から血の気が失せた。
「うさぎさんが、危険だわ!」
 ふみなも血相を変えた。相手は犯人である可能性が高いのだ。幸い衛は生きているので殺人にはなっていないが、結果的にそうなったにすぎない。心臓を狙って突き刺しているのだから、殺意があったことは明白である。そんな相手にひとりで会うのは、自殺行為だ。
「もし、彼が本当に衛クンを刺した犯人だったとしたら、彼女何をされるか………!!」
 自分が言ったことが引き金になっているのだから、ふみなが慌てるのも無理はない。
「手分けして捜そう!」
 まことの号令で、皆はバタバタと慌ただしく病室を飛び出していく。
「あ、あたしも………!」
「お姉さんは、ここにいて!」
 まことたちの後を追おうとしたふみなを、ちびうさが制した。いざとなれば、自分たちは変身して回避すればいいのだが、ふみなはそれができない。ともに行動させるには危険すぎる。
「まもちゃんのコト、お願いね!」
 そう言い残すと、ちびうさもまことたちの後を追った。


「待っていたよ、セレニティ………」
 一の橋公園にやってきたうさぎを、あの少年が出迎えた。先程会ったときのような、悲しげな表情はそこにはなかった。楽しそうに、口元に笑みを浮かべてさえいた。
「ここに来れば、会えると思った」
 反対にうさぎの表情は硬かった。射るような視線で、少年を見つめていた。
「あなたが、彼をあんな目に遭わせたの!?」
 うさぎは少年を睨み据えた。
「………そうだ」
 一呼吸の間を置いてから、少年は答えた。もう口元に笑みは浮かべていなかった。
 うさぎと少年は、僅かの時間睨み合う。沈黙を破ったのは、少年の方だった。
「手加減をした。だから、死んではいないはずだ」
「死ななかったからいいと言う問題ではないわ! 何故あんなことをしたの!? あなたは、いったい誰なの!?」
「………まだ、思い出せないのか」
 少年は瞳を曇らせた。
「セレニティ、ボクだよ。キミのフィアンセだった、オリエンだ………」
「オリエン………? フィアンセですって………!?」
 その名を耳にしたとき、うさぎの記憶がフィードバックした。セレニティの記憶と直結する。前世の記憶が、一気に甦る。
 シルバー・ミレニアムのプリンセスとして誕生したセレニティには、王国を存続させるという逃れることのできない義務があった。王国を存続させること、すなわち自らの子孫を残すことだ。
 シルバー・ミレニアムでは、王国の存続権を巡って身内で争いごとが起きないように、子供はひとりと定められていた。それも、王女でなくてはならないのだ。王女でなくては、受け継ぐ銀水晶が発動しないのだ。だから、セレニティにはもちろん、姉妹などいない。自分を守護し導いてくれる四守護神が、ある意味姉妹であると言えた。
 それ故に、プリンセスとしての役割は重大だった。子供を作らなければ、王国が滅びてしまうからだ。プリンセスとして誕生した瞬間から、将来の伴侶となる人物がほぼ決定されていると言っても過言ではない。プリンセスの伴侶となることは即ち、ミレニアムの王となると言うことなのだ。それ相応の、ミレニアムの王として相応しい人物でなければならないのだ。
 オリエンはそうして決められた、セレニティの夫となる人物だった。幼い頃は、自分もオリエンを夫として迎えることに、何ら疑問を感じていなかった。母がそうであったように、自分も与えられた男性と結ばれる。それが当たり前だと思っていたのだ。
 しかし、思春期を迎えたとき、セレニティの気持ちの中に変化が見られた。与えられた自分の未来に、疑問を感じ始めたのだ。周囲の同年代の女の子のように、自分ももっと自由に恋をしたいと考えたのだ。
 そしてセレニティは、地球国の王子エンディミエンに出逢った。
「オリエン………。思い出したわ。でも、何故………」
「ボクが転生しているのが不思議なのか? だけど、そんなに不思議がることじゃない。全てはクイーン・セレニティの御意志だ。ボクはクイーンの御力によってこの時代に転生してきたんだ。今度こそ、キミと結ばれるために………」
「そんな………」
「勝手だといいたげだが、初めに勝手な行動を取ったのはあなただ! 決して結ばれてはいけない、地球の民に心を奪われた。その結果、シルバー・ミレニアムの崩壊を生んだ!」
「違うわ! あれは、メタリアが!!」
「あなたは何も分かっていない!!」
 オリエンは声を荒げた。うさぎは思わず、体を強張らせた。邪悪な風が、一帯を包み込むように吹き始めた。
「あなたがエンディミオンと通ずるようになったために、地球の民は我々の存在を知ってしまった。本来なら、月の民の存在は、地球の民に知られてはならなかったのだ。地球の民に比べると、月の民の寿命は遥かに長い。愚民は長寿に憧れる。地球の民は、次第に月の民の長寿を妬むようになったのだ。その心の透き間をメタリアに利用されたにすぎない。きっかけを作ってしまったのは、あなただ!」
 うさぎは、いや、うさぎの中のセレニティは何も答えられなくなってしまった。あの時の自分は、エンディミオンに夢中で、回りのことが見えていなかった。しかし、自分が取った行動が、シルバー・ミレニアムの崩壊の引き金になったのだとしたら………。
「だが、もういい。それは過ぎてしまったことだ。今となっては、どうすることもできない」
 オリエンは哀れみとも取れる視線を、うさぎに向けた。うさぎはオリエンをまともに見ることさえできなかった。
「しかし、月の民だけが滅んで、地球の民が反映しているのは許せない!!」
 オリエンは右手を天に翳した。たちまち、どす黒い雲が立て込めてくる。陽気をはらんだ風が、どこからともなく吹き付けてきた。
「地球の民は根絶やしにする! 愚かな地球の民によって滅ぼされた、シルバー・ミレニアムの全ての民に代わって、このボクが粛正する!!」
 オリエンの瞳が、怪しく光った。同時に地面から無数の妖魔が湧き出してくる。
「さあ、ボクの妖魔たちよ! 地球の民を喰らい尽くせ!!」
 狂気の瞳を携えたオリエンが号令を下した。
 地面から湧き出した妖魔たちが、奇声を発しながら、十番商店街に向かって一斉に押し寄せていった。


「な、なんだこれは!?」
 緊急信号を発し、突如映し出されたモニターの画面を見たアルテミスが、色をなした。無数の妖魔の大群が、画面いっぱいに映し出されていたからだ。
「どこからこんなに妖魔が出てきたんだ!?」
 困惑しながらも、データ収集のためにアルテミスはキーボードを叩いた。
「低級の妖魔ね。知能が低いから、どこかでコントロールをしているやつがいるはずよ!!」
 素早くデータを解析したルナが、アルテミスに報告をした。
「みんなに、連絡を取ります!」
 ダイアナが通信機のスイッチを入れた。


 どす黒い雲が、十番街一帯の上空を覆っていた。陽の光を完全に遮断し、さながら夜のような闇が訪れる。
「何!? これは………」
 美奈子は足を止め、上空を見上げた。闇よりも暗い雲が、そこにはあった。
 人々の恐怖の声が、あちらこちらから聞こえてくる。
「物凄い妖気だわ………!!」
 “気”を集中し、周囲を探っていたレイが、頬を強張らせた。
 彼女たちはうさぎを捜し、パティオ十番辺りに来ていた。ここから三方向に分かれて捜索に当たろうとした時に、異変が起こったのだ。
「………! 足下!!」
 レイの一言で、全員が足下に注目した。地面から何かが蠢きながら這い出してくる。妖魔である。
「ちびうさ!!」
 足が竦んで動けなくなっていたちびうさを、まことが抱え上げた。
 いち早く妖魔を察知していたレイは、素早くその場を飛び退いて妖魔の攻撃を躱したが、亜美と美奈子は妖魔に両手両足の自由を奪われてしまった。亜美はポケコンを操作していたが為に、美奈子はちびうさを気遣ったが為に、それぞれ反応が遅れたのだ。
 妖魔は小型である。体長は五十センチほどしかない。しかし、四肢にへばり付かれては、亜美も美奈子も体の自由が利かない。
「美奈! 亜美!」
 まことがふたりを救出するべく駆け寄ろうとしたが、妖魔たちに阻まれてしまった。飛び掛かってくる妖魔を、得意のクンフーで次々と叩き落とす。
「ちびうさは、あたしから離れるんじゃないよ!」
 まこととしては、ちびうさを庇うのが精一杯となってしまった。次から次へと妖魔が襲いかかってくるので、変身するタイミングも掴めないでいた。
「こいつら! 愛野美奈子様の体に、気安く触るんじゃないわよぉ!!」
 美奈子の胸元が凄まじい閃光を放った。セーラー・クリスタルのパワーを解放し、セーラーヴィーナスへと変身したのだ。変身する際のメタモルフォーゼ・パワーによって、美奈子にへばり付いていた妖魔は、瞬時に消滅した。
 亜美も同様にして、変身することによって自らの危機を脱した。
「このぉ! ザコの分際でぇ!!」
 ヴィーナスはラブ・アンド・ビューティ・ショックを炸裂させて、周囲の妖魔を一掃した。
「ちょっと、ヴィーナス(みな)落ち着いて!! まだ酔っぱらってるの!?」
 レイが慌てた。こんなところで大暴れしては、商店街に被害が出てしまう。
「だって、こいつら! 可憐な愛野美奈子様の胸を触ったのよぉ! 全部まとめて地獄送りにしてやるわ!! ついでに言うと、二日酔いはどっか吹っ飛んじゃたわよ!!」
 ヴィーナスが異常に激怒していたのは、どうやら胸を触られたことが原因らしい。しかし、興奮はしていても我を失った訳ではない。ラブ・アンド・ビューティ・ショックは、全て妖魔に命中している。周囲に被害は出ていない。
「ああ、すっきりした」
 周囲の妖魔を蹴散らしたヴィーナスは、ほっと一息付く。二日酔いも直って、エンジン全開のようである。
「まだよ、ヴィーナス(みな)!!」
 叫んだのはマーキュリーだった。既にゴーグルとポケコンを駆使して索敵を行っていたマーキュリーは、妖魔の第二波の動きを察知していたのだ。
 再び地面から、今度は先程の三倍の数の妖魔が出現した。
「この!!」
 ヴィーナスはジャンプすると、ラブ・ミー・チェーンで数体の妖魔を撃退する。
「! 空からも!!」
 妖魔の攻撃を軽い身のこなしで躱していたほたるが、上空に何かの気配を感じた。
「違うわ! あれは!」
 上空からふたつの黒い影が、妖魔目掛けて突き進んでくる。いち早く正体を把握したマーキュリーが、そのふたつの黒い影を援護する。
 妖魔が怯み、動きが止まった。
「シャボーン・スプレー!」
 妖魔たちの一瞬の隙を突いて、マーキュリーが目眩ましのシャボン・スプレーを放った。低級の妖魔が相手だから、これでしばらく動きを制限することができる。
 案の定、妖魔たちは目標を見定めることができず、右往左往している。
「四人とも、今よ!!」
 マーキュリーが号令した。まだ変身していなかったレイ、まこと、ほたる、そしてちびうさの四人がセーラー戦士へと変身する。
「助かったわ! フォボス、ディモス!!」
 マーズは頼もしき仲間に礼を述べる。フォボスとディモスの活躍によって、四人は変身するタイミングを取ることができたのだ。
(プリンセス・マーズ。うさぎ様を発見いたしました!)
 フォボスの思考がマーズに流れ込んできた。フォボスとディモスは、カラスの状態では人の言葉を話すことができない。通常のコミュニケーションには、テレパシーを使用していた。
 うさぎを捜すために十番病院を出るとき、レイはフォボスとディモスにも、うさぎを捜すように指示を出していたのだ。
「うさぎはドコにいるの!?」
 他の仲間にも分かるように、マーズは声に出してふたりに尋ねた。
(一の橋公園におられます! 何者かと対峙しておいでです!)
 ディモスが答えてきた。
ちびムーン(ちびうさちゃん)! サターン(ほたる)とふたりで一の橋公園に行って! うさぎがいるわ!!」
「ここはどうするんです!?」
 聞いてきたのはサターンだ。サイレンス・グレイブを振り下ろし、瞬時に三体の妖魔を行動不能にしている。
「妖魔はあたしたちで対処するわ! 早く行って!!」
「分かりました! ちびムーン(ちびうさちゃん)!!」
「うん、分かった! みんながんばってね!」
「任せとき!」
 ちびムーンの言葉に、ジュピターはウインクで返した。
 ちびムーンとサターンのふたりは、パティオ十番を後にし、一の橋公園へと向かった。
「フォボス、ディモス! お前たちも行って!!」
(了解!)
 マーズの指示を受けて、フォボスとディモスも一の橋公園に向かった。


 ちびムーンとサターンのふたりは、ゲームセンター“クラウン”の前にやっとの思いで辿り着いた。それと言うのも、あちらこちらで妖魔が出現していて、それを撃退しながら突き進んできたからだ。低級の妖魔でも、数が多いと厄介なのである。
 “クラウン”の前は、さながら戦場だった。人間体に戻ったルナとアルテミスのふたりが、妖魔の大群を相手に奮闘しているのが見えた。妖魔の数が、他の場所で出会ったより多い。
「ルナ! アルテミス!!」
 妖魔を蹴散らしながら、ちびムーンとサターンは、ルナとアルテミスの元へと駆け寄った。
「こんなザコ、一気に蹴散らしたいんだが、それでは街に被害が出てしまう!」
 アルテミスが苛立たしげに言った。黄金の剣を巧みに操り、妖魔を次から次へと切り捨てている。
「ダイアナは!?」
 ちびムーンは、この場にダイアナがいないことに気付いた。傍らのルナに尋ねた。
「司令室にいるわ! こいつらを操っているボスを捜してるの!」
 三人で分析を行えば敵の割り出しが早くできるのだろうが、外の状態を見てしまうと司令室に留まり続けることができなかったのだろう。戦いの経験の少ないダイアナを残し、ルナとアルテミスは妖魔の掃討の為に外に出てきたらしかった。
「美奈たちはどこだ!? 一緒じゃなかったのか!?」
 アルテミスが怒鳴るようにして訊いてきた。
「パティオの辺りで、妖魔たちと戦ってるわ! あたしたちは、うさぎさんのところに向かう途中なの!」
 答えたのはサターンだった。サイレンス・グレイブで妖魔を打ち据えている。サターンの攻撃技では威力がありすぎで、十番街のような町中では迂闊に使えないのだ。
「うさぎちゃんに、何かあったの!?」
 今度はルナが聞いてきた。表情を曇らせる。
「たぶん、こいつらを操っているやつと一緒にいるわ!」
 ちびムーンは予想を口にしたが、十中八九当たっていると思えた。
 突如、上空から霰が降り注いできた。霰は妖魔を次々と粉砕した。
「お待たせしましたのぉ」
 セーラースーツに身を包んだパラパラだった。セーラーパラスである。上空からぴょんと、ちびムーンの前に降り立った。
「どこに行ってたのよ、パラス(パラパラ)! 来るのが遅いわよ!!」
 ちびムーンは怒りで顔を真っ赤にして、パラスに迫った。
「ハトさんが可愛かったのでぇ、ご飯をあげてましたぁ。そしたら、妖魔が出てきてハトさんを虐めたのでぇ、懲らしめてましたぁ」
 どうやらパラスはパラスで、どこかで妖魔と戦っていたらしい。一段落付いたので、ちびムーンを捜していのだろう。
パラス(パラパラ)が来てたの!?」
 サターンは少しばかり驚いた表情をして見せた。
「パラパラはぁ、スモール・レディの守護神だから、当然ですのぉ!」
 パラスはにっこりと笑った。
ちびムーン(ちびうさ)、ここは俺たちでなんとかする! うさぎのところへ急いでくれ!!」
 パラスのペースに巻き込まれて、一瞬戦いを忘れたちびムーンを、アルテミスの怒声が現実に引き戻した。
「行くよ、パラス(パラパラ)!!」
 ちびムーンとサターンはパラスを連れ、うさぎがいるはずの一の橋公園を目指した。