第五章
一の橋公園に四守護神が到着したのは、うさぎがオリエンとともに消えてしまってから、数分後のことだった。
「くそぉ! 遅かったのか!?」
ジュピターは怒りに任せて、拳を地面に叩き付けた。殴られた地面が陥没する。
「ごめん、うさぎ………」
ヴィーナスが唇を咬み、星空を見上げた。
月が、どことなく悲しげに輝いていた。
「申し訳ありません。うさぎ様をお守りすることができませんでした………」
フォボスが項垂れた。結局、何の役にも立てなかったので無理もない。しかし、彼女たちはセーラー戦士ではない。戦闘能力自体は、それ程高くないのだ。それを分かっているから、マーズも咎めるようなことはしない。
「衛さんの怪我の具合は?」
マーキュリーがちびムーンに尋ねた。衛は彼女たちが来たと同時に、救急車で再び病院に運ばれていった。ふみなが付き添ったようだった。
「サターンが直ぐに治療してくれたから、命に別状はないと思う………」
答えるちびムーンも元気がない。
「大丈夫よ、ちびムーン」
マーズがいつものように元気づけてくれたが、ちびムーンが元気がないのは、なにも衛の怪我の具合を心配してのことばかりではない。いつもは、自分が嫉妬するほどうさぎのことを想っていたはずの衛が、今日初めて曖昧な態度を取ったのだ。ちびムーンとしては、そのことの方が気掛かりだったのだ。
(まもちゃん。まもちゃんはうさぎのことが好きじゃないの? もし、好きじゃなかったら、あたしは何のために生まれてきたの………。パパ、ママ。あたしはどうしたらいい?)
ちびムーンは頭上の月を、ぼんやりと眺めた。
「でもぉ、だぁいじょーぶですよぉ、スモ〜ル・レディ。スモ〜ル・レディがここでピンピンしてるってことはぁ、うさぎさんも衛さんも大丈夫ってぇ、ことですよぉ」
緊迫感に欠けるパラスの声だったが、ちびムーンにはその心遣いは嬉しかった。確かに、パラスの言うことも一理ある。今の時点では、この戦いがどういう結末を迎えるのかは分からないが、自分がこうして存在していると言うことは、うさぎは必ず衛の元に戻ってくると言うことだ。もし、ふたりがこの事件によって結ばれなくなるのだとしたら、自分は存在そのものが消えてしまうはずなのだ。
「パラスの言う通りね。ちびムーンが健在なのが救いだわ。あたしたちの希望は、まだ消えていないわ」
マーキュリーが、彼女にしては珍しく力強く言った。
「だけど、問題はうさぎがどこに連れ去られたかね」
マーズが顎に右手を添え、ひとり思案する。
「シルバー・ミレニアムだ」
足下から声が聞こえた。見ると、いつの間にかアルテミスが来ていた。今はネコの姿をしていた。
「シルバー・ミレニアム?」
ヴィーナスが眉間に皺を寄せた。
「ダイアナのお手柄だ。空間の歪みをトレースして、割り出したらしい」
「でも、何でシルバー・ミレニアムなの? あそにこは、今は何もないはずよ」
「敵はうさぎとまもちゃん。いえ、プリンセス・セレニティとプリンス・エンディミオンを知ってるのよ」
ちびムーンが会話に加わった。自分の知っている情報を、皆に伝える。
「過去に因縁があった者ってことね………」
マーキュリーが複雑な表情をして見せる。
「衛さんに直接聞いてみるのが早いと思うけど、今は無理でしょうね。それに、のんびりしている時間はないわ」
「そうだな。取り返しの付かないことになる前に、うさぎを助けに行かないと!」
マーキュリーの言葉を、ジュピターが引き継いだ。その場にいる全員が肯く。
「みんな、時間が惜しいわ。一気にセーラーテレポートで行くわよ!」
ヴィーナスが他の四守護神のメンバーを順に見回した。異論はない。
「セーラーテレポートはパワーを著しく消耗する。向こうへ行っても、無茶な戦い方だけはするなよ」
念を押すようにアルテミスが言った。四人は肯いたが、それはできない約束だった。うさぎを救い出すためには、敵との衝突は避けられない。
「みんなで力を合わせれば、なんとかなるよきっと!」
ちびムーンが言うと、ヴィーナスは首を横に振った。
「ちびムーン( 。あなたたちは、地球に残って」)
「どうして!?」
「万が一ってこともあるでしょ? 全員がシルバー・ミレニアムに行ってしまったら、地球の守りはどうなるの?」
四守護神の戦士たちは、最悪は敵と差し違える覚悟でいた。セーラーテレポートでパワーを消耗した状態では、充分に戦えない可能性があるのだ。その時は、自分たちの命をなげうってでも敵を倒す覚悟でいる。そんな戦いに、ちびムーンを連れて行くわけにはいかなかった。
「お心遣い、感謝いたします。どうか、ご無事で………」
パラスが、普段とは全く違う口調で四人に言った。四人がちびムーンを地球に残していく意味を、パラスは分かっているのだ。
「じゃあ、みんな。行くわよ!!」
四人は輪になり、お互いに手を繋ぐ。パワーを集中させる。
目映い光が、四人の体を包み込んだ。
「セーラーテレポート!!」
四人はうさぎを救出するべく、シルバー・ミレニアムに旅立った行った。
衛は夢を見ていた。
懐かしい夢だった。
いや、夢なのだろうか? うさぎとの懐かしい思い出の数々が、走馬燈のように頭の中で甦る。
「………いたいじゃないか、そこのたんこぶアタマ。オレにまで、たんこぶをつくる気か?」
「こっ、これはたんこぶじゃなくて、おだんごって言うのよ、おだんごってっっ」
うさがテストの答案用紙を丸めて捨てたとき、それが俺の顔に当たったのが、全ての始まりだった。それが、ふたりの出逢いであり、再会だった。
その時の俺にとっては、彼女はただの通りすがりの中学生でしかなかった。
「オレはバス通学なんだよ」
「うそっ。あんたって、フツウの中学生だったのっっ!?」
「オレは、れっきとした高校生だっ!」
仙台坂を通過するバスの中でうさに会ったとき、俺は彼女の中に何かを感じていた。セーラームーンと名乗った正義の戦士に、彼女の横顔が似ていた。
地場 衛としては、三度目の出会いだった。
「キレイなお姫様。一曲お相手を」
仮面舞踏会でうさの姿を見付けたとき、俺は迷わず声を掛けた。ペンの力で変身をしていたはずなのに、俺は彼女がうさあることに気付いていた。
「いま、ちょうどあなたに会いたいって思ってたトコロだったの」
彼女がそう答えたとき、心が躍った。
何か懐かしい感じがしたのは、前世の記憶があったからなのだろう。
「………タキシード仮面………?」
うさが俺の顔に、タキシード仮面として付けていたマスクをあてがった。うさはその時初めて、俺がタキシード仮面であることを知った。
そして俺は、自分の全てをうさに語った。俺を全てを知って貰いたかったからだ。
「ここは危険よ。敵はあたしたちが倒す! できるだけ遠くに逃げて!」
幾たびの戦いの中で、彼女は精神的にも成長していた。会うたびに、彼女は俺に色んな顔を見せてくれた。俺の知らない彼女がたくさんいる。俺は、その全てを見てみたかった。彼女をもっと知りたかった。
「あいつは、俺が守る。こんどこそ………!」
仲間を助けるために無我夢中だった彼女は、戦いの中で大きな隙を作ってしまった。その隙を付いて、敵が彼女に攻撃をしてきたとき、俺は迷わず飛び出していた。彼女の前に立ちはだかり、盾となった。彼女を守りたかった。どうしても、俺の手で守りたかった。その結果、自分の身がどうなるかなんて、この時は考えもしなかった。俺も無我夢中だった。
自分が傷付くより、彼女を失うことの方が怖かった。
そして、その時。彼女がセレニティであることと、自分がエンディミオンであることを思い出した。
そうだ。
その時初めて、お互いが誰であるかを知ったんだ。何も、初めから彼女がセレニティだと知っていたわけじゃない。俺も、俺自身がエンディミオンであることなどは知らなかった。お互いの過去などは、いっさい知らなかった。
だから、運命に縛られていたわけじゃない。出逢ったのは、確かに運命だったかもしれない。しかし、その後は違う。運命に左右されていたわけじゃない。俺は自然と彼女に惹かれていったんだ。彼女の魅力に惹かれていったんだ。
俺が、俺が本当に好きなのは………。
衛は目を覚ました。
病院のベッドである。傍らには、看病で疲れてしまったふみなが、ベッドに突っ伏して眠っている。
ふみなを起こさないようにベッドから抜け出ると、衛は着替えをする。
受けたダメージは大分回復している。サターンの治療のお陰だった。
行かなければならない。あの場所に。
やつは、必ずあの場所に現れる。
「すまない。原崎」
衛はそっと病室を抜け出した。
夜はすっかり更けてしまっていた。
ちびうさは満天の星空を見上げていた。
「ダイアナ………。みんな、大丈夫かなぁ………。うさぎは、ちゃんと帰ってくるよね」
網代公園のブランコに座り、ちびうさは頭の上に乗っているダイアナに声を掛けた。
キィ。
ブランコが寂しげな音を響かせた。
「大丈夫よ。うさぎ様はちゃんと帰ってくるわよ。だって、ここにスモール・レディが存在してるじゃない」
「パラパラにもおんなじこと言われた………」
ちびうさは軽くブランコを漕いだ。
「ところで、そのパラパラは?」
「さあ………」
網代公園には、ちびうさとダイアナしかいなかった。
「また、どこかで遊んでるのかも………」
「ありえるわ………」
ダイアナの推測に、ちひうさは同意してから頭を抱えた。どうも、パラパラはガーディアンとしての自覚が足りないようだ。
「そろそろ、家に帰った方がいいんじゃない?」
ダイアナが言った。夜もすっかり更けてしまっている。公園で遊ぶ子供もいない時間である。家には何も連絡をしていない。そろそろ、育子ママが心配するだろう。でも、ひとりでは帰る気が起こらなかった。帰るなら、うさぎとふたりで一緒に帰りたかった。できれば、自分も一緒にうさぎを救出に行きたかった。
「スモール・レディ」
聞き覚えのある声が、暗闇から聞こえてきた。ふたつの影が、自分に向かって歩み寄ってくる。
「プルート!?」
ようやく街灯がふたつの影を捉えた。せつなとほたるのふたりだった。
「ごめんなさい。遅くなって」
せつなが優しい笑みを、ちびうさに向けた。ちびうさの表情が、ぱぁっと明るくなった。せつなは姉妹のいないちびうさにとっては、姉のような存在だった。時には優しく、時には厳しく、ちびうさを導いてくれる師でもあり、心の許せる友人でもあった。
「やっと、姉さんが仕事から帰ってきたのよ………」
「残業してたモンで………。社会人の辛いトコよ」
せつなが肩を竦めてみせる。
「社会人のセーラー戦士って、いざってとき大変よね」
ほたるが少しばかり戯けて見せた。ちびうさがクスリと笑う。
東京湾天文台に勤務しているせつなは、帰って来るまで十番街で起こった事件のことを知らなかった。しかし、知ったからといって、直ぐに戻ってこれる距離でもない。海外にいるはるかとみちるは、全てが解決してから事件があったことを知るだろう。
「でも、よくここにあたしがいるって分かったね」
「家に電話したら、まだ帰ってないって育子ママが言ってたから、もしかしたらと思って………。育子ママ、心配してたわよ。もうお帰りなさい」
せつなは優しく語りかけるように言った。だが、ちびうさは首を縦には振らなかった。
「………もう少し、ここにいる」
消え入りそうな声で、ちびうさは言った。
「まだ、みんなから連絡はないみたいね」
「うん」
ほたるが言うと、ちびうさは顔を上空に向けた。白く輝く美しい月が、その視線の先にあった。