鬼の四
麻布十番から首都高速、中央高速を使って約二時間。若木の運転する黒いスカイラインGT−Rは、その問題の村に到着した。
学校が終わってから、十番商店街入り口にあるウェンディーズの前で待ち合わせを行い、迎えに来てくれた若木と合流した。それから出発したので、午後六時を回ってしまっていた。
中央高速に入り、途中、左手にビール工場が見えてきたときは、うさぎとまことがはしゃいだが、右にあるはずの競馬場が見えないと、ぶうぶう文句を言っていた。
問題の村に到着したときは、陽がだいぶ傾いてしまっていた。この時間から調査を始めたとしても、それ程成果は上がらないかも知れない。
若木のスカイラインは覆面パトカーだ。その気になればサイレンを鳴らして高速道路を疾走して来れるのだが、そこまでする必要はなかった。夕方の下り車線は、ガラガラなのである。わざわざそんな目立つことをしなくても、充分飛ばして来ることができる。法定速度を完全にオーバーしていたのだが、若木は平気な顔でアクセルを踏み込んでいた。
「東京……よね? ここ」
うさぎが不思議がるのも無理はない。都心からかなり離れたその村は、住宅もまばらで、人の気配をあまり感じない。平屋が多く、二階建て以上の建造物を殆ど見掛けない。
「喉乾いたなぁ」
「コンビニなんて、なさそうだよ?」
うさぎが呟くと、まことは背伸びをして遠くを望むようにしながら答えた。実際、見える範囲にコンビニはなかった。
「なんか、怪しげなお婆さんでも歩いてそう……」
「石坂浩二の金田一が好きだな」
うさぎの話に、若木が乗ってきた。とは言え、仕事を忘れているわけではない。うさぎの軽口に答えながらも、手帳を取り出してパラパラと捲っている。
「若木っちぃ。ページ捲るときに指舐めるのやめなよぉ。お爺ちゃんみたいだよ」
「そ、総監にもよく言われる……」
まことに突っ込まれ、若木は再び舐めようとした指を途中で止めた。
「こ、コホン! じゃ、俺はもう一度この村の村長に会ってくる。君たちは自由に行動をして、情報を集めてくれ」
「あたしたちは別行動なの?」
「刑事と一緒に歩くより、その方が調べ易いだろ?」
協力しているとはいえ、うさぎたちは民間人だ。刑事としての仕事に、同行させるわけにはいかない。テレビのサスペンスドラマとは違うのだ。
「俺が呼ばれたのはそのためですか……」
なるほどという風に、衛は言う。ようは衛は、うさぎたちのボディーガードなのだ。
「すまんな」
若木は申し訳なさそうにそう答えてから、
「二時間後にこの場所で落ち合おう。車は目印のためにここに駐車めておく」
スカイラインのバンパーを叩きながら、そう言った。
「駐車違反で持ってかれない?」
「ドラマじゃないんだから、覆面車をレッカー移動するような間抜けは警察にはいないよ、うさぎちゃん」
若木は笑った。
「問題の祠に行ってみるか」
若木と別れたあと、しばらく村の中を歩き回ってみたのだが、人っ子ひとり見掛けないので、衛は方針を変更することにした。村人から情報を収集することを諦めたのである。様々な状況を想定して、衛はある程度の道具を持ってきていた。うさぎもまことも当然ながら、何も用意はしてきていない。そう思ったから、一通りの道具を、衛は三人分用意してきていた。三人分しか持ってこなかったのは、若木が覆面車で来ることが分かっていたから、それなりの道具は積んであるだろうと考えてのことだ。
「さっすがまもちゃん!!」
うさぎとまことは声を揃えて感心したが、そのくらいは当たり前だと、衛はふたりの頭を軽く小突いた。
衛は持参してきたナップサックから、懐中電灯を取り出してふたりに手渡した。辺りはすっかり薄暗くなってきていた。祠に入らなくとも、懐中電灯が必要になってきそうな感じだった。村に到着したばかりのときは気付かなかったが、この村には道端に外灯すらないのだ。陽が完全に沈んでしまったら、周囲は闇に包まれてしまう。
「う〜〜〜。昼間来ればよかったぁ……。何でこんな時間なの?」
うさぎが嘆いたが、
「学校をサボるわけにはいかないだろ?」
衛に簡単に切り替えされてしまった。
祠までの道程は、事前に調べてきていた。と言っても、インターネットのマップ検索サイトで調べたという程度だ。実際にその場所に立ってみると、かなり印象が違う。何せ目印らしい目印がない。うさぎは周囲が暗くなってきて怖いのでああ言ったのだが、確かに昼間に来るべきだったと衛は思った。今日はどうしても出席しなければならない講義があったわけではないので、その気ならば昼間でも来ることができた。うさぎとまことを同行させる意味も、今となってはあまりないと感じた。自分ひとりでも充分だった。
「……どこへ行きなさるね」
「ひぃぃぃぃっっっ!!」
祠に向かって一歩足を踏み出した直後、どこからともなく掛けられてきた嗄( れた声に、うさぎは文字通り飛び上がって悲鳴を上げた。さすがのまことも、ビクリとして身を硬直させた。衛だけは冷静に、声の主を捜した。)
三メートル程離れた道端に、ひとりの老婆が佇んでいた。畑からの帰りなのか、背中には竹で編んだ大きな籠を背負っていた。青々として元気そうな大根の葉と太い長ネギが、一本ずつ顔を出している。
「山の麓にある祠に向かいます」
衛は正直に答えた。嘘をついても始まらないし、やっと出会えた村人である。情報を取りたかった。
「今度は、何を盗もうと言うんじゃ? あそこにはもう、金目のものはないぞ」
「今度?」
衛は惚( けてみた。)
「俺たちはただ、この村に伝わっている鬼伝説のことを調べに来ただけです。この子たちが、学祭のネタに使いたいというので」
最もらしい嘘を並べた。老婆はギロリと探るような目付きで、うさぎとまことを見た。うさぎは思わず、まことも背後に身を隠してしまった。
「祠に行くには獣道を通らねばならん。お兄さんの方は問題ないじゃろうが、後ろのお嬢さんたちの足では無理じゃな。……それに、熊が出るしの」
「え!? ク、クマ!? まもちゃぁん。やっぱやめようよぉ」
「熊の話は嘘ですね?」
衛は笑った。
「一応、ここは東京じゃからな。左様、熊は出ん。じゃが、イノシシはおるぞ」
「イ、イノシシくらいなら、まこちゃんがなんとかしてくれるか……」
「む、無茶言うなよ、うさぎっ!!」
「かかかっ。確かに、あんたは腕っ節が強そうじゃ。捕らえてきたら、わしにも少し分けとくれ。猪鍋にしよう」
老婆は愉快そうに笑っている。どうやら、警戒心は解けているようだ。
「鬼伝説を調べたいと言っておったな?」
ひとしきり笑ったあと、老婆は訊いてきた。
「はい、そうです」
衛は答える。何かを期待した目を老婆に向けた。
老婆は衛を見返してニコリと笑うと、
「ウチで茶でも飲まんか?」
そう言って手招きをした。
老婆はひとり暮らしだった。六畳間が四部屋ある瓦葺き屋根の平屋建てで、都会では考えられないような広い庭があった。
老婆が帰宅すると、どこからともなく猫の集団が出現し、老婆を出迎えた。合計十二匹。殆どが成猫だったが、三匹だけ子猫が混じっていた。老婆に言わせると、この猫たちが「家族」なのだそうだ。
「あははっ! 可愛い!」
うさぎは一匹の子猫を抱き上げて、楽しそうに頬ずりしている。まことは腰を落とし、寄ってきた猫たちの頭を撫でている。衛の足下にも寄ってきて、衛の足にさかんに首を擦り付けていた。
「すまんがマゴたちに先に食事をやる。話はそのあとでええか?」
猫たちに懐かれている三人を目を細めて見つめ、老婆は言った。
老婆の入れてくれたお茶は、とても美味しかった。入れ方にコツがあるのだと、老婆は言う。お茶請けに出された煎餅は随分と湿気っていたが、それでも美味しかった。老婆は、全て自前の歯だと自慢しながら、煎餅をバリバリと頬張った。
年中出しっぱなしにしているのだろう。カバーを掛けていないコタツを、四人は囲んで座っていた。
「お前さん方、この村の名前を知っておるか?」
唐突に老婆は訊いてきた。食べることに夢中になっていたうさぎは、煎餅を口に銜えたまま顔を上げ、キョトンとした顔で老婆を見た。村の名前など知らないまことも、湯飲み茶碗を持ったままフリーズしてしまった。仮にこの場に美奈子がいたとしたならば、恐らく「どぅ、湯飲みぃ?(do you know me?)」などと一発ギャグをかますところなのだろうが、さすがにそこまで機転の利く者はこの場にいないし、そこまでアホでもない。
「御入手( 村でしたよね?」)
やはり頼りになるは衛である。しっかりと下調べをしてきてくれている。
「左様。御前の『御』に入り手と書いて御入手村と読む。じゃが、これは他の言葉が訛( ったものを当てた当て字じゃ、本来は鬼腕) ( が正しい」)
「『おにうで』が訛って『おにゅうで』ですか……。ほるほど」
衛は肯いてから、探るような目線を老婆に向けて、
「『おにうで』とはずばり、鬼の腕と書くのですね」
「左様」
老婆は満足そうに大きく肯いてから、お茶をずずずっと音を立てて啜った。
「羅生門の鬼伝説は知っとるな?」
「渡辺のツネさんですね!」
うさぎの頭は、やはり美奈子と同レベルらしい。衛に拳骨を食らって、お団子が三つに増えてしまった。
「この村の祠に奉られていた鬼の腕は、その羅生門の鬼の腕じゃよ」
「本当ですか!?」
「渡辺綱に腕を切断された茨城童子は、七つ日ののち養母に化けて取り返しに来た。じゃが、取り返した腕は、本当に本物じゃったのかのぅ?」
「渡辺綱に切断された鬼の腕は、密かに西から東に移されていたと?」
「三田に渡辺綱ゆかりの土地があろう?」
「そこに持ち込まれていたと言うのですか?」
「じゃが、綱の屋敷が鬼に襲われたと聞き、怖くなったんじゃろうな。腕は直ちにこの村に移され、封印が施されたというわけじゃ。まぁ、庄屋の家系に代々伝わっている伝説じゃがな。奉られていたのが本物かどうかなど、分かりゃせんて。どこぞの河童のミイラと一緒じゃて」
老婆はニコリと笑った。
「この村に……」
「都会から来た馬鹿者どもが、祠を荒らして『腕』を持ち去った。テレビで騒いどる変死を遂げた中学生と言うのは、この馬鹿どもたちじゃろう。じゃが……」
老婆は眉間に皺を寄せる。
「『腕』を持ち帰っただけじゃそんなことは起こるはずがない。同時に、鬼そのものの封印も解かれなければの」
「この村に鬼も封印されていたのですか?」
「いや、ここにあったのは腕だけじゃ。鬼そのものがどこに封印されていたのかは、わしも知らん」
「もしかしたら、鬼の封印も彼らが……」
「可能性はある」
うさぎの推測に、衛は肯く。
「やはり、直接確かめてみる必要がありそうだ」
若木と別れてから、二時間が経過していた。一度車のところへ戻ってみた方がよさそうだ。
夜も更けてきてしまっているので、衛たちは後日出直すことにして、今日は引き上げる旨を老婆に話した。
帰り際、玄関で老婆は、三人に御札を手渡してくれた。
「この村に伝わる魔除けの札じゃ。持っていきんしゃい」
「ありがとうございます。でも、何故です?」
「なんでかのぅ……。強いて言えば、わしのマゴたちがお前さんたちに懐いたからじゃな。わしのマゴたちは、悪人には決して懐かんのじゃ。それにな、猫を可愛がる者に、悪いヤツはおらん。わしのようにな」
老婆は高らかに笑った。
若木の方は、収穫がゼロだったようだ。村長を初め、村の何人かの有力人物に会ってきたそうだが、鬼の腕に関する詳しい情報は、なんら得られなかったと言うことだ。衛が有力な情報を得たと説明すると、若木はアクセルとブレーキを間違えるくらいに驚いた。
スピンしたスカイラインは、ガードレールに激突する寸前に奇跡的に停車した。うさぎとまことは、後部座席に驚いた格好のまま固まってしまっている。ふたりの時間は、完全に止まってしまっているようだ。
「調べて頂きたいことがあるんですが……」
大事故になる寸前だったにも拘わらず、衛は落ち着き払っていた。
「な、なんでも言うことを聞く」
正義の戦士三人を、危うく自分の不注意で事故死させてしまうところだった若木は、それがどんな無理難題の依頼であれ、断ることなどできそうにない。首振りこけしのように、首を上下に振る。
「鬼がどこに封印されていたのか、調べて欲しいんです」
「は!?」
若木はまたアクセルとブレーキを、踏み間違えそうになった。