鬼の弐
日曜日だと言うのに、月野謙之は会社から呼び出された。
うさぎが寝ぼけ眼で二階から降りてくると、謙之は玄関で靴を履いているところだった。きっちりとスーツを着込んでいるので、遊びに出掛けるわけではないと言うことが、うさぎにもすぐに分かった。だいいち、遊びに出掛ける謙之を、母の育子がわざわざ玄関で見送るわけもない。
「パパ、仕事?」
まだ眠い目を擦りながら、うさぎは尋ねた。
「うん。また中学生が変死したらしいんだ。これで三人目だな」
謙之は眉を顰め、まだパジャマ姿のうさぎに答えた。
「また同じ中学の子だそうよ」
育子も表情を曇らせている。
「今日は遅くなるかもしれない。後で電話を入れるよ」
そう育子に告げると、謙之は慌ただしく出掛けていった。
「そう言えば、うさぎぃ。今日は早起きねぇ。まだ八時よ? まもちゃんとデートだったっけ?」
昼前にうさぎが起きてきたので、育子は少しばかり驚いてみせた。日曜日のうさぎは、特別な用事がなければ昼頃まで寝ている。
「中間テストが近いから、レイちゃんトコでみんなで勉強会すんの」
うさぎはちょっと不満そうに答えた。大事な日曜日の睡眠を削られるのだから、多少の不満はある。
「亜美ちゃんのお陰で、うさぎの成績がすこ〜し良くなかったから、ママはとっても嬉しいわ」
育子は大袈裟に、ハンカチで涙を拭う真似をしたものだ。
「え!? 中止!?」
うさぎが火川神社に到着すると、階段の下に亜美、まこと、美奈子の三人が、困ったように佇んでいるところだった。
「レイちゃんがね。いないのよ……」
亜美が硬い表情のまま言った。その様子から、事は単純ではないとうさぎも分かった。レイが勉強会のことを忘れてうっかり出掛けてしまった―――と言うわけではないようだ。それならば、亜美は怒っているはずだ。亜美の表情からは怒りは感じられない。むしろ、戸惑いの方を色濃く感じ取れる。
「何かあったの?」
だからうさぎも、予期せぬ出来事が発生したのだと、感じることができた。
「それがさぁ……。よく事情が飲み込めないんだけどね」
「レイちゃんのおじいちゃんの話によるとね。どうやらあいつ、結婚するらしいのよ」
「へ!?」
まことに続いて、美奈子が説明をすると、うさぎは素っ頓狂な声をあげた。「あいつ」とはもちろん、レイのことに違いないだろう。
「結婚!? オトコ嫌いのレイちゃんが!? 誰と!?」
正に寝耳に水である。とてもじゃないが、すぐには信じられない。
「分からないけど……。この話が本当なら、この前なるちゃんが話してた青年実業家という人が怪しいわよね」
亜美の表情は晴れない。本当ならおめでたい話である。しかしレイは、この春に十七歳になったばかりである。それで結婚すると突然言われても、素直に祝福してあげられるものではない。
「不可解よね」
美奈子はそう言いながら、右手親指の爪を噛むような仕草をした。
「あたしが来た時にね、すれ違いでレイちゃん出掛けたようなの。確かに高級そうな車と途中ですれ違って、中にレイちゃんらしい姿を見掛けたんだけど……。その時は、他人のそら似だと思ったの」
亜美は、まだ納得できないといった顔をしていた。
「高級車……。そう言えば……」
うさぎは何日か前、火川神社の前で高級車を見ていたことを思い出した。あの時、レイは「お客が来た」と言っていた。
「なるほど……。だけど、その時には見たのは紳士だったんだろ? なるちゃんは紳士だとは言ってなかったよね?」
うさぎの話を聞き終えたまことが、尋ね返してきた。
「うん。お金持ちのボンボンって、感じだって言ってた気がする」
「じゃあ、関係ないか」
美奈子は首を捻った。うさぎが見たのは中年の紳士だ。いくら何でも、十七歳になったばかりのレイの結婚相手が、中年の紳士だとは思えない。
「それってもしかしたら、レイちゃんのお父さんじゃないかしら……」
ひとり思案していた亜美が、思い付いたように呟いた。確かにそう考えると、つじつまが合うかもしれない。
「考えられるわね。だけど、本人に確認してみないことには、はっきりしたことは言えないわね」
美奈子はそう言いながら、火川神社の長い階段を見上げた。心なしか、いつもより距離があるように感じられた。
「電話? 誰から?」
火川神社の階段下で仲間たちと分かれた美奈子は、珍しくどこにも寄り道することなく自宅に戻っていた。レイのことが気掛かりで、いつものようにゲームセンター“クラウン”で遊ぶ気にもなれなかった。うさぎも同じだったらしく、普段なら誘ってくる彼女も、今日に限ってはそのまま自宅に帰ったようだ。もしかしたら、衛のアパートの方に入ったかもしれないが。
出掛けている間に、自分宛に電話が一件あったらしい。急用らしく、戻ってき次第、折り返し掛けて欲しいとのことだった。
「男の人よ。若木さんて言う人」
「若木っち!?」
「随分と丁寧な口調だったんで、何かのセールスかと思ったんだけど、それにしてはちょっと感じが違ったら……。カレシ?」
「違う違う。ちょっとした知り合い」
何やら興味深げな母親をやり過ごし、美奈子は自室に入った。ベッドの上に無造作に投げ捨てられている電話の子機を拾うと、そのままベッドに腰掛けた。
「あれ? アルテミスがいないわね……」
昼寝でもしていそうな時間なのだが、アルテミス用にベッドの上に置いてあるクッションには、彼の姿はなかった。
「司令室でルナとデートかな」
いなければいないで、特に気にする必要はない。お腹が空けば、どうせ戻ってくるのだから。
美奈子は通学用の鞄から手帳を取り出し、ワ行のページを開いた。ワ行のページには、「若木トシオ」の名前と携帯電話の電話番号、そして何故か「色男度数」なるものが記されている。七十二点という点数が高いのか低いのか、それは美奈子にしか分からない。
「若木って言ったら、若木っちよねぇ……」
電話を掛ける前に、美奈子は一応考えてみた。自分の記憶の中には、「若木」という姓の知り合いは、若木トシオしかいない。
「まぁ、掛けてみれば分かるか」
とにかく、電話を掛けてみないことには始まらない。美奈子は若木トシオの携帯電話の番号を、しなやかな指先でプッシュした。
美奈子と亜美が通された部屋は、コの字型の巨大なテーブルがデンとばかりに据えられた会議室のような場所だった。コの字の開いている側の壁に、大画面のスクリーンがある。革製の豪華なソファシートが並べられ、かすかに革の臭いが鼻を突く。窓にはカーテンが閉められていたが、天井のパネルから降り注ぐ柔らかい光は、朝の太陽の日差しのように嫌味のないものだった。外界から遮断されているその部屋に、外から届いてくる雑音は皆無だった。
部屋に通されてから、既に十分の時間が経過していた。しかし、ふたりにとっては、一時間にも感じる長さだった。とても居心地が悪いのだ。革製のソファシートに一端は腰を下ろしてみたのだが、妙な柔らかさと、自分たちにとっては大きすぎるシートに座り心地が悪く、すぐに立ってしまった。腰が予想以上に沈むので、深々と座ってしまうと足先が浮いてしまうのだ。ふたりとも短いスカートを穿いているから、正面に座られたら中身が丸見えである。もっとも、机が邪魔をして、向かい側から見ることはまず無理なのだが。
美奈子は落ち着かず、部屋の中をうろうろと歩いたり、時折カーテンの隙間から外を覗いたりしながら時間を過ごすものの、どうも場違いな雰囲気があって落ち着かない。亜美に何度か窘( められたが、じっとしていると息が詰まりそうだったので、美奈子は取り敢えず部屋中を歩き回っていた。)
「ごっめ〜ん! おっまたぁ〜」
何の前触れもなく唐突に、底抜けに明るい声が部屋に響いた。待ち人来たる、である。
「おっそぉ〜〜〜い!!」
声の主が何者か確かめることなく、美奈子はムスッとした表情でただひとつある入り口を睨んだ。
「会議長引いちゃってさぁ! 許してちょんまげ!」
「わ、分かったから、踊んなくていい……」
「そう?」
コの字型のテーブルの内側に入り込んで、扇子片手に妙なダンスを踊り出した女性を、亜美は目を白黒させて見ている。リアクションが取れず、フリーズしてしまっている。
「ほらぁ! 亜美ちゃんが固まっちゃってるじゃない!」
「メンゴ、メンゴ! 『踊る大捜査線』を地で行く、が最近のモットーなんだけど、初体験の人には刺激が強すぎたかしらねぇ」
「それを言うなら、『初対面』ですよ……」
呆れたような声が投じられる。派手な服装のその女性の横に、スラリと背の高い青年が歩み寄ってきた。
「それに『踊る大捜査線』っていったい……。文字通り、ただ踊ってるだけじゃないっすか」
「いちいちうるさいわよ、若木」
派手な服装の女性は、自分の左横に立つ若木トシオに、ジロリとした目を向ける。若木は、そんな視線を避けるように、更に一歩前に進む。
「呼び出しておいて、待たせちゃってご免ね。肝心なところを、この人が居眠りをしてて聞き逃しちゃったので、報告のし直しとかあってさぁ」
「おい! あたしを無視して話を進めるな。それに、言わなくてもいいことまで言ってくれちゃって……。また左遷するぞ」
「うっ!」
背後から突き付けられた言葉に、若木は息を飲んだ。この人は、本気になれば本当に滅茶苦茶な理由で人事を行いかねない。以前も「数々の失敗のペナルティー」という理由で、警視庁シベリア支社に左遷されたことがある。もちろん、そんな支社はもともとは存在していなく、若木を左遷させるために税金を使ってわざわざ新設したのである。そういう「前科」があるから、あまり怒らせることはできない。
「ま、馬鹿話はこれくらいにして、自己紹介しないといけないわね」
派手な女性は、急に真顔になって亜美に顔を向けた。フリーズしていた亜美は、ハッとなって女性の顔を見返した。自分の知っている誰かに面影が似ていると感じたが、肝心の「誰か」が思い出せなかった。
「桜田夏菜よ。こいつは知ってる? 若木トシオ。優ちゃんの声色で、『としおぉっ』って言ってあげると、とっても喜ぶわよ」
「総監……。いまどき、『クリーミー・マミ』を知ってる子は少ないかと……。歳がバレますよ」
「お前、ホントに左遷するぞ。今度は、ジュリアナ( 海峡支部だ」)
「もしかして、マリアナ海峡ではないかと……」
亜美がやんわりとツッコミを入れると、桜田夏菜はでかい口を開けて下品に笑って誤魔化した。
「コホン! やり直し、やり直し。あたしは桜田夏菜よ。こいつは知ってるかな? 若木トシオ。優ちゃんの声色で……」
「総監」
「わ、分かってるわよ! うるさいな」
亜美はクスクスと笑う。美奈子は呆れてしまっている。
「はい。若木さんとは何度かお会いしたことがあります。初めまして桜田さん。水野亜美です」
「夏菜でいいわ、亜美ちゃん」
夏菜はにっこりと笑った。
「あたしをわざわざ呼んだってことは、何か訳ありなのよね? 夏菜お姉さん」
話の舵取りを、美奈子がやった。どうやら、自分が話を進めないと、このまま夫婦漫才を延々と聞かされそうな気がしたからだ。
「まだ何とも言えないんだけどね……」
夏菜は真顔になって答えた。若木を促し、美奈子と亜美の向かい側の席に腰を下ろした。ふたりにもソファシートに座るように勧めた。深く座ってバランスを崩さないように細心の注意を払いながら、ふたりはソファシートに腰掛けた。浅く座って背筋をピンと立てるものだから、とても行儀が良く見える。
「そんなに緊張しなくてもいいわよ?」
夏菜が誤解してしまうのも、無理はなかった。
「いや、ちょっと座りづらくて……」
「ゴメン。ふたりにはちょっと無理があったわね」
夏菜はようやく理解し、すまなそうに眉を寄せた。
「本題に入るわね」
部屋の隅に設置されている内線で、コーヒーをオーダーしている若木をチラリと見てから、夏菜は話を切り出した。
「中学生の連続変死事件は知ってる?」
「はい。ニュースで見ました。確か、全員同じ中学の生徒でしたよね? 有名な私立高校の」
答えるのは亜美の役目だ。
「変死としか報道されていませんが、その死因に何か問題があるんですね?」
「鋭いわね。その通りよ」
夏菜は、してやられたというような笑みを浮かべた。若木が席に着いた。
「彼女は有名な天才少女ですからね」
「ああ! どっかで聞いたことがある名前だと思ったら、あの水野亜美ちゃんなのね。姉さんが、よく自慢してたっけ」
「姉さんて……。あっ! 桜田ってもしかしたら!」
「そう。十番中学で教師をしてる春菜は、あたしの姉よ」
「そうだったんですか」
それで先程、初対面なのにも拘わらず、どこかで見た覚えがあるような気がしたのだ。目鼻立ちが、恩師の桜田春菜先生によく似ている。
「話が横道にずれちゃったわね。戻しましょう」
夏菜は仕切り直した。
「実はね、変死としか報道できない理由があるの」
「どういうことですか?」
亜美は身を乗り出した。
「撲殺……。撲殺になるのかな。でもね、ただの撲殺じゃないの。圧殺に近いかしらね。何か強い力で殴られているようなんだけど、見た目はまるで、プレス機のようなもので押し潰されたように見えるの」
「プレス機で押し潰されたわけじゃないんですね?」
亜美は念を押す。美奈子は黙って、ふたりの話に耳を傾けている。
ちょうどその時、若木がオーダーしたホットコーヒーが四つ、トレイに載せて運ばれてきた。二十代半ばくらいの私服の女性―――刑事だろうか―――が、部屋の中に入ってくる。香ばしいコーヒーの香りが、少しばかり興奮した気持ちを和らげてくれる。
女性は美奈子と亜美の前にコーヒーをセットする時、僅かに不思議そうな顔をした。警視総監と秘密裏にこんな会議室で打ち合わせを行っているのが、一介の女子高生のようだったので、やはり驚いたのだろう。
それでも女性は余計な言葉はひと言も発しず、役目を終えると一礼してから会議室を出て行った。
「どこかの工場で、プレス機で潰されてから捨てられたって、わけじゃないわ」
たっぷりのミルクとたっぷりの砂糖を入れると、スプーンでくるくるとかき混ぜながら、夏菜は続けた。そんな夏菜を横目でチラリと見てから、若木は美奈子と亜美に手で合図を送ってコーヒーを勧めた。美奈子は夏菜と同じように、たっぷりのミルクとたっぷりの砂糖を入れたが、亜美はブラックで飲んだ。若木はミルクだけ注いで、かき混ぜずにカップを口に運んだ。
「あくまでも、その場で殴られているわ。刺激が強すぎるから、現場写真を見せることはできないけど、その場に散乱している被害者の所持品が、それを物語っているわ。もちろん、その場に残っている血痕もね」
夏菜はここで、コーヒーをかき混ぜるのをやめた。
「機械でも使わないと、人間にはあんな真似はできないわ。それにね……」
夏菜はスプーンをソーサーの上に置くと、ようやくカップを口に運んだ。一口啜( ると、カップをソーサーに戻した。)
「三人とも、右腕の肘から先が無くなっているの」
「無いって、見つからないってことですか?」
「違うわ。もの凄い力で引きちぎられているのよ」
美奈子がゴクリと喉を鳴らした。夏菜が言葉を切った瞬間だったので、その音は妙に室内に響いた。
「人ならざるものが、関わっている可能性が非常に高いんだ」
若木だった。心なしか、表情が青ざめているようにも見えた。
「それであたしに連絡してきたってわけか……」
吐息混じりに、美奈子は言う。
「亜美ちゃん連れてきて正解だったわ。あたしだけじゃ、とても判断できそうな内容じゃないもの」
「被害者は三人とも同じ中学の生徒ですけれど、他に共通点はないんですか?」
美奈子に目をやり軽く微苦笑したあと、亜美は夏菜に尋ねた。
「三人とも同じクラスよ。遊び仲間だったらしいわ」
「クラスメイトから、妙な話を聞いた」
若木が話に割り込んできた。どうぞ、とばかりに、夏菜は若木に目で合図を送った。
「被害者三人を含むクラスメイト五人が、『鬼の腕のミイラ』を盗みに行ったと言うんだ」
「鬼の腕のミイラ……ですか?」
「高尾山の麓の村に、鬼の伝承が伝わっていてね。腕のミイラを奉っている祠があるらしい。それを盗みに行ったらしいんだ。殺された学生のひとりが、自慢げにクラスメイトに話をしていたんだ」
「本当か嘘か、その事実関係はまだはっきり掴めていないんだけど、気味の悪い話でしょ? それに、被害者全員の腕が無くなっているっていうのも、偶然なのかどうか……」
夏菜は眉を顰めた。
「生き残っているふたりから、詳しく事情は聞けないの?」
「鬼の腕を盗んだ連中の中で、今のところ被害を受けていないのは四人だ」
若木が、美奈子の言葉を訂正する。
「被害を受けていない中学生のひとりに、大学生の兄がいてね。その兄と、兄の友人も犯行に関わっているらしい」
「らしいって?」
「肝心のその四人が、そんな事実はないって言うんだ」
若木は両手を大きく広げ、呆れたような表情をしてみせた。
「鬼の腕のミイラが盗まれたというのならば、その高尾山の麓の村から被害届が出ていると思うんですが……」
「行ってみた?」
「もちろん行ったさ」
若木は亜美を見、そして美奈子の顔を見る。
「誰もそんな事実はないって言うんだ。だが、明らかに何かを隠している」
「隠さなければならない理由があるってことですね?」
「それはどうかは分からない。単に警察を嫌っているだけかもしれないしね」
若木のその表情からは、聞き込みに行った際の村人の態度が、非協力的であったことを感じ取ることができた。
「あたしたちの方から、探りを入れてみるしかないってことか……」
「やってくれる?」
「お姉さんの頼みじゃ、断れないわ」
美奈子は肩を窄( めた。)
「ありがとう。助かるわ」
夏菜は笑みを浮かべる。が、その笑みはすぐに消えた。
「警察( だけの力で解決できるような事件なら、それに超したことはないけれど、警察では手に負えないような類の事件だとしたら、あなたたちのもうひとつ) ( の力も貸してもらわなければならないわ」)
「分かってる。そうならないように祈るわ」
「残っている四人の詳細を教えて頂けますか? それとなく接触してみます」
「これがリストだ」
若木は席を立って、美奈子と亜美の手前まで移動した。スーツの内ポケットから、四つ折りにされたA4のコピー用紙を一枚取り出し、ふたりの前に置いた。既に用意をしていたようだ。さすがに手際がよい。
そのコピー用紙には、四人の学生の顔写真がカラーで印刷されていた。名前と住所も記載されている。
「沢田というのが兄弟だ。兄が圭介。弟が晃」
若木は美奈子と亜美の席の前に立ったまま、説明を始めた。
「木村というのが、沢田・兄圭介の友人だ。ふたりは同じ大学に通っている。最後の火野っていうのが厄介なんだが……」
若木はそこで言い淀んだ。
火野という学生のデータは、一番下に記載されていた。
「火野勝」
沢田晃の同級生だ。
「民自党の火野代議士の息子なんだ」
若木はひどく言いづらそうに、そう告げた。
「へぇ、そうなんだぁ。政治家の息子ね……。確かに、生意気そうな顔してるわ」
美奈子はまだ気付いていない。
「そう言う問題じゃないわ、美奈」
亜美は気付いたようだ。凍り付いたような表情をしている。
「民自党の火野代議士と言ったら、レイちゃんのお父さんよ」
「え!? だってあいつ、弟がいるなんて、ひと言も言ってなかったわよ!?」
「俺も気になって調べてみた。火川神社の美人巫女さんが、火野氏の娘さんだということは、美奈子ちゃんから聞いて知っていたからね」
「それで?」
「この勝ってのは、現在の火野代議士の後妻との間にできた長男だ。もっとも、前妻、つまりは火川神社の美人巫女さんの母親が健在なうちに、勝は生まれているけどね。その当時は認知していなかったようだけど、前妻が無くなった後半年も経たないうちに再婚し、勝は養子として火野家に迎えられている」
「腹違いの弟か……。複雑な事情もあるみたいね。だから、レイちゃんはあたしたちに黙っていた?」
「かもしれないわね」
美奈子の推測を亜美は肯定する。美奈子は困ったような表情をして、うなじの辺りを右手の人差し指で掻いた。
「今こんな話、あいつにできないよ……」
「どうして? 彼女の弟が絡んでいるんだから、協力を仰げないの?」
「こっちにも、いろいろと複雑な事情があるのよ、夏菜お姉さん」
現在のレイは、自分自身のことでいっぱいいっぱいになっているはずだ。そんな彼女に、弟の話など持ち掛けられるわけがない。
「ルナと相談して、対策を練りましょう」
「そうね」
亜美の提案に美奈子は肯くと、コピー用紙を四つに畳み、自分が持っているとなくしそうだからと言って、亜美に手渡した。
「鬼が盗まれた腕を取り返しに来るなんて、まるで『羅生門の鬼』ね。渡辺のツネさんに出てきてもらわないと……」
「美奈……。それを言うなら、渡辺綱よ……」
亜美は深い溜息を付きながら、美奈子と夏菜が妙にウマが合っている理由が、なんとなく分かったような気がしていた。