鬼の壱
東京も都心から離れると、いきなり風景が一変する。
鬱蒼とそそり立っているのは灰色の高層ビル群ではなく、青々とした木々。大都会・東京にもまだこんなところが残されているのかと、東京と言えば殺伐としたビル群しかイメージのない者たちにとっては、余程信じられない光景が、東京の西側には存在する。東京都民だから都会人―――などという図式は、東京近郊で暮らす者にとっては、馬鹿馬鹿しい表現でしかない。東京のどこに住んでいるのかが問題なのだ。
彼らが今いるのは、そう言った東京にも存在する“田舎”のひとつだった。周りを鬱蒼と生い茂った樹木に囲まれた古びた小屋の中に、彼らはいた。人数は五人。
幼い顔立ちをした彼らは、五人とも十代半ばのような印象を受けた。懐中電灯やロープ、サバイバルナイフ等を、何やら入念にチェックしている。これから登山に向かうと言うよりは、どこかの秘境に探検にでも行くような物々しい格好をしている。
窓のないこの小屋には、裸電球が一個ぶら下がっているだけだった。小屋の隅まで光が届くには、かなり心許ない。板と板の合間から明るい日差しが差し込んでいるところから察すると、まだ日中のようであった。何も好んで薄暗い小屋の中で作業をする必要はないように思えるのだが、それでも彼らは、その小屋の中でまるで人目を避けるように、息を殺して作業に没頭していた。
小屋の中にあるリュックサックは、全部で七つ。と言うことは、あとふたりメンバーがいるということだ。小屋の中には五人しかいない。残りのふたりは小屋の外で見張りでもしているのだろうか。
「準備、できたか?」
だしぬけにドアが開け放たれて、強い陽の光が小屋の中に差し込んできた。薄暗い光に慣れていた五人にとっては、刺激が強すぎる光だった。全員が迷惑そうに、その光に対して目を細めた。
ドアの外から大学生風の男がふたり、そんな五人の態度にも無関心を装い、小屋の中を覗き込んでいた。
「だいたいオッケーだよ、兄ちゃん」
小屋の一番奥でサバイバルナイフを磨いていた少年が、顔を上げて答えた。まだ光に慣れていないのか、まぶしそうに目を細めてはいるが、表情は笑っている。
「洞窟の方はどうなの?」
「入り口を塞いでいた板は、俺と木村のふたりで剥がしといた。いつでも入れるぜ」
「早いトコ行こうぜ、沢田。あまり長い間、あそこに車を止めていると目立っちまう。原住民( が不振に思うぜ」)
木村と呼ばれた大学生風の男の片割れが、小屋の中に頭を突っ込んで弟と会話をしている沢田・兄に声を掛けた
「おう、そうだな。晃( 、そろそろ行くぞ」)
沢田・兄は、小屋の中にいる弟の晃に声を投じた。晃は「うん、分かった」と返事をすると、残りの四人を促した。四人は少し緊張した面持ちで、ゆっくりと同時に顎を引いた。
大学生ふたりを加えた七人は、それぞれリュックサックを背負い、懐中電灯を手にして洞窟の前に立った。足下には、細かい木の板の破片が散乱している。この洞窟の入り口を塞いでいたという、板の成れの果てなのだろう。沢田・兄と木村のふたりは、かなり派手に板を壊したようだ。
「だけど火野。あのウワサは本当なんだろうな? これだけ大掛かりなことをして、やっぱりありませんでしたじゃすまないぜ?」
沢田・弟の晃の方が、自分の左側に立って洞窟を凝視している少年に向かって言った。彼が、火野なのだろう。
「何もなかった時には、火野くんが俺たち全員に旨い物を御馳走してくれるだろうさ。なんたって、代議士センセの跡取り息子だからな。小遣いには不自由してないんだろうしな」
洞窟の入り口から二メートル程離れた幹の太い木に、ロープを括り付けていた木村が、狡猾( そうな笑みを浮かべながら戻ってきた。)
「絶対にある。大丈夫だ」
「大した自信ですこと。報酬の方も弾んでくれよ?」
「分かってるよ」
表情を崩さず、火野は答えた。木村は火野から見れば、明らかに目上の男性になるはずなのだが、火野はまるでクラスメイトとでも話しているかのような口ぶりだった。だが木村は、そんな火野の口調に特に気にする様子もなく、
「頼んますよ、火野センセ」
言葉尻に笑いを含めながら、そう言った。
「よし、入るぞ」
沢田・兄の号令で、七人は洞窟の中に足を踏み入れた。
洞窟の中は、ひんやりとした冷たい空気が流れていた。踏み固められているのか、足下はほぼ平坦だった。土の臭いが充満している。
「これってさ、防空壕かなんかじゃないの?」
三分ほど洞窟を奥に進むと、木村は言った。ペタペタと土の壁を叩いている。天井はそれ程高くはない。屈まなければ、頭をぶつけそうだった。背の高い木村は、かなり辛そうだった。時々天井に頭をぶつけて、「いて!」と声を上げている。
「『ぼうくうごう』ってなに?」
晃が兄に尋ねた。
「お前、知らないのかよ!? 勉強しろよ、受験生! 高校に進学できないぞ」
呆れたように兄は答えた。
「太平洋戦争中に作った、アメリカ軍の空襲から避難するための穴だよ」
ぶっきらぼうに火野は言った。
「さすがは火野くん。お前も見習え!」
「太平洋戦争ってなに?」
「第二次世界大戦だ!」
沢田・兄は、弟の頭を拳骨で叩いた。
「だって、そんなのテストに出ないもん」
「一般常識だよ……」
沢田・兄は、弟の勉強不足を嘆いた。
「いきなり崩れたりしないよな……」
そんな沢田兄弟のやりとりを横目で見ながら、木村は壁やら天井やらをペタペタと触っている。かなり不安そうだ。
「帰ったっていいんだぜ。分け前がいらないんなら」
「ここまで来たら、ブツを拝むまで帰れないってばよ」
意地悪そうに言ってきた沢田・兄に対し、木村は心持ち身を正しながら答えた。
「少し広くなってる」
先頭を歩いていた火野が、周囲を懐中電灯で照らした。今まで通ってきた通路と比べると、二回りほど広くなっている。
「奥に何かあるよ!」
晃が声をあげた。全員が一斉に、そこに懐中電灯の明かりを向ける。
「鳥居だな」
沢田・兄が言った。周囲を懐中電灯で照らして改めて確認してみると、この区画だけ丸い空洞のように広く作られていることが分かった。この先に伸びている通路も見当たらず、どうやらこの丸い空洞が終点らしい。
鳥居は高さ一メートルあまり。それ程大きなものではない。防空壕の中に作るのだから、もちろん、そんなに大きな社を造れるわけもないが。
その奥に、細長い木箱らしきものが、奉( られるようにして置かれていた。)
「これが、ウワサの……」
木村がゴクリと喉を鳴らした。
火野が無言のまま社に歩み寄る。僅かに遅れて、恐る恐るといった風に、晃と数人の仲間たちが続く。
どちらが縦で、どちらが横なのか判然としないが、木箱の大きさは、長い方が約一メートル。短い方が二十センチくらいだろうか。細長いという第一印象だった。紋章が記された四枚の札で、封印が施されていた。
「どうだ?」
木村と沢田・兄が覗き込んできた。
「たぶん間違いない。開けてみてくれ」
火野は命令口調で言った。
「お、俺が開けんのかよ?」
火野は、特に誰を指名したわけではないのだが、木村は自分が指名されたと思ったようだ。少しばかり声を裏返して、驚いたように火野の顔を見る。火野は無言で、目だけを木村に向けた。
「わ、分かった。分かりましたよ」
自分の方が年上だということをすっかり忘れているのか、木村は大人しく火野の指示に従うこととなった。
「こういうのは、俺の役目だよな、やっぱ……」
ひとりで納得し、木村は鳥居の左側に回り込んで、横から木箱を手にした。偶然にしろ、木村は鳥居の中に手を突っ込まず、脇から木箱に触れる形を取った。木村にしてみれば、木箱の大きさから考えて、正面から鳥居を通して持ち出すよりは、何もない脇から持ち出した方が楽そうだったからそうしただけなのだが、結果的にそれが彼にとっての幸運だった。いや、不幸だと言うべきか。この時、彼が鳥居の方に手を突っ込んでいたら、その後の悲劇が防げたかもしれなかったからだ。
「よっと」
木村は木箱を手にする。
「軽いな。中身入ってんのか?」
一メートルの長さのある木箱だから、さぞかし重量があるだろうと勢い込んで抱えようとした木村だったが、そのあまりの軽さに拍子抜けしてしまったようだ。軽々と小脇に抱えて、火野の方にやって来る。
「おい、こっちだ」
沢田・兄が、こっちへ置けという風に、自分の足下を示した。
「ん?」
いいのか? という目線を、木村は火野に向ける。火野は頭を一回だけ振って、沢田・兄の方を示した。構わない、という意味らしい。
「はいよ」
火野がいいと言うのならばそれに従う。木村は方向転換すると、沢田・兄の足下に、無造作に木箱を置いた。
「おいおい。丁寧に扱ってくれよ。破損でもしたら、どうするつもりなんだ?」
木村の無神経さに、火野はムッとしてみせた。これだから無知は困る、といった風な顔をした。
「へいへい、失礼しやした……」
鼻の頭に皺を寄せて、木村は大袈裟に肩を竦めて見せた。
「開けろ」
誰にともなしに、火野は言い放った。
「開けろって言ったって、どうすりゃいいんだ? 御札が貼ってあるぜ」
「んなもん、剥がしゃいいじゃんか」
木箱に貼られている四枚の札を見つめながら沢田・兄が言うと、木村はさらりと言ってのけた。鼻歌を歌いながら、率先してその札を剥がしに掛かる。
四ヶ所に貼られている札は、木箱を封印するための札だ。作業を見守る中学生たちの間から、「大丈夫かな」と怯える声も聞こえてきたが、木村はそんな声は無視した。
「ちっくしょ! なかなか剥がれないな」
札は木箱にべったりと張り付いて、なかなか剥がすことができない。木村はついにサバイバルナイフを持ち出して、ガリガリとやり始めた。
「よし! 開けられるぞ」
剥がした―――と言うよりは、札を強引に削り取り、木村はようやく蓋を開けることに成功する。
「へ!?」
木村は素っ頓狂な声を出した。
「何の冗談だよ……」
言いながら木箱の中に手を入れる。取り出したものは、一回り小さな木箱だった。同様に四枚の札で封印されている。
「どんどん小さくなって、終いには『ば〜か!』とか書いた紙が入ってんじゃないのか?」
おざなりに言うと、木村はまたサバイバルナイフで札を無理矢理剥がし、蓋を開けた。
「ビンゴ……」
どうやらまた更に木箱があったようだ。今度も四枚の札で蓋が封じられている。つまりここまでで、三重の封印が施されていることになる。
「とことん開けましょ」
皆が無言でいると、木村は独り言のように呟いてから、札を剥がしに掛かった。三度目ともなるとコツも掴めてくる。なかなか手際がいい。札はすぐに剥がされた。バースデープレゼントの箱でも開けるかのように、木村は楽しそうに蓋を開けた。その表情が曇る。
「何だ? また木箱かい?」
「いや……」
沢田・兄が尋ねると、木村は首を横に振った。その表情には、先程までの戯けた調子が、すっかり影を潜めてしまっている。
「火野センセイ。こいつかい?」
最初の大きさから比べると、四分の一程に小さくなってしまった木箱の中身を、木村は火野に見えるように差し出した。
中を覗き込んだ火野は、すうっと目を細めた。
「どうやらそのようだ」
火野は満足そうに肯いた。
「おい、見せてくれよ」
木村兄弟が、揃って木箱の中を覗き込んだ。
「ホンモノ?」
晃が汚いものでも見たように、顰( めっ面を作った。その後ろで、他の少年たちも木箱を覗き込んで顔を顰めている。)
「持って帰る。そうすれば、こいつがホンモノかどうか何れ分かる」
何か意味ありげな表情をして、火野は言った。