戦士たちの危機


「亜美ちゃん、ちょっといい?」
 放課後、いつものようにパソコン・ルームへ行こうとした亜美を、ひとみが呼び止めた。
 何か、思い悩んでいる様子だった。
 明るく陽気に振る舞っていた昼間とは、全く別人のようだ。
「え? いいわよ」
 ただならぬ様子だったので、亜美は取り敢えずは、ひとみに理由は尋ねないことにした。下手に質問をすれば、かえってひとみの警戒心を強めてしまう。その気になれば、彼女の方から話してくるはずである。
 亜美は、ひとみが話す気になるまで、待っていようと思った。
 廊下を歩いているとき、亜美はうさぎとまことの姿を見かけたが、声はかけなかった。
 向こうも亜美たちのことに気が付かなかったようだったので、この場はそのまま通りすぎることにした。
 ひとみは亜美を、パソコン・ルームへと連れていった。
 自分が行く予定をしていた場所に連れてこられたので、内心ドキドキしていた亜美は、肩透かしを食らったような気分になった。
 パソコン・ルームは、授業以外では、殆ど使用されない教室である。パソコン研究部なるものが、あるにはあるのだが、部員数が少なく、部活動自体も週に一‐二度あるかないかしか活動していない。活動内容がかなり制限されているために、わざわざ学校のパソコンを使う必要性がないと、パソコン研究部部員が言っているのを、亜美も耳にしたことがある。
 また、パソコン・ルームに入るのも、学校の許可が必要なので、一般の生徒には、あまり馴染みのない教室ではあった。普段は、教室の扉には鍵が掛けられていて、入室の前には、担当の先生から鍵を借りるのである。
 亜美は学校から特別に許可をもらっており、放課後のパソコン・ルームへの入室を認められている数少ない生徒の中のひとりだった。ひとみも数少ないパソコン研究部の部員であり、また、部の部長も務めていることから、パソコン・ルームの合鍵を持っていた。
「きのうの事件は知ってるよね?」
 パソコン・ルームへ入るなり、ひとみは尋ねてきた。
「ええ、もちろん………」
 昨夜のニュースでも、トップ・ニュースとして扱われていたし、今朝の新聞の一面にも掲載されていた。学校でも、当然話題になった。知らないと答えるほうが、怪しまれるし、警戒もさせてしまう。
 だが、少しばかり曖昧に答えてしまったと、亜美は後悔した。が、ひとみはそんなことは、気にしてはいない様子だった。
「このフロッピィ見てくれる?」
 ひとみはポケットから、一枚のフロッピィ・ディスクを取り出して、亜美に示した。
 だいぶ古い5インチサイズのフロッピィ。ディスクだったが、この教室のパソコンでも、充分その内容を読み込めるものだった。
 パソコンはそのハードによって、ディスクへの記録方法が若干違い、機種によっては読み取りができないものもあるが、ひとみによれば、この教室のパソコンでも読み取りは可能なはずだという。
 亜美は、理由も分からないままフロッピィ・ディスクを受け取ると、パソコンを起動させた。
 ひとみの言うディレクトリ名を入力し、ディスクの記録を呼び出す。
 しばらくして、ディスクの記録が、映像としてディスプレイに映し出された。
「………!!」
 亜美は声も出なかった。
 そのディスプレイに映し出された映像は、紛れもなく、きのう世を騒がせた、グロテスクな顔そのものだったのである。
「ひとみちゃん、これ………」
 亜美は脅えたような目で、ひとみを見た。ひとみがなぜ、自分にこのような映像を見せるのか、理由が分からない。いや、それ以前に、どうしてひとみが、グロテスクな顔の映像が記録された、フロッピィ・ディスクを持っているのかが分からない。きのう、わざわざグラフィックスを合成したというのだろうか。だとしたら、いったい何のために………。
 亜美が疑問に感じていたことの答えは、すぐにひとみの口からもたらされた。
「お兄ちゃんが残したものなの、そのフロッピィ・ディスク………」
 ひとみは、ぽつりと言った。
 亜美は一瞬、我が耳を疑った。聞き間違えたのかと思った。だが、ひとみの表情が、それは間違いではないと告げている。
「お兄さんが残したって………」
 亜美はそこで、ハッとはなった。きのうの有坂氏の夢のことを、思い出した。
 息子が助けを求めている。有坂氏は、そう言っていた。
 そしてせつなは、謎のS.O.S.をキヤッチしていた。
 この一連の事件の裏に隠されているものが、一瞬、見えたような気がした。
 亜美がひとみにディスクのことを訊こうとしたとき、校庭で悲鳴があがった。

 ガラリと窓を開け、ふたりは校庭に目を向けた。
 部活動をしている生徒たちがいる。見たところ、校庭そのものには、異常はないようだった。
 生徒は皆、上を見上げている。
 亜美たちのいる、三階の教室の窓からの目線の位置には何もない。遠くに東京タワーが見えるだけだ。すると、更に上の方だろうか。だが、亜美の視界の範囲内には何もない。とすると、校舎のほぼ真上か?
 亜美が校舎の上のほうを見ようと、窓から身を乗り出そうとしたとき、突然視界に、あの奇っ怪なグロテスクな顔が飛び込んできた。
「ひっ………!!!」
 亜美は喉の奥で、悲鳴をあげた。心臓が、喉元まで上がってきたような感じがした。
 グロテスクな顔と、視線があった。
 その顔は、明らかに亜美の姿を認めてから、にたりと笑った。
 全身の毛が逆立った。
 亜美が気を失わなかったのは、戦士としての自覚が、恐怖よりほんの少し勝っていたからにすぎない。普通の神経であったなら、間違いなく気を失っていたことだろう。
 亜美は気丈にも、グロテスク顔を睨み返した。
 一方、間近でその顔を見てしまったひとみは、亜美とは違い、気を失いかけた。だが、ひとみも気を失うことはなかった。遠のいていく意識を、必死で引き止めた。現実を認識しようと試みた。
「お兄ちゃん!!」
 そう叫んだのは、恐ろしさを降り払いたかったからだ。
 グロテスクな顔が、ひとみの姿を見つけた。見つけてから、にたりと笑った。
 怪音波が流れてきた。きのう、秋葉原で聞いた音とは、明らかに違う種類のものだ。
(こちらの作戦が、読まれている………!?)
 亜美は、今回の敵は、一筋縄ではいかないと相手だと感じていた。こちらが別の音波で相殺してくるだろうということを、始めから予測していたのだ。だからこそ、きのうとは違う波長の音波を流しているのだ。
 今頃は司令室で、アルテミスが歯ぎしりをしていることだろう。
「な、なによ、この音………!?」
 ひとみが両耳を押さえてかがみ込んだ。
 校庭にいる生徒たちも、同じようにかがみ込んでいる。
 亜美は、パソコン・ルームの窓という窓を全部閉めたが、不快音は消えなかった。いや、さきほどよりは、少しは楽になったような気がする。
 亜美は変身をしたかったが、ひとみが一緒では、それはできない。
 校庭にいる生徒たちが、バタバタと倒れていくのが見えた。あまりの不快音のために、気を失ったのだろうか。
 亜美もひとみも未だ無事でいるのは、窓を全部閉めたおかげかもしれない。多少なりとも、効果があるようだ。
「亜美ちゃん、ちょっと来て!!」
 ひとみが大声で亜美を呼んだ。なにも、そんなに大声を出さなくても、ちゃんと聞こえるのだが、怪音波による錯覚が、ひとみに大声を出させていた。
 ひとみはいつの間にか、窓際から、さきほど亜美が起動させたパソコンの前に移動していた。
 亜美は、ひとみが示すパソコンのディスプレイに目をやった。
「なにかしら………」
 何かのメッセージのようなのだが、よく読み取れない。
 そのとき、突然フッと身体が浮いたような感覚が、亜美を包んだ。
 同時に怪音波が消えた。と、いうより、聞こえなくなった。
「え? どうしたの!?」
 ひとみには、なにが起こったのか理解できない。
 外の様子が、さきほどまでとは違う。空が、いつもの空じゃない。
(だれかがシールドを張ったのね………)
 亜美はこの非常時に、仲間のだれかが機転を働かせて、この辺一帯の空間をシールドで包み込んだのだと悟った。
 アルテミスの提案した、別の音波での相殺ができない以上、とりあえずの処置として、シールドを張るという考えは正解だと思った。ただし、どのくらいの範囲をシールドしたのかが分からない。それに、もちろん、外の通常空間ではどうなっているのかも分かろうほずもない。とりあえずの、応急処置でしかないのだ。この間に、別の作戦を立てなければならない。
 自分も、仲間たちのもとに行かなければならない。亜美は、そう感じていた。しかし、このままひとみをここに残しておくこともできない。
 パソコンのディスプレイの画面は、静止画像になっていた。空間がシールドされたために、外からの情報が入ってこなくなったためだ。
 突然、パソコン・ルームのドアが開いた。
 ふたりはドキリとして、ドアの方に視線を移した。
 よろめきながら、なるちゃんが入ってきた。
「亜美ちゃん………。よかった………」
 なるちゃんは亜美の姿を見つけると、ほっとしたように言った。
「なるちゃん、無事だったのね」
 亜美は友人の無事な姿を確認できて、少し安心した。
 だが、なるちゃんの方は、少々事情が違っていた。
「さっきのパニックで、海野が怪我をしたの。診てくれる?」
 なるちゃんは言った。息がかなり弾んでいる。
 亜美のことを捜し回ったためなのだろう。額にも、僅かに汗が浮いている。彼女なりに、この状況下では、亜美に頼るのが最良の策だと判断して彼女を捜ししていたのに違いない。
「海野君はどこ?」
 亜美は聞き返した。
 亜美は変身こそしてはいないが、今はセーラーマーキュリーだった。取り敢えず、今自分にできることをしなければならない。亜美はそう結論を出した。
「正門のところ」
 なるちゃんは短く答えた。
「行きましょう」
 亜美は軽く頷くと、先に立って走り出した。
 その普段とは違う、凛々しい友人の表情に、ひとみは妙な安心感を感じていた。

 はるかはひとりで街を歩いていた。
 目的地はKO大学。せつなに用事があった。
 みちるとは、珍しく別行動をとっていた。もちろん、それぞれに思惑があって動いているのだ。ちゃんとした計算のもとで動くのが、彼女たちの性分だった。
 はるかはセーラーウラヌス特有の能力で、男と女の両性を使い分けることができる。いわゆる両性具有ではなく、はるかは男の姿のときは完全な男であり、女の姿のときは完全な女だった。言い換えれば、男の姿のときは男としての生理現象が起こるし、女の姿のときは女としての生理現象がある。しかし、はるかはもともとは女であった。セーラー戦士として覚醒する前までは、女性として生活していた。もちろん、戸籍上も女である。セーラー戦士として覚醒して初めて、男にチェンジできる能力が生まれた。
 無限学園に入り込むときには、みちると協力して、男女両方の面から調査するために、はるかは男性として入学した。その結果として、みちるに妙な感情を抱かせてしまったのは、大きな誤算だった。年齢的にも、はるかはみちるより実際には二歳年上であったため、みちるのことを守ってやらなければならないという気持ちがあった。それには男の姿のほうが、なにかと守りやすかったのである。
 だが、最近では、はるかは女性の姿でいることの方が多くなっていた。まわりに女性の仲間が増えたためでもあった。彼女たちと付き合うには、男性の姿では不便だった。はるか自身、もともとが女性なのだから、女性でいるときの方が楽しいのである。必然的に、女性の姿でいる機会が増えた。
 だから、街を歩いていても、男性から声をかけられる機会が多くなった。女性天王はるかは、多少下卑た言い方をすれば「いい女」だった。
 街を徘徊するチンピラ風の男やよっぱらい、もちろん学生風の青年や、はてや若きサラリーマンにも声をかけられるようになった。
 男の目的なんて、みんな同じだ。はるかには、よく分かっていた。
 だから、今回もその類いだと思っていた。
 相手になっていると、男はすぐにつけあがる。自分に気があるのではないかと、迷惑な勘違いをしてくれる。だから、いつも無視をしていた。
 男には、あまり興味がなかった。
(しつこいわね………)
 はるかは心の中で舌打ちしていた。
 もう十分も言い寄られている。たいがいの男なら、三分も無視をすれば、悪態をついて去ってゆく。十分も言い寄られるということは、はるかの経験した中では新記録だった。
(顔を見てやろうか………)
 はるかの心の中で、相手に対して興味が湧いてきた。こんなにしつこく言い寄る男の、顔が見てみたいと思った。顔を見て、文句のひとつも言ってやろうかと思った。
 だから立ち止まった。
 振り向いてみた。
 振り向いてから、ギョッとした。
 背後に、人影が全くない。
 月曜日の午後だというのに、街を歩いている人がいない。いや、先程まで歩いていたはずの、人の姿がない。と、言うより、はるかの目線の位置に、人の顔がなかったのだ。何百人という人々が、路肩に倒れている。
「………!」
 何かの気配を感じたので、はるかは空を見上げた。
 グロテスクな顔の、のっぺりとした後頭部が見えた。
 それなのに、あの怪音波が聞こえない。
 はるかは進行方向に向き直ってみた。自分の前を歩いていた人々が気になった。
 倒れていた。
 はるかの視界の範囲の全ての人々が、地面に倒れていた。
 気を失っていた。
 自分以外の者が全て倒れている。気を失っている。
 自分にだけ、あの怪音波が聞こえなかったというのか?
 状況判断ができなかった。
 自分だけ無事でいる、理由が分からない。
 はるかにしては、珍しくミスをした。まわりを全く気にしていなかった。
 左肩を掴まれた。おそろしく、冷たい手だった。

 ゲームセンター“クラウン”で、美奈子とレーシングゲームをして他の仲間たちを待っていたうさぎは、画面が急にブラックアウトしたので、慌てて隣のシートの美奈子を見た。
 美奈子のゲーム機の画面も消えている。
 ふたりのシート越しにレースを観戦していたまことも、ただならぬ気配を感じて、身を硬直させた。きのう秋葉原で起こったのと、同じ現象だった。
 画面が消えてしまったのは、彼女たちが遊んでいたゲーム機だけではなかった。“クラウン”全体のゲーム機の機能がストップしていた。
 古幡元基とアルバイト仲間の学生が、慌てふためいている姿がチラリと見えた。
 まことはすぐに、外に飛び出していた。
 きのうと同じ現象なら、外にきのうと同じものがいるはずである。
 飛び出てみて、ギョッとした。
 街ゆく人々が全て、道端に倒れて気を失っている。
 道路を走っていたはずの自動車も、エンジンをかけたまま停止している。ドライバーはもちろん、同乗者も車の中で気を失っていた。
 何かが起こった。自分たちの知らない間に。
 こんな異常事態だというのに、他の仲間の姿が見えない。連絡もない。
 まことは空を見上げてみた。
 きのうと同じ、グロテスクな顔があると思ったからだ。
 だが、空にはあのグロテスクな顔は、ひとつも浮かんでいなかった。
「どうしたっていうんだ………」
 どうやって、これほどの人々を気絶させたのかが分からない。
 “クラウン”の中で悲鳴があがった。
 まことは素早く“クラウン”の中に戻る。
 再びギョッとした。
 ゲームのディスプレイの画面から、真っ黒な手が飛び出し、自分たちのゲーム機の前にいた人間を鷲掴みにしている。
 うさぎと美奈子のふたりも例外ではなかった。
 うさぎなどは、既に下半身がディスプレイの中に飲み込まれている。
 美奈子は逆に上半身が飲み込まれており、ディスプレイの外にある足をバタつかせて、必死に抵抗していた。
 考えるよりも先に、まことの体は動いていた。
 力任せにうさぎを引っ張り出すと、次に美奈子を助け出す。
 尚も襲いかかってくる黒い手を躱しながら、三人はメイク・アップのかけ声をあげた。
「ヴィーナス・ラブ・ミー・チェーン!!」
 ヴィーナスが腰のチェーンベルトを外して振り回した。
 二‐三の黒い手を弾いた。
「攻撃が効いた!?」
 攻撃を仕掛けたヴィーナスの方が驚いていた。
 きのうのグロテスクな顔の方には、物理攻撃は一切通用しなかった。なのに、きょうのこの黒い手には攻撃が通じたのである。
「こいつには攻撃が効くんだな」
 がぜん張り切ったのはジュピターである。さっそく、ティアラのアンテナを伸ばす。
「シュープリーム………」
「駄目よジュピター!!」
 慌ててヴィーナスが制した。
「みんなを感電させる気!? ゲーム機だって壊れちゃうわよ!!」
「そ、そうか………! だけど、このままじゃ………」
 既に何人かが、ゲーム機の中に飲み込まれてしまっている。
「ど、どうしよう………」
 セーラームーンもオロオロしている。
 ヴィーナスがひとり、ラブ・ミー・チェーンで応戦しているが、ひとりではどうにもならない。セーラームーンやジュピターの他の技では威力が強すぎて、助けるべき人々まで巻き込んでしまう恐れがある。
「くそぉ!!」
 自分を襲ってきた黒い手を、サンダー・ナックルで粉砕しながら、ジュピターは喚いた。
 そのとき、ドーンという衝撃とともに、妙な違和感が体を包んだ。
 “クラウン”全体が浮き上がったような気がした。
 この感覚は………。
「だれかが超次元空間を作ったわ………」
 ヴィーナスは直感で感じたことを口にした。
 仲間のだれかが、通常空間からこの辺一帯を切り離して、別の空間で包んだのだ。
 黒い手が、一気に消滅した。
 ディスプレイに一旦は飲み込まれた人々も、黒い手の消滅とともに、外に吐き出されている。
「くそっ! なんだよ! どうなってんだ………!!」
 セーラー戦士以外で、ただひとり気を失わなかった元基が、わめくように言った。
 ウィーーーン
 “クラウン”の自動ドアが開いた。
 四人は一斉に入口に目を向けた。
「セーラープルート………」
 入口に立つ美しい戦士の名を、セーラームーンは呟くように言った。
「シールドはプルート(せつなさん)が張ったのね」
 プルートの落ち着き払っている様子から、ヴィーナスは彼女が空間をシールドしたことを悟った。
 プルートは時空を操る戦士である。空間をシールドするなどという技は、彼女にはお手の物だろう。
「みんなは………?」
 セーラームーンはプルートに訊いた。
 プルートは分からないと答えた。
「シールドはしばらく張ったままにしておくわ。今のうちに、みんなを捜しましょう」
 プルートは言った。そして、
「元基さんはここを動かないでください。仲間がくるかも知れませんから………。それと………、パニックになりますから、この人たちはこのまま寝かせておいてくださいね」
 そう、元基に頼んだ。
 元基が頷くのを確認すると、次にプルートはセーラー戦士たちに瞳を向けた。
「敵はかなり手強いわ。次に何が起こるか、全く予測がつかない。シールドの中と言っても、安心はできないわ。用心してね」
プルート(せつなさん)はどうするの?」
 プルートの言葉が他人事のような口調だったので、セーラームーンが尋ねた。
「わたしは司令室で状況を調べるわ。外の様子も探らなきゃならないし、シールドだって、いつまでも張ったままではいられないわ」
「そう、そうですね。プルート(せつなさん)には、プルート(せつなさん)にしかできない仕事があるもね………。
セーラームーン、あたしたちはあたしたちのできることをやりましょう」
 四守護神のリーダー、セーラーヴィーナスはそう言って、外に飛び出していった。

「さようなら、火野さん。また、お会いしましょう。それまではお元気でね。オー、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ………」
 弥勒院の嫌らしい笑い声にうんざりしながら、レイはT・A女学院の正門を潜った。
 弥勒院玲子は、何かにつけ、レイをライバル視してくる。以前とは打って変わって、人気の出てきたレイに、嫉妬しているようだった。レイ本人が、まわりに無関心であればあるほど、弥勒院玲子は、うるさく付きまとった。
 弥勒院にしてみれば、名前の響きが似ていることも、気に入らないことのひとつだった。
 レイにしてみれば、弥勒院の嫌がらせは、ストレスの貯まる原因のひとつだった。人気があろうがなかろうが、レイにとってはどうでもいいことだった。人付き合いがあまり上手でないレイにとって、多くの人とふれあいを持つということは、けっこうストレスが溜まる。
 だが、そんなレイの心とは裏腹に、まわりはレイと友達になりたいと思っている女学生たちで、うるさいくらいだった。
 弥勒院玲子は、それが面白くなかった。自分が何でも一番でないと、気がすまなかった。
 だから、レイに対して敵意を剥き出しにしてくるのだ。
 レイは気にはしていなかったが、何かにつけ文句を言われるのは、やはりストレスが溜まる。
 弥勒院玲子の馬鹿笑いを背中に聞きながら、レイは正門を潜って女学院の外へ出た。
 ふと、何かを感じて顔を上げると、目の前に、あのグロテスクな顔があった。きのうのような巨大なものではなく、ちょうど人間の顔と同じぐらいの大きさだった。しかし、それは間違いなく、きのうと同じ、あのグロテスクな顔だった。
「………ひっ………!!」
 さしものレイも、喉の奥で悲鳴をあげた。
 グロテスクな顔はレイを見てニタリと笑うと、グングン大きくなっていった。
 下校中の女学院の生徒たちも、異常事態に気付いた。
 気付いたから、悲鳴をあげた。
 巨大になったグロテスクな顔から、不快音が流れた。きのう聞いた音とは、違う音のように感じられた。
 まわりにいる女学生たちが、バタバタと倒れた。
「な、なんですの!? これは………」
 後ろで弥勒院玲子が喚いている。
 レイは印を結んだ。その法力で、グロテスクな顔を追い払おうと試みた。
「………!?」
 レイの法力も無力だった。
 音のボルテージが上がった。
 体全体が、見えない刃物で切り裂かれる思いだった。
 頭の中が真っ白になった。
 意識が遠のいていった。

 衛は“クラウン”に向かう途中だった。
 生理的に不快感を覚える音波が、ふいに頭上から降り注がれた。
 通行中のの人々が、次々と気を失う。
 道路を走っていた車も、急停車する。ドライバーは、気を失っていた。追突事故を起こしている車もある。
 街の機能がマヒしていた。
 立っている者は、衛の他にはだれもいない。
「………ん?」
 道端に倒れていた女子高生が、ヨロヨロと立ち上がるのが見えた。
 衛は、その女子高生が知っている顔だったので、倒れている人を踏まないようにしながら、女子高生の方に走っていった。
「ま、衛さん………」
 女子高生も、衛に気付いた。
 不快音は相変わらず続いているが、幾分その音に、身体が慣れたようだった。
「しっかりしろ………」
 倒れそうになる女子高生の肩を、抱き抱えるようにして支え、衛は励ましの声をかけた。
 甘いコロンの香りが衛の鼻をくすぐる。嫌みのない香りだった。
 このコロンは、何て名前なのだろう。そう余分な事を考えられるほど、衛にはまだ余裕があった。
 虚ろな瞳で、女子高生は衛を見た。
 彼女には、この不快音はかなりのダメージを与えたようだった。
「ひとりか………?」
 肩を抱く手に少し力を加えて、衛は訊いた。
「は、はるかはせつなに用事があると言って、大学へ行ったのよ………。あ、あたしは、“クラウン”へ行こうとして………」
 美しい顔を苦しそうに歪めながら、みちるは答えた。
 身体に力が入らないのか、衛に支えられるがままになっている。
 不快音のボルテージが、グンと上がった。
 音波が衝撃波をともなって、ふたりを襲う。
 明らかに、ふたりを狙った攻撃だった。音波がふたりに集中している。
「あぁぁぁぁ………!!」
 みちるが身体をピクンと震わせて、悲鳴をあげた。
 大きく身を逸らして苦しがる。
 衛も歯を食いしばって、衝撃波に耐える。
 衛の腕の中で、みちるは身体を硬直させた。
 衛が感じている以上に、みちるは不快音に苦しんでいた。
「あぁぁぁぁ………! あっ、あっ、あっ、あっ………!!」
 みちるの身体が痙攣を始めた。
 不快音は一層強くなる。
 このままでは、みちるが危険だった。不快音による攻撃は、繊細な神経を持つみちるには、予想以上のダメージを与えているようだった。
 衛はタキシード仮面の姿になり、自分たちのまわりにドーム上のバリアーを張った。
「く、くそっ!」
 衝撃波は遮断できたが、音波までは遮断できなかった。
 みちるの呼吸が、時折途切れるようになった。腕を伝わってくる彼女の心臓の鼓動が、信じられないくらいに早い。セーラーネプチューンに変身できれば、普通の状態でいるよりかは、音波による攻撃も軽減できるはずだったが、今の彼女には変身すらできる余裕はなかった。
 みちるは危険な状態だった。このままではみちるの命が危ない。タキシード仮面ががそう考えたときだった。
 不意に音波が途切れた。
 衝撃波もおさまったようだった。
 タキシード仮面はバリアーを解いた。
「だれかが、シールドを張ったのか………」
 タキシード仮面は、いつもとは違う空を見上げて言った。
 仲間が機転を働かせたらしい。十番街一帯を超次元空間に封鎖したに違いない。
 助かった、と、タキシード仮面は思った。
「大丈夫か?」
 腕の中のみちるを見た。
 みちるは額一杯に脂汗を浮かべている。顔面は蒼白で、胸が大きく脈打っていた。呼吸が荒い。
 みちるは焦点の合わない瞳で、タキシード仮面を見ていた。
「………死ぬかと思ったわ………」
 弱々しく言うと、みちるは笑みを浮かべた。
 笑みを浮かべて見せたのは、もう大丈夫だという、彼女なりの意思表示だった。
「立てるか?」
 タキシード仮面は優しく訊いた。
 みちるは力強く頷く。頷いてから、このままもうしばらく、この人の腕の中にいるのも悪くないなと思ったのは、彼女が女だからである。
 タキシード仮面は、みちるの身体を気遣いながら、ゆっくりと腕を放した。
 だが、みちるはまだ完全ではなかった。身体に力が入らない。
 倒れそうになるみちるを、タキシード仮面は再び抱きとめた。みちるの心臓の鼓動が僅かに早まったのを、タキシード仮面はその胸で感じていた。
 ふたりの間に甘い空気が流れた。だが、ふたりは戦士だった。
「ごめんなさい………」
 みちるはタキシード仮面から離れた。そして、軽く深呼吸した。
「“クラウン”へ行きましょう。状況が分かるかもしれないわ」
 淡々とした口調でそう言うみちるは、衛の知っている、いつもの冷静なみちるだった。