謎のS.O.S.


「あん、せつなっ! ちょっときてよぉ〜!」
 情けない声を出してせつなを呼んだのは、一年先輩の西村レイカだった。
 レイカはアクセス入力を待ったままの、パソコンのディスプレイの前で、困り果てた表情で、せつなの姿を捜していた。
 部屋の奥に籠っていたせつなが、何事かとやってくる。
 レイカは早く来てくれと、手招きをしている。
 KO大学の自然科学研究室だった。
 昼食を取ったあと、せつなは教授とふたりで、来月の研究発表会のためのレポートを作成していた。
 レイカは三時頃、ケーキを持ってやってきた。
 お目当ては、研究室にあるパソコンだった。研究室のパソコンが接続しているインターネットを利用して、データバンクから収集したい情報があったのだ。
 夏休み期間中の宿題レポートの作成には、どうしても必要な情報だった。その情報のデータバンクには、インターネットからでないとアクセスできなかったためだった。
 レイカが研究室のパソコンを使い出して、五分とたたないうちに、せつなは呼ばれることとなった。
「どうしたんですか………?」
 せつなはレイカの背後から、覗き込むようにして訊いた。
「何度やってもインターネットに接続できないのよ。昨日とパスワードを変えた?」
 レイカも素人ではない。インターネットぐらいなら、誰にも聞かずに繋げられるし、情報の検索の仕方だって知っている。研究室のパソコンでインターネットに接続するためには、研究室に出入りできる者しか知らないパスワードが必要なのだが、レイカには特別に教えてあげていた。もちろん、教授の許可は取ってある。
「そんなはずないですよ………」
 せつなは不思議そうに言った。
 そそっかしい、レイカのことである。余計なことをやってしまったのかとも思ったが、困り果てているレイカを気の毒に思い、せつなが代わりにパスワードを入力し直しすことにした
 ピーッ。
 電子音とともに、エラーが表示された。
「へんですね………」
「………でしょ、でしょ、でしょ!!」
 レイカがせつなの顔を見る。やっぱり自分は間違ってなかったという、意思表示である。
 せつなは再度、パスワードを入力してみた。
 やはり、エラーが表示される。
「どうしたんだ………?」
 一向に戻ってくる様子のないせつなに、しびれを切らしたのか、奥の部屋から教授が出てきた。
「すみません………。インターネットに接続できないんです………」
 助けを求めるような瞳で、せつなは教授を見た。
「冥王らしくないな。………パスワードを忘れたのか?」
 しょうがないな、というふうに笑みを作りながら、教授がやってきた。
 同じように、パスワードを入力してみた。
 エラーが表示された。
 もう一度入力してみる。
 結果は同じだった。
「おかしいな………」
 教授も訝しんだ。腕組みをして、首を捻っている。
「あたし、壊しちゃったなんてことないわよね………」
「いえ、そうじゃないと思いますけど………」
 せつなにも、説明のしようがなかった。
 教授が「う〜ん」と声を出して、唸っている。
 パスワードの入力は、間違っていない。なのに、エラーが表示される………。
 カタ、カタカタカタ………。
 せつなが今一度、パスワードの入力を試みた。
 今度は、エラーが表示されなかった。
 そのかわりに、ディスプレイがブラックアウトしてしまった。
「消えちゃったわよ………」
 目をパチクリさせながら、レイカはせつなを見た。
「故障かもしれないな………」
 教授は言った。とどのつまり、行き着く先はそうなるのが、当然と言えた。
「故障じゃしょうがないわよねぇ………」
 レイカも諦め顔である。
 だが、せつなは違っていた。真剣な眼差しで、ディスプレイを睨んでいる。
 カタカタカタ………。
 キーボードを叩いて、何かを入力している。
「いいわよ、せつな。今日は諦めるわ………」
 真剣な表情のせつなに、レイカはにこやかに言った。
 そのとき、突然ディスプレイに光が走った。
 メッセージが表示される。
 日本語ではない。象形文字のようだが、見たことのない種類のものだ。
「おい、冥王。何にアクセスしたんだ………!?」
 教授も何がなんだか分からずに、せつなに尋ねている。
 ディスプレイには、複雑な幾何学模様が表示されている。何種類もの幾何学模様が、物凄いスピードで入れ代わっている。
「何よこれ………。どこのネットワーク?」
 レイカは言いながら、せつなの顔を見た。
 せつなの瞳は、ディスプレイに釘付けになっていた。そのあまりにもの真剣な眼差しに、レイカは圧倒されてしまった。
 教授もせつなの眼差しに気づいたようだった。レイカと教授は困惑顔で、お互いを見た。
(これは、どういうこと………!?)
 せつなは、ディスプレイの幾何学模様に見入っていた。いや、せつなの瞳には、幾何学模様に混じって、別のものが映っていたのだ。
(救助信号!?)
 混じっていたものは、S.O.S.の信号だった。
(だれかの悪戯かしら………)
 そう考えてもみたが、悪戯にしては説明できない部分があった。
(これでは、“ふつうのひと”には見えない………)
 通常では、読めないS.O.S.だった。せつなだからこそ、分かったのである。
 特定の人にしか分からないのでは、悪戯にならない。そうしなければならない、理由があるはずである。
(あなたのS.O.S.はキャッチしました)
 危険な賭であったが、こちらからメッセージを送ってみた。
────よかった。メッセージに気付く人がいてくれて────
(こちらからメッセージを送っても、危険ではありませんか?)
────大丈夫。いま、あいつは眠りの時間だから────
(あいつとは、だれですか?)
────………の………した……………。………空間の……都市………────
 突然相手からのメッセージに、ノイズが混じって読みづらくなった。
「ねぇ、どうしたのよ、せつな。なにをしてるの?」
 レイカが脇で尋ねるが、せつなの耳には届かなかった。
 せつなはディスプレイを見つめたまま、キーボードを叩いている。なにを入力しているのかは、レイカにも教授にも判らない。
────いけない……つが目を……した。………上、通信は……ない────
(待って、あなたはどこにいるのですか?)
────守って………────
(守るって、なにをですか?)
────………が、危険。守ってくれ………────
 ノイズがひどくなる。もう限界なのだろう。
(待って、もう少し聞きたいことがあります)
 せつなはメッセージを入力するが、もうそれに対する答えは返ってこなかった。
 ディスプレイの画面から、複雑な幾何学模様が消え、ブラックアウトする。画面が切り変わった。レイカが呼び出すはずだった、ネットワークの画面だった。
「せつな!」
「冥王」
 レイカと教授が、同時に声をかける。
 ようやく、せつなは我にかえった。顔を上げ、両脇にいるふたりを交互に見た。
「すみません。だれかの悪戯のようです」
 せつなはそう答えるしかなかったが、ふたりはなにも尋ねてはこなかった。
 せつなは、機能の回復したパソコンをレイカに譲り、席を立った。
 ふと、窓の外に目をやった。
 夕日が奇麗だった。
(あの、メッセージはいったい………)
 メッセージの送り主は、何かを守ってくれと言っていた。それがなんなのか、今となっては、探る術はない。
 ただ、せつなは、これからなにか、よくないことが起こるかもしれないという、嫌な予感を感じていた。