逆転


“何故だ………!? どうしてなんだ………!?”
 “声”は明らかに動揺していた。
 彼にしてみれば、パーフェクトな作戦だったのである。失敗する確率など、計算では殆どなかったのだ。なのに、現実は失敗した。彼自身が作り出した「しもべ」の裏切りによって………。
 考えてもいない結果だった。
 慌てて放った「バグ」の大群も、計算外の結界によって、今や全くの無力だった。
“………そんなはずはない。完璧だったんだ………。さっき採取したお姉さんのデータを完璧にコピーしたんだ。あれは、お姉さんそのものだったはずだ………。それとも、ボクのプログラムが間違っていたのか………? 途中までは上手くいっていたのに………”
 “声”は、明らかに狼狽えていた。
「完璧に作りすぎたのよ………」
 配線コードに縛られたまま、マーキュリーは抑揚のない声で言った。
“完璧に作りすぎた………?”
 “声”は、マーキュリーの言葉を繰り返す。
「そう、あまりにも、あたしそっくりにプログラムしすぎたのよ。だから、本当のあたしなら、きっとそうするだろうという行動を、“そっくりさん”もとったんだわ………」
“それは、どういうことなんだ………?”
「あなた、そんなことも分からないの………?」
 ひとみが口を開いた。その口調からは、哀れみが感じられる。
“分からない………。どうしてなんだ………?”
「友達だからよ」
 きっぱりと、マーキュリーは言い放つ。その瞳は、まっすぐに正面を見据えている。
“友だち………?”
「そうよ、友だちだから………。だから、救いたいと思った。巻き添えにはできないと考えたのよ………。セーラームーンとともに自爆するというプログラムは、すなわち、彼女の体内に爆弾を仕掛けていると、暗に説明してしまったようなものなのよ。だから、“そっくりさん”は、あんな行動をとったのね………」
“それは、どういうことなんだ………?”
 “声”は、再び同じ質問をしてきた。
「お前には、絶対に理解することのできないことだ………」
 低く、押し殺したような、たけるの声だった。
 マーキュリーとひとみは、機械と同化しているたけるに視線を向けた。
 たけるはふたりの視線を受けとめると、再び話し出した。
「俺は、お前を完璧にプログラムしたつもりだった」
“………つもりだった!?”
「そうだ。お前自身も気付いていないはずだ。いや、気付けないはずだ。俺は、お前をプログラムしたとき、一番肝心なものをプログラムし忘れた」
“肝心なもの………?”
「俺が当時、忘れていたものだ。もっとも、俺はそれを求めるために、お前をプログラムしたんだがな………」
 たけるは、チラと妹を見た。妹は悲しげな視線を、兄に向けている。その理由を、妹は知っているからだ。
「機械のあなたには、絶対に分からないことよ」
 きっぱりとした、ひとみの言葉が響く。
「………どうして、お兄ちゃんに、こんなひどいことをしたの? あなたは、お兄ちゃんの友だちとして、作られたんじゃないの………?」
 機械と一体化されてしまった兄を救う術は、おそらくないだろう。ひとみにも、それくらいのことは分かる。
 半狂乱にならなかったのは、ひとみの心の中で、今起こっていることが、夢であるかもしれないと思う気持ちの方が強いためである。彼女たちの置かれている状況は、あまりにも現実離れをしていて、常人では理解しがたいものである。
 夢であると心の隅で思っているからこそ、彼女はこの状況に於いても錯乱することはなかったし、また“声”と対等に話すことができるのである。
“勝手なことを言うな!!”
 “声”はぴしゃりと言い返してきた。鋭い声が部屋の中に木霊し、まだ何かを言おうとしていたひとみは、その言葉を飲み込まざるを得なかった。
“友だちなもんか! 友だちだったら、どうしてボクを消そうとしたりなんかするんだ………!!”
 悲痛な声が響いた。だが、ひとみは怯まなかった。正面を、睨むように見据えている。
「だからと言って、お兄ちゃんをこんなひどい姿にする理由にはならないわ!!」
 マーキュリーはこのとき、たけるが悲しげに目を伏せたのを見ていた。妹に、「ひどい姿」と言われたのが、ショックだったのだろう。
 もちろん、言った本人のひとみは、そんなつもりで言ったのではないことは分かっている。しかし、はっきりと言葉として聞かされれば、やはり辛いことだった。
 マーキュリーは、たけるが気の毒でならなかった。救ってあげたいが、もはや機械と同化している彼を救うことはできない。無理に切り放せば、たけるは死んでしまうだろう。だが、今のままでは、やはりそう長くはないのは分かっている。今、この空間を支えているのは他でもない、たけるの生命エナジーなのだ。
“うるさい! ウルサイ、うるさい、ウルサイ!!”
 ヒステリックに、“声”は叫んでいた。その一語一語に応じるかのように、部屋全体が振動していた。
「きぁあああ………!!」
「うわぁあああ…………!!」
 強烈な電撃が、たけるとマーキュリーを襲った。
 ふたりは突然襲ってきた苦痛に、顔を歪めた。
 電撃は、なおも続いた。
 たけるは全身を痙攣させ、マーキュリーは大きく身体を反らせる。
「何をするの!? やめて! ふたりとも、死んじゃう!!」
 必死の形相で、ひとみは叫んだ。
 バチ! バチバチバチ!!
 火花が散った。
 ひとみは目を閉じ、身を硬くした。
 唐突に、悲鳴はやんだ。
 先程まで、悲痛の声をあげていた、兄とセーラーマーキュリーの声が聞こえなくなってしまった。
 ひとみの心の中で、ある信じがたい単語がクローズアップしてきた。
 ひとみはその単語を、現実として受け入れることを拒んでいたため、目を開けるのをためらっていた。だが、すぐに意を決して、目を開けてみた。
 ひとみのまわりには、ずらりとセーラー服のコスチュームに身を包んだ、美しい女の子たちが、彼女を守るように立っていた。
 その中には、ふたりのセーラー戦士に身体を支えられている、セーラーマーキュリーの姿もあった。
「チェックメイトよ!」
 マーキュリーの声が響く。
「あなたの負けよ………」
 きっぱりと言った。
“まだだ! まだボクは負けた訳じゃない!!”
 なおも言い張る“声”に対して、今度はたけるが、低い声で言い放つ。
「何をやっても無駄だ………。お前は負けたんだよ。お前の力では、彼女たちとまともに戦うことなんて、とうていできない。戦うのに必要なエナジーが、もうないはずだ………」
 たけるは深く息を吸い込んだ。呼吸が荒い。彼の命も、もう尽きようとしているようだった。
「………お前は外の世界でエナジーを集めようとしたが、失敗した。更に、この世界にわざわざ彼女たちを招き入れ、彼女たちからエナジーを奪おうとしたが、それも失敗した。そのお前が、このあとどうやって彼女たちと戦おうというんだ………!?」
“違う!! 違う! 違う! 違う!”
 ヒステリックに、“声”は喚き散らす。
“こいつらがこの世界にいる限り、ボクには負けはない!!”
 “声”が叫ぶのと、ほぼ同時だった。
 ドーンという地響きとともに、激しい振動が、塔全体を包んだ。
 まともに立っていることすらできない。
 バランスを崩して、ちびムーンが尻餅を突いた。
 他のセーラー戦士たちも、よろけながら床に膝を突いた。
 バラバラという、何かが崩れるような音が響いた。
「お前………! なんてことを………!!」
 たけるの表情が急変した。
 たけるの狼狽に、何かを感じたプルートが、ガーネット・オーブを出現させて、空間を調査する。
「いけない!! 空間が壊れる!!」
 悲痛な声で叫んだ。
“みんな、みんな死んでしまえ!!”
 狂ったような声が響く。
 怯えるひとみの肩を、マーキュリーが大丈夫だというふうに抱きしめる。
「どうだ? プルート………」
 冷静さを失わない表情で、ウラヌスはプルートの顔を覗き込む。
 プルートは、首を横に振る。
「………駄目だわ。ここの座標が正確につかめないし、通常空間の座標も分からない………。テレポートができない」
 淡々とした口調で、プルートは説明した。それがかえって、事態が神妙であることを、皆に推測させることとなった。
「ネプチューンのミラーのところへなら、転移できるんじゃないの?」
 ヴィーナスが訊いてきた。プルートはかぶりを振った。
「妨害されているわ」
「今、座標を計算するわ」
 マーキュリーがポケコンのキーを叩き出す。
「間に合う?」
 ネプチューンがプルートに尋ねる。
 プルートは再び首を横に振った。
 マーキュリーが必死にポケコンで計算してくれているが、両方の正確な座標が、そう簡単に割り出せるというものではないことを、計算しているマーキュリーもよく分かっていた。
 プルートが意を決したように、ガーネット・オーブをロッドの先端に装着させた。
 オーブと合体したロッドは、ガーネット・ロッドとなった。
「わたしがしばらくの間、時間をかせぐわ。マーキュリー、その間に座標を割り出して………!」
「プルート、まさか時間を………」
 マーキュリーは緊張した面持ちで、プルートを見た。
 プルートは優しげな表情で、その問いに答えるかのように、小さく笑った。
「だ、ダメ!! プルート! 時間を止めたりなんかしちゃ!!」
 セーラームーンが止めに入る。時間を止めるということはどういうことなのか、
彼女たちは痛いほど分かっていた。
「時間を止めるだって!? プルートには、そんなに凄い能力があったのか………」 そう感心するウラヌスに、セーラームーンは悲しげな視線を向けた。
「そうよ。………でも、その能力を使ったら、プルートは死んでしまう………」
 縋るように、プルートを見る。
「あんな悲しい思いをするのは、もうたくさんよ!」
 潤んだ瞳で説得しようとするセーラームーンに、プルートは嬉しそうに微笑んだ。「ありがとうセーラームーン………。でも、このままでは、みんな助からないわ………。わたしはあなたがたのためなら、この命はすこしも惜しくはありません………」
“どうして他人のために、命を賭けられるんだ………!?”
 先程までとは一変した、“声”が聞こえてきた。
 プルートは、その“声”の方向に、強い意志を秘めた視線を向けた。
「わたしは、わたしの愛する者のためならば、命を捨てることなんて惜しくない。
あなたには、プログラムされていないから、理解できないでしょうけど………」
「みんな、あれ!!」
 だしぬけに、ちびムーンが叫んだ。たけるのいる壁の方を、指差している。
 見ると、たけるのすぐ近くにあるパソコンのディスプレイに、何やら映し出されている。3Dグラフィックスのようなのだが、意味がよく分からない。
「………あれは、空間の座標だわ!!」
 マーキュリーが、信じられないようなものを見る目で、ディスプレイを見つめている。そのマーキュリーの脳裏に、あることが閃いた。
「有坂さん!? 有坂さんだわ………」
 マーキュリーは、自分たちが帰るべき場所を示してくれているのが、病床の有坂氏であると直感していた。
「みんな、集まって!! この空間から抜けるわよ!!」
 プルートはロッドを構え、既に準備していた。
 ガラガラという音とともに、天井が崩れてくる。
 瓦礫が、一カ所に集まろうとしていた彼女たちの頭上に降り注ぐ。
ヒューン!
 光とともに飛んできた四つの翡翠が、彼女たちのまわりにバリアーを張った。
“さぁ、早く!”
 クンツァイトの声が、一刻も早く、この空間から脱出するように促す。
 戦士たちは、プルートのまわりに集まった。
 マーキュリーに連れられて移動してきたひとみが、後方の兄に振り返った。
「お兄ちゃん!!」
 兄は機械と同化している顔を、僅かに妹の方に向けた。
「ひとみ………。父さんを、頼む………」
 力のない声で、そう言った。
「………お兄ちゃん!!」
 ひとみは兄に向かって、走りだそうとする。
 そのひとみを、マーキュリーが制する。ひとみの前に回り込んで、身体全体で抱きしめるようにして、彼女を制している。
「駄目よ! ひとみちゃん!!」
「は、放してよ! お兄ちゃんを助けるんだから………!!」
 ひとみはものすごい力で、マーキュリーの身体を引き離そうとする。
「プルート、急いで!!」
 必死にひとみを押さえたまま、マーキュリーは叫んだ。
「ディメンション・ワープ!!」
 プルートの声が響くと、彼女たちは光に包まれていった。