無人の都市


 目の前に、巨大な都市が広がっていた。もちろん、初めて見る都市だった。
 彼女たちの誰ひとりとして、この都市を知っている者はいなかった。
 立ち並ぶ高層ビル群は、どことなく妙な懐かしさがあり、決して近代都市というイメージではなかった。どことなく、ひと昔まえの高層ビル街という印象があった。
 セーラームーン、ヴィーナス、ちびムーンの三人が、まわりの景色を眺めながら感嘆の声をあげた。
「遠足に来たわけではないのよ」
 マーズが窘めるように言う。油断は禁物である。なにしろ、ここは敵の本拠地なのだ。何が起こってもおかしくない。
「………だけど、よくも作ったものね………」
 ネプチューンが周囲を見渡し、呆れたように言った。
 ネプチューンが呆れるのも無理はない。この都市に来て、まだ僅かな時間しかたってはいないが、この都市の大きさは、まわりを見ただけもで、だいたい想像がつく。都庁が建つ前の、新宿駅周辺のような街並みだった。
「でも、あの建物だけは、趣味が悪いわね………」
 一際目立つ、黒い塔のような建物を見て、ネプチューンはうんざりしたように言った。
 確かにあの建物だけ、全く異質の印象を与えている。
 ここからでは距離があるために、その材質までは分からないが、この街並みには全くの不釣り合いな建物だった。
「いかにもって、感じよね………」
 ヴイーナスの瞳は、何故かキラキラと輝いて見えた。わくわくしていると表現してもいいくらいだ。
 ジュピターもマーズも、特にその理由を確かめようとはせずに、それでいて、理由が分かっているかのように、頭を抱えた。理由など、訊かなくても分かっている。あの塔があまりにも、R.P.G.に出でくる最終ボスの待ちかまえている、ラストステージの塔に似ているから、ヴイーナスが喜んでいるのである。ヴィーナスがR.P.G.ゲームの主人公にでもなったつもりになっているのは、付き合いの長い彼女たちには容易に想像することができた。
「………どう考えても、あそこに亜美がいるような気がするけど………。そう思わせる、敵の罠っていう可能性も否定できない………」
 ウラヌスが苛立たしげに言った。意見を求めるように、プルートに目を向けた。
「罠という可能性がある以上、真っ先にあの塔に行くのは危険かもしれないわね………」
 プルートは、考えるような仕草をする。
「この都市のことを、少し調べてみてからでも遅くないわね」
「三方に別れて行動しましょうか?」
 ウラヌスはタキシード仮面をチラリと見る。タキシード仮面の意見も聞きたかったからだ。
 ウラヌスが三方と言ったのは、メンバーが九人いるためである。三人ずつの三チームが作れる。
「戦力を分散させるのは、まずくないですか? この間のこともあるし………」
 ジュピターの意見は正論である。敵の戦力が分からない以上、こちらの戦力を分散させるのは危険である。この場にルナやアルテミスがいたら、おそらく同じ事を心配したに違いない。
「いや、俺たちがここに来てから、既に数分たつが、敵が襲ってくる気配はない。敵も様子を見ているのかもしれない。ならば、こちらが行動を起こすしかないだろう」
 タキシード仮面は言いながら、全員を見渡す。だれか、他に意見があったら言ってほしいという風だ。
プルートが口を開く。
「この空間は、極めて不安定だわ。例え攻撃を受けたとしても、極力技の使用は避けた方がいいわね。この空間で使うには、わたしたちの技は、威力が強すぎるわ」
 プルートは両手の上に、ガーネット・オーブを出現させている。素早く、この空間をサーチしたのだろう。
「そうか、だから攻撃してこないのね………」
 ヴィーナスが納得したように言う。
 セーラームーンとちびムーンはまだ納得できないのか、そろって目をパチクリさせている。その仕草があまりにもそっくりだったので、ネプチューンはクスッと笑ってから、
「わたしたちが攻撃できないことと同じ理由で、敵もわたしたちにダメージを与えるほどの攻撃は、してこれないということよ。この空間が壊れてしまうもの」
 まるで、母親が子供に説明しているかのように、ゆっくりと優しく説明をした。「ああ、そうか………」
 ちびムーンは、手をポンと叩いて納得してみせた。
「セーラームーンはまだ分からない?」
 未だに訝しんだ表情をしているうさぎに対し、ネプチューンは軽く微笑んでから訊いた。
「そうじゃないの………。もしかしたら、あたしたち、敵の罠にはまってしまったんじゃないかって、思ったの………」
 そう訴える、セーラームーンの表情は真剣だった。
「考えすぎじゃない?」
 ヴィーナスがセーラームーンの顔をのぞき込むようにして、言う。
「敵も攻撃してこないし………」
「だから、変だと思わない? あたしたちの侵入を、そう簡単に許すような敵だとは思えない」
「セーラームーンは、あたしたちがここに侵入できたこと自体が、敵の罠かもしれないって言うのかい?」
 ジュピターの問いかけに、セーラームーンは重々しく頷いた。
「否定できないわね」
 マーズはウラヌスの表情を伺うようにしながら、呟くように言った。ウラヌスも、マーズの言葉を肯定するかのように頷く。
「だが、さっき、タキシード仮面が言っていたように、ここで話していても、何も解決しないわ。予定通り、この都市を少し調べてみよう」
 ウラヌスは、全員を見回しながら言った。
セーラー戦士たちは、不安を抱えながらも、三方に分かれることになった。特に申し合わせた訳ではないのだが、暗黙の了解で、自然と三つのチームができあがった。
 今から一時間後に、あの奇妙な塔の下に集合することに決め、三つのチームは、三方向に分かれていった。

「しかし、気味が悪いくらい静かだよな……」
 ジュピターが、近くのビルを見上げるようにして言った。確かに人っ子ひとり見かけない。
「何か感じるかい?」
 マーズに訊いてみた。マーズの気を探る能力を当てにしてしまうのは、他の仲間たち同様悪い癖だったが、こればかりはマーズに頼るのが、一番確かだった。 マーズは少しの間、気を集中する仕草をしていたが、やがて首を横に振った。
「あたしたち以外の生命の『気』を、全く感じないわ………」
「まるでゴーストタウンね………」
 感慨深げにヴィーナスは言った。そして、人気のない街を見回す。
「敵が動きを見せないのも不気味よ………」
 マーズは自慢の黒髪を、さらりと掻き上げる。その仕草は、同じ女性から見ても美しく、優雅に感じられた。
「マーズてば、最近随分と色気がでてきたわよね」
 などと、ヴィーナスが緊迫感のないことを言えば、
「この美貌は、持って生まれたものですからね」
 と、マーズは自慢をしてみせた。
「む、胸はあたしの方が大きいわよ!」
 ヴィーナスが負けじと言い返す。
「大きゃいいってもんでもないわよ。ほどよい大きさってモンがあるじゃない」
「何をするのに『ほどよい』のよ!?」
 言い合いになってしまった。
 傍らで、ジュピターが頭を抱える。
「頼むから、ふたりとも、もっと緊迫してくれよぉ〜」
 その嘆く、彼女の気持ちを分かってくれる者は、この場にはいなかった。

 ウラヌス、ネプチューン、プルートの三人は、メインストリートらしき大通りに掛けられている、歩道橋の上に立っていた。
 片側三車線ずつの大きな通りなのだが、行き交う車は一台もなかった。
「風もないっていうのは、気分が悪いわね………」
 ウラヌスは、あからさまに不機嫌そうにしている。
「あなたが起こせばいいじゃない」
 ネプチューンが悪戯っぽく言う。ウラヌスは、そういうときのネプチューンの表情がたまらなく好きだった。ウラヌスの男である部分を刺激するのだ。女性体のセーラー戦士の姿をやめ、男性体のナイトの姿にチェンジしようかとも思う。
 ウラヌスがセーラー戦士の姿、いわゆる女性の姿でいるのには理由があった。それは、男性天王はるかに芽生えてしまった、月野うさぎに対する感情を、押し殺すためだった。
 うさぎをひとりの女性として意識してしまっている自分に気付いたとき、はるかは、うさぎの前では男性の姿を見せなくなった。うさぎの前では、女性でいようと思った。それは、衛に対して遠慮しているからであり、みちるに対しても、そんな自分の弱さを見せたくなかったという理由もあった。だから、より女性っぽくなるために、髪を少し伸ばしたりもした。
 みちるも、はるかの心の変化を感じとってはしたが、あえて口に出すことはしなかった。その代わりに、以前にも増して、はるかに対して、恋人にしか見せないような仕草や行動をとるようになった。それは、みちるの女性としてのプライドに関係していた。
 うさぎにはるかを取られることを、嫌ったのである。
 だからといって、みちるがうさきを嫌っているというわけではない。あくまで、意識としての問題である。
 それは女性であり、世間的にも美人である、海王みちるのプライドの現れでしかない。
 せつなも、そんなふたりの過去の出会いのことは知らないし、知ろうとも思わない。
 ふたりが出会ったときに、はるかが男性であったのか、それとも女性であったのか、せつなには分からない。ただ、女性である時のはるかの仕草を見ていれば、セーラー戦士といて覚醒する前は、女性であったのだろうと想像はできる。
 戦士として覚醒しなければ、はるかはこんなにも苦しまずにすんだのだろうと思う。
 せつなにしても同じである。プルートとして目覚めなければ、以前の記憶を取り戻さえしなければ、衛に対して、悩むこともなかっただろう。
 かつてのセーラープルートは、キング・エンディミオンを愛してしまっていたのだから………。
「空間に、歪みが生じているわ………」
 ガーネット・オーブを胸の前で翳しながら、プルートは言う。
「このままでは、この空間は長くはないわ」
「どういうこと?」
 ウラヌスが問う。
「こんなにも大きな空間を維持するには、莫大なエネルギーが必要なはずよ。おそらく、今までこの空間を維持していたエネルギーが、尽きようとしているのよ」
 プルートは、ガーネット・オーブを上空に浮遊させた。
「せいぜいもって、あと二−三時間というところかしら………」
「まずいな、時間がない」
 ウラヌスは唇を噛む。のんびり見物していられなくなってしまった。
「プルートは、この都市を維持しているエネルギーは、何だと考えているの?」
 ネプチューンは表情を堅くしている。彼女には、想像がついているのだろう。
 プルートが、自分の考えを否定してくれることを、望んでいるような様子だった。
「おそらく、人の生命エナジー………」
 プルートの答えは、ネプチューンの考えを肯定するものだった。
「大量の人のエナジーを必要としたのは、そのためか………」
 ウラヌスは自問する。プルートが、おそらくそうだろうと答えた。
「………とすると、あたしたちをこの都市に入れたのは、セーラームーンの言うとおり、罠だな………」
 そうウラヌスが呟いたときである。
 シュッ! シュッ、シュッ!!
 何体もの影が、彼女たちの眼前を横切った。
「“黒子”!!」
 ネプチューンとウラヌスが、左右に開くようにジャンプする。歩道橋を飛び降り、下の大通りの方へと移動した。
 ひとりその場に残っていたプルートは、“黒子”たちが全員自分の方に突進してくるのを見定めると、自分は上空へとジャンプする。
「エナジーを奪う気だわ!!」
 “黒子”の一連の動きを冷静に判断して、ネプチューンは言う。
「甘いんだよ!!」
 ウラヌスは“黒子”の一段の中に飛び込んでゆく。
「ウラヌス、派手にやっては駄目よ!!」
「分かっている!」
 ウラヌスは格闘技にも自信があった。例え相手が屈強な男でも、対等に戦えるだけの力は持っているつもりだった。
 “黒子”に身体のどこかを触れられただけでも、エナジーは奪われてしまう。
 ウラヌスは素早い動きで、ただ襲ってくるだけの“黒子”の攻撃を躱す。
「“黒子”を一カ所に集めて!」
 上空で待機していたプルートが、作戦を立てたようだ。
 ウラヌスはもう少し“黒子”たちと遊んでいたかったが、時間がないことを思い出した。
 ネプチューンと連携して、大通りの真ん中に、襲ってきた五体の“黒子”を一瞬集結させる。
 プルートは瞬時に反応した。“黒子”の動きは素早い。もたもたしていると、すぐにまたバラバラになって、それぞれ彼女たちに襲いかかってくるだろう。
 今のこの一瞬が勝負だった。
「次元封鎖!!」
 プルートはガーネット・ロッドを振り上げた。
 ビュン!
 時空の壁が、“黒子”たちを囲む。
「何をしたんだ!?」
 そばで見ているウラヌスにも、プルートの技が分からない。
 “黒子”たちが時空の壁に逃げ道をふさがれ、右往左往している。
「デス・スペース・イヴァポレイション!!」
 プルートの叫び声とともに、時空の壁に囲まれた内部が、ものすごいエネルギーを発した。ほどなく壁は消滅し、内部にあった全てのものが、あとかたもなく消滅している。これほどの大破壊があったにも関わらず、そとには全く影響がなかった。
「ものすごい技だな………」
 ウラヌスが舌を巻いた。
「一体、一体倒していたのでは、時間が掛かりすぎるものね」
 プルートは平然として言った。
 ウラヌスも、いつまでも仲間の技に驚いてはいられなかった。自分たちが襲われたということは、他の仲間たちも襲われる可能性があるということだった。いや、既にもう襲われているかもしれない。
「他の連中が心配ね」
「そうね。敵は、あたしたちからもエナジーを奪う気だわ。セーラームーンの不安が的中してしまったわね」
 ウラヌスの意見を受けて、プルートは独り言のように言う。
「そうなると、捕まっている亜美が心配だわ」
 ネプチューンは、亜美がいるであろう、不気味な塔を見ながら言った。
「みんなと合流しよう。見物はもう終わりだ」
 ウラヌスの意見には、ふたりとも賛成だった。

 約束の時間までは、まだ三十分もあったが、セーラームーンたちは集合場所の塔の近くまで来てしまっていた。別に意識して、来たわけではなかった。ぶらぶらと歩いているうちに、たまたま来てしまっただけだった。
 きちんと整頓されている広場を、塔を右に見ながら、三人は歩いていた。
 この異空間に来てから、人工物しか見ていない彼女たちの目には、広場の芝生と花壇は、ひどく新鮮なものに写った。
遠足にでも来ているような気分になる。
 衛とちびうさが一緒にいることが、うさぎには余計にそう感じられる原因だった。変身していなければ、本当に遠足気分になってしまうところだ。たが、
「きれいね………」
 広場の光景を見て、セーラームーンとちびムーンは同時に、うっとりと見とれながら言った。言ってしまってから、何を呑気なことを言っているのだろうかと、ふたりは同時に口を塞ぐ。
 タキシード仮面の姿をした衛は、そんなふたりを見て、くすりと笑う。
「少し、休もうか?」
 そう言って、優しい瞳を投げかけてくれた。
 うさぎもちびうさも、そんな衛の瞳が大好きだった。そんな風に見つめられただけで、メロメロになってしまう。
「………ん?」
 何かを感じたタキシード仮面が、塔の方に目を移した。
 釣られるようにして、セーラームーンとちびムーンも塔を見る。
「え!? あれは………!?」
「亜美ちゃん………!?」
 ふたりとも、声をあげて驚く。
 目を擦ってみる。間違いない。セーラーマーキュリーだ。
 セーラーマーキュリーが手を振りながら、元気にこちらに走ってくる。
「亜美ちゃんだ!!」
 ちびムーンがオーバーアクションで手を振る。
「はぁ、はぁ………」
 息を弾ませながら、マーキュリーは目の前までやってきた。