声の主


 一瞬の静寂のあと、マーキュリーはゆっくりと、閉じていた瞼を開けた。さして強い光ではなかったのだが、それでも、闇に慣れてしまっていた彼女の目には、刺激が強かった。だから、思わず目を閉じてしまったのだ。
 スクリーンのすぐ近くにいたひとみも、マーキュリーと同じように目を開けた。「………俺の存在を知られるのが、そんなに嫌なのか?」
 マーキュリーの前方より、低い声が聞こえてきた。先ほどまでの“声”とは違い、明らかに肉声と分かる張りのある声だった。
 しかし、マーキュリーの前方には、巨大なコンピュータらしき装置が置かれているだけである。人の姿などは見えない。
“お前は黙れ………!! でないと、殺しちゃうぞ!”
 “声”は、明らかに動揺していた。半ば、ヒステリックに叫んでいる。
「殺してみろよ………。だけど、俺を殺したら、お前も消えるんだぞ………!」
 挑発するような、肉声の声が響いた。“声”に、更なる動揺を誘うつもりだったのだろうが、そううまくは、事は運ばなかった。
“………ボクは消えないよ”
 静かに答えが返ってきた。“声”は、既に冷静さを取り戻していた。反対に動揺したのは、肉声の方だった。
「どういう意味だ!?」
 やや狼狽えたような口調で、肉声が訪ねた。それを聞いた“声”は、おかしくてたまらないといったふうに笑っう。
“アハハハハ………。なんにも知らないんだね………。ボクのすることを邪魔するくらいだから、なにもかも知っていると思っていたけどね………”
 “声”は少しばかり、馬鹿にしたような口調になる。
“今、新たなエナジーを集めているところなんだ。今度はお前のような、ちっぽけなエナジーとは違うぞ。莫大なエナジーだ。ボクの計算では、次にエナジーを補給するのは、五十年後でいいことになる”
 勝ち誇ったように、“声”は言った。
 マーキュリーには、まだ何のことを言っているのか分からない。ただ、ふたりのやりとりを黙って聞いているしかない。もちろん、次に起こすべき行動を思案しながらではあるが………。
「そんなことはさせない。お前は消えるべきだ」
 強く、鋭い口調だった。“声”は、その肉声の放つ迫力に威圧されたのか、何も言い返せなくなってしまった。
 沈黙があった。両者とも互いの出方を伺っているのか、一言も言葉を発しない。
 その間に、マーキュリーはひとつの答えを導き出していた。そして、その答えを口にする。
「………たけるさん。たけるさんですよね…………」
 マーキュリーは、肉声が聞こえてきた方向に向かって言った。
 ひとみが、そのマーキュリーの横に駆け寄ってくる。ひとみはチラリとマーキュリーを見、そしてマーキュリーと同じ方向に視線を向けた。
「………何もかも、俺がいけないんだ。友達のいない寂しさから、俺はとんでもないものをつくってしまった………」
 返事の代わりに、呟くような声が聞こえてきた。
 マーキュリーは、ここにいるのは、たけるだと確信した。それは、肉親であるひとみも同じだった。
「お兄ちゃん、どこにいるの………? 姿を見せてよ………」
 ひとみはボロボロと涙を流しながら、兄の姿を捜した。しかし、目の前には、大型のコンピュータらしき機械があるだけだった。兄の姿は見つからない。
 マーキュリーはゴーグルを装着して、前方をサーチする。途端に息を飲んだ。
 困惑したようにひとみを見たが、彼女はそんなマーキュリーには気が付かなかった。
(………ひどい………)
 マーキュリーは、前方から顔を背けずにはいられなかった。とても、ひとみには見せられない光景だった。遠目で見ただけでは、おそらく分からないだろう。
 マーキュリーもゴーグルでサーチすることによって、初めて知ることのできた全体像だった。
(そうか、そういうことだったのね………)
 マーキュリーの頭の中は、既にひとつの答えを出していた。しかし、まだ行動を起こすことはできない。相手がどう動くか予想できないからだ。それでも、彼女ひとりであったなら、何らかのアクションを起こせたのだが、今はひとみが一緒にいる。守らなければならない友達がいる。ひとみの存在が、マーキュリーの判断を慎重にさせている要因だった。
「お前はひとみをさらって、俺に何をさせようとしているんだ………!?」
 たけるの声には、力がなくなっていた。弱々しく、今にも消え入りそうな声だった。
 たけるの言葉を聞いた“声”は、馬鹿にしたような笑い声を発した。
「何がおかしい!?」
 たけるは怒鳴る。“声”は、笑いを止めた。
“もう、お前なんかいらないよ。ボクは今、新しいエナジーを集めているんだ。お前のような、ちっぽけなエナジーとは違うぞ。ボクの街を動かすことのできる、大きなエナジーだ”
「なんだと………!? お前、やっぱり………」
“そうだよ、お前の考えいてる通りさ。ボクのプロテクトを破って、外の世界に信号を送っていたようだけど、無駄だったようだね………”
 たけるを見下したように、“声”は言った。たけるは、悔しそうに唸る。
「無駄じゃないわ!」
 マーキュリーが、ふたりの会話に割って入った。
「あたしの仲間がキャッチしているわ。あなたの野望もこれまでよ!!」
 マーキュリーの声に、力が篭る。
「観念なさい!!」
“ククク………”
 だが、“声”から返ってきた返事は、人を小馬鹿にしたような笑いだった。
 マーキュリーは、僅かに動揺した。
“お姉さんは、まだ自分の立場が分かっていないようだね………”
 “声”は非常に落ちついていた。マーキュリーなど、全く眼中にないといった風だ。
 それが、マーキュリーの癇にさわった。
「バブル・フラッシャー!!」
 気泡の塊を打ち出し、正面(なのだろう)のスクリーンを破壊してみせた。無駄なことだとは分かっていたが、やらざるを得なかった。
「あなたのお遊びに、付き合っている暇はないわ!」
 マーキュリーの鋭い声が響く。だが、“声”は尚も笑いを返していた。
 その笑いは、再びマーキュリーの気分を害するには、充分だった。
「ウォーター・スマッシュ!!」
 正拳突きのようなアクションを見せ、右の拳から、バレーボール大の聖水の塊を打ち出し、壁に大穴を開ける。
 一向に笑い声が消えないとみるや、連続してウォーター・スマッシュを放つ。
 壁に幾つもの穴が開いた。
「やめろ!! それ以上、そいつを追いつめるな!!」
 たけるの声が制する。
 マーキュリーが、いい気になって、自分が大きなミスを犯したことに気付いた時には、既に遅かった。マーキュリーらしからぬミスだった。
“お姉さんはうるさいよ。少し、おとなしくしててもらうよ………”
 そう聞こえたかと思うと、突然マーキュリーの足下の床が波打ちだした。それに気を取られていると、今度は上から配線コードのようなものが飛び出してきて、マーキュリーの両腕に絡み付いた。
「亜美ちゃん!!」
 ひとみがマーキュリーを助けようと、彼女の方へ駆け寄る。途端にマーキュリーは、コードに上へと引っ張り上げられてしまう。
「亜美ちゃん!!」
 ひとみは、吊り上げられたマーキュリーを見上げた。
 マーキュリーは、両腕に絡み付いている配線コードを振り解こうと、必死に身を捩っている。
「………!」
 ひとみのまわりの床から、配線コードがニョキニョキと出てきて、上へ向かって伸びてゆく。そのコードは、宙にぶら下げられているマーキュリーの全身に、足の方から絡み付いていった。
「………くっ!」
 マーキュリーは身動きが取れない。宙にぶら下げられたまま、完全に拘束されてしまった。
「亜美ちゃんを放してよ!!」
 ひとみは、姿見えぬ相手に向かって叫んだ。
“やーだよ”
 憎々しげな返事が返ってきた。まるで、悪戯っ子のような返事だった。
「あたしをどうする気なの………!?」
 苦しそうな表情を見せて、マーキュリーは尋ねる。
“そうだなぁ………。どうしようかなぁ………”
 いかにもじらしているといった風に、“声”は応じる。
 マーキュリーは身を捩るが、絡まったコードは一向に解ける気配を見せない。
“エッチなことしちゃおうかなぁ………”
 “声”がクスクスと笑う。
 マーキュリーの足に絡み付いていたコードが、彼女の足を半開きに開かせる。
 新たに伸びてきたコードが、マーキュリーの身体の近くで、ウネウネと生き物のように動いた。
「………!!」
 マーキュリーは表情を引きつらせた。
「やめろ!! 彼女には手を出すな!」
 たけるの声が、鋭く響いた。
“うるさいよ、お前は………”
 低く、冷たく“声”は言い放つ。
 同時に、壁の一角に電撃が走った。
 たけるの苦悶する声が響く。
 ひとみは迷わなかった。真っ直ぐに、電撃の走った壁に向かって走り出す。
「お兄ちゃん………!?」
 ひとみは息を飲んだ。
 そこにいるのは、確かに兄のたけるだと思う。しかし、身体の殆どが機械と同化しているかのように一体化していて、生身の部分は、胸から上の部分と、右腕ぐらいしか確認できなかった。
「ひとみ………。お前には、こんな姿は見せたくはなかった………」
 力無く、たけるは言った。目を閉じ、唇を噛みしめる。
「………どうして、こんな姿に………」
 ひとみはボロボロと、涙を流している。
 兄と再会できた喜びも強かったが、それ以上に、無惨にも姿が代わってしまった、兄を悲しむ気持ちの方が強かった。
 ひとみは言葉を失い、ただ涙を流しているだけだった。
「あいつは俺がプログラムした、偽りの人格だ」
 たけるは、ゆっくりと語りだした。
「自分でも、まさかこれほど完璧な人格プログラムが組めるとは、思っていなかった。だから、組あがったときは、とても嬉しかった。あいつは、本当の人間のように、俺と会話した。自分が組んだプログラムだということを、忘れてしまうくらいだった」
 たけるは顔を上げ、スクリーンのあった、正面の方を睨むようにして見た。おそらくそこに、“声”の本体があるのだろう。
「………だが、俺は、とんでもないものをつくってしまったんだ………」
“いや、素晴らしいことだったよ。ボクをつくりだしたことはね………”
 茶化すような“声”が入ってきたが、たけるは気にも止めなかった。
「あいつはいつからか、自分の意志を持つようになってしまった。機械が意志を持つなんて、不可能だと思うだろうが、実際にやつは意志を持っている。初めのうちは、俺も気付いてはいなかった。まさか、そんな機能があったなどとは、夢にも思わなかった。ある時、やつは本性を現した。自分から、俺に挨拶をしてきた」
 たけるは言葉を切った。コードに拘束されたままの、マーキュリーをチラリと見た。
 マーキュリーのまわりの、新たに伸びてきた配線コードの束は、相変わらずウネウネと気味の悪い動きをしていたが、彼女を襲うような気配はなかった。
 ひとみは不安げな表情で、たけるを見ている。
 たけるは再び口を開いた。
「あいつはとんでもないやつだよ。気に入らない者を、ことごとく別の次元に閉じこめてしまうんだ。俺は恐くなった。このままでは、いつかは俺も消されてしまうかもしれないと思った。だから、あの日、俺はやつを消去しようと、父さんの会社に行ったんだ。父さんに全てを話して、消去を手伝って貰おうとおもったんだ」
“そうだよ、馬鹿なことをしようとしたよね。ボクが、友達のお前を消すはずはなかったんだ。なのに、お前はボクを裏切った。お前だけじゃない。あそこにいたやつらも、寄って集ってボクを消そうとした。だから反対に、ボクがあいつらを消去してやったんだ”
「あの事故は、あなたがやったことなの………?」
 ひとみは尋ねる。“声”は、そうだよと答えた。
“ボクはあいつらを消去したあと、自分で作り出したこの世界に移った”
「そう………、だが、この世界を維持するには、膨大なエネルギーが必要だった」「エネルギー………?」
 たけるの説明に、質問したのはマーキュリーだった。
「そう、エネルギーだ」
 たけるは断定口調で答える。
「これだけの疑似空間を維持するだけでも、大変なことだというのに、こいつはこの空間に、こんな馬鹿げた街を作ってしまった。俺のエネルギーだけでは、支えられなくなってしまったんだ」
「あなたのエネルギーって、まさか………」
 マーキュリーは一瞬正面に目を向け、再びたけるに視線を戻した。
「この都市を、いえ、この疑似空間を維持するためのエメルギーは、人の生命エナジーなのね………」
 マーキュリーの確認するような言葉に、たけるはゆっくりと頷いてみせた。
 ひとみ、もその言葉の示す意味が分かったらしく、衰弱しきっている兄を、悲しげに見た。
「………だから、人のエナジーが必要だったのね。そのために、あなたは今度の事件を計画した………」
“人間は、生きていてはいけない生物だ。ボクがそのエナジーを食べることの、どこがいけないと言うんだ………!?”
「俺は、こいつの計画を誰かに知ってもらおうと、パソコンを通じてメッセージを送った」
 “声”の話に被らせるようにして、たけるは言った。
「あのS.O.S.は、たけるさんだったのね………。しかも、パニックにならないように、特別な能力を持った者だけにしか見えない映像で………」
「もちろんだ。せっかく知らせても、事が解決しないことには意味がないからね。俺の、最後の賭だったんだ。君たちのような、特別の能力を持った戦士たちが本当にいるとは、正直言って、思ってなかったよ………」
 たけるは苦笑しながら言う。そのあとに“声”が悔しそうに言い放つ。
“ボクにとっても誤算だったよ………。まさか、ボクの計画に障害を与えるほどの人間がいようとはね………”
 電子音が響いた。決して大きな音ではなかったが、しっかりと聞き取ることができた。
 たけるの唇が、僅かに微笑んだ。近くにいるひとみは気付かなかったが、マーキュリーには、たけるのその微妙な変化が確認できた。
“………たける、やってくれたね………”
 “声”の言葉には、明らかに怒気が含まれていた。
 たけるは声に出して笑った。
 ひとみは、兄の突然の変わりように、驚いたような表情をして、その答えを求めるかのように、マーキュリーを見た。だが、マーキュリーもその理由は分からない。
“お客さんは、丁重にもてなさなきゃいけないね………。ショーの始まりだ”
 マーキュリーはその言葉で、この疑似空間に、仲間たちが来たことを悟っていた。