闇の中で
三人が意識を取り戻したのは、殆ど同時だった。
上も下も分からない異質の空間に、三人はいた。
暑くもなく、寒くもなかった。
薄暗い空間だった。
無重力帯なのだろうか。身体は浮遊していて、体重を殆ど感じない。
無重力帯だが、息苦しくないところをみると、どうやら酸素は充分にあるようだった。なければ、意識を取り戻す前に、窒息死している。
近くに仲間の姿を確認できたことが、三人を僅かばかり安心させた。だが、それは、 三人がたまたま近くにかたまっていたために、お互いを確認する事ができたにすぎない。いわば、偶然だったのだ。
「ここは、どこ………」
うさぎは誰に問うでもなく、自分の疑問を口に出していた。
「全く別の空間に、飛ばされてしまったようだ………」
衛は答えてはみたが、本当のところ、どこに飛ばされたのかは分かってはいない。うさぎに答えた答えは、衛の推測でしかなかった。
「脱出方法を考えなくちゃ。どのくらい気を失っていたのかは分からないけど、きっとみんなも、あたしたちがいなくなったことに、気が付いているわ」
美奈子は以外に冷静だった。
「テレポートしたくても、今俺たちがいるポイントが分からない。下手な真似はできないな………」
衛は呟くように言う。とにかく、自分たちのいる場所が分からないのでは、動きようがなかった。
衛は首を巡らし、まわりを見回した。
なにもない。物音ひとつ、聞こえてこない。一面が闇だ。
「こう、静かだと、気味が悪いわね………」
そう言って、美奈子は僅かに身震いした。
ぐう………。
腹の虫が鳴った。
うさぎと衛の冷ややかな視線が注がれる。
ぐうぅぅぅ………。
もう一度鳴った。
「か、体は正直だから………。アハハハハ…………」
美奈子は乾いた笑いを発した。
うさぎが項垂れ、衛は頭を抱えた。
こういう場面に於いても、常にマイペースを保てるのが、美奈子だった。うさぎも衛も、少し救われたような気持ちになった。
「じっとしていても仕方がない。行動を起こそう。何か分かるかもしれない」
衛は、うさぎと美奈子のふたりを交互に見た。このふたりは、何としてでも守らねばならない。
衛の心には、確固たる決意があった。
「変身しておこう。この姿のままでは、もしもの時に対応できない可能性がある。準備だけは、しておこう」
衛は言う。ここがどういう場所か分からない以上、最悪のケースを想定して、変身して、それぞれ個々の能力を高めておく必要があった。
「何か、聞こえなかった?」
変身するとすぐに、セーラームーンは他のふたりに訊いてきた。
「え!? 何かって………?」
反対に、ヴィーナスが聞き返す。
「うん………。何だったのか、よく聞き取れなかったんだけど………。なんだか、人の声だったような………」
「や、やだなぁ………。気味の悪いこと、言わないでよ………」
ヴィーナスは身震いしてみせた。
「………いや、確かに聞こえるぞ。人の声のようだ」
タキシード仮面は、静かにするようにと、ゼスチャーで示した。
ゆっくりと手を翳した。淡い光を放つ。
タキシード仮面特有の能力、サイコメトリーである。本来なら、地面などを直接触れて「感じる」能力なのだが、ここには地面がない。効率が悪く、体力を非常に消耗するやり方だが、空気中の成分を伝って探るほか、他に術はない。
セーラームーンとヴィーナスのふたりは、固唾をのんで、タキシード仮面の様子を見ている。
「………こっちだ」
額に僅かに汗を浮かべながら、タキシード仮面は自信ありげに言った。そして自ら体を巡らす。
三人は漂うように空間を移動した。
移動するにつれ、「人の声」ははっきりと耳に届くようになった。
「あそこ………」
セーラームーンが前方の一角を指差した。
薄暗い空間にも、目はだいぶ慣れ、かなり先まで見えるようになっていた。
「………ん」
ヴィーナスとタキシード仮面のふたりは、セーラームーンの指の先に、視線を走らせた。
何か、影のようなものが動いているのが、微かに分かる。
三人は影を目指して移動する。
近付くと、影はひとつではないことが分かった。幾つかの影が、寄り添うようにしてしている。
「………人だわ………」
ヴィーナスが呟いた。
その呟きが聞こえたのか、寄り添っていた人々が、一斉に三人に目を向けた。 しかし、その目には、生気がなかった。憔悴しきった表情で、漠然とこちらを見ている。
「あなたたちは………!?」
セーラームーンが尋ねたが、答えは返ってこなかった。
十人あまりの人々が、皆無言で三人を見つめている。
セーラームーンとヴィーナスは気味が悪くなり、タキシード仮面に寄り添った。 だが、タキシード仮面は、そんなふたりから離れ、無言の人々に近付いていった。
「もしかすると、あなたたちは七年前、爆発事故があった事務所にいた方々ではありませんか………?」
「………七年前………!? そうですか、あれからもう七年も経ってしまったのですか………」
一番年かさらしい、中年の男が言った。そして、感慨深げに瞼を閉じた。
「あなた方は、どうやってここへ来られたのですか?」
若い男が訊いてきた。その瞳には、とある期待が込められていた。
「俺たちも、ここへ引きずり込まれたんですよ………」
タキシード仮面は、若い男の期待に応えてあげられなかったことが、もどかしくてしょうがなかった。
男はひどく落胆した様子で、「そうですか………」と一言だけ言った。
「ひとつ、質問していいかしら………?」
ヴィーナスが遠慮がちに尋ねた。
「何でしょうか?」
返事をしてきたのは、中年の男だった。彼は若い男ほど、落胆をしている様子はなかった。もっとも、若い男のように、タキシード仮面たちに対して、期待を持っていたわけでもないようだった。タキシード仮面たちの様子を見て、大方の予想をしていたのだろう。
ヴィーナスは中年の男の方に、ブルーの瞳を向けた。
「七年も経っているわりには、やつれている様子もないし、だいいち食事はどうしていたんですか? 見たところ、食事ができそうなところはないようですけど………」 こんな状況下だというにもかかわらず、ヴィーナスは冷静に観察していたようだ。 セーラームーンは頼もしげに、ヴィーナスを見る。美奈子でいるときに比べると、随分と差があるように感じられた。そう思ったのはセーラームーンだけではないらしく、タキシード仮面も、少々意外そうにヴィーナスを見ている。
そんなふたりの視線を感じたのか、ヴィーナスは少しばかり不満そうな表情をしてみせたが、すぐに中年の男の方に視線を戻した。
「ここは、時間が止まっているようなんですよ………」
中年の男は言う。
「不思議とお腹は空かないし、じっとしていれば体力を消耗することもない。だからわたしたちは、ここでじっと動かずに、いつか助けにきてくれる人が現れることを心の糧に、今まで生きてきたんです………」
「ごめんない………。助けに来たんじゃなくて………」
セーラームーンが、心から申し訳なさそうに謝った。
「わたしの方こそ、こんな言い方をしてしまって、失礼しました。これでは、嫌みを言っているように聞こえますね………。すみません、そんなつもりで言ったのではなかったのですが………」
セーラームーンがあまりにも責任を感じているような素振りだったので、中年の男は、反対に、汗をかきながら弁解の言葉を言った。
「分かっています。どうか、気になさらないでください」
タキシード仮面は、柔らかな笑みを浮かべながら言った。
中年の男は、ほっとしたように息を付いた。
「さてと、本当に脱出することを考えなくてはね………」
ヴィーナスは、顎に軽く手をあてた。脱出すると言っても、その方法が分からない。必死に考えてはみたが、ヴィーナスの知識では、脱出の方法すら思い付かない。仲間がこの場にいるからか、不思議と不安はなかった。
「プルートが見つけてくれないかしら………」
セーラームーンが言う。
「時間さえかければ見つけてくれるだろうが、おそらくそんな時間はないだろう」
タキシード仮面は実に悔しそうであった。
「プルートにここにいることを教えることができれば、脱出できるんだが………」
タキシード仮面は考えを巡らす。しかし、有効な方法は思い浮かばなかった。
「………銀水晶は使えないかしら………」
ヴィーナスはタキシード仮面を見る。
「銀水晶の光のパワーで、プルートに教えることはできないかしら………」
「どうやってやるの………?」
セーラームーンがヴィーナスに質問する。銀水晶を持つ本人が、方法が分からないのでは話にならない。
「銀水晶の光のパワーを、外の世界に向けて放つのよ。銀水晶ほどのパワーがあれば、外の世界に届くはずよ」
「外の世界って、どっちよ」
自信たっぷりに説明するヴィーナスに、セーラームーンは突っ込んだ。
「え!? えーと、あっち、かな………?」
ヴィーナスは適当な方向を指差す。通常空間がどの方向なのか、ヴィーナスはもちろん知るはずもない。
ヴィーナスは助けを求めるように、タキシード仮面に甘えた視線を向けた。
「ヴィーナス。そう言う目でタキシード仮面さまを見ていいのは、あたしだけなんだけど………」
セーラームーンが意味深なヴィーナスの視線に気付いて、更に突っ込む。
「セーラームーン、漫才をやっている場合じゃないんだ」
叱るように、タキシード仮面は言う。
「確かに銀水晶を使えば、プルートに教えることが出来るかもしれない………」
独り言のように呟く。
セーラームーンとヴィーナスは、タキシード仮面の表情をじっと見ている。
「セーラームーン、一か八か銀水晶を使ってみよう」
タキシード仮面は決断を下した。