三日めの事件
三日めの朝がやってきた。
あのグロテスクな顔が、秋葉原で宣言した、人類粛正の最終日である。
特に申し合わせたわけではなかったが、きっかり七時に、戦士たちは司令室へ集合していた。
とにもかくにも、今日が指定された期日の最終日なのである。相手も、この二日間以上の動きを見せるに違いない。それに備えて、こちらもそれなりの準備をしなければならない。
「やつが、動き出してからでは遅すぎる」
低く、鋭い声で、はるかは言った。
反論する者はいなかったが、逆に、肯定する者もいなかった。
はるかの言うことは正しいと思う。だが、こちらから打って出る方法がない。
「まことは、どうしたの?」
みちるが小声で、うさぎに訊いた。そういえば、まことの姿が見えない。
「亜美ちゃんのお母さんの病院」
うさぎは答える。
「さらわれたひとみちゃんの、お父さんが入院してるの」
「お父さんに話したの?」
みちるは眉間に皺を寄せたが、うさぎはかぶりを振った。
「まこちゃん、なんか気になるらしいの………」
「お父さんが………?」
みちるは首を傾げる。
そのうさぎとみちるの会話に、せつなが割り込んできた。
「お父さん、何か知っているのね」
「うん。事件を起こしているのは、行方不明の自分の息子さんじゃないかって………」
「そう、気が付いていたのね………」
何もかも知っているようなせつなの口ぶりに、うさぎはいささか驚きの表情を見せた。
そんなうさぎを見て、せつなはニコッと笑ってみせた。
「ねぇ、わたしたちにも分かるように、話してよ」
彼女たちの会話が、聞こえたのだろう。レイが言った。
「分かったわ」
うさぎは頷いて話し出そうとしたが、なぜかレイはうさぎの話を止めた。
「うさぎの説明は『へたくそ』だから、別の人に説明してもらった方がいいんだけど………」
「う〜ん。さすがはレイちゃん。よく分かってわ………」
レイが例によって、うさぎに意地悪を言うと、もっともらしく、ルナが相づちを打ってみせる。
「ひっど〜い! ルナまで、そういうこと言うわけぇ!? ひどすぎるぎると思わない? はるかさん、みちるさん、せつなさん………」
うさぎは、半ベソをかいてみせる。
やれやれ、また始まったか、と、いう風に、はるかたち三人は、顔を見合わせて溜め息をついた。
「もう! 漫才をやっている場合じゃないでしょ!?」
そう、叱りつけたのは、美奈子だった。
だれもが目を丸くして、美奈子を見る。
「え!? あたし、何か変なこと言った!?」
美奈子は、きょとんとしている。
「まともなことを言ったから、みんなが驚いてるんだよ………」
そう、呟くアルテミスの声は、美奈子の耳には届かない。
「さて、じゃ、本当に本題に入りましょうかね」
ルナがまとめた。そして、せつなを見る。説明をしてくれという、合図だ。
せつなは軽く頷くと、今までのことをまとめながら、一連のいきさつを説明する。
「………そう、だとすると、ひとみさんをさらった訳も、説明できるわね」
みちるはちらりと、はるかを見てから言った。はるかも頷いている。
「どうして?」
うさぎは首を傾げた。よく、理解できない。
「自分の妹だけは、巻き込みたくないと思ったのよ。だから、一番安全な、自分のもとへ連れていったのよ。おそらくね………」
みちるは最後に、「おそらく」という言葉を付け加えた。未だ、推測の域を脱していないからだ。
「でも、もし、その推測が正しいとすると、病院にいるお父さんも、さらわれる可能性はあるわよね」
美奈子が、みちるに答えを求めるように尋ねた。
「そうだな。あたしが行って、様子を見てこよう………」
はるかは言いながら、既に体は動いていた。
「あたしも行くわ!」
はるかの後を、レイが追った。
そのふたりに少し遅れて、美奈子も付いて行こうとしたが、アルテミスに止められてしまった。
「既に、まことも行っている。これ以上、行く必要はないよ」
そう言うアルテミスに、文句を言おうとした美奈子よりも先に、透かさずアルテミスは、指示を出す。
「それよりも、美奈にはうさぎと一緒に、衛のところへ行ってもらいたい」
「衛さんのところに………?」
美奈子はアルテミスの意図が分からず、首を傾げた。
衛は一旦は、はるかに呼び出せされて、無限学園に行ったが、今は、自宅のパソコンを使って、亜美たちの行方を捜している。その衛の、サポートに行けということなのだろうか。しかし、美奈子もうさぎも、パソコンは、どうにかワープロの機能が使えるという程度である。とても、衛の役に立つとは思えない。
「衛は亜美たちがさらわれたことに、ひどく責任を感じている。余計な心配かもしれないが、彼が単独行動に出ないように、見ていてくれ」
そう言う、アルテミスの考えは正しい。
衛は先の失敗(正確には、彼のミスではないのだが………)で、かなり自分を責めていた。まわりで見ていても、彼が苦しんでいるのは、痛いほど分かった。その場に居合わせた仲間が、ちびうさだけということで、さらわれたときの詳細が判然としない。なるちゃんと海野も、その場にいたのは承知しているが、彼女たちに尋ねたとしても、正確な情報は掴めないだろう。ちびうさの言う通り、衛の責任ではないと思うのだが、彼にしてみれば、それはやはり自分の責任なのだろう。地場衛は、そういう男だった。
アルテミスの考えを理解した美奈子は、うさぎを連れて、司令室を出ていった。
「アル、戦力を分散させるのは、まずくないの?」
ふたりが出ていくのを見送ってから、ルナはアルテミスに尋ねた。
「仕方がない………」
ぽつりとアルテミスは答える。彼としても、敵の出方が分からない以上、戦力を分散させてしまうのは、いざというときに、不利であるということは分かっていた。だが、衛の単独行動を抑えるということは、やはり重要なことだった。
「ちびうさちゃんは、学校よね? 大丈夫なの………?」
この場に来ていないちびうさのことを、みちるが心配した。みちるは言いながら、アルテミスに、不安そうな表情をしてみせた。
「ダイアナが付いているから、心配ないと思うが………。外で何かあったら、すぐに連絡がくるよ」
「そうじゃなくて、あの子もあの場にいたわけでしょう? 衛さんと同じくらい、亜美たちがさらわれたことに、責任を感じているのではなくって………? あの子は、そういう子じゃない?」
「可能性はあるわね………」
せつなも不安そうに、アルテミスとルナを見る。
「ちびうさちゃんの様子を見てくる?」
レイが、ふたりのネコたちの顔を覗き込むようにして、訊いてきた。
「いや、わざわざ行くまででもないだろう。幸い、まだ敵も動き出していない。ダイアナにちびうさを連れて、司令室に来るように、連絡しておくよ」
アルテミスはそう言って、通信機のスイッチを入れた。
「衛さんのマンションって、久しぶりだわ………」
美奈子は心なしか、はしゃいでいるようだった。
美奈子は何気なく、素直な感想を言っただけなのだが、うさぎの耳はダンボになった。
久しぶりなのは、当たり前である。最近、美奈子はもちろん、他の仲間たちとも、衛のマンションに来ていない。度々出入りしているのは、うさぎ以外では、ちびうさだけである。美奈子が度々来ているとしたら、それは一大事である。
うさぎはちょっとだけ、ムキになった。
だから、呼び鈴も鳴らさずに、衛のマンションへ入っていった。
「うさぎちゃん、自分ちに帰ってきたみたいね」
美奈子がそう思うのは、当然である。うさぎは正に、美奈子にそう思わせるために、呼び鈴も鳴らさずに、衛の部屋に入っていったのである。
これで衛の怒りを買ってしまっては、大マヌケだったが、幸いその心配はなかった。
衛は入ってきたふたりを、チラリと見ただけで、再びパソコンのディスプレイに目を戻してしまった。
気のない素振りをされて、うさぎは少し悲しくなったが、それでも笑顔で、
「どう? まもちゃん………」
と、ディスプレイを覗き込むようにして、衛に訊いた。
美奈子も衛に質問したいことがあったが、ここはうさぎに任せることにした。美奈子はそれほど、無神経な女の子ではない。
ふたりから、少し離れたソファに腰を降ろした。
“厄介な相手らしいな………”
その美奈子の耳に、囁くような声が届いた。
美奈子は首を巡らす。
オーディオ・ラックの上のガラスケースの中に、四つの翡翠が並べられていた。その中のひとつ、淡いピンク色をした翡翠が、僅かに光を放っている。
「脅かさないでよ………。幽霊かと思ったじゃない」
美奈子は小声で文句を言った。
ピンク色の翡翠が、再び光を放つ。どうやら美奈子は、この翡翠と話しているようだった。
“今更、幽霊に驚くとも思えんがな………”
「どういう意味よ!? クンツァイト………」
“言葉通りだが………”
「あたしだって、幽霊は怖いわよ!」
“それは、失礼した”
美奈子はそこで、クスッと笑った。
「あんたと漫才ができるとは、思ってなかったわよ………」
言いながら、美奈子はピンク色の翡翠を見つめる。
翡翠は相変わらず、光を放っている。この翡翠には、地球国王子エンディミオンの四人の親衛隊のひとり、クンツァイトの魂が宿っている。他の三つの翡翠も同じである。それぞれ、深い緑色の翡翠にはネフライト、青紫の翡翠にはゾイサイト、そしてやや赤みを帯びている翡翠にジェダイトの魂が宿っている。
“我がマスターは、苦しんでおられる………”
ネフライトの翡翠が光を放つ。
美奈子はネフライトに目を向けた。
「だから、うさぎちゃんを連れて、様子を見に来たのよ」
美奈子と親衛隊との会話は、うさぎと衛には聞こえていないようだった。
衛は相変わらずキーボードを叩いて、検索をしている。うさぎはそんな衛を、心配そうに見守っていた。
“マーキュリーがさらわれたと言うのは、本当なのか?”
ゾイサイトの声だ。
「残念ながら、その通りよ。衛さんがその場にいたのよね………。だから、責任を感じているんじゃないかしら………」
“マスターはそういうお方だ”
ジェダイトが言う。その通りだという風に、クンファイトの翡翠が輝く。
“我らにもっと力があれば、マスターをお助けできるのだがな………。肉体を持たない我らには、どうすることもできない”
その声からは、クンツァイトの悔しさが、充分すぎるほど伝わってきた。自分たちの力のなさに、憤りを感じているのが痛いほど分かる。
「………あたしたちに任せてよ」
美奈子は、そう答えることしかできなかった。
有坂氏は、ノートパソコンのキーボードを叩いていた。自分の考えられるかぎりのアクセスを行った。だが、それらしき回線は見つからない。有坂氏は、次第に焦りを感じていた。手遅れになる前に、自分が何とかしなければならないと思っていた。
有坂氏は、黙々とキーボードを操作していた。
いつの間にか眠ってしまったまことは、廊下で立ち話をしている他の患者たちの話し声で、目を覚ました。
時計は九時に差し掛かろうとしていた。
まことが有坂氏の病室に来てから、三時間ほどになる。
彼女が来たときには既に、有坂氏はパソコンを操作していた。まことが来る少し前に起きたばかりだと言っていた有坂氏だったが、おそらく夕べから一睡もせずに、パソコンを操作していたに違いない。
有坂氏の表情からは、明らかに疲れの色が伺えた。
看護婦が検診にやってきた。
有坂氏はキーボードを叩く手を休め、入ってきた看護婦に目を向けた。
まことも顔を上げ、まだ眠たい目を擦った。
「まぁ、有坂さん。またパソコンを使ってるんですか? 疲れるから程々にと、水野先生に言われませんでした?」
まだ若い看護婦のようだった。左胸にネームプレートが付けてあり、そのプレートには「野々村弥生」と書かれていた。大きな瞳が、とてもチャーミングな看護婦だった。
まことはその看護婦と、亜美が親しいことは知らない。
その大きな瞳をクリクリさせながら、看護婦・野々村弥生は、有坂氏を、優しい口調で叱っている。その後まことを見て、弥生は軽く微笑んだ。
「いやぁ………、スイマセン。急ぎの仕事があったもので………」
有坂氏は、後頭部を掻いてみせる。
「お仕事は、退院なさってからにしてください。そうでないと、退院する日が遅くなりますよ」
「はあ………」
有坂氏は娘に叱られた父親のように、ばつが悪そうに、再び後頭部を掻いた。
弥生は事務的に検診をすませると、「お大事に」と言って、病室を出ていった。
「お体、大丈夫ですか?」
看護婦が出ていってしばらくしてから、まことは尋ねた。
「ありがとう、心配ない。わたしの体のことは、一番わたしが分かっているつもりだ」
有坂氏は笑みを作ったが、まことにはそれが、無理をして作った笑顔のように見えた。
疲れているのだ。
こんなとき、何もできない自分が、ひどくもどかしかった。
ドアがノックされた。
返事はまことがした。
ドアが開けられた。入ってきたのは、はるかとレイのふたりだった。
有坂氏が、入ってきたふたりを見て、「おや?」という表情を見せた。知らない顔である。
「どうしたの?」
驚いたのは、有坂氏だけではなかった。まことも違う意味で、不思議そうな顔を、入ってきたふたりに向けた。
事前に、何の連絡も受けていなかったからだ。
「ちょっと気になることがあって来てみたんだけど………。どうやら、取り越し苦労だったみたいね」
レイはまことに説明した後、はるかをチラリと見た。はるかは軽く、肩を窄めてみせた。
「すみません、有坂さん。突然押しかけてしまって………」
レイは有坂氏を見て、頭を下げた。
「………いや、わたしの身を心配してくれているんだね? 大丈夫。まだ、何も起こってはいないよ」
有坂氏の言葉は、まるで何もかも知っているような口ぶりだった。
予期していない言葉だったので、レイもはるかも、いささか驚きの色を示した。
「不思議な子たちだな、君たちは………」
有坂氏は、改めて三人の少女たちを見た。
三人の少女たちは、何と答えたらいいのか迷っている感じで、視線を宙に泳がせていた。
「ん!?」
突然、有坂氏は、ノートパソコンのディスプレイに目を移した。
「妙だな………。この画面、バグか………? きのうとは違うな………」
有坂氏は、首を傾げた。
まこともその“バグ”というのを見たくて、ディスプレイに首を伸ばした。
「こ、これは………!?」
まことは目を見開いた。それは、彼女たちにしか、分からない信号だったからである。おそらく、有坂氏の目には、画面がブレているとしか見えていないだろう。だから、有坂氏は“バグ”と言ったのである。
有坂氏には、まことが何故こんなにも驚いているのか理解できない。
「レイ、はるかさん、見てくれ………!」
まことはふたりを呼ぶ。
そのまことの様子に、尋常でないものを感じたのだろう。はるかもレイも、神妙な顔つきで、ディスプレイを覗き込んだ。
「亜美か………!?」
はるかも信号に気付いた。
同時に、レイの通信機がコールする。せつなの興奮したような声が、飛び出してきた。
「亜美を見つけたわ!!」
「こっちもよ! 座標は分かる!?」
答えようとしたレイの腕を掴んで、はるかは彼女の腕時計型通信機に、自分の口を近付けた。司令室のせつなたちも、亜美の信号をキャッチしたようだ。
「別の空間だけど………。大丈夫、行けるわ」
はるかの問いかけに、せつなは答える。セーラープルートの力を使えば、その空間には簡単に移動できるようだ。ならば、することは決まったも同然だ。
「そっちへ行くわ、せつな! 準備をしていて!」
「了解!」
せつなの返事が聞こえたのを確かめると、はるかはレイの腕を放した。面食らっているレイに対し、はるかは苦笑いを返した。
「行くのかね………?」
ひどく冷静に、有坂氏が尋ねた。
今更隠していても意味はない。三人は、力強く頷いた。
「子供たちを頼む………」
有坂氏は、頼もしそうな眼差しで三人を見ると、そう言った。
有坂氏とせつなが、同時に亜美の信号をキャッチしていた頃、衛もまた、ディスプレイ上に異常を発見していた。ただ、衛が他のふたりと違っていたのは、キャッチした信号が、亜美のものではなかったということだ。
衛は偶然にも、敵の本体そのものにアクセスしてしまったのだ。
そのことが、結果として、三人を危機に陥れてしまった。
本体とアクセスしてしまったということはすなわち、敵に自分たちのポイントを教えてしまったということである。それは、衛にとっては、大きな誤算だった。
“スゴイネ、ボクヲ見ツケラレル人間ガイルナンテ、思ワナカッタヨ!”
衛のパソコンのディスプレイに、敵からのメッセージが流れ出る。だが、衛はまだ、自分が敵の本体にアクセスしてしまったことに、気付いていない。
「何!?」
「ま、まもちゃん、これ………!?」
「どうしたの………!?」
衛とうさぎの同様に気づき、美奈子が近付いてきた。
“セッカクダケド、君タチハ消去サセテモラウヨ………”
「消去するだと………!?」
衛は声を大にして叫んでいた。
次の瞬間、空間がビリビリと振動した。
「何よ、これ………!?」
空間の以上を感じ、うさぎは狼狽した。ただごとではない。
「キャー!!」
美奈子の悲鳴が響き、うさぎと衛は、背後にいるはずの美奈子に振り返った。
「美奈子ちゃん、どこ………!?」
背後に美奈子の姿はなかった。
うさぎの脳裏に、先程のメッセージの「消去」という言葉がよぎった。
敵はこの言葉通り、美奈子を消去してしまったのだろうか。
「うそ! やだ!! 美奈子ちゃん、どこよ!?」
うさぎは錯乱状態で叫ぶ。
「落ち着け、うさ!!」
衛がうさぎの両肩を掴んで、力一杯揺するが、うさぎの混乱は治まらない。
「くそ! どういうつもりだ………!?」
衛は天に向かって叫んだ。
だが、そんな衛に返ってきた答えは、不気味なくらい静かな、漆黒の闇であった。