電脳都市
遠くで、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、亜美は意識を取り戻した。
上体を起こし、首を巡らした。
すぐ横に、ひとみが倒れていた。
どのくらい、気を失っていたのだろうか。亜美の腕時計は、六時半を示していた。アナログのごく普通の時計なので、今が夕方の六時半なのか、明朝の六時半なのか、時計を見ただけでは分からない。亜美の腕時計は、日付の表示できるものではなかった。
うさぎと、四守護神の女の子たちが使う、通信機付きの腕時計だった。通信機の機能は持ってはいるが、外見は普通の時計とそれほど代わりはない。普通に生活していくうえで、支障がないように配慮して作られていた。あまり目立つデザインだと、何かと不便なのである。
仲間を呼び出してみる。
雑音がひどい。電波が届いていない。
「通信機が使えないほど、遠くに運ばれたとは思わないけど………」
地球上にいて、通信機が使えないということはありえないはずだった。地球上であるならば、どんなところにいても電波は届くように設計されているはずである。
「壊れてしまったのかしら………」
亜美は通信機を見つめて、深いため息をついた。ひとみを見てみる。彼女にはまだ、意識を取り戻す気配は感じられない。
ゆっくりと立ち上がった。
高層ビルが立ち並んでいる。
どこかの街の中のようなのだが、亜美の記憶にはない街だった。十年くらい前の新宿の街並みのような印象を受けた。
よくよく見ると、自分たちは大通りの真ん中にいた。片側三車線、計六車線の大通りのど真ん中に、ふたりは倒れていたのである。
自動車は一台も走っていなかった。走っていたなら、亜美が自分で道路にいることに気付く前に、引かれていただろう。これ程の高層ビル郡を持つ街だというのに、自動車が一台も走っていないというのは、あまりにも不自然だった。
人の姿もない。
静かだった。物音が、何ひとつとして聞こえてこない。
ひとみの息づかいが、僅かに耳に届いていた。
暗くないので、夜ではないと思うのだが、太陽が見えなかった。
光は感じるのだが、日の光とは少し違う感じがした。もっと人工的な光だった。
亜美は改めて、まわりを観察した。
しんと静まり返っている大都会。立ち並ぶ、摩天楼。
亜美たちのいる大通りはどこまでも真っ直ぐと伸び、先の方は霞んで見えない。
生き物が、全く存在しない街。
「まるで、ゴーストタウンね………」
亜美は声に出して呟いてみたが、この表現は適切ではないような気がした。
風が全く感じられない。
生命の息吹きが感じられない。自分も果たして生きているのだろうかという疑問が、頭の中を巡る。
「ここは、どこ………?」
だしぬけに声がしたので、亜美は一瞬どきりとした。
ひとみが意識を取り戻したのだ。
ひとみは立ち上がって、亜美の横に並んだ。そして、不思議そうに首を巡らす。
「亜美ちゃん、ここはどこ………?」
ひとみは、再び亜美に尋ねた。
亜美は首を振った。教えて欲しいのは、自分も同じだった。
「少し歩いてみましょうか? 何か分かるかもしれないわ………」
亜美は言った。
ひとみは、亜美に従うほかはない。無言で頷いてみせた。
亜美は首を巡らす。闇雲に歩いても意味がない。ただ、悪戯に体力を消耗させるだけだ。食事が取れる保証がない以上、無意味な体力の消耗だけは避けなければならない。
目標物を決め、それに向かって歩いていってみるのが、この場合、最善の策だと亜美は考えた。
目標物は、目立つものでなくてはならない。
目標物を探していた亜美の視線が、一際高いタワーのところで止まった。
見たことのないタワーだった。日本にあるタワーなら、殆どの形状を記憶していると自負していた。世界に観点を広げてみても、多少マイナーなタワーも知っているつもりだった。しかし、今見えているタワーは知らない。
やはり、見るもの全てが、亜美の記憶の中にはないものだった。
(この街を、詳しく調べなくちゃ………)
ふたりは、タワーに向かって歩き出した。
近付くにつれ、タワーの全貌が明らかになってきた。
タワーと言っても、いわゆる東京タワーやエッフェル塔のような鉄骨のタワーではない。ファンタジーR・P・Gによく見る、石造りの塔のように見える。遠目では石造りのようにも見えるのだが、もしかしたら、違う材質でできているかもしれないと思った。
高さは目測ではあるが、百メートルぐらいといったところか。それほど高いという印象は受けない。
塔の全体像は、まだ距離があるためはっきりとは掴めないが、おそらく正八角錐の形をしているだろうと、亜美は予測した。
十分ほど更に歩くと、だいぶ塔に近付いてきた。
近付くまでは気が付かなかったが、塔の壁は、ところどころ意味もなくデコボコとしているのが確認できた。
窓はひとつもなく、全面黒光りしているその塔は、いにしえの魔物でも巣くっていそうな雰囲気があった。
不意に、まわりが開けてきた。
タワーの周りは、大きな広場になっていたのだ。
きちんと螺旋状に、規則的に配された芝が、実に美しかった。
広場はタワーを中心にして、半径二百メートルの大規模な芝の広場だった。
芝と芝の間に、幅二メートルぐらいの歩道が、タワーに向かって、五メートル間隔で走っている。更に、同じく五メートル間隔の同心円状にも、二メートル幅の歩道が作られている。
広場にも、もちろん人の姿はなかった。
小鳥の姿さえ見かけない。
ここに来るまでの間、ふたりは自分たち以外の動くものを、何ひとつとして見かけなかった。
「気味悪いタワーね………」
ひとみは感じたままのことを、口に出していた。
ふたりは何かに引き寄せられるかのように、タワーに向かって歩いていく。
その時だった。
“それ以上進んじゃいけない!!”
頭の中に、声が響いた。
弾かれたように、ふたりは立ち止まった。
「い、今の声は………!?」
ひとみは声の主を捜して、きょろきょろとまわりを見る。
亜美も何かを探るように、辺りを見回した。
ただ、亜美がひとみと違っていたのは、亜美は声の主を捜しているわけではないということだった。今の声が、自分たちの耳に聞こえたのではなく、直接脳に届いてきたのだということを、亜美は気付いていた。テレパシーの一種だろうと思う。
だから、亜美が捜したのは、テレパシーを送った人物がいそうな建物なのである。
“そこにいては危険だ! 早く逃げるんだ!!”
声が再び、頭の中に響いた。
亜美の戦士としての直感が、警報を鳴らした。声の言う通り、ここを動かなければいけない。
亜美はひとみの手を素早く掴むと、この場を離れようとする。
だが、一瞬遅かった。
気が付いたときには、ふたりの足もとに地面はなかった。
地獄まで続いているのではないかと思えるほど、暗く深い穴を、ふたりは真さかさまに転落していった。
落下していく恐怖のため、ひとみは気を失ってしまった。
亜美はそのひとみを、ちらりと見る。
落下している最中にも拘らず、亜美は冷静だった。
「マーキュリー・プラネット・パワー! メイク・アーップ!」
亜美はセーラーマーキュリーになって、態勢を立て直した。
底が見えた。
一瞬の判断だった。
このまま底に激突すれば、間違いなくふたりとも死んでしまう。
「聖なる水よ、我らを守りたまえ………。ウォーター・ガーダー!!」
マーキュリーとひとみの全身を、水晶の輝きを持つ、聖なる水が包み込む。
物理的攻撃や火炎攻撃、そして邪悪なるものの攻撃を、ほぼ百パーセント遮断する、絶対防御の技だった。
直後、床に激突した。
弾力性のあるシールドは、その衝撃を百パーセント吸収してくれた。
マーキュリーはウォーター・ガーダーを解いて、ひとみに駆け寄った。
ひとみは気を失ったままだ。
マーキュリーは、ひとみの意識を回復させるつもりはなかった。事態が飲み込めず、パニックになることを考えれば、気絶していてくれた方が、何かと都合がよかった。
“見ーちゃった、見ーちゃった”
何処からともなく、おどけた声が聞こえてきた。
外で聞こえた、テレパシーとは完全に違う声だった。今度はテレパシーではなく、直接耳に届いている。子供の声、男の子の声のように思えた。
「子供の声………!? 小さな男の子がいるの………!?」
マーキュリーは首を巡らした。しかし、薄暗くてよく見えない。
穴の底にいるのは分かるが、ここがどういうところなのか、まだ確認していない。
“テレビドラマなんかでさ、正義の味方の正体がバレる時って、大抵最終回なんだよ。知ってる………?」
声が反響しているのが確認できた。どうやら、密室にいるようだ。
「どこにいるの? あなたからは、あたしたちが見えるの?」
“ボク、お姉さんの正体、みんなにバラしちゃおうかなぁ………”
少年は亜美の問いかけを無視して、一方的に話している。
マーキュリーは、悪戯っ子と話しているような気になってきた。
“変身するところ、メモリーしちゃったよ。お姉さん、すごく奇麗だね。ボク、ドキドキしちゃった………”
(変身過程がメモリーされた………!?)
マーキュリーには信じられなかった。
水野亜美からセーラーマーキュリーへの変身は、10ns.で完了する。それは他のセーラー戦士たちも同じである。変身過程を目で見ることはもちろん、映像として記録することは、不可能に近い。
“見せてあげるね”
「え………!?」
目の前が、不意に明るくなった。
映画館のような大型のスクリーンが、どこからともなく出現する。
映像が出た。
落下する、亜美とひとみの姿が映った。
落下する亜美は、自らとひとみの命を守るため、セーラーマーキュリーへと変身する。
変身過程になると、映像がスローモーションになった。
十番中学の制服が消滅し、亜美の体の線がくっきりと映し出された。
自分の変身シーンを見るのは、もちろん初めてである。マーキュリーは頬を赤らめた。
変身ペンに封じられているセーラー戦士のコスチュームが、光とともに、亜美の素肌の上で物質化される。
亜美はセーラーマーキュリーへと、変身を完了する。
映像が巻き戻される。
今度はコマ送りで再生される。しかも映像は、先ほどの全身を捕らえたものではなく、足もとから舐めるような映像だった。
「消して!! お願い………」
マーキュリーは、今にも泣き出しそうな声で叫んだ。恥ずかしくてたまらなかった。こんな映像が公表されたら、自分はもう街を歩けない。顔を両手で覆って、耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
“ちぇっ! つまんない………”
声は素直にも、映像を消してくれた。
亜美はほっとして、顔を上げた。
“でも、お姉さんの姿はメモリーしたから、いろんな映像を作れるよ。ホラ、こんな風にね………!”
画面が一瞬ブラックアウトしたかと思うと、別の映像が現れた。
白銀の鎧を身に纏い、黄金の剣を中段に構えている自分がいた。
「そ、そんな………」
マーマュリーには身に覚えのないことである。それが、恰かも現実の映像のように描写されている。
映像が切り替わった。今度の自分は、チャイナドレスを着ている。もちろん、今まで一度も着たことなどない。
映像は、次々に切り替わった。そのどれもが、自分には身に覚えのないコスチュームばかりであった。
「やめなさい! どういうつもりなの………!?」
止めなければ、永遠に着せ替え人形のモデルにされそうだったので、マーキュリーは鋭い口調で制した。
映像がブラック・アウトした。
再び闇が、辺りを包んだ。静寂が、五秒間訪れた。
“おこりんぼ………”
ぽつりと、少年の声が聞こえた。ムスッとした口調だった。
マーキュリーは小さく息を付く。
その時、ひとみが僅かに動いたような気がして、マーキュリーは視線をひとみに移した。
ひとみの口から、吐息が漏れた。意識を取り戻そうとしているのだ。
マーキュリーは、瞬時に亜美の姿へと戻る。おかしな少年はいるようだが、身の危険は感じなかったためと、何よりもひとみに、セーラーマーキュリーの姿を見られてはいけないという意識が働いたからだった。
それがかえって、少年に付け入る隙を与えてしまった。
“どうして元に戻るの? さっきのコスチュームの方が好きだなぁ………。カッコイイし、奇麗だし………”
「こ、この声は………!?」
ひとみの耳にも少年の声が届いた。ハッとなって、立ち上がる。
急に立ち上がったために、立ち眩みがした。
倒れそうになったひとみを、亜美がそっと支える。
「亜美ちゃん、この声は………!?」
「分からないわ、どこから聞こえてくるのか………」
亜美は、首を振ってひとみに答えている間も、油断なく周りを観察している。その姿は、ひとみの知っている、普段の亜美とは違う人物のように感じられた。いつもの、物静かな亜美は、そこにはいなかった。今、目の前にいる亜美は、精悍で頼もしさすら感じられる。
“ねぇ、さっきのコスチュームに戻ってよ。さっきのコスチュームに戻ってくれないくれないなら、またグラフィックス出しちゃうよ………。今度はもっと恥ずかしいやつ………。ボクは、どんなグラフィックスだって、合成しちゃうよ………。さっきだって見ただろう? お姉さんの全部をメモリーしたから、ヌードだって簡単に合成できちゃうよ………。あ、変身するとき一瞬ヌードになるから、合成する必要なんてなかったね”
スクリーンが、再び淡い光を灯し出した。
まだ映像は出てきていないが、安心はできない。亜美は半ば、脅迫されているのと同じなのだ。いや、少年の言葉は、亜美にとっては脅迫そのものだった。ヌードを合成すると言われれば、女の子にとっては脅迫としか聞こえない。ましてや先程、変身過程の一糸纏わぬ姿を、スローモーションで見せられたばかりである。あの映像を公開されると想像しただけでも、頬が紅潮してくる。
“さあ、今すぐなってよ!”
“声”は催促してきた。
スクリーンがチカチカしている。まるで、スクリーンも催促をしているようだ。
例え、亜美がこのまま変身しなくても、変身シーンをスクリーンで流されれば、ひとみには正体がバレるのである。声を黙らせるには、やはり変身するしかない。それにここから脱出するためには、セーラーマーキュリーの力を使わなければ無理だろう。
亜美は意を決した。右手を高々と掲げる。
「お兄ちゃん!!」
不意に、ひとみが叫んだ。
亜美は変身するのをためらって、ひとみに目を向けた。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんなんでしょ………!? どこにいるの!?」
ひとみは辺りを見回しながら、声のかぎりに叫んだ。
(まさか………)
亜美は信じられなかった。死んだ人間が存在するはずがない。それとも、死んでいなかったのか。それよりも、ひとみは何を根拠に、この声の主を兄と呼ぶのか。
「お兄ちゃん、姿を見せて………」
ひとみは尚も訴えている。
返事は返ってこない。返答に困っているのか。
「お兄ちゃん………」
ひとみは涙を流しながら、一生懸命に兄を呼んだ。
“ひとみ………。ボクが分かるのか………?”
ややあって、声が答えてきた。先程までの弾んだ声とは打って変わって、重く沈痛な声だった。
「お兄ちゃんなのね………」
ひとみは兄を確認できたことの嬉しさと、そして懐かしさのあまり、大粒の涙を流していた。
感動の兄妹の再会のはずなのに、亜美の戦士としての勘が、警報を鳴らしていた。何かが違うような気がするのだ。素直に祝福してあげられない、何かがあった。
部屋は相変わらず、薄暗いままだ。それがかえって、亜美の心を不安にさせていた。
亜美は先程、セーラーマーキュリーに変身していたときに、ゴーグルでこの部屋の中を調べなかったことを、今更ながら後悔した。
この街に来たときから、通信機でずっと救援信号を送っているのだが、一向に仲間からは何の連絡もない。
(通常空間じゃないってこと………!?)
亜美はここで初めて、“異空間”という単語を思い浮かべた。そういえば、自分たちを捕らえた巨大な手は、別の空間から出現したのだった。もし、異空間にいるのだとすると、脱出するのは極めて困難である。亜美のポケコンでは、空間の座標は割り出せても、空間を移動することはできない。通常のテレポーテーションとは、訳が違うのである。
“異空間”にいるという仮説が正しければ、仲間と連絡が取れないことも納得できるし、仲間が助けに来ないことも了解できる。
「この空間は、あなたが作ったの?」
ひどく険のある声で、亜美は訊いてみた。
ひとみが、少し驚いたような表情で亜美を見たが、気にしないようにした。
とにかく情報が欲しい。それには、相手にしゃべらせる必要があった。
“そうだよ!”
間髪を入れずに、得意げな声が返ってきた。亜美の作戦に、まんまと引っ掛かった。
「凄いわね。普通のレベルでは、考えられないわ」
“当たり前だろ! ボクは天才なんだ!”
亜美の口調は優しく変化し、感心しているようにも感じられる。だから、“声”は更に自慢げな口調になった。
“さっきのグラフィックスを見ただろう? ボクには、できないことなんてないんだ………!”
「あたしの友達にも、あなたの作った世界を、見せてあげたいな………」
“それは駄目だよ”
得意げに話していた“声”が、急に鋭くなった。
“お姉さんの友達は、ボクを苛める………”
「どういうこと!?」
亜美は訊き返した。
ひとみは亜美と“声”の会話を、黙って聞いている。どうしたらいいのか、分からないのだ。“声”は確かに、懐かしい兄の声なのだ。しかし、冷静に考えると、声が幼いままだというのは府に落ちない。それにも増して、本能的に警戒心を抱いているのはなぜなのか。
“声”は、ムスッとした口調で、亜美の問いに答える。
“お姉さんの友達は、ボクの作った「黒子」を壊すんだ。だから、嫌いだ”
亜美は、言葉を返せなくなった。「黒子」というのはおそらく、十番中学の校庭に出現した、あの黒い影のことを言っているのだろうと推測できる。
あの時の影は、ちびムーンとタキシード仮面が消滅させた。もしかしたら、亜美の知らない場所で、他のセーラー戦士たちも、「黒子」と戦っていたのかもしれない。
“声”は、ひどく不機嫌になった。無口になってしまった。
このままでは、何の情報も得られない。とにかく、何か話さなければならない。
「それは、あなたがいけないことをしたからなのよ」
亜美は、悪戯をした子供を、諭すような口調で言った。
“ボクが悪いって言うの………? 違う! ボクは悪くない! 悪いのは、ボクの周りにいるやつらなんだ!”
“声”は、駄々っ児のように叫ぶ。
“一番の親友だと思っていたアイツも、ボクを消そうとした。ボクを怖がったんだ。怖くなって、ボクを消そうとしたんだ。だから、反対に、ボクがアイツを取り込んでやったんだ。アイツと一緒になって、ボクを消そうとしたやつらは、ボクが消滅させてやった。あいつらは、みんなずるい! 自分勝手だ! だから、ボクが粛正してやるんだ! みんな、消滅させてやる!! そして、ボクが神になるんだ!!”
怒りの声で、叫んだ。
(あいつって、だれ………? ま、まさか………!?)
亜美は頭の中で、ひとつの結論に達していた。
(あたしは、とんでもない間違いをしていたのかも………)
亜美は思った。彼女のIQ300の頭脳が、瞬時に答えを弾き出す。
「やっぱり、みんなお兄ちゃんがやったことなの………?」
か細い声で、ひとみは訊いた。
亜美は何かを言おとしたが、言葉を飲み込んでしまった。
「お兄ちゃんが、あんなひどいことをしたの………?」
ひとみはなおも訊きながら、スクリーンの方向に歩き出した。理由はない。ただ、その方向に、兄がいるような気がしたからにすぎない。
「答えてよ………」
ひとみは涙声になった。力なく、その場に座り込んでしまう。
“声”は返答に困っているのか、先程から黙ったままだ。
「答えてよ………!!」
ひとみは涙声で叫ぶ。
“ひとみ………”
“声”が、ようやく答えた。低く、静かな声だった。
“人間は、生きていちゃいけないんだ。ボクが粛正しなければ、いったい誰がするんだ………。ボクは宣言した。三日以内に、全人類を粛正するって………。その時間はもう、迫ってきている”
「あなたの考えは、おかしいのよ!!」
亜美の声が響いた。
ひとみはビクッとなって、亜美の方を振り返った。だが、そこには亜美の姿はなく、代わりにセーラー服のコスチュームを着た、美しい女性が立っていた。セーラーマーキュリーだった。
「セーラー戦士………!?」
じっとこちらを見ているひとみに対し、マーキュリーは優しく微笑んだ。
ひとみは、その笑顔に見覚えがあった。見た目の印象こそ違うが、あそこにいるセーラー戦士は亜美だと、ひとみは確信した。
マーキュリーはゴーグルを装着すると、赤外線暗視機能に切り替え、辺りをサーチする。
見つけた。スクリーンのすぐ左側に、それらしきコンピュータがある。
「かくれんぼは、おしまいよ!」
マーキュリーは、コンピュータのある方に向かって叫ぶ。
ひとみは、そのマーキュリーの視線の先に、兄がいると思い込んでしまった。
起き上がると、その視線の方向に走り出した。
「違う!! ひとみちゃん!!」
マーキュリーは、慌てて呼び止めたが、ひとみの耳には届かない。
危険だ。
ひとみを止めなくてはならない。
マーキュリーは、シャボン・スプレーを放つ構えをした。霧を発生させて、ひとみを幻惑しようと考えた。
だが、それよりも先に、鋭い声が、部屋の中に木霊した。
「待て、ひとみ! それ以上進むんじゃない!!」
強制的だったが、愛情が感じられる声だった。
ひとみは弾かれたように、その場に立ち止まった。
(今の声は………?)
マーキュリーは、ゴーグルでサーチする。
この部屋の中に、もうひとりいる。
生命エネルギーの反応があった。
スクリーンを正面とすると、生命エネルギーの反応は右側、スクリーンから四‐五メートル離れているマーキュリーの真横、十メートルほどの距離だ。
先程サーチしたときに、部屋は縦横二十メートル四方の正方形をしていることが分かっていたから、彼女たちは、部屋の中心より、ややスクリーン寄りの位置にいたことになる。
ひとみはスクリーン手前、二メートルぐらいのところに立ち止まっていた。
「お兄ちゃん………!?」
ひとみは困惑した。その声は、ひとみの耳に残っている兄の声とは、少し違って聞こえたが、声質は兄そのもののように思えた。
ひとみの呟きを、マーキュリーは聞き逃がさなかった。
ひとみに再確認するまでもない。
マーキュリーは、真横に向かって走り出す。まず行動を起こさなければ、何も解決しないと判断したからだ。
“そっちへ行くなぁ!!”
錯乱したような声が響いた。
マーキュリーの判断は、間違いではなかったが、結果的に“声”を追い詰める行動となった。
だしぬけに、部屋全体が白く光った。照明が付けられたのだ。
淡い光だったのだが、今まで暗い空間に慣れていた目には、強烈な刺激があった。
マーキュリーは思わず目を閉じて、その場に立ち止まってしまった。