有坂氏の考え
時計は夜の十一時を回っていた。
うさぎたちは司令室を出て、皆それぞれ家路についた。
“クラウン”を出るとき、まだ店内に残っていた元基が、皆を元気づけてくれた。先に家に帰ったのだろう、宇奈月の姿はもう見えなかった。
亜美のことが気がかりだったせいもあって、うさぎは遠回りになることを承知で、亜美の母親の病院の前を通ることにした。帰路がほぼ同じであるまことが、うさぎに付き合ってくれた。もちろん、ちびうさとダイアナも一緒だった。
十一時を過ぎていることもあって、病院の前は、不気味なくらい静かだった。人通りも少ない。
ちびうさとダイアナが、びくびくしながら、まことに寄り添うように歩いていた。
普段のうさぎだったら、ちびうさたち以上に気持ち悪がるのだが、今日のうさぎは違っていた。亜美のことを考えているので、恐がっている暇がないのだ。
うさぎは病院の前で立ち止まって、しっそりと静まり返っている病棟のひとつを、見上げた。
うさぎの胸中を察してか、ちびうさは心配そうな顔で、ちらりとうさぎの顔を見た。
まことはうさぎの肩に、そっと手を乗せる。
元気を出しなよ。
まことは目で、そう語っている。
うさぎは小さく頷いた。悩んでも仕方のないことは分かっていた。だが………。
「まこちゃん、あれ、なに………?」
不意に、ちびうさが訊いてきた。
「どれ………?」
まことは、ちびうさの目線と同じにするために身を屈めてから、彼女の指差す方向に目を向けた。
「なに? どうしたの………?」
うさぎも同じ方向に、視線を移した。
暗く、薄気味の悪い病棟。
その窓のひとつを、ちびうさは示していた。
白く淡い、今にも消え入りそうな光が、ぼんやりと見えた。
淡い光は、ふわふわと空中を漂っている。
「いっ………!?」
うさぎが妙な悲鳴をあげた。淡い光を指差して、まことをすがるような目で見る。
「も、もしかして、ゆ、ゆ、ゆ、幽霊じゃないの………?」
声が上擦っている。ガチガチと歯のぶつかる音が、同時に聞こえてきた。
ちびうさも、うさぎと同じようにガタガタと震え出した。ちびうさは、幽霊の類いは、人一倍嫌いだった。
ダイアナはと言えば、やはりちびうさの頭の上で、ガタガタと震えている。
うさぎたち三人が恐怖で取り乱している中、しかし、まことは冷静だった。
同じような現象を、きのうも見ているからだ。
きのうほどはっきりとはしていなかったが、淡い光は人間の形をしていた。
淡い光は、きのうと同じ窓の前で静止した。
あの部屋は、有坂氏のいる病室だった。
まことは意を決した。
「うさぎちゃん、行くよ!」
言うが早いか、まことは走り出した。
「い、行くってどこへ………?」
うさぎは訊いたが、答えは返ってはこない。
まことは院内へと、風のように走っていく。
「ま、待ってよぉ〜。まこちゃぁん。追いてかないでよぉ〜」
うさぎは情けない声を出しながら、まことのあとを追って走り出そうとする。
「う、うさぎさま………!」
そのうさぎを、ダイアナが呼び止めた。
うさぎは立ち止まって、何事かと振り返る。
「スモール・レディが………」
ダイアナは、うさぎとちびうさを交互に見ながら、おろおろとしている。
「う、うさぎぃ〜………」
ちびうさはペタンと地面に座ったまま、情けなさそうに、うさぎを見ている。
「なにやってんのよ? あんた………」
うさぎはキョトンとして、ちびうさを見る。
「こ、腰抜けちゃった………」
ちびうさは小さく言った。
「しょうがないわねぇ………」
深いため息を付いたあと、うさぎはちびうさを背中におぶった。いくら、ダイアナがいるからといっても、昼間ならともかく、こんな夜中にちびうさを道ばたに置き去りにすることはできない。
うさぎはちびうさをおんぶしたまま、まことのあとを追って、走らなければならなくなってしまった。
そのうさぎの足もとを、ダイアナが走る。
まことは既に、正面玄関に到着していた。うさぎたちを待ってくれている。
「こっちは閉まってる。通用口へまわろう」
ちびうさをおんぶしたまま、五十メートルは走ったであろうか。さすがのうさぎも、へとへとになってしまった。それなのに、再び移動するのかと思うとうんざりする。
見兼ねたまことが、代わってあげようと申し出たが、回復したちびうさが、もう大丈夫だと言って、うさぎの背中から降りた。
「………でも、どうしたのよ、まこちゃん。急に走り出したりして………」
脇の通用口へ向かう途中で、うさぎは尋ねた。上がっていた息も、ようやく落ち着いた。
「気になることがあるんだ………」
「気になること………?」
「ああ………」
通用口に到着した。まことは、開けっ放しの入口から、病院内に入る。
うさぎたちも、まことに続いた。
少し歩いたところで、まことは立ち止まった。
「これはあたしの単なる勘なんだけど………。もしかしたら、あたしたちは、とんでもない間違いをしているんじゃないかってね」
「とんでもない間違い………?」
うさぎは聞き返す。思ってもみない、まことの意見だった。
「何か重要なことを、見落としているような気がするんだ………」
まことはなおも言った。視線はどこか、遠くを見ているようだった。
まことの勘はよく当たる。それはうさぎだけでなく、他の仲間も感じていることだった。
「先ほどの幽霊と、何か関係があるのですか?」
ダイアナが、まことの足もとから尋ねてきた。
まことは視線を下に移す。
「それを、今から確かめに行くんだ」
まことの言葉からは、事件の確信に迫っているという、ある種の自信が感じられた。
エレベーターは五階で止まった。
消灯時間もとっくに過ぎているため、廊下には雑談する患者の姿はなかった。当然、面会時間も過ぎているため、四人は足音を忍ばせて、廊下を歩いた。
ちびうさが、足音のたたないダイアナを羨ましがった。
巡回の看護婦の姿を見かけたときは、さすがに肝を冷やしたが、物陰に隠れて、なんとか見つからずにすんだ。
廊下を歩きながら、うさぎはまことから、この病院に、亜美と一緒にさらわれたひとみの父親が、入院していることを聞かされた。うさぎはあまり、ひとみとは親しくなかったから、有坂氏のことは知らなかった。
四人は薄暗い廊下を、ひとみの父親の病室に向かって歩く。
深夜の病院の廊下というものは、非常に気味が悪いものである。ちびうさとダイアナは、全くの無口になって、うさぎとまことのあとを、恐る恐る付いてくる。
有坂氏の病室の前にきた。
まわりに巡回の看護婦の姿がないのを確認すると、まことは大きく深呼吸してから、ドアをノックした。
時間は間もなく、零時になろうとしていた。普通なら、有坂氏は起きているはずはない。
しかし、病室の中からは、返事が返ってきた。まだ、起きていたのだ。
ゆっくりとドアを開け、四人は病室に入った。
有坂氏は、ベッドに横にもなっていなかった。
上体を起こし、卓上のライトの光を頼りに、ノート・パソコンを打っていた。
真夜中の来客に、少しばかり驚いたような表情を見せた有坂氏だったが、すぐに笑顔を作った。
「やあ………。君は確か、亜美さんのお友達だったね」
有坂氏は、一度しか会っていない、まことを覚えていてくれた。女子中学生にしては、身長が高いまことだったから、印象にも残りやすかったのだろう。
「こんな時間にお邪魔して、すみません………」
まことは軽く頭を下げた。
「お聞きしたいことが、あったものですから………」
まことの言葉を聞くと、有坂氏はキーボードを打つ手を休めた。
「………昼間の騒ぎのことだね………」
有坂氏は、真顔になって言った。有坂氏の方から、そんなことを言われるとは思っていなかったので、まことはドキリとした。正に、今から尋ねようとしていたことを、ズバリと有坂氏は言い当てたのだ。全てを見透かされているような気がして、まことは頬をいくぶん紅潮させた。
うさぎはその時、窓の外に写っていた淡い光が、急激に遠のいて行ったのに気がついていた。それが、何であるのかは、うさぎには分からない。
まことは気が付いていなかった。黙って、有坂氏の次の言葉を待っていたからだ。
「昼間起こった事件は、わたしも知っているよ。この病院にも、少なからず影響があったようだからね」
有坂氏は、ゆっくりと話し出した。
「わたしは悩んだよ。そんな馬鹿な話があるものかと………。だが、昼間の出来事は、夢でも幻でもない。現実に起こってしまった。いや、昼間だけではない。きのうも同じ事件は起こっていた………」
有坂氏は、そこで言葉を切ると、軽く頭を振った。有坂氏の苦悩が、その表情から、痛いほど伝わってきた。
有坂氏は顔を上げまことを見、次にうさぎたちに目を向けた。
うさぎはどんな反応を示していいのか、悩んでいた。何か言葉をかけたいのだが、その言葉すら見つからない。
有坂氏は、まことに視線を戻した。そして、
「あれは、わたしの息子の仕業だ」
断定的に、そう言った。
全く予想していなかった言葉だっただけに、うさぎもちびうさも、声をあげて驚いた。
まことはと言えば、特に驚いた様子はなく、じっと有坂氏の話を聞いている。
疲れていたのだろうか、ダイアナは有坂氏のベッドの上で、気持ちよさそうに眠ってしまっている。
「わたしは以前、一度だけ息子の組んだプログラムを見たことがある。わたしは仕事が忙しかったせいもあって、子供たちとは殆ど遊んでやれなかった。息子や娘が、普段何をしているのかさえも知らなかった。あの日はたまたま仕事が早く終わったので、子供たちの顔が見たくて、急いで家に帰った。娘は寝てしまっていたが、息子はまだ起きていた。息子はパソコンを使って遊んでいた。息子が珍しく、わたしに買ってくれとねだったものだったので、買い与えてやったものだった。息子はプログラムを組んでいたようだった。わたしはそのプログラムに興味があったので、息子が寝たあと、そのプログラムを見てみた。信じられなかったよ。息子の才能にもだが、それ以前に、そのプログラムの素晴らしさに驚いてしまった。だが、それは、とんでもないプログラムだった」
「とんでもないプログラム………?」
うさぎか問いかけた。
有坂氏は、頷いてから答える。
「A・Iを使った、人格のプログラムだよ」
「A・Iって、人工知能っていうものですよね?」
このての話には疎いうさぎだったが、A・Iという単語は聞いたことがあった。確か、以前発売された人気R・P・Gに、A・Iを搭載したゲームがあったように思う。
有坂氏は頷く。
「そのA・Iも、ゲームに使っていたような簡単なものではない。A・I自体のできも、素晴らしいものだった。息子の人格プログラムは、正に人間そのものだったよ」
有坂氏の口調は重い。
「人間そのものって………。そんなものが作れるんですか?」
まことの質問は、うさぎの疑問でもあった。ふたりは、有坂氏から返ってくる返事を待った。
「今のわたしたちの技術では、とうてい作れるものではない。だが、それを息子は作ってしまった。自分の目で見ていたのに、わたしは信じられなかったよ。息子にそれほどの才能があるなどとは、考えてもいなかった」
有坂氏は、ふうっと大きく息をついた。疲れたようだった。
「ですけど、息子さんと今回の事件と、何の関わり合いがあるんですか? 今のお話だけでは、今回の事件が、息子さんの仕業だと決めつける、確証がないと思うんですけど………」
まことは言う。
「空に浮かんでいた、あの何とも不気味な顔。あれは、以前息子が合成していたC・Gなんだよ。人格プログラムに使われていたね………。あれを見てしまったから、わたしは今回の一連の事件は、息子のしていることだと確信したんだ」
有坂氏は、寂しそうに笑った。視線を、自分のノート・パソコンのキーボードに落とした。
「息子が何をしようとしているのかは、わたしは分からない。どうして今頃になって、息子が活動し出したのかもね………。ただ、こんなことは、やめさせなければならない」
有坂氏は視線を上げ、うさぎたちを順々に見た。
「今、わたしなりに、息子の居場所をトレースしている。何か分かったら、君たちにすぐに知らせるよ」
何もかも知っているような、有坂氏の言葉だった。
うさぎたちは少し戸惑ったが、力強く頷いてみせた。
有坂氏は、優しい笑みを彼女たちに返した。
「頼む、息子を救ってくれ………」
病室を去ろうとしている少女たちの背中に向かって、有坂氏はそう言った。
あまりにも小さな声だったので、その言葉が、彼女たちの耳に届くことはなかった。
いつの間にか眠ってしまったのだろう。せつなは、司令室に元基が入ってきたことに気付かなかった。
人の気配には敏感なはずのせつなだったが、よほど疲れていたのだろう。最も、元基の方も、眠っているせつなを起こさないようにと、かなり気を使ったのだ。
同様に居眠りをしていた、ルナやアルテミスも気が付かなかった。
「ゴメン。起こしちゃったね………」
顔を上げたせつなを見て、元基は申し訳なさそうに、後頭部を掻いた。
その声を聞いて、ルナとアルテミスも目を覚ました。
せつなは自分の腕時計を、ちらっと見た。早朝、五時を少し回ったところだった。
「元基さん、どうしてこんな時間に………?」
そう言って元基を見ようと、視線を動かしたせつなの視界に、右のテーブルに置かれた、コンビニの袋が入ってきた。
「サンドイッチ買ってきたんだ。よかったら、食べてよ」
元基は、こっそりと置いて帰るつもりだったりで、少し照れ臭そうに言った。
「わざわざ、すいません」
せつなはにっこりと微笑むと、お礼を言った。
アルテミスがビニール袋を銜えて、せつなのところへ運んできた。
サンドイッチだけでなく、ルナやアルテミスの食事も買ってあった。
「じゃ、がんばってね………」
元基は軽く手を振って、上の“クラウン”に上がった。
ビニール袋の中身を覗いて、ふと、せつなは気付いた。
元基を“クラウン”に残し、司令室に降りてきたときには、亜美を除くメンバー全員が揃っていた。次の日に備え、うさぎたちを家に帰したのが十時半頃。少し遅れて、はるかとみちるも司令室を出ていった。残ったのは、せつなと衛とルナ、アルテミスの四人である。
衛は二時を回った頃、はるかからの呼び出しで、無限学園に行ってしまった。
元基が買ってきた朝食のサンドイッチは、どう考えても一人分しかない。
(元基さん、ずっと上にいたんだ………)
そういうことになる。だから、今、下にいるのが、せつなたちだけであることを知っているのだ。
元基は一般人である。なのに、いつも自分たちをサポートしてくれる。苦しいときには、励ましてくれる。せつなは、そんな元基の存在を頼もしく思い、そして、とても嬉しかった。