それぞれの想い


 ゲームセンター“クラウン”の地下司令室に、レイとまことが戻ってきた。
 コンピュータのキーボードを、しきりに操作していた亜美とルナは、そろって入口に目を向けた。
 司令室に入ってきた、ふたりの表情は固かった。代表してレイが話す。
「崩れたビルの残骸の中に、衛さんの“気”は感じられなかったわ。レスキュー隊も今、必死に作業をしているけど、まだ何も発見できていないようね。完成前のビルだったことが幸いして、一般の被害者は出ていないわ」
 レイはそこで言葉を切ると、バッグから何かを取り出した。亜美とルナは、何だろうと、レイの手を覗き込んだ。
 ハンカチに大事そうに包まれたそれは、宝石のようだった。
「四つの宝石………? それぞれ違うようだけど、四つとも翡翠かしら………」
 亜美はじっと翡翠を見つめた。
「ジェダイト………」
 まことが呟くように言った。亜美とルナのふたりはハッとなって、まことを見た。
 まことはなおも、翡翠の名を言い続けた。
「………ネフライト、ゾイサイト、そしてクンツァイト」
「衛さんの………」
 亜美は、レイとまことを見た。ふたりは無言で頷く。
「何で落ちていたのか分からないわ。でも、信じたいわね………」
 レイは、長い髪を掻き上げながら言った。
「そうだな………」
 まことが頷いた。続いて、亜美に視線を移す。
「亜美の方はどうだい?」
「新しいことは何も分からなかったわ………」
 亜美の口調も重い。
 四人は黙り込んでしまった。何もできないということが、これほどもどかしいこととは知らなかった。非力な自分たちに、怒りさえ感じていた。
「悔しいな………」
 まことがぼそりと言った。全員が同じ気持ちだった。
「ちびうさちゃんは?」
 亜美が尋ねた。
「ずっと部屋に閉じこもりっぱなしだそうよ」
 レイが、うさぎの母親に聞いてきたことを話す。
 ちびうさは、ふさぎ込んでいた。うさぎがさらわれたのも、三人の戦士のオーブが奪われたのも、そして、衛の件も、全て自分の責任だと感じていた。もちろん、だれもちびうさを責めたりはしていない。ちびうさがいたところで、何も変わらなかっただろうと思う。
しかし、ちびうさは違う。自分の不甲斐なさが原因だと考えている。ちびうさは、そういう子だった。
 ドタドタドタ………。
 けたたましい足音が、司令室に響いた。見ると元基が、転がるように、上の“クラウン”から降りてきた。
「ま、また、あのシャンデリアが来た」
 元基の表情は、絶望的に青ざめていた。

 徐々に近付く地球を見上げて、ミネルバは少し不安になっていた。
 本当に自分は、正しいことをしているのだろうか? 亡くなった母は、こんなことを望んでいただろうか? そして姉は、何を思って、キャッスルに留まっているのだろうか?
 考えれば考えるほど、ミネルバは分からなくなっていた。
 姉に相談したくても、なかなか会いにいけない。
「ミネルバ様………」
 ふいに、アドニスに背後から声をかけられ、ミネルバはビクリとした。
 そんなミネルバを、冷ややかに見つめながら、アドニスは言った。
「兵たちが待っております。出撃のご準備を………」
「分かっているわ」
 ミネルバは苛立たしげに言う。お前にわざわざ言われるまでもないという風だ。
 くるりときびすを返すと、さっさと作戦司令室を出ていった。
 アドニスは、彼女の後ろ姿を目で追いながら、フンとひとつ鼻で笑った。
「もう、会うこともないさ………」
 独り言のように呟く。
 そのアドニスの背後に、アラクネが音もなく忍び寄る。
「申し訳ありません。セレニティが逃げました………」
「なんだと………!?」
 アドニスの目が険しくなった。
「アフロディアだな………。あの小娘奴………」
「いかがいたしましょうか? おそらく、銀水晶を狙ってくると思われますが………」
「貴様に言われるまでもない!」
 そう言ってから、アドニスはアラクネの身体を、上から下まで眺めた。
「………貴様、アラクネではないな………!」
 言うが早いか、アドニスはエネルギー波を放つ。
 瞬時にそれを躱したアラクネは、その姿をセーラーエロスへと変化させる。
「セーラー戦士だと………!」
 アドニスは驚く。こんな戦士は知らない。シルバー・ミレニアムの戦士ではない。
「よく分かったわね………」
 エロスは身構えながら、静かに言った。
「アラクネにしては、胸が大きかったのでな………」
 アドニスは笑い混じりに言う。が、瞳は笑ってはいない。憎々しげに、自分の方を見ているのが分かる。
「ハーレム・ブレイク!!」
 エロスの掌から衝撃波が走る。
 素早く、アドニスの守りに入ったふたりの護衛兵が、一瞬のうちに消し飛ぶ。
「曲者だ! アドニス様をお守りしろ!!」
 護衛隊長のダヌーが怒鳴る。
「エロス・エレガント・ボーミング!!」
 エロスが放った光球が、ダヌーの頭上で分裂し、幾つもの光弾となって降りそそぐ。
 辛うじてガードしたダヌーは、剣を抜いて反撃してきた。
 エロスは善戦したが、しかし、ここは司令室であった。彼女以外は、全て敵なのだ。
 程なくエロスは、護衛兵たちによって、取り押さえられてしまった。
 ずっと腕組みをして、戦いを観戦していたアドニスが、大股で歩み寄ってくる。
 エロスの前でしゃがみ込むと、兵士に押さえられ床に突っ伏していた彼女の顔を、強引に自分の方に向けさせた。
「上手く化けたつもりだろうが、わたしは二度はだまされん」
 アドニスは勝ち誇ったように言う。
「地下室にわたしを呼びに来たのも、貴様だな………」
 アドニスは、すうっと目を細めた。
「貴様には、セレニティを逃がした償いをしてもらおう」
 アドニスが言うと、ダヌーを含めた護衛兵たちがいやらしげな笑みを浮かべた。
 エロスは睨むようにアドニスを見てから、フッと笑った。
「何がおかしい!」
 珍しく、アドニスは声を荒げた。
 次の瞬間、アドニスは凄まじいばかりの殺気に、思わずその場を飛び退いていた。
 ほんの今までアドニスがいた場所が、無残にも抉られている。エロスのすぐ近くで、いやらしい笑みを浮かべていた数人の護衛兵が、逃げる間もなく吹き飛ばされていた。
「アルテミスだな………!?」
 アドニスは怒りを露にして、自分を攻撃した男の名を口にした。
 アルテミスは既にエロスを助けだし、司令室の入口に立っていた。
 王家の剣を構えているアルテミスには、一分のスキもない。
「お前の計画は叩き潰す。必ずな………」
 凄んだ口調で言うと、風のように飛び出していった。
「者共、ゆくぞ!!」
 ダヌーは七‐八人の部下を連れて、アルテミスたちの後を追った。
 一時は、怒りに我を忘れかけたアドニスだったが、すぐに冷静さを取り戻していた。
「………時間かせぎか………? 追っ手を自分たちに引き付けておいて、王女ふたりを逃がすつもりだな………」
 顎に軽くさすり、考えを巡らす。
「アラクネ、そこにいるな」
「はっ!」
 アドニスは本物のアラクネを呼ぶと、何事かを耳打ちした。
「はっ! そのようにいたします」
 言うが早いか、アラクネの姿は煙のようにかき消された。
「我ながら、いい作戦だ………」
 アラクネが去った後、アドニスはひとり、ほくそ笑んだ。

 警報が鳴り響く。
 数人の兵士たちを薙ぎ倒しながら、アルテミスとエロスのふたりは疾走する。
 ダヌーの部隊が追いついてきた。
 前方からも、武装した兵士たちがくる。その手には、弓が持たれている。
 完全に挟まれてしまった。
「ちっ!」
 舌打ちして、アルテミスは剣を抜いた。
 エロスも技を出すべく身構える。
「放て!」
 ダヌーの号令と同時に、ふたりを狙って矢が放たれる。旧式な武器のようだが、こういった狭い通路では、かなり有効な攻撃だった。
「くそっ!」
 アルテミスは剣で矢を払いのけたが、武器をもっていないエロスは躱しきれず、左腕を矢が掠めた。
「エロス!」
 アルテミスは一瞬、ダヌーから目を放した。
「アルテミス、その首もらったぁ!!」
 エロスに気を取られたアルテミスに向かって、ダヌーが剣を振りかざす。
────殺られる………!
 体勢が悪かった。今から回避行動をとっても間に合わない。アルテミスは死を覚悟した。
 シュ!!
 何かが空を切り裂いた。
「ぬ………!?」
 ダヌーが一瞬、戸惑いをみせた。
────いまだ!
 アルテミスの剣が一閃した。
 ダヌーはおそらく、自分が死んだことにも気が付かなかっただろう。それほどまでに、今の一撃は素早かった。
 既に屍と化したダヌーの身体が、スローモーションの映像のように、ゆっくりと床に倒れた。
 残りの兵は、ダヌーが殺られたことで自分の身の危険を感じ、一目散に逃げていった。
 アルテミスは深く息をついた。王家の剣を、鞘に納める。
「申し訳ありません、アルテミス様。迂闊でした………」
 エロスが謝る。
「いや、いい。俺はなんともない。お前の傷はどうだ?」
「掠り傷です。大事ありません」
「そうか、よかった」
 アルテミスは次に、自分を救ってくれたものを探した。確かに、何かがダヌーの目の前を横切ったのだ。それに驚いたダヌーが一瞬動きを止め、アルテミスの起死回生の一撃を受けたのだ。
「ん!? これか………」
 通路の壁に、真っ赤な薔薇が付き刺さっている。
(赤い薔薇………?)
 ゆっくりと壁に向かう。
 通路の奥で、何物かの気配を感じた。
 視線を向ける。
 翻った黒いマントが、ちらりと見えた。
(………そうか!)
 アルテミスはその薔薇を引き抜くと、にやっと笑った。
「エロス、どうやら役者が揃ったようだよ………」

 通路を、足早に通りすぎる兵士たちを縫うように、うさぎと美奈子は走り抜ける。
 美奈子はドレス姿から一転して、身体にフィットしたスペース・スーツを着ていた。動きやすいからという理由で、うさぎも同じ物に着替えさせられた。ホディラインがくっきりと浮き出てしまうが、恥ずかしいなどと言っている場合ではなかった。
 ふたりは既に城を脱出し、キャッスルの中央公園に来ていた。そこを抜ければ、間もなく宇宙港である。宇宙港には、あの“シャンデリア”が停留しているはずだった。地球に向かって出撃する“シャンデリア”に、ちゃっかり便乗しようというのが、ふたりの立てた作戦だった。
 中央公園には、かなりの数の人が集まっていた。誰もが、天井から透けて見える地球を見上げている。
 その中のひとりの老婆が、美奈子の姿を見つけた。
「姫様、姫様じゃ………」
 美奈子は、しまったという表情をして立ち止まる。兵士に気づかれる………。
 老婆の声に、周りにいた人々も、美奈子たちに気付いた。
 美奈子は、曖昧に微笑むしかなかった。うさぎも戸惑いを隠せない。
 そんなふたりの様子に気が付かないのか、老婆がヨタヨタと近づいてくる。
「姫様、ミネルバ様を止めてくだされ………」
 老婆は嘆願するように言った。
(あ………)
 美奈子の中のアフロディアは、その老婆に見覚えがあった。自分がまだキャッスルにいた頃、身の回りのことを始め、何かと世話をやいてくれた乳母だ。
 王室お抱えの乳母のはずなのに、なんでこんなところにいるのか。
「婆や、婆やなのね………」
 美奈子は老婆の手を取った。彼女が覚えている老婆の手より、今掴んでいる手の方が小さかったことが、美奈子は妙に悲しかった。老婆が随分と小さく見える。自分が成長したからではあるだろうが、それだけではないような気がした。
「この婆を覚えてくださっているのか。もったいのう、ございます」
 老婆は涙を流して喜んだ。あとは言葉にならない。
 その老婆に代わって、そばにいた中年の男が言った。
「アフロディア様、ミネルバ様はアドニスの奴に、騙されているんだ。俺たちは地球なんかいらない。キャッスルで充分なんだ。俺たちは、金星に帰りたいんだ」
 美奈子とうさぎは、黙って民衆の声を聞いていた。人々は皆、口々にアドニスの悪行を訴え、ミネルバを止めるように嘆願した。
 幼い女の子が、美奈子の足もとにやってきた。
「姫姉様、わたし、金のお星に帰りたい………」
 美奈子は、女の子に優しい笑みを送ると、顔を上げた。
「みんな、分かったわ。大丈夫、あたしがみんなを守るから。心配しないで………」
 美奈子は皆の顔を見回した。
 兵士が美奈子とうさぎを発見して、口々に何か叫びながら走ってくる。
「行ってくだされ、姫様。ここはわしらが防ぎますじゃ」
 老婆はそして、うさぎを見た。
「セレニティ様、わしらの姫様にお力をお貸しください」
 うさぎは力強く頷いてみせた。
 公園にいた人々は皆、力を合わせて兵士たちを押えつけている。
「行きましょう」
 ふたりは宇宙港に向けて走り出す。
 公園の喧噪が、しだいに遠くなっていった。

 港には、まだ“シャンデリア”が停泊していた。護衛の兵士がいない。今がチャンスだ。
 物陰から、ふたりはシャンデリアに向かって走る。
「キャッ!」
 突然背後で悲鳴がしたので、うさぎはびっくりして振り向いた。
 見ると美奈子がコケている。
「もう、美奈ちゃんたらそそっかしいんだから………」
「ごめんね………」
 美奈子は、お尻をさすりながら立ち上がった。
 ふたりは無事“シャンデリア”に到着した。
「アルテミスたち、大丈夫かしら………」
 うさぎは心配そうに、美奈子を見た。
「心配ないわ、あのふたりなら………」
 美奈子は、うさぎの肩に手をのせて、元気づけた。

「アルテミスはまだ見つからんのか………」
 アドニスはぼそりと言った。
 別にどうでもいいことだったが、手持ち無沙汰だったので、近くにいる兵士に訊いてみた。
「はっ! 申し訳ありません!」
 若い兵士は、最敬礼をして答えた。
「フン………」
 アドニスにとっては、退屈な時間が続いていた。
「アラクネといい、ダヌーといい、全く役に立たん奴等だ………」
 溜息混じりに呟く。
 別にアルテミスは見つかっても、見つからなくてもよかった。
 アドニスにはこのあと起こるであろう、彼が筋書きを書いたストーリーに、セーラー戦士たちがどういう反応を示すかの方が、興味があった。
 “シャンデリア”が、地球の大気圏に突入する映像が、まるで映画のように、司令室のメイン・スクリーンに映っていた。

 ダイアナがキーボードを操作する。予想される“シャンデリア”の戦力が、表示された。
「“シャンデリア”型宇宙船の、それ自体の戦力はさほどないようです」
 ダイアナが言う。
「問題は、船に乗っている兵士の数ってわけか………」
 まことはいいながら、ダイアナを見た。ダイアナは頷く。
「外側からでは、どのくらいの兵士が乗れるのかは計算できません。もう少し、データがないと………」
「仕方ないわよ」
 慰めるような口調で、ルナが言う。
「だけど、どうして何もしてこないのかしら………」
 レイが訝しむ。
 到着してからしばらくたつが、いっこうに攻撃してくる気配は見せない。
 自衛隊も前回のことがあるので、迂闊には攻撃しない。今は、相手の出方を伺っているようだ。
「美奈子ちゃんからは、何の依然連絡もないし………。さらわれた、うさぎちゃんの身も心配だわ………」
 亜美はルナを見た。ルナは首を振る。アルテミスからの連絡もないようだ。
「また、この街が戦場になるのかな………」
 元基がぽつりと呟いた。

 “シャンデリア”は十番街の上空で、停止していた。
 ミネルバはスクリーンを見たまま、じっとして動かない。
「ミネルバ様、何を迷っておられるのです………?」
 クピドは静かに訊いた。ミネルバは答えない。
 地球に到着してから、三十分が過ぎていた。だが、未だ出撃の命令は下りていない。
「わたしは間違っていないかしら………」
 呟くように、ミネルバは言った。
 四剣士たちはお互いに顔を見合わせ、意思を確認し合うと、代表してクピドが言った。
「ミネルバ様は、ご自分の信じられたことをするのがよいでしょう………。我々は例えそれがどんなことであろうとも、ミネルバ様に従います」
「ありがとう、クピド………」
 ミネルバは涙が溢れそうになった。こんな自分に従ってくれる者がいる………。ミネルバは嬉しくてたまらなかった。
 自分はどうしたら、この者たちの忠義に答えることができるのだろうか。
「ミ、ミネルバ様、あれを………!」
 突然パポースが、スクリーンの一画を指差した。
 そこには、ビルの屋上に仁王立ちし、こちらを睨み据えている、小さな戦士がいた。
「子供………?」
 ミネルバは我が目を疑った。
 映像を拡大して、確認しようとするミネルバだったが、思わぬ事態によって、それはできなくなってしまった。
 ドロイド兵たちが、命令を待たずに、勝手に出撃してしまったのだ。

 うさぎたちは、“シャンデリア”の格納庫に置かれているコンテナの陰から、ドロイド兵たちの様子を見ていた。
 ドロイド兵たちが、次々と十番街に降下していく。
 うさぎと美奈子には、どうすることもできない。
「ミネルバが指示をだしたのかしら………」
 うさぎが言う。
「そうは思えないけど………」
 美奈子は訝しんだ。
 そう言うタイミングのような、出撃ではなかったような気がした。
 始めから決まっていたことのように、ドロイド兵たちは出撃したのだ。
「とにかく、みんなと合流しましょう。どうするかは、それからよ………」
 美奈子は威厳ある声で言った。