マゼラン・キャッスル


 マゼラン・キャッスルは、歓喜に満ちあふれていた。
 みなそれぞれに、プリンセス・アフロディアの無事の帰還を喜び、ある者は涙し、ある者は両手を広げてバンザイを三唱した。
「アフロディア様、ばんざぁい!!」
 人々の歓喜の声が、合唱となる。
 美奈子とアルテミスはそんな人々に圧倒されながら、アクタイオンの後ろについて、細長い通路を歩いていた。
 床以外は、全面ガラス張の通路なので、外の様子がよく見えた。
 眼下に見える中央広場の噴水の横から、幼い少女達が手を降っている。
 美奈子はにこやかに微笑み、軽く手を振ってそれに応えた。まるで、アイドルにでもなったような気になる。
 こんなときに、このような不謹慎なことを考えられるのが、美奈子の良いところでもあり、悪いところでもあると、アルテミスはひとり思った。
 しばらくして通路を抜けると、全く別の空間が現れた。
 マゼラン・キャッスルは、こうした幾つかの空間────ブロックに別れ、それらがいく
つも集まって巨大な浮遊する都市を形成している。
 先ほど通ってきた通路は、ブロックからブロックへと移動するための、専用の通路のようだった。
 美奈子達の前に現れた別の空間は、王家の城のあるブロックだった。
 美しい、よく手入れの行き届いている庭園の向こうに、威厳のある佇まいの城が見えた。その城は、R.P.G.好きの美奈子を思わず唸らせるほどの、見事な造りの城であった。
 城門が見えてきた。ちょとやそっとでは壊れそうにない、非常に頑丈そうな門である。
 城門のまえに、男女二名づつの剣士が控えている。
「姫、覚えておいでですか? 王家の四剣士です」
 小声でアクタイオンが言った。美奈子の覚醒がまだ完全でないということを、四剣士に悟られまいとする彼の心づかいだったが、美奈子にはその心配は無用だった。
「お帰りなさいませ、姫様」
 四人は声を揃えて言うと、恭しく頭を下げた。
「長い間留守にして、おまえたちにも苦労をかけたようですね。この通りです」
 美奈子は既にアフロディアだった。アフロディアは深々と頭を下げ、四剣士に詫びの言葉を述べた。
「も、もったいのうございます………。我々は姫様がお健やかであれば、それでよいのです」
 四剣士のリーダー格である、黒金の剣士クピドが言った。アフロディアの詫びに、かえって恐縮してしまっている。
「姫様の方こそ、ご苦労なさったのではありませんか?」
 白金の剣士パポースが心配そうに言う。グリーンの瞳が美しい、女性剣士だ。
「少し、お窶れになられたのでは…………」
 続いて赤金の剣士アマトスが言った。この女性剣士ふたりは、私生活においてもアフロディアの身のまわりの世話を任されていた。だからこそ、余計にアフロディアの身を気遣う。
「ありがとう。大丈夫よ」
 美奈子の中のアフロディアは、にっこりと微笑む。
 ふたりの女性剣士は、安心したような笑みを浮かべた。
「お部屋にて、ミネルバ様もお待ちです。どうか、その元気なお姿をミネルバ様にも早く………」
 青金の剣士クニードスが、三人を城の中へ促す。
 それにしたがって、三人は門を潜った。

 城の中心部に位置する司令室のメインスクリーンに、その三人の映像が映し出されていた。
 豪華なシートにゆったりと腰を降ろし、スクリーンを無言で見つめていた黒いマントの男の背後に、音もなくアラクネが忍び寄る。
「アドニス様、準備が整いましたが………。いかがいたしますか?」
 アドニスと呼ばれた男は両目を数秒だけ閉じると、スクリーンを再び見た。スクリーンには美奈子が、前世での妹ミネルバと、涙の再会をはたしているシーンが映っている。
「妖魔を三体貸す。貴様が勝手に持ち出した下級妖魔などではないから、少しは戦力になろう。………月の者どもの力、思っていたよりも、強いようなのでな………」
 アドニスはスクリーンを見つめたまま言った。
「あ、ありがとうございます」
 先の戦いでセーラーヴィーナスに完敗したアラクネは、恐縮してしまった。しかも、妖魔を無断で持ち出したことも指摘され、言い訳する言葉も見つけられない。だった一度の失敗のために、信用ががた落ちである。
「二度の失敗は許さん」
 短く言った。それがかえって、アラクネの危機感を煽った。早急に、名誉を挽回しなくてはならない。
「分かっております………」
 深々と頭を垂れると、アラクネは音もなく消えていった。
「………フン」
 そんなアラクネを鼻で笑うと、アドニスはゆっくりとシートから立ち上がる。
 しばらくしてから、司令室に美奈子とミネルバ、そしてアクタイオンが入ってきた。アルテミスの姿は見えない。どこかで別れたのだろうか。
 アドニスにとっては、さして重要なとこではなかったので、特に尋ねはしなかった。
「姫、よくぞ戻られましたな」
 アドニスは笑顔を作ってみせた。だが、美奈子の表情は険しかった。
「随分と強引なやり方なのね………」
「それは姫が、聞き分けのないことを言われたからですよ」
 アドニスは笑いながら言った。
「本当に、それだけかしら………」
 美奈子は探るように、アドニスを見た。
 突然何を言い出すのかという風に、ミネルバは姉を見る。
 アクタイオンの右の眉がピクリと動いたが、誰も気づかない。
 アドニスは無表情だった。
 この男、相変わらず何を考えているのか分からない………。美奈子はそう思った。
「アラクネの姿が見えないわね」
 美奈子は仕方なく、話題を変えることにした。
 美奈子にアラクネのことを訊かれたアドニスは、口もとに薄ら笑いを浮かべながら答える。
「姫に負わされた、傷の手当をしております」
 美奈子に視線を合わせようとはしない。
 適当に答えているとしか、思えなかった。
「そう………」
 美奈子は、姿の見えぬアラクネがひどく気にかかったが、これ以上質問しても、アドニスからは何も得られないと感じ取ると、この場はひとまず引き下がった方がいいと判断した。
 タイミング良く、アクタイオンが部屋で休むように言ってくれたので、それに従うふりをした。
 こんな芸当ができるようになったのも、美奈子は自分の中のアフロディアが覚醒したからだろうと感じた。

 美奈子の、いやプリンセス・アフロディアの私室は、以前と何ひとつ変わっていなかった。
 お気に入りのふかふかのベッドも、わがままを言って買ってもらったタンスも、そして窓から見える城の庭の風景も、全く以前のままだった。
「変わらないのね………」
 美奈子は感慨深げに言った。
「変わってしまったのは、あたしだけか………」
「シルバー・ミレニアムの崩壊は、わたし達もどうすることもできなかった。姉さんが亡くなられたあの日、わたし達は偶然にも、クイーン・セレニティが姉さん達を地球人として転生させたことを知ったの。だから、わたし達は眠りにつくことにした。姉さんが地球人として転生し、アフロディアとしての記憶を取り戻した時、再び目覚めるように………」
 ミネルバはそこまで言うと言葉を切り、美奈子を見た。
 晴れやかなミネルバの表情とは逆に、美奈子の表情は曇っていた。
「でもね、ミネルバ。あたしは確かにアフロディアの生まれ変わりではあるけれど、地球人愛野美奈子でもあるのよ。以前とは、違うの………」
 美奈子のその言葉は、ミネルバを不安にさせるには充分すぎる言葉だった。
 今度はミネルバの表情が曇った。
「姉さん、まさか地球に帰る気じゃ………」
 美奈子は答えなかった。黙って窓の外に目をやる。あたかも、それが答えでもあるかのように………。
 ミネルバは何かを言おうとしたが、ドアを叩く音にその言葉を飲み込んでしまった。
「どうぞ」
 美奈子が短く言うと、ドアがゆっくりと開いた。
 入口には、ひとりの青年が立っていた。
 金の刺繍の施された純白の皮鎧を纏い、真っ白なシルクの輝きを放つマントをはおい、腰には王家の側近であることの証である、黄金の柄の長剣を携えている。見つめていると、吸い込まれてしまいそうな深いブルーの瞳は、あまたの少女達を引き付ける魅力があった。煌びやかな輝きを放つ銀色の髪が、サラリと揺れた。
 美奈子はその青年を知っていた。彼女が王女であった時から側近として仕え、月の王国へ移った後もその身を変えられながらも彼女に従い、そして愛野美奈子として転生してからも変わらず彼女に忠誠を誓った青年。その青年の名は………。
「アルテミス………?」
 美奈子は、ひどく動揺している自分に気づいた。まさか、再び人の姿をした彼に会えるなど、夢にも思っていなかったからである。
「どうして………」
 美奈子はもう、言葉が出てこなかった。呆然としてしまっている。
 青年アルテミスはつかつかと歩み寄り、美奈子の前で片膝を付いて畏まった。
「お久しぶりでございます、姫様。剣士アルテミスにございます」
 アルテミスがあまりにも格式ばった挨拶をしたことが、美奈子の緊張を和らげることに繋がった。猫のアルテミスとのギャップが激しすぎたのである。
 美奈子はたまらず吹き出してしまった。
「ひどなァ美奈、まじめにやってるのに………。おっと失礼、プリンセス・アフロディア」
「美奈でいいわよ、アルテミス」
 美奈子はウインクした。アルテミスはにっこりと微笑んで、それに答えた。
「ところでどうしたの? その姿は………」
 美奈子が問う。
「キャッスルに、シルバー・ミレニアムと同じ生体変換装置があってね。それを使って元の姿に戻ったってわけ」
 アルテミスが得意気に話し、ウインクして見せた。
 美奈子はドキリとして、慌てて視線を逸らした。
 心臓の鼓動がいつもより早い。
「姉さん、赤くなってるわよ」
 ミネルバが悪戯っぽく言った。
「そ、そんなことないわよ」
 美奈子は慌てて否定したが、口調がひどくドモってしまった。アルテミスをまともに見れない。こんなことは初めてだった。
 アルテミスも同じだった。美奈子が、必要以上に自分を意識しているらしいことに気づき、彼もまた美奈子をひとりの女の子として意識してしまった。
 ふたりの会話が、やけにぎこちない。
 そんなふたりに気づき、ミネルバが助け船を出した。
「ねぇ、アルテミス。少し会わない間に、随分変わったわね。特に話し方とか………」
「今の地球での生活に、大分慣れたからね。でも、美奈の影響の方が大かも………」
 アルテミスはちろりと美奈子を見た。
「どういう意味よ」
 少しふくれて、美奈子は言い返した。
「言葉通りです、姫」
 アルテミスは畏まったふりをした。美奈子には返す言葉もない。完全にアルテミスのペースだ。
 そんなふたりのやり取りを見て、ミネルバがくすっと笑う。
「じゃあ、わたしは用事があるから………。姉さん、ゆっくり休んでね。アルテミス、姉さんを宜しくね」
 そう言って、部屋を出ていった。
 そのミネルバを見送ってから、アルテミスは急に真顔になった。
「美奈………」
 短く言い、アルテミスは美奈子に何事か目配せをする。アルテミスが何を考えているのかは、美奈子にも分かっていた。
 美奈子は小さく頷く。
 あっという間の出来事だった。
 アルテミスが風のように、部屋の中を駆けめぐったのだ。そして、何事もなかったかのように、美奈子のもとへ戻ってきた。
「カメラは幾つあったの?」
「全部で五つだ」
 アルテミスは指で数を示した。
 美奈子は肩を竦める。
「相変わらずせこい真似をするわね………。カメラは壊したんでしょ?」
「いや、壊すと怪しまれる。かえって監視の目が厳しくなってしまうよ………。だから、少しばかり細工をしておいた」
「あの一瞬で?」
「何だよ、その疑わしげな目は………。俺を信用しろよ」
「別に、疑ったわけじゃないわよ………。感心しただけよ」
「ほんとか?」
「あたしが、あんたのこと疑うわけないじゃない」
「いつも疑われてるんですけど………」
 アルテミスはむくれてみせた。普段の美奈子は、なにかにつけ、アルテミスの言うことを疑ってかかる。信用していると言われても、おいそれとは受け入れられないものがあった。
「これからどうするの?」
 そんなアルテミスの心を知ってか知らずか、美奈子はさらりと話題を変えてきた。
「この部屋に、監視カメラがあったということからすると、アドニスは俺たちを自由に動かせてはくれないだろうからな………」
 いつまでも、美奈子と漫才をしている場合ではない。アルテミスは、真顔で腕を組んだ。
「何かをしようとしているのは間違いないんだが………」
「まだ、あのことを企んでいるのかしら」
「そうかも知れない」
 ふたりには思い当たる節があった。もしそれが当たっているとしたら、とんでもないことになる。美奈子がキャッスルへ戻ってきた本当の理由は、そのことを調べたかったからである。
「ミネルバは知っているのかしら………」
「分からないな………。俺たちがミレニアムに行ってからは、キャッスルのことは全く分からなくなってしまったからな………」
 アルテミスは考え込んでしまった。美奈子もしばし考え込む。
 突然、思い出したように美奈子は言った。
「ねぇ、アルテミス。彼女たちはどうしているのかしら………」
「そうか、彼女たちなら何か知っているかもしれないな」
「どこにいるのかしら………」
 美奈子がそう言うと同時に、部屋の隅の方で、人の気配がした。
「ここに控えております。姫、アルテミス様………」
 透き通った美しい声が、部屋の隅から聞こえてきた。
「お久しぶりでございます」
 別の声が響く。
 ふたりは視線を、声の聞こえてきた部屋の隅へ向けた。
 ふたつの人影が見えた。ふたつの人影は並んで片膝を付き、こちらの方を見ている。そのひとつ、左側の影が笑みを浮かべたように見えた。
 人影をその目で捉えたアルテミスは、満足そうに頷くと、小さく笑った。