剣士アルテミス


「うさぎぃ! みんな!!」
 ちびうさが、満面に笑みを浮かべて駆けてくる。
 うさぎは両手を一杯に広げて、ジャンプしてきたちびうさを受け止める。
 そのあとを、衛がゆっくりと歩いてくる。
 これで本当に終わったんだ。そんな気がした。
 美奈子が、キャッスルを金星に戻すためのプログラムを入力したあと、一同は中央公園で、一息ついていた。
 一時避難していたキャッスルの人々も、ミネルバとともに帰ってきていた。
 ミネルバと四剣士が、美奈子のもとへ歩み寄ってくる。
「姉さん、行ってしまうのね………」
 ミネルバは、寂しそうに言った。四剣士も、残念そうな顔をしていた。
「ええ、今のあたしは、愛野美奈子だもの………。家族が待ってるから、家へ帰らなくちゃね」
 美奈子はウインクをして、微笑んでみせた。そして、
「ミネルバをお願いね」
 四剣士にそう言った。
 四剣士はそれぞれ、力強く頷いてくれた。
 そんな彼らを横目に、アクタイオンがアルテミスに毒づく。
「何で、殺さなかった………?」
「お前には、まだやってもらわないと困ることが、山ほどあるしな………。それに、知っていたんだろう? アドニスのこと………」
 アルテミスの問いかけには、アクタイオンは答えなかった。ただ、にやりと笑っただけだった。
 アルテミスには分かっていたのだ。アクタンオンが、本心でアドニスに従っていたのではないことを。全てはキャッスルのため、そしてミネルバを守るためであったということを。
 うさぎがアルテミスに近付いてきた。
「ちゃんと、美奈子ちゃんには、告白したの………?」
 上目遣いで、アルテミスの顔を覗き込んだ。
「バ、バカなこと、言うなよ………!」
 アルテミスは赤くなった。オーバーに両手を振って、違うと叫ぶ。
「照れるガラかよ………」
 アクタイオンが冷やかした。
 アルテミスは頭を掻いた。
「なになに、何の話?」
 美奈子がニヤニヤしながら近寄ってきた。人の内緒話に首を突っ込みたがるのは、美奈子の悪い癖だった。
「なんでもないよ!」
「アルテミスぅ。耳朶が赤いわよ。なに話してたのぉ? 教えてくれたって、いいじゃない」
「冗談じゃない!」
 アルテミスは逃げようとする。その腕を、美奈子が掴んだ。そのまま、するりとアルテミスに身を寄せる。
「………!」
 次の瞬間、おぞましいばかりの殺気が、辺りを包んだ。
 いち早く妖気を感じたレイは、油断なく身構える。
「きゃ!」
 美奈子の短い悲鳴に、全員が一斉に、そこへ目を向けた。
 美奈子は、まことに抱き支えられている。
 そして、今の今まで美奈子がいた場所に、アルテミスが、何者かと交錯した格好で立っている。
 そのアルテミスの背中からは、真っ赤に染まった長剣が突き出ていた。
 美奈子は唇を震わせ、目を大きく見開いて、アルテミスの背中から突き出た長剣を見ていた。体も小刻みに震えている。
 その場にいた、全員が息を飲んだ。
 アルテミスの体から剣を引き抜いたその男は、鬼の形相で美奈子を睨む。
「アフロディアー!!!」
「ア、アドニス!?」
 ハート・アタックの直撃をうけ、瀕死の重症を負ったアドニスだったが、その執念は死んではいなかった。
 全身血だらけで美奈子を睨付けるその姿は、地獄から甦った死神のようだった。
 だれもが一瞬、その執念に圧倒された。
「ぐおぉぉぉ!!」
 剣を振り上げ、まことに支えられている美奈子に襲いかかる。
 まことはするりと美奈子を自分の背後にまわした。
「姫様!!」
 エロスとヒメロスが、同時に技を放つ。
 直撃を受けたはずなのだが、アドニスは全く怯まない。勢いも止まらない。もはや彼の目には、憎きプリンセス・アフロディアの姿しか見えていない。
「まこちゃん! 美奈子ちゃん!」
 うさぎが絶叫する。美奈子を庇うようにしているまことも無防備だ。アドニスの剣は躱せない。
「グアァァ!!」
 口から血を吐き出しながら、美奈子に斬りかかろうとしたアドニスだったが、今度は四剣士がそれを許さなかった。
「!!」
 四人が四方から、アドミスに剣を突き刺す。
「うおぉぉぉう!」
 獣のように吠え、アドニスは四剣士を振り切る。
 四剣士は再度、アドニスを四方から同時に切り捨てた。
 アドニスはなおもヨロヨロと前進する。
 その前方に、ミネルバが立ちはだかる。その手には、アルテミスの剣が握られている。
 剣を振り下ろす。
 血反吐を吐きながら、アドニスはミネルバの横を擦り抜ける。
 美奈子の中のアフロディアは、そのミネルバを見たとき、ミネルバもまた、アドニスが自分たちの母クイーン・アフロディーテを、病死に見せかけて暗殺したのだということを、気付いていたのだと知った。
 全身血塗れのアドニスは、なおも美奈子に斬りかかろうとしたが、ついにばったりとその場に倒れ落ちた。
 そして、二度と動くことはなかった。
 アドニスの亡骸は、四剣士が敏速に処理した。
 全員は、改めてアルテミスに目を向けた。
 そのヒーリング能力で、アルテミスの傷を直そうとした衛の手を、アルテミスが自ら掴んで制し、首を横に振った。無駄なことはしなくていい。彼の瞳は、そう語っていた。
 衛は瞳を伏せると、ゆっくりと立ち上がった。
「アルテミス、しっかりしてよ………」
 瞳に涙を一杯に貯めて、美奈子は言う。
 彼女の太股の上にのせられている、アルテミスの頭が、わずかに動く。
「そんな悲しそうな顔をしないでくれ、美奈………。俺は、美奈の笑った顔が、一番好きなんだ………」
「アルテミス………」
 ふたりのまわりにいる者たちは、みな無言だった。
 アクタイオンが、ガックリと膝を突いている。
 ミネルバが背中を向けた。
 うさぎは衛の胸で、声を殺して泣いている。
 ボロボロと涙を流しているちびうさを、まことが抱き寄せる。
 亜美が、レイが、顔を逸らして泣いていた。
「笑ってくれ、美奈………」
 アルテミスの言葉に、美奈子は無理に笑顔をつくってみせた。
「ありがとう………」
 アルテミスはその笑顔を見届け微笑むと、ゆっくりと瞼を閉じた。
「アルテミス………?」
 美奈子はアルテミスの肩を揺する。アルテミスは動かない。
「アルテミス! ねぇ、アルテミスってば………! 返事をしてよ………! ねぇ………。アルテミスぅぅぅ!!」
 声をあげて、美奈子は泣いた。
 つられてちびうさも、大声で泣き出してしまった。
 泣き崩れるミネルバを、エロスが支えた。そのエロスも涙していた。
 ヒメロスは、力無くその場に座り込む。
 アクタイオンは、その拳を地面に一度だけ叩きつけると、肩を震わせて泣いた。
 こんな理不尽なことがあっていいのか。四剣士が嘆いた。
 アルテミスの死は、あまりにも突然すぎた。全てが終わっていたと思っていただけに、そのショックは計り知れないものがあった。
 だれもが涙せずにはいられなかった。
 うさぎは泣いていた。衛の胸で泣いていた。
 ふと、うさぎは衛のもとを離れた。そのうさぎは、もう、泣いてはいなかった。
 衛が、不思議そうな視線を向けた。
 うさぎはコンパクトを手にしていた。その手を高々と掲げる。
 そして、叫んだ。
「ムーン・コズミック・パワー! メイク・アップ!!」
 それは、変身のための掛け声だった。
 眩い光に包まれ、セーラームーンが現れる。
 美奈子が涙で濡れた顔を上げ、セーラームーンを見た。
 セーラームーンは、美奈子に笑みを返した。
「セーラームーン………!?」
 レイとまことが驚いて、セーラームーンを見た。この状況が、理解できなかった。
 セーラームーンは、ハート・ムーン・ロッドを天高くかざす。
「お願い、銀水晶。あたしに力を貸して………!」
 幻の銀水晶が、このときとばかりに輝きを増す。
「そうか………!」
 衛が、うさぎのやろうとしていることを理解した。ちびうさに目をやる。
 ちびうさも、ちびムーンに変身する。
 ちびムーンの銀水晶も輝き出した。
 ふたつの銀水晶の眩い光が、ロッドに吸い込まれる。
「ムーン・リバイバル・エスカレーション!」
 その光はアルテミスに向けられた。
 アルテミスの身体が、光に包まれる。
「銀水晶。アルテミスを助けて………!! あたしたちの願いを聞いて! アルテミスを甦らせて!!」
 全員が、一心に祈った。アルテミスの復活を。
 皆の祈りが奇跡を呼んだ。
 やがて光がおさまると、そこには目をきょとんとさせた、真っ白な猫が座っていた。
「あ、あれ!?」
 フィニッシュを華麗に決めたうさぎが、すっとんきょうな声をあげた。
「ア、アルテミス………!?」
 美奈子も目を丸くしている。
 ミネルバと四剣士は、目が点になってしまっている。
「どうなってるの………!?」
 レイが呆れたように言うと、まことは肩を竦めてみせた。
 ちびうさが、白猫をつんつんとつついている。
「くすぐったいよ、ちびうさ………」
 白猫が抗議の目を向ける。
「ちょっと、どういうことよ、アルテミス!」
 美奈子が白猫に怒鳴った。
「俺が知りたいよ!」
 だれか説明してくれ、という風に、猫の姿のアルテミスは皆を見た。
 こういうとき、真っ先に説明してくれそうな亜美も、首を傾げている。
「まあ、よかったじゃない。生き返ったんだしさ………!」
 相変わらずノーテンキな、うさぎが笑う。
 そんなうさぎを見て、衛は頭を抱えた。
「やっぱりお前は、その姿の方が似合ってるよ」
 アクタイオンは、アルテミスの頭をなでなでする。
 アルテミスはムスッとした顔で、そっぽを向いた。
 そのアルテミスを、美奈子がつまみあげる。
「………んもう。泣いて損しちゃったわ。さあ、帰るわよ、アルテミス!」
「痛いな、美奈! 猫の子みたいに、つまむなよ!」
「何、言ってんの。猫じゃないの、アンタ………」
 ふたりのやりとりを、全員が笑いながら見つめていた。

 地球に残されたルナとダイアナが、気を失ったままのアラクネを前に、途方に暮れていることなど、もちろん、だれひとり知るよしもなかった。