scene.9


「沙輝ちゃん、今のセリフはそんなにリキまなくてもいいと思うよ。………あと、和恵の立ち位置なんだけど………」
 公演を2週間後に控え、演劇部員たちの練習にも熱が入っていた。演出を担当している志帆も、熱心に仲間たちを指導する。特に今日は、体育館の使用許可をもらっていた。舞台で細かなチェックができる。もちろん、助っ人部員のまことと美奈子も、練習に参加していた。
「せっかくの日曜日なのに………」
「何度もうるさいよ、お前。いい加減、諦めろって」
 基本的には日曜日に学校に来たくない美奈子は、先程からぶつぶつと文句を言っていた。宥めるのはまことの役目だ。
「どんな具合?」
 舞台の上で張り切る志帆に頼もしげな視線をチラリと向けた後、絵美菜は床にぺったりと腰を落として作業に没頭する琴音に声を掛けた。
「ばっちりですぅ!」
 琴音はにっこりと微笑みながら、縫いかけの衣装を絵美菜に見せた。
 シーンに関係のない者たちは、衣装を縫ったり小道具を作っているのだ。分担で作業するのは、基本中の基本だった。
「腹減ったぁ………」
 小道具を作っていた二浦が、手を休めてお腹を撫でた。
「そろそろお昼だね」
 千野は時計に目をやりながら言った。
「よし、じゃあ、そろそろ休憩にしよう。稲森、今のシーンはお昼を食べてから、もう一度調整しよう」
 二浦と千野の会話が聞こえたのか、皆本が全員に休憩を伝えた。
「はい、先生。じゃ、今のところは、また午後やろう」
 志帆は沙輝と和恵に言う。
「おおっとぉ、グッドタイミングかなぁ?」
「お疲れさん」
 部室のドアがガラリと開けられ、神部と有馬のふたりが入ってきた。ふたりとも両手に紙袋を持っている。
「昼飯の差し入れだぜ〜」
「しっかりと食べて、午後もがんばるんやぞ」
 香ばしい香りが部室に広がった。商店街入り口のファーストフード店で、人数分の食事を買ってきたようだ。
「きゃぁ! かんちゃん、あるちゃん。ありがとう!!」
 部員たちは一斉に紙袋に群がった。
「こら! 神部先生と、有馬先生だろ! なんだよ、かんちゃんとあるちゃんて………」
「えっ!? でも、皆本先生。かんちゃんとあるちゃんがこれでいいって………」
 恵利が言った。和恵と琴音も、うんうんと肯いている。
「おいおい」
 皆本は苦笑しながら、神部と有馬に視線を向けた。
「ええやないか、さくら。授業やないんだし」
「俺は元からこのスタイルだが………」
「あんたたち、教師の自覚ある?」
 呆れたように皆本は言う。
「気にしない、気にしない。皺が増えるぞ。お肌の曲がり角過ぎてんだし………」
 パキッ。
 余計な言葉を連発した神部の左頬に、皆本のストレートパンチが炸裂した。
「ふごっ」
 神部は大袈裟に吹っ飛んで見せると、床に大の字にひっくり返った。部員たちは大ウケである。
「かんかんはん、思ってても言うちゃいかんこともあるよ」
 有馬が慰めの言葉を言うが、その有馬の背後に殺気を(みなぎ)らせた皆本がピタリと寄る。
「ある。あんたも殴られたい?」
「そ、そんなめっそうもない!」
 有馬は両手を突き出して「待った」をすると、顔を激しく左右に振った。
「除霊するみたいですね」
 トイレから戻ってきた千野が、仰向けに転がったままの神部を見下ろしながら言った。体育館の外にあるトイレに行った際、除霊に来たらしい霊能者の一団を見たと言うのだ。
「そう言や、昨日霊視に来てはったな」
 有馬は腕組みをした。詳しい報告は聞いてはいないが、何やら十番高校に自縛霊がいるのは確かなようだった。それにしても昨日の今日で、手回しがいいものである。
「昨日は火川神社の美人巫女さんが霊視に来てたけど、今日除霊に来てるのは火川神社の人じゃないよな?」
「ああ。なんかいかにもって感じの霊能者のおっさんだったな。『落ち武者の霊がいる』って言い出しそうな」
 二浦の言葉に千野は肯く。
「え? レイじゃないのか?」
 まことは訝しんだ。そう言えば、昨日の霊視の報告を詳しく聞いてなかった。部活で遅くなってしまったため、まことと美奈子は夕べの打ち合わせに参加していないのだ。
「夕べうさぎと話したけど、今日除霊するなんて言ってなかったわよ?」
 美奈子も首を傾げた。どうやら美奈子は、電話でうさぎと霊視の結果について話していたらしい。なんだかんだ言っても、やはりリーダーである。必要最低限の連絡は取り合っているようだ。
「火川神社の巫女さんと知り合いなんですか?」
 話を聞いていた沙輝が、会話に割り込んできた。
「ああ、中学からのつき合いだよ」
 まことが答える。
「除霊するトコ、見てみたいなぁ」
 琴音は呑気である。
「あ、かずも!」
 同調したのは和恵だった。口には出さないものの、他にも興味を持っている者がいそうな雰囲気だった。
「ちょっと待てよ!!」
 突然、神部が跳ね起きた。
「除霊に来たのは、火川神社の関係者じゃなさそうって言ったよな!?」
「はい。昨日の美人巫女さんじゃなかったです」
「やべぇ!!」
 慌てて神部は走り出す。と、体育館の出入り口で立ち止まると、
「俺が戻ってくるまで、ここを動くなよ!」
 そう言うと、もの凄い早さで見えなくなってしまった。
「どうしたの? かんちゃん………」
「さぁ………」
 和恵が有馬に尋ねると、有馬は大きく肩を竦めた。
「ん? 永嶺はどこ行った?」
 体育館全体を見渡しながら、皆本が誰ともなしに尋ねた。休憩に入った直後にはいたはずだが、いつの間にか絵美菜の姿が消えていた。
「おやつ持ってきたって言って、部室に取りに行きましたけど?」
 響が言った。よく見ると麻理恵の姿も見えない。
「そうか………」
 皆本は肯いたが、この時響に麻理恵もいないことを確かめるべきだった。麻理恵がいないことで、てっきり絵美菜は麻理恵とふたりで部室に行ったものと思い込んでしまったのだ。それは一緒に話を聞いていたまことと美奈子も同じだった。実のところ、麻理恵は亜美に会いに体育館を抜け出していたのであり、部室には絵美菜がひとりで向かったのだ。

 体育館を抜け出した真理恵は、図書室に来ていた。亜美と海野が図書室で待っているからだった。なるちゃんはまことの代わりに、“クラウン”でバイトをしている。
 図書室に入ると、待っていたのは亜美ひとりだった。
「瓶底眼鏡は?」
 亜美は一度犯人に襲われている。ひとりでいるのは危険なはずである。
「ちょっと調べてもらいたいことがあってね。麻布図書館に行ってもらったの」
「ひとりじゃ危ないんじゃないの?」
「大丈夫よ、ああ見えても男の子だし」
「あたしは、あんたの心配をしたんだけど………」
 麻理恵は苦笑する。麻理恵としては、図書館でひとりきりでいた亜美の方が心配だったのだ。
「え? ああ、あたしは大丈夫」
 あっさりと亜美は言った。確かに、十番高校内の図書室ではあるが、日曜日の今日、本来なら図書室は開放されていない。つまりは、亜美はたったひとりで図書室で真理恵を待っていたことになる。
「ま、アンタが平気だった言うのなら、そうなんだろうけどさ」
 真理恵は呆れたように肩を竦めた。こうも呑気に構えられてしまうと、逆に拍子抜けしてしまう。
「練習は順調?」
 亜美が事件とは全く関係のないことを訊いてきたので、真理恵は更に苦笑する。
「練習は問題ないわ。まことも美奈子も、なかなかの演技よ。いい公演になりそうだわ」
「よかった。最後の公演だものね。成功させないとね」
「ええ」
 真理恵は肯いてから神妙な顔つきになり、
「………ところで、何故火川神社の巫女が除霊に来ないの?」
 納得がいかないと言った口振りで、亜美に訊いてきた。
「除霊って何のこと?」
 そんな打ち合わせはしていなかったので、亜美も表情を曇らせた。
「知らないの?」
 真理恵も怪訝な表情を見せる。
「さっき、いかにも霊能力者ですって感じのオヤジが、旧校舎の方に行ったけど?」
「ちょっと、待って」
 亜美はすぐさま携帯電話を手に取ると、ボタンをプッシュした。もちろん、レイに確認を取るためだ。
「あ、レイちゃん?」
 レイにはすぐに繋がった。レイは携帯電話を持っていないので自宅の方の電話に掛けたのだが、運良くレイが受話器を取ったようである。
「え!? ホントに!?」
 レイに除霊の話をしていた亜美が、急に血相を変えた。
「うん、分かった! 待ってる!」
 そう言うと、亜美はすぐさま席を立つ。
「どうしたの? 巫女がこっち来んの?」
 電話を切り、そのまま図書室を出ていこうとする亜美の背中を追いかけながら、麻理恵は訊いた。
「ええ。厄介なことになるかも………。除霊をやめさせなきゃ!」
「除霊をやめさせる!?」
「間に合えばいいけど」
 亜美の言っている意味が分からず、麻理恵が問いかけたが、亜美は振り向かなかった。走るように図書室を出る。
「………事件から手を引けと言ったろう?」
「!?」
 不意に耳元で声がした。直後に意識が白くなった。
 麻理恵も何が起こったのか分からなかった。先に立って図書室を出た亜美が、急にそのまま倒れてしまった。慌てて亜美に駆け寄った直後、後頭部を鈍器のようなもので殴られて、意識を無くしてしまったからだ。

「うぅ………。おかしい、遅すぎる………」
 壁に掛けられている大きな丸い時計を見上げながら、響は苛立たしげに呟いた。
「部室におやつを取りに行ったにしては、確かに遅いよね」
 響の呟きが聞こえた美奈子が、それに答えた。
「え? おやつ? いや、麻理恵はアンタの友だちの天才少女に会いに、図書室に行ったんだが………」
 なに寝ぼけたことを言っているんだ、と言う表情で、響は美奈子を見た。
「え!? じゃあ、えみなっちはひとりで部室に行ったの!?」
 美奈子が声を張り上げる。その声が聞こえたまことは、そのまま体育館を飛び出していった。
「愛野、どういうことだ?」
 説明を求める皆本の表情から、血の気が失せていた。
「つまり、えみなっちと麻理恵ちゃんは、それぞれ別のところに行っていて、しかも三十分も経っているのに戻ってきてないと言うことに………」
「なんやて!? それはマズイやないか!」
 有馬も慌てた。
「図書室にはわてが行く! さくらは、部室の方へ行ってくれ!」
「分かった! お前たちはもう少し、ここで休憩していろ」
 皆本は部員たちに指示すると、そのまま体育館を飛び出していく。
 有馬と皆本の背中を消えていくとすぐに、美奈子は思い出したように腕時計型通信機のスイッチを入れた。亜美を呼び出す。しかし―――。
「亜美ちゃん?」
 応答がなかった。緊急コールである。例え麻理恵と打ち合わせをしていても、亜美なら応答するはずである。だが、何度コールしても亜美からの応答はない。
「麻理恵も出ない」
 携帯電話を手にした響が、茫然として美奈子を見た。美奈子はギリリと奥歯を噛み締めた。亜美と麻理恵の身に、何事か起こったのは間違いない。
「あたしが見てくる。状況が分かったら連絡するわ。番号教えて!」
 美奈子は響に、携帯電話の番号を尋ねた。

 場所は変わって芝公園。
 衛は正面に聳える東京タワーを見つめながら、若木を待っていた。右手側には美奈子の出身校である芝公園中学も見える。
 待ち合わせの時間に十分ほど遅れて、若木はやってきた。
「すまん、署でゴタゴタがあってな」
 時間に遅れたことを、若木は素直に詫びた。
「“事件”絡みですか?」
 単純に事件とは言ったが、もちろん今回の事件のことである。若木ももちろんそれは分かっているから、神妙な顔付きで肯き、
「署内での協力者の件でね」
 そう答えた。どうやらある程度絞り込めたらしいが、逮捕には至っていないようである。警察内部の不祥事なのだろうから、慎重に操作をしていてると言う感じだ。
「しかし、犯人も無茶をするようになったようだ。彼女たちは大丈夫なのか?」
「確かに、彼女たちの行動が犯人を刺激してしまっているのは事実ですね。犯人も思いきった行動に出ています」
「今日は?」
「全員学校です。ひとりを除いて………」
 衛は視線を泳がせる。その先には、ベンチで居眠りをしているうさぎの姿があった。
「日曜日だから学生や職員の数も少ない。しかも校内なら閉鎖された区域だから、犯行を行いやすい、か………」
 気持ちよさそうに居眠りをしているうさぎの姿に微笑みつつ、若木は思案するように顎を撫でた。
「だが、その程度の予測だけでは警察は動けない」
「分かっています。だから、若木さんに話しているんです」
「う〜む………」
 若木は腕を組むと唸った。一介の小学生や高校生の意見を聞いて、事前に警察が動くのは漫画の世界だからであって、実際にはそんなに甘くはない。「事件」が起きなければ動かないと言うのが現状である。
「分かったなんとかしよう。だが、そんなに人数は出せないぞ?」
「ありがとうございます。校内では、彼女たちが上手くやってくれるでしょう」
「うむ。美奈子ちゃんには、一応逮捕権があるからな」
 若木は苦笑する。本人が覚えているかどうかは分からないが、と付け加えた。
「まもちゃん!!」
 突然、うさぎの叫び声があがった。視線を向けると、ベンチから血相を変えて走ってくるうさぎの姿が見えた。
「亜美ちゃんがいなくなったの! 連絡が取れないって、美奈Pから!」
「マズイ! 犯人が動いた!? 若木さん!」
 直感で衛は感じ取っていた。
「分かった! 俺の車で行こう」
 言うや否や、若木は走り出していた。