scene.8


 亜美の身に何か起こったらしいと言うことは、勘のいい麻理恵ならすぐに気付くことだった。昼休みになると、麻理恵は響だけを屋上に呼び出した。
「本人は何て言ってるの?」
 麻理恵の考えを聞いた響は、ややきつい口調で問うた。
「否定も肯定もしなかったわ。でも、否定をしなかったってことで、昨日あたしたちと別れた後に、何かあったのは間違いないと思う」
「何かって?」
「犯人と接触したようです」
 響の問い掛けに答えたのは、何と海野だった。ふたりは人知れず屋上に来たはずなのだが、この何とも頼りないはずの男は、さも当然と言う顔付きでそこに立っていた。
「瓶底眼鏡!? どうしてあたしたちがここにいると分かったの!?」
 麻理恵も驚くばかりである。
「勘ですよ」
 海野は飄然とした顔で言ってのけた。何ともつかみ所のないやつである。
「天才少女が犯人と接触したと言うのは本当なのか!?」
 響は正に噛み付かんばかりの勢いで、海野に訊いた。海野は特に驚きもせず、
「ええ」
 と、短く答えた。
「犯人の方から接触してきたの?」
「そうです、麻理恵さん。まぁ、接触してきたと言うより、『警告』ですね」
「けいこく!?」
「『事件から手を引かなければ、殺す』と言ってきたそうです」
 恐ろしい内容なのにも関わらず、海野は相変わらず飄々とした口調で説明している。もしかしたらこの男、事件の重大性を全く理解していないのかもしれないと、響は密かに思った。
「………と、言うことは、人間が犯人と言う可能性が高いと言うことね」
 麻理恵は冷静に判断する。
 海野は小さく肯いた。
「天才少女が動いていることを犯人が知っていると言うことは、当然あたしたちのことも犯人は知っていると言うことになるわね。………ならば、あたしたちが囮になれば犯人を誘き出せるかも………」
「そ、それは危ないよ麻理恵!」
 麻理恵の突拍子もない考えに、さしもの響も慌てた。犯人を誘き出すというのは良い考えなのだが、自分たちが囮になるのは危険すぎる。最悪の場合、命を落とす結果になるかもしれないのだ。
「瓶底眼鏡くんが、忍者のようにあたしたちを見張ってくれる。なぁ、瓶底眼鏡!」
「は、はぁ………」
 意気揚々と握り拳を作る麻理恵だったが、海野は気のない返事をするだけだった。

 亜美は慎重だった。
 自分を襲った相手が、校内にいるかもしれないからだ。より多くの人物を接触し、ちょっとした変化も見逃さないように神経を研ぎ澄まして一日を過ごした。その為か、放課後には心身疲労でぐったりとしてしまっていた。
「顔色悪いよ?」
 うさぎが心配するのも無理はなかった。
「ありがとう、大丈夫よ」
 答える亜美は、無理に笑顔を作った。
 まことと美奈子は既に演劇部に向かったはずだった。亜美はもう少し校内を探索し、うさぎはこの後正門で衛と落ち合う手筈になっていた。
 うさぎを送るために中央昇降口まで来ると、ウロウロしている神部と出会った。
「何か捜し物?」
 キョロキョロと辺りを探るようにしている神部の背中に、うさぎが声を掛けた。
「え!? あ、あぁ月野か………。水野も一緒か」
 神部は何か落ち着きがない。
「どうしたんですか?」
 いつもの神部らしからぬ態度に、亜美も怪訝そうに視線を送る。
「いやぁ………。大事なものを無くしてしまってね。探してるトコ………」
 余程大事なものだったのだろう。神部はふたりと会話しながらも、視線は辺りを探っている。
「ここにはないか………。じゃあ、気を付けて帰れよ」
 会話も程々に、神部はそそくさとその場から立ち去ってしまった。
「ヘンなの」
 うさぎは首を傾げながら、神部の背中を見つめていた。

「今掴めている情報は以上だ」
 十番高校の正門の脇で、うさぎは衛の調査結果を聞いていた。
「ありがとうまもちゃん。早速亜美ちゃんに伝えるね」
「気を付けろよ、うさ。相手はかなりキレたやつらしい。単独では絶対に行動するなとみんなに伝えるんだ」
 調査を行っているうちに、犯人の具体像が浮かんできていた。一筋縄ではいかない相手だと感じていた。しかも、人の命を何とも思っていない。
「うん分かった、気を付ける! まもちゃんも気を付けてね!」
 うさぎは可愛らしくニコッと笑うと、校内へと戻っていった。衛は跳ねるように掛けていくうさぎの後ろ姿を、何気なしに見送る。
「まもちゃんも気を付けてね!」
 うさぎの姿が小さくなると、先程の彼女の言葉をそのまま真似た声が、横から聞こえてきた。
「可愛い子よね………」
 口元に微笑を浮かべ、こちは衛の顔を上目遣いで見上げた。
「宇佐宮は?」
 冷やかされたにも関わらず、衛は何事もなかったかのようにこちに尋ねた。
「都立図書館に行ってるわ」
「都立図書館?」
「“事件”じゃなくて、自分の用事」
「そうか………」
 衛は肯き、その深い瞳をこちに向けた。
「報告、報告よね………?」
 頬を赤く染めながら、こちは答えた。衛は無言で調査報告を催促したのだ。
「地場くんの読み通り、“ターゲット”は事件の当日校内にいたわ。十年前のアリバイを崩すのが一番タイヘンだったけどね。何しろ昔のことなんで、忘れちゃってる人が多くてね。若木さんからもらった当時の資料をもとに、もう一度調べ直したんだけど、滅茶苦茶いい加減な捜査だったわよ! 食い違いが多いこと多いこと………。若木さんもびっくりしてたわよ。明らかに人為的にねじ曲げられてるわね」
「警察内に協力者がいたってことか?」
「そうとしか思えないわね。でもそれはあたしたちが調べることじゃないわね。若木さんに任せたわ」
 こちは言葉を切ると、一息付いた。その時、こちのケータイが鳴った。「タキシード・ミラージュ」の着メロ。セレだった。
「え!? 今、どこにいるって!? “ヘルハウス”の前ぇ!? なんでよ? あたしが呼び出したぁ!? そんな気味悪いところで、あたしが待ってるわけないじゃない!」
 「ヘルハウス」とは、暗闇坂下にあるU国大使館のことである。雑木林に囲まれ、ジメジメと湿った空気が常に流れていることから、「ヘルハウス」とあだ名されているのだ。
 こちとセレのその会話を聞いていた衛は、突然その場から走り出していた。
「あん! ちょっと待ってよ、地場くん!!」
 ケータイでセレと話しながら、こちは衛の後を追って走り出した。
「きゃぁぁぁぁぁ!!!!!」
 突如、耳を(つんざ)くセレの悲鳴が、スピーカーの向こうで響いた。
「セレちゃん!? セレ! どうしたの!?」
 セレの叫び声は、次第に小さくなっていった。

 覆面をした男に、セレは地面に抑え付けられていた。
 U国大使館の回りは民家も少ないし、人通りも決して多くはない。またU国大使館自体も、いつぞやのヴァンパイア事件以来、使われてはいなかった。セレは大声で叫んだが、今のところ救世主は現れてくれない。
「静かにしろ!!」
 目の前に大降りのサバイバルナイフを突き付けられ、セレは悲鳴を飲み込まざるを得なかった。
「お前は何者だ? 何故、十年前の事件のことを調べている!?」
 電子音で合成された声が聞こえてくる。男か女か分からない声だが、自分を抑え付けているのは紛れもなく男だと思えた。でなければ、かなり体格のいい女性である。
「こ、こんなことをするなんて………! あなた、馬鹿じゃないの!? これじゃ、自分があの事件の犯人ですって言ってるようなモンじゃない!?」
 セレは精一杯強がって見せたが、男(又は体格のいい女)は、口元に冷笑を浮かべた。
「心配してくれてありがとうよ。でも安心しろ。お前は今ここで、俺に殺される」
「じょ、冗談じゃない………わ!!」
 一瞬の隙を付いて、セレは男(又は体格のいい女)の股間に思い切り膝蹴りを叩き込んだ。男性なら悶絶。女性でも少しは怯むはずである。
「ぐぉぉぉぉぉっっっ!!!」
 男(又は体格のいい女)は、仰け反って悶絶した。どうやら、男だったらしい。
 セレは素早く立ち上がって、男から逃げる。しかし、U国大使館の敷地内に逃げ込んでしまった。気が動転していたが為に、逃げる方向を間違えてしまったのだ。
「待ちやがれ!!」
 背後から電子音が響く。肉声なら緊迫感があるのだろうが、機械で合成された声では多少緊迫感に欠ける。だからと言って、相手の言うとおり「待つ」わけにはいかない。待ってもご褒美はもらえないのが分かっている以上、逃げるが当然である。
 セレは必死に逃げた。しばらく走ったところで立ち止まる。息が切れたので、インターバルを置くためだ。
 が、その瞬間、セレは背後から強引に抱き締められた。
「!?」
「宇佐宮」
「地場くん!? や、やめてこんなトコで!!」
 顔を真っ赤にしたセレのすぐ目の前を、サバイバルナイフが横切った。
「セレちゃん!!」
 こちの声が聞こえたと同時に、セレは衛からこちの方へ向かって突き放される。
「待て!」
 衛が叫んだが無駄だった。衛の姿を見た男は、一目散にその場から退散する。
「………セレちゃん。あんた、今もの凄いこと想像したでしょ?」
「不意に抱き締められれば、誰だって焦るわよ!!」
 呑気なこちに、セレは噛み付くように怒鳴った。
「怪我はないか?」
 衛がゆっくりとした足取りで向かってきた。
「え、ええ。助けてくれて、ありがとう」
 セレはやっと落ち着いたように、小さく息を吐いた。

 巫女装束のレイが十番高校に現れたのは、衛とこちが走り去ってすぐのことだった。霊視と言う名目で、校内に入ることを許可されたのだ。予定では明日の日曜日に霊視を行うはずだったのだが、できるだけ早く行った方がいいと言うレイの意見を取り入れ、一日早く霊視することになった。
 だが、一介の巫女が霊視をさせて欲しいと言っても、十番高校側がすんなりと受け入れてくれるとは思えなかったので、警視庁の若木トシオの力を借りることになった。若木は快く引き受けてくれ、「呪い」と言う超常現象の疑いがある以上、念のために霊視が必要と、若木が学校側に申請してくれたのだ。
「何か感じる?」
 レイの霊視には亜美がつき合っていた。もちろん、若木も一緒である。名目上は警察側からの依頼なので、若木が同行するのは当然のことだった。
「犯人の目星は付いている。わざわざ霊視なんて必要ないと思うが?」
 退屈そうに若木が言った。十番高校内を霊視してみたいと言ったのは、他でもないレイである。彼女が何故突然そんなことを言い出したのか、仲間たちも分からなかったが、その何かを確信したような目に、誰も異を唱えることができなかったのだ。
 レイは無言のまま、周囲に視線を走らせている。
 霊視を開始してすぐは、美人の巫女がやってきたと言うことで、興味本位の野次馬たちが後を付いてきていたのだが、全て若木に追い払われてしまった。
 商業科の校舎の裏手に回るとすぐに、レイの足が止まった。表情に緊張が走る。そのレイの表情に、退屈そうに欠伸をしていた若木も、真剣な顔付きになった。
「どうした?」
「泣き声が聞こえる………」
 レイはぽつりと言った。左のこめかみの辺りに、人差し指を添えた。大きく、ひとつ深呼吸をする。
「な、泣き声………?」
 若木がゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ま、まさか瓢箪(ひょうたん)から駒ってことはないよな?」
「静かにして」
 急におどおどし出した若木に、レイは静かに言い放つ。騒がれては気が散るのだ。
 亜美は既にポケコンを操作して、科学的にこの周囲を観察し始めていた。
(異様な磁気が発生している)
 この辺り一帯だけ、他の十倍以上の磁気が発生していた。
「あなたは誰? ここで何をしているの?」
 レイは声に出して、何もない空間に向かって問うた。
「………え? 抑えている? 何を………?」
 レイは眉間に皺を寄せた。どうやら彼女は、「何か」と対話をしているようだった。しかし、
「感じなくなったわ………」
 すぐに大きく頭を振った。
「磁気も弱まったわ」
 ポケコンの画面を見ていた亜美は、ゆっくりとレイに目を向けた。
「な、なぁ………。もしかして、本当に『呪い』なんて言うんじゃないだろうな?」
「分かりません。でも、今感じた霊からは、悪意は感じられませんでした。どちらかと言うと、十番高校(ここ)を守っているような気がしました」
「守護霊様?」
「それに近いかもしれません。でも、同時に深い悲しみも感じました。詳しく話そうと思ったのですが、彼女はすぐにどこかへ行ってしまいました」
「彼女?」
 若木は眉根を寄せた。レイは肯く。
「はい。わたしが感じた霊は、女性の霊です」
「十年前に殺されたのは、女生徒だったけど………」
 亜美はレイの神秘的な目を覗き込むようにした。隠し事はするなと言う意思表示だった。
「ごめん。その人がどうかは分からなかったわ」
 レイは残念そうに首を振るだけだった。

「どうだったの?」
 十番高校敷地内全体の霊視を終え、報告の為に職員室に向かおうとしていたレイたちを、うさぎが呼び止めた。体育館の一階にある剣道部の部室の前だった。
 うさぎのやや後ろにいた夢が、レイと若木に会釈をする。
「ちょっと、厄介なことになるかもしれないわ」
 夢がそばにいるために、本当の事を話すわけにはいかない。レイは表情を変えずに、うさぎにそう言った。
これ(・・)が必要になるかもしれないのね?」
 うさぎはセーラー服の胸のリボンに付けている変身ブローチを、右手で軽く触れた。それがセーラー戦士へ変身するためのアイテムであることを知っているのは、この中では自分以外はレイと亜美しかいない。
「ええ」
 レイは肯いた。会話の内容に若木は薄々気付いていたが、もちろん夢が分かるはずもない。
「後で、“クラウン”に来て」
「分かった」
 レイの言葉にうさぎはゆっくりと肯いた。
「なんだか、本当に幽霊でもいたみたいな顔してるな」
 部室の奥から声を掛けてきたのは、剣道部の部長の雪だった。休憩時間なのか、よく見ると道場には雪と夢以外は、ふたりの部員しかいなかった。そのふたりの部員は興味深げな目で、こちらを見ている。彩と都夜子(つよこ)のふたりだ。
「あたしたちにできることはないでしょうか?」
 夢がうさぎの横に並んで、レイに尋ねた。レイはうさぎに視線を向ける。
「彼女が有栖川 夢ちゃん」
「ああ、あなたが………」
 うさぎに夢を紹介され、ようやく合点がいったようにレイは表情を緩めた。
「そうね………。もしかしたら、あなたたちの力を借りなければならないときが来るかもしれないわね」
 レイは何やら意味ありげに、そう言った。

 ゲームセンター“クラウン”の地下にある司令室に集まったのは、うさぎ、レイ、亜美、そして衛の四人だった。まことと美奈子のふたりは、演劇部の練習が長引いているらしく、顔を出せそうにないと、先程連絡があった。
「まもちゃんの大学の人も襲われたって………」
 今し方司令室に来たばかりの亜美に、うさぎが教えた。
「大丈夫だったんですか?」
「ああ、ギリギリのところで助けた」
 衛が答えた。確かに間一髪だった。少しでも遅れていたら、セレは犯人に殺されていたかもしれない。
「あたしたちの行動が、犯人に筒抜けになっている気がする………」
 亜美は顎を撫でた。衛も肯く。
「警察内に協力者がいる可能性が高くなったな。若木さんとのやり取りを、盗聴されたかもしれない」
「と言うことは、犯人はあたしたちに動き回られては困るってことですよね」
 確認するように、亜美は衛を見た。衛は再び肯く。
「そう言うことだ。だから、俺たちは充分に気をつけなくちゃいけない」
「結局、『呪い』なんてなかったってことよね」
「そうとも言い切れないわ」
 人間(・・)が犯人だと決めつけた亜美だったが、レイがその言葉を否定した。
「レイちゃんが霊視したのよ」
 うさぎが補足した。
「明日じゃないの?」
「予定変更したの」
 うさぎは言うと、今度はレイに視線を送った。この先は、レイに説明してもらった方が早いからだ。
「『霊』はいるわ」
 亜美でなければ「れい」の意味を取り違えただろうが、流石にそんな間抜けではない。もちろん、こんな状況でレイが駄洒落を言うはずもないし、彼女はそんなことを言う性格ではない。
「『呪い』を駆けるような『霊』ではないと思うけど、事件について何か知っていそうだったわ。十年前に殺された人かどうかまでは分からなかったけど………」
「レイちゃんは、その幽霊が気になるって言うのよ」
「なるほど」
 亜美は小さく息を吐いた。どうやら今夜は、家で事件の整理をしなきゃいけなくなったようだと、亜美は思った。
「明日は日曜日だ。学生や職員の数も少ない。犯人が何らかの行動を起こす可能性は高い」
 衛はうさぎ、亜美、レイの三人を順に見ながら言った。
 公演は一週間後と迫っていた。演劇部の練習も、明日は当然ある。ヒロインを演じる絵美菜を襲うのなら、明日の日曜日は何かと都合がいい。
「明日は全員、十番高校ね」
 司令室の入り口で声が聞こえた。目を向けるとそこには、はるか、みちる、せつな、ほたるの四人が立っていた。四人は揃ってニコリと笑うと、同時に肯いた。
「………三人とも、気を付けて行動するんだ」
 何事もなかったかのように、衛はうさぎたち三人に向かって言った。
「うん、分かった」
 何事もなかったように、三人も肯き返す。
「ちょ、ちょっとぉ! あたしたちを無視しないでよ!」
 (たま)りかねてはるかが嘆いた。せっかく登場したのに、無視されたのではあまりにも惨すぎる。
「だって、外部の人は十番高校に入れませんよ?」
 仕方ないなと言う風に、うさぎが答えた。
「レイだって、外部(・・)でしょ?」
「レイちゃんは内部(・・)だもん」
「内部違いでしょうがっ!!」
 はるかたちは、どうしても出番が欲しいようである。