scene.10


 激しく咳き込んだことで、亜美は意識を取り戻した。
 暗くて何も見えないが、やけに埃っぽく黴臭いところだと感じた。お尻がヒンヤリと冷たいことから、座らされていると言うことが分かった。背中に硬いものを感じる。柱らしかった。
 どうやら、柱に背中を押し付けられ、ロープのようなもので両手はその柱に括られているようだった。
「う………。ここは?」
 背後から声が聞こえた。どうやら柱の反対側に、麻理恵がいるらしい。
「今は使われていない物置小屋ってトコかしら………」
 学校には大抵、生徒には良く知られていない物置や地下室などが存在するものだ。自分たちが今いる場所も、たぶんそうなのだろうと推測した。
「迂闊だったわ。まさか、先にあたしたちの方が襲われるとは思ってなかった」
「先に邪魔者を始末しておいて、次ぎに本命をって魂胆のようね」
 麻理恵は意外にも冷静だった。一歩間違えば、殺されていてもおかしくない状況だったのに、である。
「意外と冷静ね」
 素直な感想を、亜美は口にした。
「あんたが一緒だからね。死ぬ気がしない」
 麻理恵はあっさりと答えてきた。まったくもって根拠のない自信なのだが、そう思ってもらえると嬉しかった。
「あたしが体育館からいなくなってから随分経つから、そろそろあんたの仲間たちが捜し始めている頃よね。仕方ないから、発見されるまでのんびり待ってようよ」
「あんまり、のんびりもしていられないみたいよ」
 呑気に欠伸をした麻理恵に、亜美は言った。
「どういうこと?」
「左………じゃない、右の方を見て。箱のようなものが見えるでしょう?」
 亜美は背中越しの麻理恵に分かるように、自分も左側に首を向けながら言った。自分の位置から左側に見えると言うことは、麻理恵にとっては右側になる。
「箱?」
 麻理恵は右側に首を巡らした。バースデーケーキでも入れるような正方形の箱が、何もない床にポツンと置かれている。いかにも怪しい。
「ねぇ、天才少女。あたし、頭痛くなってきたわ………。あれってもしかすると、もしかするのよね?」
「そう。耳を澄ませると分かるけど、秒針が動く音が聞こえるわ」
「あ、やっぱり………」
 麻理恵はがっくりと項垂れた。この場に似つかわしくない四角い箱の正体は、予想通り時限爆弾のようである。
「恐らく、この爆弾が爆発した騒ぎに乗じて、犯人は絵美菜さんを襲う気ね」
「………あんた、よくそんなに冷静に物事分析してられるわね」
 呆れたように麻理恵は言った。さっきまでの麻理恵の自信は、時限爆弾を見た瞬間にどこかに行ってしまった。
「で、どうするのよ? このままだと、あたしたちはここでドカン! よ?」
「仲間を呼ぶわ」
「どうやって?」
「あたしの腕時計は触れる?」
 亜美は首をやや後ろに回すようにしながら言った。麻理恵はしばらくモソモソと体を動かしていたが、
「ああ、これね」
 すぐに腕時計らしい感触を得たらしく、答えてきた。手首を柱に固定されているので、亜美は自分では腕時計を触れないが、柱越しに背中合わせの麻理恵ならなんとか触れるようだ。
「手の甲の側にあるボタンを押して」
「ん、これかな?」
 麻理恵は必死に、亜美の手首の時計に指を伸ばした。

 十番高校の正門の前に、若木は荒っぽく漆黒のスカイラインGT−Rを止めた。余談だが、このスカイラインGT−Rは、若木が使用する覆面車である。犯人を追跡するためにチューンナップされたこのGT−Rは、最高時速500q/hは出せると本人は豪語している。
「若木っち!?」
 正門には美奈子が待っていた。若木も来るとは思っていなかったので、少しばかり驚いた表情を見せた。
 若木は多くは答えず、美奈子を見て軽く肯くだけだった。
「亜美は?」
「ダメ。どこにもいないの」
 衛の問い掛けに、美奈子は首を横に振る。早口に絵美菜の件も話す。まことは絵美菜を保護するため、演劇部の部室に行っているはずだった。
「手分けして亜美を探そう。うさは俺と、若木さんは美奈と一緒に頼みます」
 衛の指示は素早かった。

 今日の亜美は校内にいるはずだった。自分と協力している演劇部の部員と打ち合わせをやると、うさぎは亜美から聞いていた。だから、四人はそれを手懸かりに、十番高校の敷地内をくまなく捜すことにした。
「うさぎさん、どうかしたんですか?」
 昇降口で靴を調べれば、亜美が校舎内にいたのか外に出ていたのかが分かる。うさぎが亜美の下駄箱の蓋を開けたとき、海野の間の抜けた声が背中から聞こえてきた。
「う、海野!? 亜美ちゃん知らない? って言うか、一緒じゃなかったの!?」
 海野も「美少女探偵団」の一員のはずだった。下履きを手にしていることから推測すると、どうやら外から戻ってきたらしい。
「亜美さんに言われて、麻布図書館に調べものに行っていたんですよ」
 海野は呑気な表情で答えた。当然の事ながら、亜美が音信不通になったことを知るはずもない。
「亜美ちゃんは、ドコで待ってたの!?」
「図書室ですよ。いませんか? それよりも、なんか随分と慌ててますね」
「連絡が取れないから慌ててるんじゃない!」
 うさぎは言いながら、亜美の下駄箱の蓋を開ける。下履きが置いてある。と言うことは、校舎内から出てはいないと言うことになる。
「図書室に行ってみよう」
 衛はうさぎの肩を叩いて促した。うさぎか海野に案内してもらわなければ、衛は図書室の場所が分からない。亜美の足取りを掴むためには、まずは図書室に行かなければならない。

 図書室は静寂に包まれていた。
 人の気配があるでしなかった。だが、人がいた痕跡はある。
 読書用の机の上に置かれている鞄に、見覚えのある熱帯魚のマスコットキーホルダー―――亜美の鞄だ。
「まもちゃん………」
 胸騒ぎがした。間違いなく亜美の身に何かが起こった。しかも、今は連絡できる状態にない。
 うさぎは今にも泣き出しそうな表情で、衛の顔を見上げた。その時、突然通信機がコールした。
 通信機のコール音は、五人それぞれでパターンと音色が違う。携帯電話のような着メロとは違うが、音色で誰から通信が来たのか分かるようになっているのだ。この音色は―――。
「亜美ちゃんだ!」
 うさぎの表情が明るくなった。
「亜美ちゃん!」
 すぐさま通信機に向かって怒鳴った。しかし、応答がない。
「どうしたの、亜美ちゃん!? 応答して!!」
 うさぎの必死の呼びかけも虚しく、一向に亜美からの応答はなかった。別のコール音が響いた。美奈子の通信が割り込んできたのだ。
「アルテミスに亜美ちゃんの通信機から発信されている電波を辿ってもらって、発信源を特定してもらったわ」
 美奈子の機転は素晴らしかった。恐らく、うさぎと同じで亜美からの応答がないことを不信に感じ、逆に発信源を辿る方法を取ったのだ。
「亜美ちゃんは体育館裏よ!」
「急ぎましょう、うさぎさん!
 海野は先に立って図書室を飛び出していった。

 体育館裏には、既に美奈子と若木が到着していた。うさぎですらその存在を知らなかった古ぼけた小屋の前で、若木が何やら悪戦苦闘している。
「体育館裏に、こんな小屋なんてあったっけ?」
「ありましたよ。今では殆ど使われていないはずの物置です」
 うさぎの独り言のような疑問に、律儀に海野が答えた。使われていないのなら取り壊せばいいのだろうが、こういう無用なものが残っているのが学校である。怪談話のネタになりそうな小屋である。
「入れないんですか?」
「ああ、南京錠が掛けられている」
 扉を開けようと必死になっている若木に、衛が声を掛ける。小屋の扉は引き戸になっていた。いかにもと言った感じの南京錠が、扉と柱をしっかりと繋いだまま動かすことを拒んでいた。
「亜美ちゃん! 中にいるの!?」
 いても立ってもいられないうさぎは、小屋の壁を叩きながら声を張り上げる。
「うさぎちゃん!?」
 小屋の中から、亜美の声が返ってきた。美奈子は既に亜美の存在を確認していたらしく、うさぎが視線を向けると無言のまま肯いた。
「早くここから出して! 爆弾があるのよ!!」
 小屋の中から別の声が聞こえてきた。麻理恵だった。
「ば、爆弾だとぉ!」
 若木が血相を変えた。
「間違いないのか、亜美?」
「ええ、時限式の爆弾です。箱の中に入っているので、タイムリミットが分かりません」
 爆弾の存在が本当なのかどうか確認する衛に、亜美は素早く答えた。恐らく、亜美は自分ひとりだけなら変身して脱出するのだろうが、麻理恵が一緒にいるためにその方法が取れないのだろう。変身するためには膨大なメタモルフォーゼ・パワーを放出するので、間近に普通の人間がいると変身できない。亜美が変身をして脱出していないことから推測すると、一緒に捕らわれている麻理恵がかなり近くにいるのだろう。
 扉を開けようと躍起になっていた若木だったが、亜美の言葉を聞くと、背広の内ポケットから携帯電話を取り出した。
「電話で鍵が壊せるの?」
 どう考えてもそんなことはできるはずがないのだが、若木が自信満々に携帯電話を取り出したので、期待を込めてうさぎは訊いた。
「爆発物処理班を呼ばないと………」
 若木の頭の中は亜美たちを救出することより、爆弾の処理を優先することに切り替えられてしまったらしい。
「もう! これだからケーサツは………!! あたしが壊すわよ!!」
 ついに業を煮やした美奈子が、伝家の宝刀を抜いてきた。
「クレッセント・ビーム!!」
 セーラーヴィーナスに変身した美奈子は、“伝家の宝刀”クレッセント・ビームで、瞬時に南京錠を破壊した。
「初めから、そうすればよかったのに………」
 余計な突っ込みを入れてきた海野をひと睨みすると、ヴィーナスは美奈子の姿に戻った。麻理恵に変身した姿を見られるわけにはいかなかったからだ。
「よし!」
 携帯電話で本部に連絡している若木を無視して、衛は小屋に飛び込んだ。続いてうさぎと美奈子が突入する。海野はそんな三人をぼおっと見ている。

「えぇぇぇっっっ!! なによ、これ!? 外れないじゃない!!」
 小屋に飛び込んだうさぎと美奈子は、すぐさま柱に括り付けられて身動きの取れない亜美と麻理恵の救出を試みた。だが、どんな縛り方をしているのか、彼女たちを縛るロープをなかなか解くことができない。変身してさえいれば、ロープを切断する方法は幾らでもあるのだが、その方法が取れないことがこれ程歯痒いことだとは思わなかった。
 一方、衛は時限爆弾の解体作業に取りかかっていた。箱に入っているだけなので運び出してしまえばいいと言うのは、素人の考え。うさぎと美奈子の意見をあっさりと否定し、衛はその場での解体作業に取りかかったのだ。
 蓋を開けると、案の定振り子のようなものが取り付けられていた。「第一の罠」である。無造作に置かれているので運び出して処理すればいいと考えがちだが、少しでも震動を与えると即座に爆発する仕組みになっていたのだ。
(ダイナマイトは五本か………。「振り子の罠」以外は、単純な作りのようだが………)
 衛は慎重に爆弾の構造を観察する。しかし、その間でも時間は刻々と経過している。時限式の爆弾であることは、ダイナマイトのすぐ上に設置されているデジタルタイマーを見れば明らかだった。カウンターの残り時間は三分。のんびりしていられる時間ではない。
 デジタルタイマーの先のコードを調べ、衛はこれがダミーのタイマーではないことを確認する。後は、時限式爆弾の定番の罠「赤と青のコード」である。「第二の罠」だ。
「うさ、赤と青。どっちだと思う?」
 衛はここで、コードの選択をうさぎの判断に委ねることにした。うさぎの「動物的勘」に頼る方がいいと考えたのだ。
「う、うさぎ。慎重に考えてよね」
 美奈子がゴクリと生唾を飲み込みながら言った。
「うさぎちゃん」
「お、お団子ぉ………」
 亜美と麻理恵は冷や汗ものである。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
 うさぎは長い唸り声を上げる。
「赤!」
 意を決してうさぎが叫ぶと、衛は直ちに赤のコードを切断する。デジタルタイマーが停止した。
「ふぅ………」
 衛が安堵の溜め息を漏らした。カウンターは十三秒前で停止していた。
「よ、よかったぁ………」
 麻理恵が安堵の声を漏らした。美奈子は額に浮いた冷や汗を拭った。
「うさぎの山勘は、神業だわ………」
「いやぁ〜。この場で『(あみちゃんいろ)』を切るってのは不吉だったから、『(レイちゃんいろ)』にしたのよ………」
 なんとも、単純な理由だった。

 小屋の外に出た。
 外ではいまだに若木が携帯電話を片手に、必死に状況を説明している。その様子からすると、彼が頼りにしている爆発物処理班はまだ出動してくれていないらしい。
「若木っち、もういいわ。アンタも帰って。役に立たないから………」
 美奈子が若木のポンと背中を叩いたとき、異変を感じた。
「この違和感は!?」
 亜美の表情が瞬時に固まった。
 全員の肌が粟立った。
 体育館の中から、悲鳴が聞こえた。