scene.4


「ま、まぁ、夢の紹介なら仕方ないけどさ………」
 美奈子を加えることになった絵美菜は、少々頭を抱えることとなる。与える役がもうないのである。美奈子ほどの人物が、ただのエキストラで納得するとも思えない。
 三年D組の絵美菜のクラスまで、夢はわざわざ出向いて美奈子の件をお願いに来たのだ。うさぎから話してもよかったのだが、夢が言った方が聞き入れてくれやすいと判断してのことだ。
(こりゃ、臨時に役を作ってあげるしかないわね………)
 絵美菜は心の中でぼやいた。
「ごめんね、絵美………永嶺先輩」
 夢はすまなそうに言った。でも、美奈子が加わってくれれば、まこととふたりで絵美菜を守ってくれるはずだ。絵美菜を守るために、夢も必死なのだ。
「ま、しゃーないか」
 絵美菜が肩を竦めると、
「この愛野美奈子様に助っ人を任せれば、鬼に金棒よ! 子役から老婆の役まで、何でもこなしちゃうわよ!」
 美奈子が喜々として言う。
(ヒトの気も知らないで………)
 再び心の中で絵美菜はぼやいたが、もちろん表情には出さない。

 少し離れた位置で、うさぎとまことは三人のやり取りを見ていた。美奈子のペースに乗せられていく絵美菜を、まことは苦笑して見ている。
「美奈を巻き込んだのには、理由があるんだろ?」
 表情を崩さずに、まことは傍らのうさぎに尋ねた。視線も絵美菜たち三人の方に向けられたままだった。重要な話をしていることを、彼女たちに気取られないようにするためだ。
「『呪いの台本』の件で、彼女―――夢ちゃんに頼まれたのよ。絵美菜ちゃん、夢ちゃんの幼馴染みなんだって。他にも理由があるんだけど、それは後で話すわ」
 うさぎも話をする間、まことの方は見ていなかった。笑顔で、三人のやり取りを見ている。
「絵美菜があたしに演劇部の助っ人を頼んだのは、偶然かな?」
「自己防衛本能が働いたんじゃないかって、亜美ちゃんが言ってた。まこちゃんなら、自分を守ってくれるかもしれないと、本能的に感じたのかもって」
「亜美にも話したのか?」
「『事件』だったら、亜美ちゃんの力はいるでしょ?」
 三人が自分たちの方にやってきたので、うさぎは会話を中止した。
「いっそのことさ。うさぎちゃんも出演(でちゃ)ったら?」
 冗談とも本気とも取れる口調で美奈子は言った。
「えぇっ!? あたしはダメよぉ!」
 うさぎは大きく首を左右に振って、拒否反応を示した。演劇の練習に時間を取られていたら、衛とのデートの時間が減ってしまう。
「月野先輩の舞台も見てみたいですけどね」
「勘弁してよぉ、夢ちゃ〜ん」
 夢が興味ありげな視線を向けると、うさぎは哀願するような視線を返した。
「こら、有栖川。まだ部室に行ってなかったの!?」
 D組の教室から出てきた女生徒が、夢の姿を見付けるなりそう言った。
「あっ。花月部長」
「雪ちゃん」
 夢と絵美菜が、同時に声を上げた。夢が「部長」と言ったところから推測すると、どうやらこの花月 雪は、夢の所属する剣道部の部長のようだった。
「有栖川は、絵美菜と知り合いだったの?」
「はい。幼馴染みなんです」
 雪の質問に、夢は即座に答えた。表情が少々緊張気味なのは、同じ部の先輩だからなのだろう。
「へぇ、そうなんだ。………部活が始まるよ、そろそろ部室に行くわよ」
 話があっても途中で切れと言う意味が含まれた、雪の言葉だった。拒否することはできない。
「じゃ、あたしも部活がありますので、これで失礼します」
 夢はちょこんと頭を下げると、くるりと背を向けた。
 遠ざかる夢と雪の背中を見つめていた絵美菜だったが、
「あっ! いけない! 進路指導室に行かなきゃいけないんだったっ! ごめん、ふたりとも先に部室に行ってて!」
 野崎に進路指導室に呼ばれていたことを思い出し、大慌てで進路指導室へと向かった。
「あたしが行く。ふたりは演劇部の部室に行って」
 うさぎはまことと美奈子のふたりにそう言うと、こっそりと絵美菜の後を追った。もちろん、影ながら彼女をガードするためだった。

「ねぇ、有栖川」
 道場に向かう途中、雪は突然足を止めた。
「絵美菜が『呪われた台本』を今度の公演に選んだのは、有栖川のお姉さんのことと関係があるの?」
 以前、夢から姉のことを聞かされていた雪は、事件のことを知っていた。絵美菜が夢の幼馴染みだと言うことを聞いて、何かピンと来たのだろう。
「はい………。あたしが、どうしても納得いかないって、話したら………」
 夢も足を止めて、視線を落とした。
「事件そのものが公表されないって言うのは、わたしも引っ掛かってるのよね………。確かにこんな事件が明るみに出れば、マスコミが興味本位で騒ぎ立てるのは目に見えてるけど、人が何人も死んでいるって言うのにちょっと変よね」
 腕を組んで、雪はしばし思案する。
「いいわ。公演までの間、部活をちょくちょく抜けることを許してあげる。部活中なら、竹刀を持って校内をうろうろしていたって、先生に咎められることはないだろうしね。時折、絵美菜の様子を見に行くといい」
「花月部長………」
 夢は感激のあまり、僅かに瞳を潤ませた。
「何かあったときは、わたしも力になるよ」
 雪は、夢の左肩をポンと叩きながら言った。

 絵美菜が進路指導室に入ってから、既に十五分が経過していた。うさぎは目立たない位置を選んで、遠目から進路指導室の様子を探っていた。
「でも、こんな時期に進路指導室に呼ばれるって変よねぇ………。ちょっと早い気もするけど」
 うさぎは呟いた。まだ夏休み前のこの時期に、個人的に進路指導を受けるのも、ちょっと早すぎるのではないかとうさぎは考えていた。絵美菜以外の生徒が呼ばれたと言う話も聞いていない。
「う〜ん、ちょっと気になるな。野崎ってすっごいスケベだし………。絵美菜ちゃん可愛いから、何事もなれけばいいけど………」
 話を聞いては悪いと思って、進路指導室から離れていたうさぎだったが、だんだん中の様子が気になってきた。テレビドラマの見すぎで、妙な妄想も頭の中を巡った。
「ちょっと覗いてみよっかな」
 うさぎは抜き足差し足、進路指導室へ近付く。その時―――。
「!?」
 不意に右肩を掴まれたうさぎは、その場に硬直した。

「永嶺の考えは分かった。まだ時間がたっぷりあるから、そのうちもう一度話し合おう」
 野崎は薄笑いを浮かべてから、僅かにネクタイを緩めた。椅子を少し退いてくつろぐ。それは話し合いの終わりを告げるものだった。
「では先生、あたしは部活がありますので」
 席を立って自分に背を向けた絵美菜の左腕を、野崎は強引に掴んだ。
「まだ話は終わっていない」
 有無を言わさぬ声だった。仕方なく、絵美菜はもう一度椅子に座り直した。
「演劇部のことだ」
 絵美菜が椅子に座り直したのを確認すると、反対に野崎は席を立った。右手の拳で机をコンコンと叩きながら、
「何で、あの台本を選んだ? お前が選んだと聞いているぞ」
 威圧的な口調で言った。
「話自体は、素晴らしいお話です」
 まるで取り調べでも受けているような気分になり、答える絵美菜の声も小さくなっていた。
「その口振りからすると、どういう台本か分かっていて選んだ訳だな?」
 バンと机を掌で叩き、野崎はぐいっと絵美菜に顔を近付けた。驚いて、絵美菜は身を縮ませた。
「今年の犠牲者は、お前なわけだ」
 野崎は顔を放すと、ゆっくりとした足取りで絵美菜の背後に回る。絵美菜は更に身を固くした。
「あ、あたしは死にません! 事件の真相を暴いて見せます!」
「ほう………。探偵ごっこでも始めようと言うのか?」
 野崎は鼻で笑う。
「真相ねぇ………。真相を知ってどうするつもりだ? いったい、何の秘密があると思っているんだ?」
「世間に公表できない何かがあると思っています」
「ミステリー小説の読み過ぎだな」
 野崎は絵美菜の両肩を背後から掴んだ。
「先生、痛いです!」
 必要以上に強い力で掴まれていると感じた絵美菜は、僅かに身を捩って抵抗した。
「先生は心配しているんだ。永嶺の身も心配だが、もしものことがあったら、顧問の皆本先生の責任問題にもなるんだぞ?」
「そ、それは………」
 そう言われると、流石に返答に詰まってしまう。
「自分ひとりの問題じゃないってことを、よく考えるんだな」
 野崎は顔を近付けると、絵美菜の耳元で囁くように言った。
 ガラッ。
 進路指導室のドアが空いた音が響き、野崎は慌てて絵美菜の側から離れた。
「いけませんねぇ、野崎先生。そんなに気安く女生徒の体に触れちゃ………。セクハラだって、訴えられますよぉ」
 なんとも呑気な口振りで進路指導室に入ってきたのは、神部だった。
「か、神部先生!? どうして進路指導室に? あなたはここには関係ないでしょう?」
「何をそんなに驚いているんです? 今日はここには誰も来ないとでも思っていたんですか? 生憎と、暇つぶしに資料を取りに来る教師もいるんですよねぇ………」
 神部はじろりと野崎に目を向ける。野崎はバツが悪そうに、右の頬を僅かにピクリとさせた。
「永嶺、今日はもういい。部活へ行きなさい」
 野崎はそう言うと、さっさと進路指導室を出ていってしまった。
 野崎の姿が見えなくなるのを確認すると、絵美菜は安心したように息を吐いた。
 その絵美菜の様子を見て、神部は僅かに頬を緩めた。
「さぁ、みんなが待ってる。早く行きなさい」
「は、はい………」
 神部に促され、絵美菜は力無く立ち上がると、進路指導室を出ていった。
「かんちゃん、さっすがぁ! 野崎先生追い出すなんて、やるじゃん!」
 絵美菜と入れ違いに、うさぎか大袈裟に喜びながら、進路指導室に入ってきた。「かんちゃん」とは神部のことである。神部は何故か生徒たちからは、「かんちゃん」と親しげに呼ばれているのだ。(笑)
「進路指導を行う日じゃないのに、彼女が呼び出されたって演劇部の生徒に聞いてさ。気になって見に来て正解だったな」
 神部は苦笑いする。
「ホント、助かったわ。野崎先生って、かんちゃんに負けず劣らずスケベだもんね」
「月野、そりゃどういう意味だ!?」
「あっ! し、しっつれいしましたっ!!」
 ぴゅーっと言う風を切って、うさぎは進路指導室から一目散に退散した。

 その日の練習は、全く身が入らなかった。野崎に言われたことが、心に重くのし掛かっていたからだ。
「どうした? 上の空だぞ」
 セリフを忘れたり間違えたり、絵美菜らしからぬミスに、流石の皆本も怪訝に感じた。
「具合悪いのか? 顔色が優れないな」
 相手役として間近で絵美菜の表情を見ていたまことも、普段とは違う彼女の様子に気付いていた。
「永嶺、今日は帰れ。稲森、確か家の方角が一緒だったな」
 皆本は、奥で恵利と和恵のふたりと打ち合わせをしていた志帆を呼んだ。
「永嶺を送っていってくれ」
「はい、先生」
 志帆は絵美菜を促し、部室から出ていった。そんな絵美菜の後ろ姿を見ていた麻理恵は、
「随分と素直に帰ったけど………。よっぽど気分が悪かったのかしら」
 多少具合が悪くても部活を休むことがない絵美菜が、あっさりと帰っていったことが、麻理恵には気掛かりだった。
「絵美菜がいないんじゃ、このシーンの練習は無理だな。シーンを変えよう。千野、二浦。お前たちのシーンだ。少しはまともになったんだろうね?」
 皆本は今練習していたシーンを諦め、千野と二浦の二年生男子コンビが揃って登場しているシーンを練習することに切り替えた。
 まことは、ふたりの男子生徒が演技するところを見るのは、実は今日が初めてだった。もちろん、今日から合流した美奈子も当然ながら初めてである。
 そして―――。
「なるほどね………」
 まことは深い溜め息を付いた。絵美菜が「大根」と言った意味が、ようやく分かったからだ。

 調査をすると言っても、実際何から手を付けたらいいのか分からなかった。ただ、事件の原点は十年前にあるとだけ予想ができたので、亜美はまず十年前の事件を調べることにした。西園寺瑠衣に二年前の事件のことを尋ねようかと考えていたのだが、麻理恵と響と協力することになって、少々方針が変わった。
 それに今回の事件に、うさぎの知り合いが関係していることも知ってしまった。夕べうさぎから、電話で説明を受けたのだ。うさぎから協力して欲しいと言われれば、断る亜美ではない。
 事件の真相を突き止めるまで、塾もしばらく休まなければならない。
「悪い、待たせた」
 体育館の裏で待っていた亜美の前に、麻理恵と響のふたりが現れた。予定より少しばかり早かった。絵美菜が帰った都合で、演劇部の部活動は早めに切り上げることになってしまったのだが、そんな事情は亜美は知らなかった。
「ぐりぐり眼鏡くんは?」
 麻理恵はこの場に、海野の姿がないことを訝しんだ。彼も「探偵団」のメンバーなのだ。なるちゃんは、今日はパーラー“クラウン”でバイトだった。事前に連絡を受けている。まことの代わりとしてバイトに行くのだから、止めるわけにもいかなかった。
「海野くんは、喫茶店に場所取りに行ってるわ。いくらなんでも、ここで話し合うわけにはいかないでしょ?」
 今日は調査の方針を話し合うことになっていた。亜美としては、真犯人は校内の人間のような気がしていたから、打ち合わせは別のところでやりたいのだ。こんなところで迂闊に立ち話をしているところを真犯人に聞かれでもしたら、逆に警戒されてしまうし、自分たちの身も危うくなる可能性だってあるのだ。
「そうね、ここじゃ話せないわね」
 亜美の意図を、麻理恵も理解した。
「じゃ、ぐりぐり眼鏡くんのいる喫茶店に向かいましょうか」

 海野が待っていたのは、六本木にある少し寂れた喫茶店だった。行き慣れたパーラー“クラウン”で打ち合わせを行いたいところなのだが、あそこは十番高校の関係者がけっこうやってくるのである。真犯人が来るとも限らないので、パーラー“クラウン”では打ち合わせはできなかった。
「事件の原点は、十年前にあるはずよ」
 運ばれてきたレモンティーのカップを口に運びながら、響は言った。
 亜美はポケコンを立ち上げ、議事録を作成している。
「最初の犠牲者は、現在の演劇部顧問の皆本先生の親友ですよね」
 流石は海野である。既にどこからか、情報を入手してきたらしい。情報源は、恐らくくりちゃん辺りだろう。
「少し調べたんだけど、十年前の最初の事件以前は、同じ台本を使っても何も起きていないわ」
 昨日、十番図書館のデータベースで過去に起こった事件を調べていた亜美は、結果を皆に報告した。同時に演劇部の公演の記録を亜美は調べていた。同じ台本が使われたのは、今を遡ること十五年前が最初だった。好評だったその劇は、翌年の文化祭で二年生のクラスが用い、演劇部としてはその二年後に、この台本を用いて大会に参加していた。
「三度の公演がされたけど、誰ひとりとして犠牲者は出ていないわ。だから、あたしは『呪い』なんかじゃないと思う」
 亜美は確信したような口調で言った。
「最初の事件の犠牲者だけが行方不明って言うのも、わたし的には引っ掛かってるのよね」
 そう言ったのは麻理恵だった。亜美も肯く。
「だいたいこういう場合って、死体は校内のどこかにあるもんですよね」
 海野がさらりと言うと、女性陣三人はそろって海野のぐりぐり眼鏡に視線を向けた。
「推理小説なんかでは、よくある話ですから………」
 責められたと思ったのか、海野は額に汗を浮かべながら言葉を濁した。
「案外、当たってるかもしれないわ」
 亜美は声のトーンを落とした。
「新校舎が建てられたのが、ちょうど十年前よ」
「え!?」
「マジ!?」
 麻理恵と響が驚きの声を上げた。表情が一瞬にして凍り付いた。十年前の十番高校は、普通科の校舎が一棟しかなかった。商業科を新設するにあたって、新しく校舎を増設したのが十年前だった。
「滅茶苦茶分かりやすいパターンですね」
 海野はあくまでも冷静だった。
「あたしの友人に、霊感の強い人がいるわ。彼女に霊視をしてもらえば、校内に遺体があればすぐ分かるはずよ」
 亜美は言った。いよいよ、レイの出番のようである。

 演劇部の部員たちが帰宅してから、明日の授業内容の確認をしていたので、十九時を回ってしまった。
 陽もすっかり落ちてしまっている。ふと顔を見上げて周りを見回すと、職員室には自分だけしか残っていないことに気付いた。
「あたしが最後か………」
 皆本は小さく息を吐くと、こりをほぐすように首をゆっくりと一回だけ回した。最近、疲れが堪っていると感じる。
「このままでいいのかしら………」
 事務机を見つめたまま、皆本はひとり呟いた。呪われた台本の劇を生徒がやりたいと言い出したとき、どうして止めなかったのか。
 今でもこの答えは出ていない。呪いなどは信じていなかったが、ヒロイン役の生徒が謎の事故死を遂げていることは事実なのだ。
 今回、この劇をやると言い出した女生徒―――永峰絵美菜は、そのことを知っていて敢えてこの劇に挑もうとしている。
「優希、あたしはどうしたらいい………?」
 友の名前を口にしてみた。生涯忘れることのできない親友の名前だった。
「まだおったのか? さくら」
 職員室のドアがガラリと開けられ、有馬が入っていた。
「もう遅いよ、帰った方がいいんじゃない?」
 別の声がした。皆本が顔を向けると、有馬の後に続いて神部の姿が見えた。
「あるとかんぴか………」
 三人は個人的にも親しい間柄だったので、仕事以外では名前や愛称で呼び合っていた。
「さくら、最近疲れてるみたいだけど?」
 心配そうな表情で訊いてきた神部は、三人の中では最年長だった。ひとりだけ三十代なのだが、気持ちだけは異様に若い。
「さっき話した件や」
 有馬が神部に言った。
「わても呪いなんてものは信じてはおらへんけど、犠牲者が出てるのは事実や。どうして、そないな危険な劇をやってええなんて許可を出したんや?」
 皆本は答えに詰まった。自分自身、分からなかったからだ。
「言い出したのは、絵美菜だろ? その件で、放課後野崎先生に責められていた」
「野崎先生に!? それで、あいつ………」
 絵美菜が練習に身が入らなかった訳を、皆本はようやく理解した。
「さくら、あのことあるにも話しておいた方がいいんじゃないか?」
「なに、かんかんはん。何ぞ知ってるの?」
「ああ………」
 神部は重々しく肯くと、皆本の顔を見つめた。皆本はしばし考えていたが、やがて肯いた。
「あるは去年ここに赴任してきたから知らないのは当然なんだけど、実はさくらはこの十番高校の出身なんだよ」
「へぇ、そうやったんや」
「当時は演劇部に所属していてね」
「さくらが高校生の頃言うたら、十年くらい前の話やね。ん? 待てよ、十年前言うたら………」
「そう、最初の事件があった時だよ」
「そうしたら、十年前に事件が起こったとき、さくらは現役の演劇部員やったって言うことかい」
 有馬の表情から、みるみるうちに血の気が失せていくのが分かった。
「最初の犠牲者は、あたしの親友だった………。彼女がヒロイン役で、あたしがその相手役だった」
 苦しいものでも吐き出すように、皆本は言った。思い出したくない過去なのである。だが、決して忘れてはいけない過去でもある。
「犠牲者か……。でも、彼女の死体は発見されなかったらしい」
 机に腰を下ろしたまま俯いてしまった皆本に、そっと視線を落としながら、神部は言った。
「そうらしいやね。後に起こった事件の犠牲者は、全員遺体で発見されたようやけど、最初の犠牲者だけ行方不明のまんまだって聞いてるわ。せやけど、なんでヒロインの子なんやろう? 何ぞ、特別な意味があるんやろうか? わては呪いなんて信じてへんからね」
「それが分かったら、事件は解決してるよ」
「そうやね。でも、かんかんはんこの事件について随分と詳しいみたいやね。なんでそないなに詳しいんや?」
 有馬に質問された神部だが、僅かに下を向いて小さく笑っただけだった。
「なんや? その意味深な笑いは? まさか、かんかんはんもその昔、演劇部員やったとか? でも、さくらが現役の頃は、かんかんはんはもう教師になってたんやよね」
「教師になり立てだった………」
「まさか、その行方不明になりよった生徒と何ぞ関わり合いがあったとか?」
 神部は再び俯いて小さく笑った。
「やから、なんなんやろか!? その意味深な笑いは!?」
「かんぴは、当時演劇部にいた生徒を誑かしたんだよ。父兄からクレームが来て、謹慎一週間くらったんだよ」
 皆本が苦笑しながら説明した。
「暗い過去があったんやね」
 有馬は納得したように、首を縦に三回ほど振った。神部ならやりそうなことだと思ったのかもしれない。
「その誑かされた生徒ってのは、あたしだけどね………」
「そ、そうなん………?」
 慌てて有馬は、神部の顔を見た。
「誑かしたなんて人聞きの悪い………。一緒に映画見に行ったあと、カフェバー行ってカクテル飲んだら、さくらがへべれけになって帰れなくなったんで、俺んちに泊めただけなんだけどな」
 神部はサラリと言うと、聞いていた有馬は頭を抱える。
「教え子を部屋に泊めたいうことも問題やけど、それ以前に未成年者に酒を飲ませた言うのが問題だと思うんやけどな………」
「酒は十六からだろ?」
「二十歳になってからだよ!! かんぴ〜」
「冗談だってば」
「で? なにもせえへんかったわけ? さくらに」
 有馬の鋭い突っ込みが入る。酔っぱらって部屋に泊めた女生徒に、神部が何もしないとは思えなかったのだ。
「してないよ、なにも」
 もちろん、神部は惚けた。いや、本当に何もしていないのかもしれない。たぶん、してない。してないと思う。してないんじゃないかな………。
「あたしは酔っぱらってたから、何も覚えてないんだよね〜。何されても分かんなかったと思う。そういや、朝起きたらあたし服着てなかったっけ………」
 皆本はからかうような視線を神部に向けた。
「かんかんは〜ん………」
「さくらぁ〜〜〜〜〜」
「うそうそ。かんぴにそんな度胸あるわけないじゃん。でも、あたしが服着てなかったのは本当だけどね」
「酔っぱらってて、お前が勝手に脱いだんだろがぁ!!」
「覚えてないもーん!」
 さくらはケラケラと楽しそうに笑った。どうやら少しは、元気が出てきたようだった。
 結局この話の続きは、商店街の居酒屋でやることになってしまった。代金は、当然神部持ちである。