scene.3


 次の日、うさぎは夢との約束通り、昼食を食べ終わったあと商業科の校舎の屋上へと向かった。
 十番高校の屋上は締め切られていることはないので、特に問題なく行くことができる。
 うさぎが屋上に着くと、既に夢が待っていた。
「ごめんね。待たせちゃった?」
「いえ、わたしも今来たところです」
 夢は金網にもたれかかるようにして、遅れてやってきたうさぎの方を振り向いた。
「なに? 話って」
 うさぎも同様に、金網にもたれかかった。夢が改まって話があると言うからには、何かあるのだろう。
「月野先輩は、呪われた劇のことは知ってますか?」
「呪われた劇?」
 唐突に夢は尋ねてきた。うさぎは何のことか分からないので、首を傾げた。
「十番高校の演劇部には、絶対にやってはいけない劇があって………」
「やってはいけない劇?」
「ヒロイン役の女生徒が、必ず事故死すると言う呪われた台本があるんです」
「そんな台本があるんだ………」
 演劇部に特に親しい友人のいないうさぎは、その台本のことは知らなかった。
「どうしたらいいのか、わたしには分からなくて………」
 夢は困惑した表情で、視線を下に落とした。うさぎは黙って夢に視線を向けている。夢が自分に何を伝えたいのかが、まだ分からないのだ。
「実は、わたしには五歳年上の姉がいたんです」
「お姉さんが………?」
 うさぎは少々訝しんだ。夢の言葉が、過去形だったからである。
「でも、二年前に原因不明の事故で亡くなりました」
「亡くなった?」
「はい。この十番高校で」
「え!?」
 二年前と言えば、自分たちが一年生の頃である。しかし、そんな事件は聞いたこともなかった。もっともその頃は、デッド・ムーンやギャラクシアとの戦いで学校関係が疎かになっていたことも事実ではあるが。
「学校も体裁を考えて、穏便に事を済ませたようです」
「穏便にって………。人がひとり亡くなっているのに?」
「ドラマと同じですね」
 夢は寂しげに笑った。うさぎはこの時、夢の中ではまだ事件が終わっていないことを知った。
「まさか………」
「はい。姉は演劇部でした」
「その事件を調べたいって言うのね?」
 うさぎは直感でそれを悟った。夢は自分なりに事件を調べて、納得したいのだろう。
「はい。単なる事故だったのか、それとも………」
「それとも?」
「誰かに殺されたのか………」
 夢は唇を噛んだ。その様子から、夢自身は事故だとは思っていないと言うことが伺い知れた。
「あたしに協力してほしいわけね」
「はい………。他に相談できる人がいなくて………。すみません、突然変なこと言い出して………」
 夢の表情は真剣だった。瞳が僅かに潤んでいる。
 誰を頼ったらいいのか考えたあげく、うさぎに話を持ちかけたのだろう。彼女なりに相当悩んだと言うことは、表情から充分伝わってきた。
「分かった。あたしも協力するわ」
 うさぎは大きく肯きながら答えた。頼られた以上、放ってはおけない性分なのだ。
 夢の表情が、ぱぁっと明るくなった。
「それに、あたしの友達にはこう言うことに打ってつけの人がいるし」
 うさぎは亜美にもこの話をしようと考えた。もし、本当に殺人事件だったとしたら、迂闊に行動するのは犯人を刺激することに繋がる。うさぎは何故か、この時そう考えていた。犯人が外部にいるなどとは、全く考えていなかった。
「もうひとつ、お願いがあります」
 夢は声のトーンを下げた。
「実はこの話を、わたしの幼馴染みのお姉さんに話したんです。そしたら、その劇をやるって言い出して………。しかも、自分がヒロインをやるって言うんです。わたし、心配で心配で………。その人も、事件のことをずっと気に掛けてくれていたようなんです。」
「夢ちゃんの幼なじみって?」
「はい。三年の永峰絵美菜さんです。演劇部の部長をやってます」
「まこちゃんが演劇部に助っ人を頼まれてたわね。そう言えば………」
 うさぎは昨日、まことが絵美菜に演劇部の助っ人を頼まれていたことを思い出した。無責任にも、自分も奨めた記憶がある。
「木野先輩がですか?」
 うさぎはここで、しばし考え込むような仕草を見せた。
「夢ちゃんが考えているような事件なら、彼女の護衛はまこちゃんに頼んだ方がいいわね。まこちゃんなら、きっと彼女を守ってくれるはずよ」
 偶然とは言え、まことが演劇部内にいることは心強かった。まことなら、真犯人が人間以外(・・・・)の相手でも、絵美菜を守ってくれるだろう。
「ふっふっふっー。あたしも協力しましょう!」
 突然ヌッと顔を出したのは、美奈子だった。
「み、美奈P、何でここに………!?」
 うさぎは大袈裟にたじろいで見せた。
「何でって、十番高校のアイドル。愛野美奈子様は、どこにでも出没するわよ〜。『血色の十字軍』によると、美奈子はフランスにいるはずだなんて、野暮な突っ込みは止めてね! スペシャルなんだから、細かいことは気にしないように!!」
 美奈子は人差し指を立てるお得意のポーズで力説した。
「は、はぁ………」
 うさぎと夢は、その美奈子の勢いに圧倒されてしまい、それ以上細かいことを突っ込むのは止めた。スペシャル企画だし(汗)
「だいたい、この愛野美奈子様に助っ人の声が掛からないと言うのが納得いかないわ! ヒロインは、あたしがやる!!」
「呪われた役でも?」
「う………。べ、別の役回りにしてもらうわ!」
 十番高校の(自称)アイドル愛野美奈子様も、やはり呪いだけは怖いようだ。
「任せといて! あたしとまこちゃんで、しっかりえみなっちを守ってあげるから!」
 美奈子は力瘤を作ってみせた。
「美奈P。もしかして、興味本位で首突っ込もうとしてるわけじゃないでしょうね」
「な、何をおっしゃいます。うさぎちゃん。おほほほほほっ」
 どうやら、図星だったようだ。

 亜美はなるちゃんの教室を覗き込んでいた。
 亜美は普通科の三年A組。なるちゃんはC組だった。C組とは殆ど交流がなかったから、覗き込むには勇気が必要だった。
 遠慮がちに教室の中を覗き込むが、なかなかなるちゃんの姿を発見できなかった。のんびりしていたら、昼休みが終わってしまう。
「おや?」
 そんな亜美に救世主が現れた。ボサボサ頭でぐりぐり眼鏡の男子生徒―――海野が、亜美の姿を見付けて近寄ってきたのだ。
「珍しいですね、亜美さん。なるちゃんに用事ですか?」
 海野は察しが良かった。とは言っても、亜美がC組のクラスに来るとなれば、一番の理由はなるちゃんに会いに来ることくらいのはずである。少し考えれば、すぐに分かることではあった。
「ちょっと待っててください」
 亜美が答える間もなく海野は教室に引っ込むと、程なくなるちゃんを連れて戻ってきた。
「どうしたの? 急に………」
「ごめんね、ちょっとお願いがあって………」
 亜美が単独で自分に会いに来ることは珍しかったから、なるちゃんも少しばかり不思議そうな表情をした。
「あたしにお願い?」
「うん。西園寺さんに会いたいんだけど………」
「瑠衣姉さんに?」
 なるちゃんは額に疑問符を浮かべた。亜美が瑠衣に会おうとする意図が分からなかった。亜美と瑠衣とでは、思い当たる接点がない。
「実は二年前のことをちょっと聞きたくて………。西園寺さんて、確か二歳年上だったわよね?」
「うん、そうだけど………。二年前がどうかしたの?」
「二年前に起こった事件について、何か知らないかと思ってね」
「二年前の事件?」
 なるちゃんは益々訝しんだ。亜美の言っていることの意味が、よく理解できていなかった。
 二年前―――自分たちが一年生だった頃に、いったい何があったと言うのか? 亜美が知りたがるような類の事件なのだろうか?
「もしかして、演劇部の事件のことですか?」
 海野がひょいと、首を突っ込んできた。流石は情報通の海野である。二年前に起こった事件のことを知っているようだった。
「海野君、知ってるの!?」
「いえ、事件があったってことぐらいしか知りません。たぶん、亜美さんが知りたいと考えていることは、僕は知りませんよ」
 海野もなかなかどうして、勘の鋭い男だった。亜美が知りたがっている内容を、瞬時に理解したようだった。
「何よ? 演劇部の事件て」
 やはりなるちゃんは、事件そのものを知らなかった。
「十番高校の演劇部には、決してやってはならない『呪いの台本』があるんですよ。ヒロイン役の女生徒が、公演前に必ず謎の死を遂げるという………」
「なんかミステリアス………。どっかの推理小説みたい」
「はい。本来なら、金○一少年か、コ○ン君の出番です」
 海野はニッと笑ったが、残念ながらなるちゃんは、金○一少年もコ○ン君も知らなかった。
 海野を無視して、亜美に話し掛ける。
「何で亜美ちゃんがその事件のことを?」
「それは………」
 亜美が口を開いたその時―――。
「そうね。どうして天才少女のあなたが、この事件を知りたがるのか、教えてほしいわね」
 背後で怒気を含んだ声が聞こえた。
「あ、響ちゃん」
 なるちゃんが、亜美の背後に立つ女生徒の姿を見付けた。
「彼女、演劇部の橘 響ちゃん」
 亜美にその女生徒を紹介した。
「今度の公演で、『呪われた台本』を使った劇をやるって聞いたけど」
 響が睨むような視線だったせいか、亜美の口調もひどくぞんざいなものになっていた。
「ええ、どうしてもその台本をやりたいって子がいてね………。それより、あたしの質問に答えてくれない? だだの興味本位で事件のことを嗅ぎ回ろうって言うのなら、やめてもらいたいわね」
 言い終わると、響はいかにも不満そうに大きく息を吐いた。
「あたしの友だちが、臨時でその劇に参加することになったのよ。それで、ちょっと気になってね」
 事件そのものに興味があるとは、流石に言えなかった。
「あんた、木野まことの知り合いだったのか」
「ええ」
 亜美は肯いて見せた。なるちゃんが驚かなかったことから推測すると、どうやら昨日のうちにうさぎから、まことが演劇部の助っ人を頼まれた件を聞いているのだろう。
「そうか。ならば、天才少女のお手並み拝見というか」
 響は意味ありげな笑みを浮かべて、亜美の顔を見つめた。
「あたしの勘なんだけど、この事件はただの呪いなんかじゃなくて、もっと重大な秘密があるような気がするのよ。あたしが部活があるからそんなには動けないけど、天才少女のあんたが協力してくれるって言うのなら、心強いな」
「協力だなんて………」
 何やら雲行きが怪しくなってきた。亜美は一抹の不安を覚えた。
「B組の結城麻理恵って知ってる?」
「ええ。体育とかで一緒になるから………」
「あたしと麻理恵があんたに協力するわ。今年は絶対に犠牲者を出しちゃいけない。あたしたちで、事件の真相を突き止めよう。なる、海野、聞かれちゃったからには、あんたたちふたりにも協力してもらうわよ!
 斯くして水野亜美と美少女探偵団(+おまけの海野)の誕生と相成ったわけである。
「なんか、おかしな方向に向かっているような気がする………」
 亜美のぼやきは、他の三人には聞こえなかった。

 一年A組のクラスの前の廊下で、絵美菜と志帆、恵利の三人が打ち合わせを行っていた。
 絵美菜が体操着姿なのは、五時間目が体育だからだろう。もちろん、下はジャージを履いている。でなければ、一年生男子生徒の注目の的になってしまう。
「じゃ、ゴメンネ。あたしが行くまで頼むわ」
 絵美菜が拝むように、顔の前で両手を合わせた。
「進路指導じゃ仕方ないですよね。大変ですね、三年生は………。」
 同情したような口調で、恵利は言った。
「でも、野崎ってあたし大嫌い! なんか変な目で女の子のこと見るし………。凄いスケベだって言うから、絵美菜気を付けてね」
 志帆はつい、「幼馴染み」の口調になって、絵美菜に言ってしまった。気付いて慌てて口を押さえると、絵美菜は小さく微笑んだ。
「いいわよ。部活ん時じゃないんだし」
「志帆は永嶺先輩のことが心配なんですよ」
 恵利がフォローする。絵美菜は志帆に目を向けると、「ありがと」と言った。
 志帆は少しばかり照れたような笑みを浮かべた。
 予鈴が鳴った。
「おーい、永嶺ぇ! 早く行かないと、怒られっぞぉ!」
 D組の方からパタパタと走ってきた男子生徒が、絵美菜の左肩をポンと叩くと、そのまま階段を駆け下りていく。
「あれ!? 今の秀っち?」
 絵美菜はちょっとだけ驚いた。同じくラスの名護秀雄だったのである。
「なんで一年生のクラスから出てくるわけ?」
「あの人、よく見掛けますよ。D組に付き合ってる子でもいるんじゃないんですか?」
 恵利が言った。どうやら名護は、よく一年生のフロアに来てるらしい。
「ふ〜ん。今度聞いてみよ」
 絵美菜はニヒヒと笑った。やっぱり多少は興味がある。
 本鈴が鳴り響いた。
「きゃー!! やばいっっ!!」
 絵美菜は大慌てで体育館に向かった。