scene.13
商業科の校舎裏。レイが女性の霊を感じた場所だった。
セーラームーン、タキシード仮面、そしてマーズの三人が、この商業科校舎裏にいた。
「ここに夢ちゃんのお姉さんが………」
セーラームーンが周囲を見回した。心なしかこの付近だけ、悪霊の数が少ないような気がした。
「たぶん、間違いないわ」
マーズは前方を見つめる。教師数名と年輩の霊能力者らしき人物が、白目を剥いて気を失っていた。幸い命には別状ないようだった。恐らく、この場に留まっていた「彼女」が悪霊たちから守ったのだろう。
「感じるか?」
「いいえ、ここにはもういないようです」
タキシード仮面の問い掛けに、マーズは首を横に振った。除霊の影響なのだろうか。「彼女」の霊はこの場にはいなかった。「彼女」に連れ去られた能面の男の“気”も感じなかった。
「みんな来て! 悪霊の本体を校庭に誘き出したわ!!」
ヴィーナスから通信が来た。タキシード仮面をこの場に残し、セーラームーンとマーズは校庭に向かった。
「ありゃ?」
ふたりが校庭に到着すると、全て終わった後だった。戦闘直後だったらしく噴煙は残っているが、校庭は静寂を取り戻していた。
悪霊の本体らしき物体は見当たらなかった。
すぐに視界に飛び込んできたのは、並んで突っ立っているヴィーナス、マーキュリー、ジュピターの三人の姿だった。
「終わっちゃったの?」
マーズが少しばかりがっかりしたような声で、三人に聞いた。三人は無言のまま、そろって肯いた。
噴煙の向こう側から、四つの人影がこちらに向かって歩み寄ってくるのが見えた。
「ちょっと遅かったわ」
「ちょっとどころじゃない。かなりね」
ネプチューンとウラヌスだった。セーラームーンがヴィーナスに視線を向けると、ヴィーナスは大きく肩を竦めた。マーキュリーも諦めたような顔で、頭を軽く左右に振った。ジュピターも呆れ顔である。
せっかく変身したというのに、一番美味しいところを彼女たちに持って行かれてしまったと言うわけだ。
「じゃあ、やることやったから、帰りましょうか?」
「うん。そうね」
プルートが言うと、サターンがにっこり笑って肯いた。
「じゃあ、セーラームーン。後をよろしく」
ウラヌスはセーラームーンの右肩をポンと叩くと、風のようにその場から立ち去った。ネプチューンとプルート、サターンの三人はそれに合わせるかのように素早く跳躍して姿を消した。
「後をよろしくって………」
セーラームーンは校庭を見回して愕然となった。
「校庭をこんなにクレーターだらけにして、あたしにどうしろって言うのよぉ!?」
四人が消えた方向に向かって、セーラームーンは呪いの言葉を吐いた。十番高校の校庭は、ウラヌスたちが悪霊と本体と豪快に戦ったくれたお陰で、あちらこちらに大きな穴が穿( たれ、)
とても「校庭」と呼べるような状態ではなかった。
「なんで止めなかったのよぉ!?」
セーラームーンは半泣き状態でヴィーナスたちに食ってかかった。銀水晶の力を使って元通りに復元しなければならないので、かなり体力を消耗する作業なのだ。できることなら、やりたくはない。
「いやぁ、あまりの凄さに、あたしたちの出る幕全くなかったんだもん」
おっきな汗を額から流し、ヴィーナスが言い訳する。セーラームーンは深い深ぁい溜め息を付いた。
商業科の校舎裏に、再びセーラームーンたちは足を運んだ。既にその場には若木を始め、主要な面々が集まっていた。その中には夢や、絵美菜といった演劇部員の姿も見える。
「感じる? マーズ」
セーラームーンはマーズに尋ねた。全員の視線がマーズに集まる。
マーズは目を閉じ、“気”を集中させて周囲を探った。
「来ている」
短く言った。そして、目を開ける。
「悪霊は消滅したわ。あとは、あなたの番よ」
マーズは校舎の壁を見つめながら言った。まるで、そこに何者かがいるかのように。
ありがとう。あいつを退治してくれて。
声が聞こえた。はっきりとした声だった。
その声は、この場にいる全員の耳に確実に届いていた。
「この声………。姉さん!?」
「優希!?」
夢と皆本が、驚きの声を上げた。
だが、声は返事を返さなかった。自分が「優希」と言う人物であることを拒んでいるようだった。
「犯人を引き渡してくれる?」
霊と対話をするのは、マーズの役目だった。マーズは霊の正体については触れず、彼女がいったん捕らえた能面の男の引き渡しを要求した。
わたしが取り殺してもよかったのですが、それでは他に亡くなった方たちが浮かばれません。この男に、法の裁きを………。
壁が光を発し、中から能面の男が姿を現した。ぐったりした様子で、すぐさまその場に倒れ込んでしまう。
若木が直ちに駆け寄り、男から能面を剥ぎ取った。
「野崎先生!?」
能面の下から現れた顔は、げっそりとした野崎教諭の顔だった。
「お前が一連の殺人事件の犯人か!?」
若木は野崎の胸ぐらを掴む。
「知らん」
野崎は短く答えた。霊の言うことなど、もちろん証拠にはならない。絵美菜を襲ったのは事実だが、罪に問われるとすればそのくらいだろう。
「現場にまこちゃんがいたわ! 彼女が証人よ!!」
自分を襲ったことまでも否定しようとした野崎に、絵美菜が叫ぶように言った。もし野崎が犯人なら、毒蛇を使って自分を殺そうとしたことも野崎の仕業と言うことになる。
どこにもぶつけることの出来ない怒りが、涙となって頬を流れた。
「霊の声だの悪霊だの馬鹿馬鹿しい。そこにいるセーラー戦士と言う連中が、一芝居打ったんじゃないのか?」
無言のまま自分を見つめるセーラー戦士たちに向かって、野崎は鼻を鳴らした。怒りが爆発しそうなジュピターを、ヴィーナスが制した。
「往生際が悪いわね」
ヴィーナスが呆れたように言うと、野崎は再び鼻を鳴らした。
「全く、彼女の言うとおりだ」
背後で声が聞こえた。振り向くと、見知らぬ男がそこに立っていた。少しばかり伸ばした髪を後ろで結った、肩幅の広いがっしりとした体型の男だった。
「ヤマさん!」
若木が言った。「ヤマさん」と呼ばれた男は、右手で若木に小さく合図を送ると、ゆっくりとした足取りでこちらに向かって歩み寄ってくる。
「『ヤマさん』って、イメージじゃないわよね?」
セーラームーンが小声でヴィーナスに言った。どうやら彼女は、天然パーマのひょろりとしたダンディな紳士を想像したらしい。歩み寄ってきた「ヤマさん」は、紳士と言うより山伏のような印象を受ける。せめて額に人差し指でも当ててくれれば、雰囲気があるのだが。
「警視庁の山室警部です」
「ヤマさん」は手帳を皆に示した。「山室」なので「ヤマさん」と言うのは、実に分かり易い。
「警視庁内部のあなたの協力者を逮捕した。あなたの逮捕状だ」
山室は野崎の目の前で、一枚の紙を手際よく開いて見せた。実に手慣れている。
「殺人未遂、及び殺人容疑で逮捕する。若木!」
「はい!」
若木は素早く野崎に手錠を掛けた。強引に立ち上がらせると、そのまま連行する。
立ち去る間際、山室は一瞬だけ神部に視線を向ける。神部が小さく肯くのを確認すると、そのまま若木の後を追って、校舎裏を後にした。
わたしの役目も終わりました………。
悲しげな声だった。これ程までに悲しい声を、初めて聞いたような気がした。
「姉さん、待って! あなたは、あたしの姉さんなんでしょう?」
夢が壁に一歩歩み寄った。まるでそこに、本当に自分の姉がいるかのように。いや、夢には見えていたのかもしれない。壁の前に佇む、儚げな女子学生の姿が。
「彼女に似ているわ。たぶん、お姉さんね」
マーズの瞳にだけは、その姿が写っていた。マーズは仲間にしか聞こえないくらいの小さな声で、そう言った。
ねぇ、あたしたち、親友だよね?
声が急に弾んだ。言葉の意味がよく分からず、その場にいた者は皆茫然としてしまう。ただひとりを除いては―――。
「うん。もちろん、親友だよ」
皆本が正面を向いた。その場所に、儚げな女子高生が佇んでいる。
女子高生はにこやかに微笑んだ。
正々堂々と勝負しようね。
「当たり前じゃない。ぜったいに負けないよ。ヒロインはあたしのものよ!」
皆本は答える。あの日交わした会話を思い出して。決して忘れることのできない思い出の会話。
うん。あたしだって、ぜったいに負けないよ!
「なによ。ってことは、あんたまだヒロインの座狙ってるわけ?」
夢が皆本の横に並んだ。自分が何者であるのか、声の主からの無言の答えだったからだ。絵梨奈がその夢の後ろに立ち、両手をそっと彼女の肩に添えた。
そう。ヒロイン役は、ぜったいにあたしがもらうからね!
「あんたにヒロインは無理よ! あたしに任せておきなさいって!」
皆本の目から涙が零れ落ちた。懐かしい親友の笑顔を思い出すと、自然と涙が零れた。
ゆってくれるじゃん! 負けたって、ベソかくなよぉ?
「その言葉、そっくりそのまま返して………やる!」
涙で声を詰まらせながらも、皆本は言葉を言い終えた。涙が止まらなかった。
神部と有馬が、皆本に歩み寄った。泣き崩れそうな皆本を、有馬がしっかりと支えた。
いつの間にか、演劇部員たちが集まっていた。
誰が言い出したわけではない。全員が同じ気持ちだった。
そして、舞台は幕を開けた。
「彼女の想いが消えてゆく………」
マーズは小さく言った。
「行っちゃったんだね」
セーラームーンは上空を見上げた。澄んだ青空がどこまでも続いている。
グランドフィナーレ。ヒロイン役の絵美菜と、恋人役を演じた皆本がカーテンコールさながらに両手を広げる。
「あたしはやっぱり出番なし、か………」
「しょうがないじゃない。変身したままじゃ」
「本番があるじゃない」
どうやらジュピターは、即席の舞台に参加したかったようだ。ヴィーナスとマーキュリーが、残念がっているジュピターを慰める。
演劇部員たちは絵美菜と皆本の後ろに立ち、同じく両手を広げる。視線は壁に向けられている。
もうそこに、「彼女」の想いは留まっていないのに。
「喜んでる」
夢は天を見上げた。その夢につられるように、彩と都夜子も上を見上げる。
「拍手が聞こえた」
涼やかな表情で、雪が言った。