scene.12


 突然の異変を、夢は道場で感じていた。
 悪寒が走り、背筋が凍るような感覚が襲ってきた。
「今のは何だ!?」
 異変を感じたのは夢だけではなかったようだ。彩を相手に打ち込みの練習をしていた雪も、動揺に異変を感じ取っていた。
「何か、変ですね」
 彩も防具を脱ぎ、訝しんだ。防具を脱いだのは、妙に息苦しかったからだ。
「きゃあ!」
 突如悲鳴を上げたのは都夜子だった。尻餅を付いて、怯えたように一点を見つめている。
「!?」
 三人が同様にそこに視線を向けると、同時に表情を凍らせた。そこには、何か得体の知れないものが蠢いていたのである。
 得体の知れないものたちが、都夜子に襲いかかってきた。
「来るなぁ!!」
 都夜子は闇雲に竹刀を振るった。何かを切断した感覚が、手に伝わってきた。
「都夜子ぉ!」
 彩が助っ人に駆け付けた。竹刀を振り回して、得体の知れない者たちを一刀両断する。
「え!?」
 自分たちでやっておきながら、ふたりは驚いてしまった。都夜子は襲いかかってきた得体の知れないものを振り払うために竹刀を振ったにすぎない。彩は都夜子を助けるために、咄嗟に竹刀を振り下ろしたにすぎなかった。
 しかし、効果があった。
「お化けだぁ! 助けてぇ!!」
 部員たちが一斉に道場から飛び出していった。だが、何故か四人は逃げ出さなかった。足が竦んで逃げれなかったのではない。逃げなかったのである。
「レイさんの『予感』が当たったってことですね!」
 夢は竹刀を握り直した。宙に蠢く得体の知れないものに向かって、毅然とした態度で対峙する。
「ああ、あの巫女さんに感謝しないとね」
 雪は自分の竹刀を見つめて言った。
 昨日、道場に現れたレイによって、四人の竹刀にはレイの法力が封じ込められていたのだ。万が一に備え、レイが「保険」を掛けていたのだが、それが見事に的中したと言うわけだ。
 悲鳴が聞こえてきた。
 四人はお互いの顔を見つめ、肯き合った。
「剣道部の威信を懸けて、あたしたちがこいつらを一掃するよ!」
 雪は号令を掛けると、真っ先に道場を飛び出していった。

 校内には得体の知れないもの―――悪霊たちが溢れていた。レイの法力が封じ込められている竹刀を手に、夢たちは果敢に悪霊たちに挑んでいた。
「さっきの悲鳴は、どこから聞こえてきたのか分かる?」
 両手に竹刀を持ち、二刀流で悪霊たちを薙ぎ払っている雪が、大声で怒鳴った。
「体育館の方だったと思います!」
 答えたのは彩だ。
「体育館には、演劇部がいるはずだわ!!」
 夢の顔色が蒼白になった。演劇部員たちは、当然戦う術を持たない。放っておけば悪霊たちの餌食となってしまう。
「よし、体育館に行くぞ!」
 雪は演劇部員たちを救うことを最優先にすることにした。そもそも今日部活を行うことにしたのは、演劇部の練習があったためである。夢にさり気なく絵美菜の護衛をさせるためには、剣道部も部活動を行っている必要があったのだ。
「キリがないわ!!」
 夢が毒突いた。悪霊たちは際限がない。斬っても斬っても、次から次へと湧いて出てくる。廊下は悪霊でひしめいてしまっている。なかなか前進ができなかった。
 背後から襲ってくる悪霊の数の方が圧倒的に多かった。走って振り切ろうにも、悪霊の方が移動スピードが早いのですぐに追い付かれてしまう。早く体育館に行ってやりたいのだが、背後から襲ってくる悪霊たちのせいで、前進することがままならないのだ。
「有栖川、坂本、草凪! あたしがここで壁になる。お前たちは体育館に行け!」
「部長、無茶ですよ! この数をひとりで相手するなんて!!」
 この場に留まる決意を口にした雪だったが、夢が慌てた。四人でも対処に困っている悪霊たちをたったひとりで相手にするなど、正に自殺行為だ。
「こんなところで時間を潰しているヒマはない! 演劇部の連中が危ないんだろう!?」
「でも!」
「部長命令だ! 行け!」
 雪は怒鳴りながら、夢の背中を押しやった。
「分かりました………」
 三人の走り去る姿をチラリと見ると、雪は竹刀を構えた。
「悪霊ども、こっから先は通さないよ! 花月 雪サマの必殺奥義、見せてあげる!!」
 吹雪のような冷気が、雪の周囲に流れた。雪の結晶が無数に舞う。
「『乱れ雪月花(せつげっか)』!!」
 二本の竹刀を同時に振り下ろす。凄まじい剣圧で、襲い来る悪霊たちを一気に消滅させた。
 レイの法力によって強化された竹刀だからこそ、できた大技である。

 夢、彩、都夜子の三人は校舎を出、渡り廊下へと辿り着いていた。その三人目掛けて悪霊たちが一斉に襲いかかる。悪霊たちは校舎の外の方が数が多かったのである。四方から襲いかかられるため、廊下で戦うより厄介だった。
 体育館は目の前なのに、僅かに手前で三人は足止めを食ってしまったのだ。体育館からは最早悲鳴は聞こえてこない。それ故に、余計に部員たちの身が気懸かりである。
「夢、行って!!」
 都夜子が叫んだ。都夜子と彩のふたりは、夢を狙っていた悪霊を叩き斬ると、その場に立ち止まった。
「ここで三人ともやられちゃったら、体育館にいる人たちは助けられないわ!」
「化け物と戦えるのはあたしたちだけなんだ。早く行って!」
 彩に続いて都夜子が言った。体育館までの距離は、もうさほどない。彩と都夜子のふたりは、夢を援護することに徹する気なのだ。
「ゴメン、ふたりとも!!」
 夢は体育館に向かって走った。

「永嶺ぇ!!」
 演劇部の部室に、皆本が走り込んできた。悪霊の渦巻校内を、ただ絵美菜の無事を祈って走り抜けてきたのである。それとも、何者かが彼女を悪霊たちの魔の手から守っていたのか、皆本は全くの無傷だった。
「あれ?」
 部室に入ってきた皆本は、素っ頓狂な声を上げた。ジュピターとマーズのふたりを無言で見つめる。
「あ、ごめん。部室間違えちゃった。演劇部は隣だった………」
 皆本はポリポリと頬を掻くと、部室のドアを閉めた。演劇部の部室の隣は、実はコスプレ同好会だったのである。ジュピターとマーズの姿を見て、コスプレと勘違いしたのだ。
 僅かに間があった。
「間違ってないじゃない!!」
 ガラリとドアが開けられ、皆本が部室に再び入ってきた。
「お前らここは演劇部の部室だぞ。コスプレ同好会は隣だ」
 ずかずかと部室の中央まで歩いてきて、皆本は無惨にも破壊されている窓ガラスを目に留めた。
「お前らぁ〜。セーラームーンごっこなら、自分たちの部室でやれ! 窓ガラスは弁償しろよ!」
「あ、いや。ごっこじゃなくて………」
 皆本の勘違いに、ジュピターは言葉を失った。マーズも困惑している。この場で漫才をしている時間は全くないのだが、立ち去るにも立ち去れない。
「しっかし、お前らの衣装地味だね〜。セーラー戦士の衣装ってのは、もっとキラキラして派手じゃなかったか?」
「あ、いや。アレはミュージカル版です。これがホンモンなんすけど………」
「あっそうなの。ところで、永嶺知らない?」
 皆本はあくまでも、ジュピターたちをコスプレ同好会のメンバーだと思っている。
「えっと、絵美菜なら下に………。げっ!」
 窓の外に目をやったジュピターが、途端に慌てた。
「ま、マーズ! 絵美菜ひとりにしちゃマズイじゃんか! 悪霊さんたちが狙ってんじゃんよぉ!」
「え!? だってさっき、セーラームーンとタキシード仮面がいたわよ」
「ドコにもいないぞ、ふたりとも」
「え!?」
 マーズも慌てて窓から絵美菜を見下ろす。絵美菜は一点を見つめたまま棒立ちになっていた。その絵美菜を遠巻きに悪霊たちが伺っている。タイミングを見計らって襲おうとしているようなのだが、絵美菜から発せられている妙なオーラを警戒して、近付けないようだった。
「先生、しっかり捕まってろよ」
 ジュピターは皆本をひょいと抱き寄せると、窓から外に飛び出した。
「うっそぉ〜〜〜!!」
 皆本は慌てたが、それも束の間だった。あっと言う間に地上に辿り着く。
「あんたたちって、もしかして本物のセーラー戦士なの?」
「さっきから、そう言ってますけど………」
 ようやく皆本は分かってくれたようだ。
「絵美菜!」
 ジュピターは絵美菜に駆け寄る。だが、絵美菜はそのジュピターには目もくれない。相変わらず一点を見つめたままである。
「あ、あのぉ………。絵美菜サン?」
「素敵だったわ………。あのマントの人………」
 恍惚とした表情で絵美菜は呟いた。
「マントの人って、タキシード仮面のこと?」
「そう。タキシード仮面様とおっしゃるの………」
「目がイッちゃってる………。どうする? マーズ」
「あたしに訊かないでよ!!」
 そう。そんなこと聞かれても困る。
「このオーラは、絵美菜の『ハマっちゃいました』パワーなわけね………」
 絵美菜を取り巻く妙なオーラを見ながら、ジュピターは項垂れた。他人の心配なんのその。絵美菜は自分の身を自分で守っていたわけである。
「おーい!」
 そんな彼女たちの背後から声が聞こえてきた。振り向くと、麻理恵と海野が駆け寄ってくる。一緒にいたはずの若木の姿はない。亜美も一緒ではなかった。
「麻理恵も無事だったか」
 元気に駆け寄ってきた麻理恵の姿を見たジュピターが言った。
「ああ、うさぎと美奈子に助けられた」
「うさぎさんは衛さんとこっちの方に来たはずです。亜美さんと美奈子さんは商業科の裏の方に行くと言ってましたよ」
 海野が素早く説明する。さすがは海野。ジュピターとマーズが知りたい情報を真っ先に教えてくれる。
「ちなみに若木さんは、爆発物処理班を呼ぶのに夢中だったので、置いて来ました」
 どうでもいいことなので、海野のこの補足は無視する。
「マーズ。商業科の裏の方へ行ってくれ。除霊の現場だろ?」
「そうね。あたしが行った方がいいわね」
 商業科の校舎の裏手に向かうべく、マーズが一歩を踏み出したとき悪霊たちが動き出した。悪霊たちの狙いは皆本と、たった今合流したばかりの麻理恵と海野である。「ハマっちゃいました」オーラに包まれている絵美菜は、悪霊たちは無視することに決めたようだ。
「あたしたちの考えが分かったのか?」
 好意的に捉えれば、そう解釈することもできる。
「みんな、このお札を。これを持っていれば、悪霊たちからは見えないわ」
 マーズはどこからともなく魔よけのお札を取り出した。皆本、麻理恵、海野の三人にそれぞれ持たせる。絵美菜は未だ夢うつつの状態なので、勝手に背中に貼り付ける。
「よし、取り敢えずこいつらは一掃しよう」
 ジュピターとしては、目の前にいる悪霊たちをこのまま野放しにしておくことはできないらしい。雷撃で一掃しようとした瞬間。
 ベベベン!
 三味線の音色が響き、扇子が宙を舞った。
 ♪ベベベ ベンベベッベ ベンベベン ベベベ ベンベベッベ ベ〜ンベベ〜ン〜〜〜♪
 どっかで聞いたことのある曲が、三味線の音色で流れてきた。
「平和な学園を乱す邪悪な悪霊ども。この『紋付き袴仮面』が許さん!!」
 ベベン ベン!
 ジュピターたちの前に、袴姿の男性が飛び出してくる。菊の御紋の入った黒っぽい袴を見事に着こなし、顔にはSMの女王様さながらの煌びやかなアイマスクを着用していた。その妙ちくりんな出で立ちに、その場にいた全員が真っ白になる。
「かんぴ〜。姿が見えないと思ったら、なにアホなことやってんだよ〜」
 ややあって、皆本が呆れたように口を開いた。
「何を言う。わたしは『神部』なる人物とは違う! 『紋付き袴仮面』だっ!!」
 ベベベン!
 神部もとえ紋付き袴仮面は、自ら墓穴を掘ったことに気が付かない。皆本は呆れたように大きな溜め息を付くと、今度は垣根の方にツカツカと歩いていった。
「ある〜。お前まで何やってんだよ〜。ってゅーか、あんた三味線弾けたんだ」
 ベベベン ベン!
 どうやら恥ずかしくて出て来れないらしい。
「セーラー戦士、すまない。恥ずかしいところを見せて」
 皆本は振り返ったが、そこにはジュピターとマーズの姿はなかった。
「ふたりともとっとと悪霊を退治して、どっか行っちゃいましたけど………」
 麻理恵が説明した。これ以上、馬鹿につき合っている時間はないと言うことらしい。

 体育館は悪霊でひしめいていた。
 演劇部員たちは隅っこに一塊りとなって、レイのくれた悪霊封じのお札を翳して、必死に耐えていた。
「みんな! 助けに来たよ!!」
 夢は竹刀を振り回す。
「夢ぇ〜〜〜!!」
 果敢に悪霊たちに挑む夢の姿を見付けると、演劇部員たちは堪えきれずに泣き出してしまった。怖かったのだ。取り憑かれるかもしれないと言う状況の中で。
 夢は正に鬼神の如く悪霊たちを蹴散らす。演劇部員たちは夢を援護してやりたくても、お札の結界の外に出ることはできない。レイもこんな状況になるとは予測していなかったので、人数分のお札は渡していなかった。この場に残っていた演劇部員八人は、たった一枚のお札に守られているのだ。
「あたしががんばらなきゃ!」
 お札の結界の中で恐怖に身を縮ませている演劇部員たちを視界の隅に捉えながら、夢は必死に悪霊たちと戦った。初めは夢が優勢かと思われていたのだが、次第に数に圧倒されてきた。剣の腕は男勝りで優秀な夢だが、体力的には女の子である。物量作戦で来られては体力が保たない。息が上がりはじめていた。
「夢ぇ! がんばって!!」
 恵利と和恵が声援を送る。今の彼女たちには、それしかできない。
「あいよ!」
 夢はその声援に笑顔を作って答えた。肩で大きく息をする。疲労でフラフラなのだが、奥歯を噛み締めて気合いを入れ直した。自分がここで倒れるわけにはいかない。自分を体育館に行かせるための盾となってくれた雪や彩、都夜子の想いに報いるためにも、ここは決して負けるわけにはいかなかった。
 汗が滴り落ちる。床に落ちた自分の汗に足を取られ、夢はバランスを崩した。この時とばかりに、悪霊たちが四方から襲いかかった。
「夢ぇ!!」
 志帆だった。夢の背中に思い切り体当たりをして、その場から弾き飛ばした。夢が今まで立っていた場所には志帆がいる。志帆は自分が身代わりになることで、夢を救おうとしたのだ。
 夢に襲いかかろうとしていた悪霊たちは、そのまま志帆をターゲットとした。悪霊たちは志帆の体を天井付近まで持ち上げると、その位置から落下させた。体育館の天井は高い。そんな位置からコンクリートの床に叩き付けられれば、命の保証はできない。
「いやぁ! 志帆ぉ!!」
「志帆ぉ!!」
 夢は耐えきれずに目をそらした。和恵がお札の結界から飛び出してきた。両手をいっぱいに広げて、落下してくる志帆の真下で身構えた。無謀だとは分かっていても、そうしないではいられなかったのだ。
「かずちゃんダメぇ!」
 落下しながら志帆が叫んだ。自分の下敷きになってしまったら、和恵も無事ではすまない。
 漆黒の影が宙を横切った。落下する志帆の姿が忽然と消える。そして、
「ムーン・ヒーリング・エスカレーション!!」
 目映いばかりの白い光が、体育館に広がった。その光を浴びて、悪霊たちは瞬く間に消滅していく。

「大丈夫か?」
 落下する志帆を空中でキャッチしたのは、またしてもタキシード仮面だった。
 タキシード仮面は志帆を抱いたまま、ふわりと床に着地する。重力を全く無視した柔らかい着地だった。
 悪霊たちはセーラームーンのヒーリング・エスカレーションの浄化能力で一掃されていた。セーラームーンは次いで片膝を付くと、右手で床に軽く触れた。
 光が床に広がった。床が僅かに白い光を放っている。
「これで大丈夫。しばらくは悪霊は入って来れないわ」
 セーラームーンは夢にウインクする。その仕草に、夢は見覚えがあった。
「あ! 月野………」
「しっ!」
 セーラームーンは人差し指を唇に当てた。夢は無言で肯いた。
「友だちを助けようとするキミの勇気、素晴らしかった」
 タキシード仮面が夢の左肩に優しく手を添える。その瞳はどこかで見たことのある瞳だった。
「あっ」
 夢は小さく声を上げた。タキシード仮面はゆっくりと肯く。
「彼女だけじゃない。キミたちもよくやった」
 タキシード仮面は志帆と和恵のもとに歩み寄る。彼女たちの肩に手を添えると、大きく肯いてみせる。志帆も和恵も、顔を真っ赤にしたまま茫然としていた。
「あとは、あたしたちに任せて。みんなは、ここを動いちゃダメよ」
 セーラームーンは全員を見回しながら言った。そして夢に向き直ると、
「十分したら、商業科の校舎の裏に来て」
 小声でそう耳打ちした。
「分かりました。先輩」
「いいえ、あたしはセーラームーンよ」
 セーラームーンは小さく微笑んだ。