ヒアデスの「歌」


「地上からてっぺんまで、五千九百六十三メートル……。呆れた高さであることには間違いないんだけど、この数字は、何か馬鹿にされているような気がするわ」
 データ的に分析をしないと気が済まない質のマーキュリーは、肉眼では見えないはずの塔の先端を見上げてぼやくように言った。ゴーグルを装着しているので、もしかするとそのゴーグルを通してならば、塔のてっぺんが見えているのかもしれない。
 ノスフェラートがゴーグルに表示されているデータを見たそうにしているが、気付かない振りをして無視することにした。横から覗こうとしたり、背後に回って首を伸ばしてみたりと子供っぽい動きをしているので、実はけっこう面白い。下から覗こうとした際は、さすがに蹴りを入れた。
「内部は……さすがにスキャンできないわね。それにしても、何のための塔なのかしら……。まるで、アンテナみたい」
「その通り。こいつは、電波塔だよ」
 ノスフェラートはマーキュリーに蹴られた鼻を撫でながら、バベルの塔の壁面をペタペタと叩いた。ちょっと涙目だったりする。
「やっぱり、実は色々と知っているのね?」
「のんびりと説明している時間はないな。先を急ぐぜ。準備はいいか?」
 不審そうなマーキュリーの視線をはぐらかし、ノスフェラートはさらりと言ってきた。
「準備はいいかって……。まさか、これを登る気じゃないでしょうね?」
「登らなきゃ、先に行けないわけだが?」
「う、うそ……」
 いったい、どのくらい登るつもりなのか分からないが、数メートルというわけにはいかないだろう。「登る」と言われると、額面通り考えてしまうのがマーキュリーだった。「飛べば楽じゃん」などという、うさぎや美奈子的な考えは浮かばない。
「ウソよね?」
 見える範囲には入口らしきものはない。固まっているマーキュリーの横で、ノスフェラートは肩を(すく)める。
「だから、俺ひとりで来たんだよ」
「……」
 マーキュリーは頬を硬直させる。血の気が引いていくのが分かった。木登りすらやったことがないのに、垂直に天へと伸びている、こんなのっぺりとした塔を登れるわけがない。だいたい、手や足を引っ掛けるような突起物がどこにも見当たらない。
「取り敢えず、水巫女が先に登りな。万が一、足を滑らせた時は、俺が下でキャッチしてやるよ」
「さ、先にって……」
 更に血の気が引いた。自分が先に登る図を想像してみる。当たり前だが、自分が先に登ると言うことは、ノスフェラートは後から登ってくると言うことである。上へと登のに下を見下ろしながら登ってくる奇特な人物はいないので、後から登ってくるノスフェラートは常に顔を上に向けていることになる。
 引いていた血の気が、急激に戻ってくる。顔が真っ赤になった。
「じょ、冗談じゃないわよ!!」
「俺が先でもいいけど、何かあったときに責任持てないぜ? 見たところ、ロッククライミングなんて経験なさげだし、木登りも不得意そうだし……。足を滑らせて宙ぶらりんになったって、上にいる俺は助けてあげられないぜ? それでもいいんなら、俺が先に行く」
「……」
 ぐうの音も出ない。
「わ、分かったわよ!」
 ふて腐れながらマーキュリーがそう言うと、どうぞとばかりにノスフェラートは手で示す。
 マーキュリーは覚悟を決めて、塔にしがみついた。しかし、指を掛けられるような出っ張りや凹みがないので、登ろうにも登れない。手足に吸盤が必要だ。ジャンプして飛びついても、ズルズルと下に落ちてしまう。
「もういいよ、水巫女」
 笑いを噛み殺したような、ノスフェラートの声が聞こえてきた。益々マーキュリーは意地になった。だが、張り付いてもしがみついても、どうやってもズルズルと下に落ちてしまう。一メートルも登ることができない。
 悪戦苦闘しているマーキュリーの背中に、
「水巫女……。あんた、意外と頭悪いな」
 と、言うノスフェラートの呆れたような声が投げ掛けられてきた。
「じゃあ、どうやって登れって言うのよ!! そんなに言うんなら、あなたが手本を見せてくれたらどうなの!?」
 逆ギレである。顔を真っ赤にして憤怒しているマーキュリーに、ノスフェラートは肩を竦めて嘆息する。首を大仰に左右に振って、「やれやれ」と言った。
「水巫女さぁ……。あんた、実は馬鹿だろ?」
「な、何ですって!?」
「こいつは電波塔って言ったろ? 地上に突き出ているそいつはアンテナ部分だ。上に行ったって何にもねぇよ。重要なのは地下の方だ」
「へ!?」
「地下に施設がある。ギルガメシュは、そっちだよ」
「……」
 マーキュリーの電子頭脳が、数秒間処理不能に陥る。
「本気にするとは思わなかったぜ。でもお陰で、面白いモン見れたけど」
「……」
「うん。実に可愛かった」
「……」
「それに、無理して自力で登らなくても、飛べばいいじゃんか」
「……」
「って、ことで。……もしもぉし! 俺の話聞いてる?」
 反応がないマーキュリーの目の前で、ノスフェラートは右手をヒラヒラとさせる。それでも反応がないので、人差し指でほっぺたをプニプニと突っつく。反応があった。
「だ、騙したのね!?」
「からかっただけだよ」
「おんなじよ!!」
「勉強ばかりしていると、馬鹿になるぜぇ。デジタルな思考は処理が早いが、臨機応変さに欠ける。人間様の頭脳はアナログ的にできてるんだ。正解を出すことが目的になっちまっていると、不正解に行き着いたときにパニックになっちまう。今の水巫女のようにな。人間様の社会は、時には不正解が正しい時もあるんだぜ?」
 ご立腹のマーキュリーをやり過ごし、ノスフェラートはとっとと先に立って歩き出してしまった。
「もう!! あなたって人は!」
 見失いそうになってしまったので、マーキュリーは慌ててノスフェラートの背中を追った。

「しかし、連中は、そんなにもこの塔を墜としたいのかな」
 エンキドゥはひっきりなしに襲ってくるバッタ人間たちの末路に呆れながら、傍らで仏頂面を下げているギルガメシュに目を向けた。
 彼らふたりがいる部屋は、天井がドーム状になっていた。天井一面がスクリーンになっていて、外の様子を映し出している。それと分かって見上げていなければ、まるで屋外にでもいるような気分になる。
 ずっと天井を見上げていたので首が疲れたのか、エンキドゥは言い終えてからコリを解すように首を一回転させた。
 ギルガメシュはそんなエンキドゥには目もくれず、スクリーンを直視したまま、
「面白くねぇな……」
 と、口をぐいっと曲げた。
「面白くないって、何が?」
「やつらの行動だよ。連中、なんであんな無駄なことしていると思う?」
 ギルガメシュは、バッタ人間たちを示すように顎を杓った。
「頭悪いんじゃない? いくら頑張ったって、外からはこのバリアは破れないのにねぇ。バリアを張っている“お姫サマ”は、ボクらがこうして守っているわけだし、あんなんじゃ千年掛かったってバリアを破ることはできないよね。それとも、もともと破る気なんてなくて、ボクらを塔に釘付けにすることが狙いだったりして……」
「何のために、釘付けにする必要がある?」
「ニビルからシャトルが発射されたのは、もう連中だって知っているはずだよ。よっぽどの間抜けじゃない限り、この星にも来るって気付くんじゃない? ましてやこの星には、銀の姫君がいる」
「ネルガルのおっさんが、気付かんわけはないか……」
「そう言うこと」
「だが、それだけでは俺たちをこの場に釘付けにする意味はない。シャトルは真っ直ぐにバベルの塔(ここ)を目指して来るわけだからな。到着まで、俺たちは動けない」
「一網打尽にする気かもよ?」
 そのエンキドゥの言葉に、ギルガメシュは答えなかった。いや、答えられなかったのだ。侵入者を知らせる警告ランプが点灯したからだ。
「アレ? どうやって入ったんだろう、この人たち……」
 床に設置されているコンソールに、十五インチサイズのモニターがあった。そこに映像が映し出される。塔の外側を監視するためのカメラからの映像だ。エンキドゥは大きい瞳をくりくりとさせた。
「セーラー戦士と……。アレレ? こいつ、ノスフェラートじゃない?」
 エンキドゥは更に目を丸くした。
「シルバー・ミレニアム直属か……。とは言え、あのセーラー戦士は、どっちの側だ? それによっては、もてなしの方法を変えなきゃならん」
「だね。ボクが行って、確かめて来ようか?」
「ああ、そうしてくれ。……いや、待て!」
「どうしたの?」
「こ、これは……!?」
 ギルガメシュ息を飲んだ。侵入者はふたりだけではなかったのだ。

 まず始めに「歌」が聞こえた。
 続いて、「変化」が訪れた。
 塔の入口を目指して移動していたマーキュリーとノスフェラートは、その「変化」にいち早く気付いた。
 ゴーグルを装着したままだったマーキュリーは、そのまま首を巡らせて「変化」を感じた方向を探る。
「粉々になっていたバッタ人間の破片が、どんどん復元しているわ!」
「それは、こっち側(・・・・)でってことか!?」
「ええ、そうよ。バリアの内側に散らばっていた破片が、パズルのように組み合わさって、バッタ人間の体を形成しているわ」
 マーキュリーが息を飲む横で、ノスフェラートは舌打ちしていた。
「連中も俺たちと似たようなことを考えていたってわけか……」
「似たようなこと?」
「俺たちは、バリアの内側に入るために、どうしたっけ?」
 ノスフェラートから投げ掛けられた質問に、マーキュリーは答えを言う前に息を飲んだ。
「じゃあ、バッタ人間たちが自爆していたのは……」
「バリアを破壊するためなんかじゃねぇ! 一端死んで、バリアの内側に入るためだったのさ」
 言いながらノスフェラートは表情を歪めて、周囲を探るように首を巡らせる。
「この『歌』か……」
 ノスフェラートは、チッと舌を鳴らした。
「まさか、『歌』でバッタ人間たちを操っている?」
「そう考えるのが打倒だな。『歌』が聞こえなくなったのは、歌い手がこの場からいなくなったわけじゃなく、歌い手の意図通りにバッタ人間たちが自爆を始めたので、ある程度の数が自爆を終えるまで、待っていただけだったのさ。で、頃合いを見計らって、今度は破片を繋げるための『歌』を歌い出した」
「たぶん、その通りね」
 ノスフェラートのその推測は当たっているだろうと考えるから、マーキュリーは異を唱えることなく同意した。
「水巫女。飛空艇に残っている連中に、歌を歌っているやつを捜し出して始末しろと伝えてくれ」
 このまま歌わせておくのは自分たちが危険だ。だが、マーキュリーは落胆した表情で首を横に振る。
「それが、駄目なのよ……」
「駄目って、何がだ?」
「このバベルの塔の影響だと思うわ。通信不能なの」
「ちっ。電波干渉かよ……。こりゃあ、楽しくない展開になってきたな」
 ノスフェラートは渋い顔をする。
「早いトコ、ギルガメシュに会いに行こう。でないと、やつのことだ。塔を守るために、俺たちごとバッタ人間どもを消滅させるぞ」
「この塔の防衛システムで?」
「ああ、とんでもなく強力なシステムらしいぜ」
「らしい?」
「バリアの内側に入って、生きて戻って来たやつぁいない。どうなってんのか、情報が全くない」
「はぁ……」
 マーキュリーは泣きたくなった。

 地上からきっちり千メートルの上空に、セーラーヒアデスはいた。この位置が、自分の歌声が最も響く絶好のポイントだったからだ。
 地上千メートルともなると風も強かったが、それは些細なことでしかなかった。風を全身に受けながらも、身は揺るぐことはない。この風はむしろ、自分の歌声を遠くまで運んでくれる。
 彼女の美しいソプラノが、美しいメロディーラインを紡ぎ出す。インセクターたちは、自分の意志通りに蘇生を始めた。
 作戦は第二段階に移っていた。今のところ、何も問題はない。だが、気になることはある。
「船」が近くに来ている。そして、その「船」の中から、幾つかの星の輝きを感じる。この星の輝きは、以前にも感じたことがある。性懲りもなく、また彼女たちが自分の元にやってきたのだ。
(愚かな者たち……)
 ヒアデスは歌いながら、僅かな失望感に心を痛めていた。

「歌」が再開されたことは、飛空艇タンプリエに残っていた面々も察知していた。真っ先に気付いたのはネプチューンだった。次いで、残りの三人も気付いた。
「あいつ、まだこの場にいたのか……」
「それか、戻って来たか」
 ウラヌスの呟きに続けて、アスタルテが自分の考えを口にした。
「どっちでもいいわ。タンプリエ。この『歌』を歌っている相手がどこにいるのか、特定できる?」
 ネプチューンは既に考えを切り替えていた。「歌」が聞こえていない間、相手がどこで何をしていたのか推測するよりも先に、この場にいることが判明した今、やるべきことがあるはずだ。
「はいです! 既に位置の特定はできています。スクリーンに投影します!」
「お利口さんね、タンプリエは」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
 どこに隠れているのか分からないが、元気のいいタンプリエの声が響くと、新たな“シャボン玉スクリーン”が現れた。合計三つに増えた。ちょっと邪魔だが仕方がない。
 新たに出現した“シャボン玉スクリーン”には、この辺り一帯の地形が3Dモデルで映し出された。「歌」の主の位置が、キラキラと光る可愛いお星様のアイコンで示されている。地表上ではない。予想はしていたが、やはり宙に浮いている。
「それにしても、この『歌』に何の意味があるのかしら……?」
 アスタルテは改めて耳を澄ませる。自分たちは、特に「歌」の影響を受けているとは思えない。だとすると、この「歌」は自分たちに向けられたものではないと推測できる。
「粉々になったバッタ人間さんたちを繋げる歌です」
「歌」の解析まで済ませていたらしいタンプリエが、即座に答えてきた。
「?」
 とは言え、三人ともタンプリエの言葉の意味が理解できずに首を捻る。額に「?」マークが浮かんでいる三人に向かって、タンプリエは言葉を続ける。
「バリアの中で、バッタさんたちが元気に飛び跳ねてます」
「……ごめん、タンプリエ。あんたの説明を完璧に理解したわけじゃないんだけど、その状態って、もしかしてマーキュリー(あみ)たちが危険ってことじゃないか?」
 額にうっすらと青筋を浮かべて、ウラヌスは尋ねた。こんなに、のんびりとしていていい状況ではないような気がしてならない。
「はい! とっても危険だと思います!」
 自信たっぷりに、タンプリエは答えてきた。自分の説明で状況を理解してもらえたので、とても嬉しそうだ。
「推測なんだけど……」
 ウラヌスの堪忍袋の緒が斬れそうだったので、すかさずネプチューンはフォローを入れた。ウラヌスの剣幕に怯えてしまって、タンプリエが本来の役目を果たしてくれなくなったら一大事である。
「あのバリアを突破するためにバッタ人間たちは自爆をしていて、どうしてそうなるのか理由は分からないけど、バリアの内側に入り込んだ破片を、あの『歌』が影響して繋ぎ合わさって、しかも繋ぎ合わさったバッタ人間たちは元通り元気に活動を再開しているってことなのよね?」
「はい! その通りです。お姉様!」
「凄いじゃないか、ネプチューン(みちる)。いい母親になれるよ。あたしは、子供は苦手だ」
 ウラヌスは幻滅したような表情で、がっくりと項垂れた。そう言えば、子供の頃のほたるの面倒を、みちるが一番見ていたような気がする。自分では訳の分からなかったほたるの言葉を、みちるはきちんと理解していた。改めて自分は、母親向きではないと思った。だからあの時も、父親役をやっていたのだ。
「粉々になると、バリアの内側に侵入できるようになるっていうところが、あたしには理解できないんだけど」
 納得できないという風に目をパチパチとさせながら、アスタルテは言ってきた。
「あたしにも分からないわ。きっと、ノスフェラートが説明してくれるわよ。無事に合流できたらの話だけど」
 タンプリエが説明を開始する前に、ネプチューンは答えていた。きっとまた、要領を得ない説明をしてくるに決まっている。今度こそウラヌスが怒り出すかもしれないので、この場はタンプリエに説明をさせてはいけないと判断したからだ。
「この『歌』が影響しているって考えでいいのか?」
 右手の人差し指で空を差しながら、ウラヌスが訊いた。
「はい! 今聞こえているのは、『バッタさんたちが元気になる歌』です」
「さっきとは違うのか?」
「さっきまでのは、『バッタさんたちに頑張ってもらう歌』です」
「ち、違いが分からんかった……」
 項垂れるウラヌスに、
「メロディーラインが全然違ってたじゃない」
 横でネプチューンがダメ出しをする。次いで、ネプチューンは姿の見えないタンプリエに声を投じる。
「この『歌』をやめさせれば、バッタ人間たちの再生は止まると考えていいのよね?」
「はい! お歌を妨害すれば大丈夫なはずです」
「……はずかよ……」
 ウラヌスはぼやく。確信がないままに動くのは、どうも不安でならない。とは言え、可能性があるのなら動くしかない。ウラヌスはアスタルテに、「行くぞ」と目顔で合図を送る。
「まぁいい。とにかく、あいつのところに行って、叩き潰してくる」
 しかし、ネプチューンがそれを制する。
「待ってウラヌス(はるか)。その必要はないかもしれないわ」
「なぜ?」
「あたしに試させて」
 何をする気だと、目顔で尋ねてきたウラヌスに、ネプチューンは意味ありげに微笑む。アスタルテも興味深げな視線を向けてきた。タンプリエからの熱い視線も感じる。が、相変わらず姿は見えない。
 ネプチューンは一呼吸置くと、両手を空に翳した。その手の中に、光のヴァイオリンが出現する。
「ヴァイオリンの音色で、やつの『歌』の効果を打ち消そうってわけ?」
 ウラヌスは疑わしげに、眉間に皺を寄せた。
「まぁ、見てて……じゃないわね。聴いてて」
 ネプチューンはにっこりと微笑んでから、優雅に演奏を始めた。