バベルの塔


 紺碧の空を高速で移動する物体があった。ずんぐりむっくりとした流線型のその物体は、子供が好きそうなカラフルなカラーリングが施されている。
 飛空艇タンプリエである。
 決して広いとは言えないブリッジの中央に、直径二メートルあまりのシャボン玉のような球体が浮かんだ。その球体の中に、立体映像が映し出される。天空へと一直線に伸びている細長いその塔を、ノスフェラートはバベルの塔と呼んだ。
 バベルの塔は不可視のバリアで守られていた。そのバリアを破ろうと、無数の黒い物体が取り付いては自爆を繰り返していた。
 聞こえていた「あの歌」は、今は聞こえなかった。やつ(・・)の気配も感じない。何らかの理由があって、この場を離れたのかもしれない。
「あいつの気配が消えたというのは、残念だと言うべきか、それともラッキーだと言うべきか……」
 ウラヌスはなんとも複雑そうな表情をした。決着を付けたい反面、あの「歌」に対して対策を講じていないと、勝負にすらならないような気がしているのである。訳も分からないまま惨敗するのは、御免被りたい。
「こいつらを相手にすることを考えたら、あいつひとりの方が戦いやすかったかもしれない」
 アスタルテは右手の親指を突き立て、“シャボン玉スクリーン”に映っている黒い物体を自分の肩越しに示した。
 彼女たちは全員、既にセーラー戦士に変身していた。戦う準備は整っているが、何をするべきなのか判断に迷っていたのだ。
「ノスフェラート。バベルの塔とは連絡が取れないの?」
 マーキュリーは傍らのノスフェラートに訊いた。ノスフェラートは何が面白くないのか、仏頂面をして腕を組んでいた。
「無理だな。連中の使っている回線が分からない」
 ノスフェラートは仏頂面を崩さずに、鼻を鳴らした。マーキュリーは怪訝そうな表情になった。
「仲間でしょ?」
「共闘できるかもしれないと思っているだけで、今は仲間じゃない。まあ、全然面識がないわけではないんだが……」
「何よ、それ」
 マーキュリーは呆れてしまった。ノスフェラートの言っていることが冗談でなければ、自分たちは敵になるかもしれない相手に、はるばる会いに来たということになる。しかも、完全に敵対している相手もこの場にいるのだ。下手をすると、敵が二者になるということもあり得るわけだ。
「となると、危険を冒してまで助ける必要はないと言うこと?」
 アスタルテは冷ややかだ。
「実際に戦うのはあんたたちだ。あんたたちの意志に任せるよ」
「無責任な人ね!」
 マーキュリーは呆れるのを通り越して、完全に怒ってしまった。
 そんなやり取りを静観していたネプチューンは、どうするの? という風にウラヌスに目を向けた。
「敵さんの方が、ほっといてくれないと思うよ?」
 ウラヌスの言った通りである。黒い物体の幾つかが、こちらに気付いて急接近してきた。
「おい、タンプリエ。あの黒いヤツは何だ?」
 どこにいるとも分からないタンプリエに、ノスフェラートは声を投じた。ブリッジはそれ程広くはないし、身を隠す場所が多いわけでもない。それなのに、タンプリエの姿はどこにも見えなかった。しかし、このブリッジのどこかにいるはずだ。
「は、はいっ。拡大しますっ」
 タンプリエの声が、意外にも間近で聞こえた。ウラヌスが振り返ると、小さい影が動いたように見えた。どうやら、ウラヌスの背後にいたらしい。しかし、彼女が振り向いてしまったから、タンプリエはまたどこかに移動してしまった。
 ウラヌスがつまらなそうに鼻を鳴らして正面に向き直ると、“シャボン玉スクリーン”がふたつに増えていた。後から投影された方のスクリーンに、黒い物体が拡大して投影されている。
「お〜お。何だろうね、これは」
 ウラヌスは、わざとらしく目を大きく見開いた。
「昆虫のように見えますね。人間と昆虫あいのこ(・・・・)みたい」
 マーキュリーは冷静に分析する。頭があり、二本の腕と二本の足。全体のシルエットは人間のそれに近いが、目は昆虫の如き複眼。口はバッタかカマキリのようだ。半透明のフィルムのような羽を持ち、細かく震動させて飛行していた。
「バッタ人間とでも言えばいいのかしらね」
 ネプチューンのその印象は、なかなか的を射ていた。取り敢えず、呼称は必要だから「バッタ人間」と呼ぶことにした。
「体長は約百五十センチ。個体によって多少の差異はあるけど、平均するとそのくらいですね。知能はあまり高くないみたいですね。殆ど本能で行動しています」
 マーキュリーは素早い。既にポケコンを操作して、バッタ人間の分析を始めていた。
「インセクターです」
「インセクター?」
 タンプリエが言ってきたので、マーキュリーはオウム返しに聞き返していた。
「この星の生物ではありません。どこか別の星から連れてこられたのだと思います」
「地球外生命!? そんなものが存在……」
 するの、と言い掛けて、マーキュリーは思い留まった。地球外の生命体なら、既に自分たちは何度も遭遇していた。あらためて驚くようなことではなかったからだ。
「タンプリエ。このバッタ人間さんたちは、地球で言うところの“昆虫”の進化形と考えていいのかしら?」
 ネプチューンが尋ねた。
「はい。非常に似ています」
 タンプリエは「同じ」だとは言わなかった。似てはいるが、DNAレベルで考えると、幾つかの相違点があるのだろう。
「連中、こっちに気付いたみたいよ」
 アスタルテが言った。バッタ人間たちが一塊となって、こちらに向かってきている。
「数はピッタリ五十ですね」
 タンプリエは計測した。冷静と言えば聞こえがいいが、どちらかと言えばまるで他人事である。
 バッタ人間が数体、〈タンプリエ〉の船体に取り付いた。と、同時に自爆をする。船体が小刻みに揺れた。大した揺れではないので、それ程影響はないのだろう。船と一心同体のタンプリエが痛がっていないところから察すると、船体に傷すら付いていないのかもしれない。とは言え、黙ってされるがままになっているのは間抜けである。
「タンプリエ! バリアを貼るなり、打ち落とすなり、逃げるなり、とにかく何かしろ!!」
 ウラヌスは慌てて怒鳴った。ぼーっとするにも程がある。
「は、はい! ごめんなさい、ごめんなさい! ………ところで、どれがお好みですか?」
「それくらい、自分で考えろぉ!! ぜーはー、ぜーはー……」
「ご、ごめんなさいぃぃぃ〜〜〜!!」
 ウラヌスに怒られたタンプリエは、泣きながらその三つのことを同時に行った。つまり、自らの周囲にバリアを貼り、バッタ人間を迎撃しつつ後退してみせたのである。
「やりゃできんじゃん……」
 ぐったりしているウラヌスの肩を、ネプチューンが叩いて慰めた。
「あれ? ノスフェラートは?」
 ブリッジ内をキョロキョロと見回し、マーキュリーは言った。いつの間にか、ノスフェラートの姿が見えない。目が合ってしまったアスタルテも肩を(すく)めた。
「タンプリエちゃん。あなた、ノスフェラートを知らない?」
「あ、はい。さっき外に出て行きました」
「外って?」
「はい、お外です」
「……」
 マーキュリーの思考が一瞬停止した。しかし、すぐにリセットされて再起動する。
「もしかして、船の外ってこと?」
「はい、そうです」
「な、何しに!?」
「わ、わたしには分かりませんっ」
 当然だろう。マーキュリーは項垂れた。ノスフェラートの行動は、全く理解に苦しむ。
「彼の居場所は分かる?」
 彼女に責任はないので、タンプリエを叱るわけにもいかない。マーキュリーは努めて優しく、タンプリエに問い掛けた。
「はい! 位置はトレースしてますから、正確に分かります」
「じゃあ、あたしのところに転送してくれる?」
 マーキュリーは左耳のピアスに軽く振れ、ゴーグルを出現させる。ピアスがスイッチになっているのだ。
「はい! 了解です!!」
 元気のいい、タンプリエの声が返ってくる。次の瞬間、目の前の空間が揺らいだような気がした。
「?」
 マーキュリーは首を傾げた。

「……」
 状況の把握が、すぐにできなかった。マーキュリーとタンプリエのやり取りを見ていたウラヌス、ネプチューン、アスタルテの三人は、揃って呆気に取られていた。目の前にいたマーキュリーが、忽然と姿を消してしまったからだ。
「バ、馬鹿ぁ!!」
 ややあって、ようやく状況を理解したウラヌスが、大慌てで怒鳴った。
マーキュリー(あみ)の方を転送してどうすんだ!?」
「え?」
「ノスフェラートの位置データを、マーキュリー(あみ)のゴーグルに転送するんだ! マーキュリー(あみ)の方をノスフェラートのところに転送して、どうすんだよ!?」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!!」
 どうやらタンプリエは、思い切り勘違いをしてしまったらしい。とは言え、後の祭りである。
マーキュリー(あみ)のところに、あたしを転送しろ! もしくは、直ちにマーキュリー(あみ)を回収しろ!」
「いや、ウラヌス(はるかさん)。こっちを片付けてからでないと、駄目かもしれない」
 アスタルテは“シャボン玉スクリーン”を示した。バッタ人間の中に、見覚えのあるシルエットが浮かんで見える。
「セーラーヒアデス……」
 ウラヌスは目を細めた。

「えっと……。あれ?」
 状況が理解できなかったのは、マーキュリーも同じだ。気が付けば密林の中、ノスフェラートの背中が見えるとあっては、さすがのマーキュリーの頭脳も、一瞬フリーズしてしまった。転移の後遺症だろうか。意識を無くしていたような感覚が残っていた。少しの間、思考がぼやける。
「な、なんだぁ!?」
 背後に気配を感じて振り向いたノスフェラートが、頓狂な声を上げて目を丸くする。
「なんで、水巫女(みずみこ)がいるんだよ!?」
「あたしの方が知りたいわよ!! 説明して!」
 混濁していた意識が、一気にはっきりとした。
「お、俺が知るか!!」
 ずいっとアップで迫ってきたマーキュリーに、さしもノスフェラートもたじろいだ。混乱しているマーキュリーの八つ当たりである。
「だいたい、あなたが勝手な行動をするから、こんなことになるのよ!」
 とばっちりではあるが、一理あるので反論できない。と、言うより、反論したら火に油だ。ノスフェラートは、ぐっと堪えた。
(さては、タンプリエのやつが、またボケをかましたな……)
 なんとなくだが、想像できた。ノスフェラートは困ったように首筋を掻いた。
「まぁ、いいや。水巫女は、ここで大人しくしてな」
「ここで……?」
 マーキュリーは周囲を見回す。名も知らない木々が鬱蒼と生い茂っている。いっぱいに伸びた枝葉が頭上を覆っているので、陽の光が自分たちのところまで届かない。ジメジメとした空気が肌にまとわり付き、時折得体の知れない動物の鳴き声が、複数の種類聞こえてくる。マーキュリーは身震いした。
「虎はいないと思うが、豹はいるかもしんない」
「え!?」
「大丈夫だ。腹さえ空かしてなけりゃ襲われることはない」
「……」
「じゃ、そういうことで。用が済んだら、迎えに来てやるよ」
 ノスフェラートはマーキュリーに背を向けると、右手を挙げてヒラヒラとさせた。マーキュリーは慌ててそのノスフェラートを呼び止める。
「よ、用が済んだらって……。あなた、今度は何をする気なの?」
「バベルの塔に行って、ギルガメシュに会ってくる」
「どうやって!?」
「歩いていくさ。もちろん」
 ノスフェラートは一方を指し示した。近すぎてすぐに分からなかったが、歩いても五分と掛からない場所に、天に(そび)える細長い塔があった。バベルの塔である。
「じゃあ、ここってバリアの内側?」
「そうさ」
 当たり前のことを訊くなという表情で、ノスフェラートは答えて来た。しかし、マーキュリーは納得できない。
「あのバッタ人間さんたちが、一生懸命バリアを破ろうと自爆している中で、こんなにも簡単に転送で入って来れちゃっていいわけ? 何のためのバリアなの!?」
 マーキュリーが疑問に感じるのも当然だった。テレポートで侵入できてしまうのなら、転移能力を持つ相手なら、誰でも侵入できてしまうということだ。敵には転移能力を持っている者もいるので、自分たち同様簡単に入って来れるはずだ。バリアを破るために、バッタ人間たちを無駄に死なす必要はないはずだ。
「バッタ人間どもを見ていれば分かるように、普通じゃ入って来られない。ちょっと特殊なことをやったのさ、タンプリエは」
「特殊なこと?」
「そのご自慢のゴーグルで、バリアに張り付いて自爆しているバッタ人間どもの行く末を、よぉく見てみな」
「バッタ人間の行く末?」
 ノスフェラートの言っている意味が理解できなかった。マーキュリーは言われたとおり、ゴーグルを通してバリア付近の解析を始めた。映像を拡大する。バッタ人間たちはバリアに体を密着させると、瞬時に粉々に砕けている。飛び散った肉片が、重力に引かれて地面へと落下する。
「?」
 飛び散った肉片を追ったマーキュリーは、妙なことに気付いた。
「バリアの内側に入ってきている?」
 そうなのだ。粉々に砕けた肉片の一部が、バリアの内側にも侵入してきているのである。
「分かったかい?」
 満足そうに、ノスフェラートが言ってきた。マーキュリーはゴーグルを装着したまま、ノスフェラートに顔を向けた。ニイッとノスフェラートが笑う。
「あのバリアは、生命反応を持った者の侵入を阻む精神バリアなのさ。だから、連中がいくらがんばったって、生きている間(・・・・・・)にはこっち側には入って来れないのさ。もちろん、精神バリアなので、バリアを構成している術者が死なないかぎり、あのバリアが消滅することはない」
「じゃあ、ミサイルか何かなら攻撃できちゃうんじゃない?」
「あれだけのバリアが張れるんだ。その他の装備を何もしていないと思うのか? 防衛システムは万全だよ。ミサイル程度を打ち落とすのは造作もない。一見したところ、ただ天に向かって突っ立っているだけに見える塔だが、実は難攻不落の要塞なのさ」
「で、でも、それならどうやってあたしたちは入って来れたの? あたしたち、生きてるわよ? あのバリアが物理エネルギーじゃなくて精神波を応用したバリアなら、テレポートにも反応するはず。タンプリエがどんな方法を使ったのかは分からないけど、あなたの言うことが本当なら、生きているあたしたちがバリアの内側にいるのはおかしいわ」
「こっちに転移されたとき、ちょっとばかり妙な気分にならなかったか?」
 ニヤニヤした笑いを浮かべながら、ノスフェラートは言ってきた。なんだか、とても楽しそうだ。隠している「秘密」が、余程突拍子もないことなのだろう。
「転移されたとき?」
 マーキュリーは数分前のことを思い返してみる。思考がぼやけて、一瞬だけ意識が白濁となったような気がしたが、特に不思議な体験をした覚えはない。
「“天才”と(うた)われた水巫女も、こればかりはお手上げかい?」
「う〜〜〜」
 とても馬鹿にされた気がするので、マーキュリーとしては面白くない。しかし、どう考えても分からない。降参するしかないようだ。
「転移する瞬間、仮死状態になったのさ」
「え!?」
「タンプリエは、俺たちを瞬間的に仮死状態にしてから、バリアの内側に転移したのさ」
 ノスフェラートはさらりと言ってのけた。
「そ、そんな危険なこと!」
「だから、俺だけがこっちに来たんだよ。万が一ってこともあり得るからな」
「……」
 マーキュリーは絶句してしまった。つまりは、バリアを通過する間のほんの一瞬だけのこととは言え、自分は一時的に死んでいたのと同じ状態になっていたと言うことになる。もし、転移に失敗していたら、自分はタンプリエの勘違いで永久に目覚めないところだったのだ。マーキュリーは、現実逃避したい気分になった。
「バリアがいつまで保つか分からんが、まだしばらくは大丈夫だろう。ひとりでここにいても危険はないと思うぜ。じゃ」
「じょっ、冗談じゃないわよ! ここまで来たら一緒に行くわよ!」
「いいよ、足手まといだから」
「なっ……」
 再びマーキュリーは絶句してしまった。直接的な戦闘能力は低いかもしれないが、自分はセーラー戦士である。足手まといだとは聞き捨てならない。ノスフェラートがどれだけの能力を持っているか知らないが、セーラー戦士より能力が上だとも思えない。
「失礼ねっ! あたしだってセーラー戦士よ!? 馬鹿にしないで!」
「俺と一緒の方が、ある意味キケンかもしれないぜ?」
 ノスフェラートは口元を横に広げて、ニィッと笑った。
「うっ……。それはあるかもしれない……」
 ノスフェラートは冗談で言ったのだろうが、マーキュリーは素直に受け止めた。確かに、この男とふたりきりで行動するというのは、別な意味で危険を伴うかもしれない。とは言え、この場でひとりでボーッとしているのも間抜けに思える。
「と、とにかく一緒に行くわよ!」
「へいへい、分かりました」
 大仰に肩を竦めるノスフェラートに、
「ただし、あたしに変なことをしたら、問答無用で凍らせるからね」
「おお、恐っ」
 ノスフェラートは身震いしてみせる。「変なこと」の基準がよく分からん。とにかく、全ての行動を自粛した方がよさそうだ。
「触ってもNGよ」
 マーキュリーは念を押した。