宇宙港
爆煙が立ち上り、重火器の炸裂音が響く。
細長い通路をマシンガンで武装した者たちが数人、荒々しい足音を響かせて走る。
「管制室を制圧しちまえばこっちのもんだ。急ぐぞ!」
先頭を走っている男が、僅かに首を後方に巡らしながら叫んだ。彼に従っている者は七人。うちふたりが女性だった。
「キゼル!」
携帯無線機らしき装置を手にした女性が、先頭を走っている男を緊張した声で呼んだ。
「支援部隊沈黙しました!」
「構わん! このまま進む!」
正面ロビーでがんばってくれていた支援部隊からの連絡が途絶えたということは、どちらにしても前進するしかない。あとは、支援部隊を壊滅させた敵部隊とのスピード勝負だ。敵部隊が追い付いてくる前に、管制室を制圧しなければならない。
ハルザグ宇宙港は、惑星ニビル上に点在する宇宙港の中にあって、数少ない惑星間航行が可能なシャトルが発着する宇宙港だった。とは言っても、他の惑星と頻繁に交流をしているわけではないから、「可能だ」ということだけで、本来の目的に使用されることは極めて少ない。せいぜい、ニビルの七つの衛星間の往来に利用される程度だった。だから惑星間航行が可能なワープ機能を搭載したシャトルも、二機しかこの宇宙港には存在しなかった。そのうちの一機を、仲間たちが制圧している。それを打ち上げるために、キゼルたち突入部隊が管制室に向かっているのだ。
皇帝軍の動きは素早かった。シャトルを奪取し、突入部隊がロビーに入った頃には、本部から主力部隊が救援に到着したとの情報が入った。キゼルは皇帝軍の主力部隊との交戦に備え、部隊をふたつに分けた。ナジをリーダーとする七名をロビーに残し、支援部隊とした。その支援部隊が僅かな時間で壊滅してしまったらしい。
「急げ!」
仲間の死を悲しんでいる時間はない。自分たちが急がなければ、シャトルを占拠している仲間たちの身も危うくなってくる。
管制室の扉が見えた。予め入手していた見取り図通りだ。内部からロックされているのか、自動扉のはずだが、扉の前に立っても開く気配がない。最も、そんなことは予想される想定範囲内だから、誰ひとりとして慌てる者はいなかった。
キゼルは素早く部下に指示を出す。事前に打ち合わせがしてあるので、部下たちも次に自分たちが何をすべきなのか心得ている。手際よく、扉にプラスチック爆弾をセットする。
「センサーが敵を確認。あと五分で追い付かれます」
先程報告してきた女性が、再び緊張した声を上げた。自分たちが通過してきた通路には、センサーをバラまいてきている。そのセンサーが、味方の識別信号を発していない物体の通過を感知したのだ。味方ではない―――即ち、敵である。
(あと五分……)
キゼルは心の中で舌を打つ。例えこのまま順調に管制室を占拠できたとしても、五分でシャトルを打ち上げることはできない。仲間たちが占拠しているシャトルは、まだエンジンに火が入っていないはずなのだ。
小さな破裂音が響く。プラスチック爆弾が爆発した音だ。思案を巡らせていたキゼルは、弾かれたように顔を上げた。扉がゆっくりと、向こう側に向かって倒れていくところだった。
キゼルは肯く。部下たちは素早く、管制室に飛び込んだ。
「あれれ!? お姫さんは一緒じゃなかったのか……」
何とも落胆したような声が響いてきた。緊迫した場面に不釣り合いなほど、呑気な声だ。管制室の奥の方から聞こえてきた。
「くっ……!」
キゼルは舌を打った。よりによって厄介な相手と出会したものだ。淀んだ土気色の表情の中にあって、瞳だけは異様に炯々と輝いているこの男は、シャルガズといった名だと記憶している。この男によって、何人もの仲間が惨殺されていた。憎むべき相手のひとりだ。
「エマ」
キゼルは携帯無線機を持っている女性の傍らに即座に移動し、囁きかける。
「シャトルに取り付いている連中に撤退命令を出せ」
「え!?」
「脱出が可能なうちに脱出させる。犠牲は少ない方がいい……」
「了解しました」
エマはシャルガズを警戒しながら、そっと肯いた。
ふたりがそんなやり取りをしている間、シャルガズはその炯々とした瞳で自分たちを物色するように見、そして不満そうに鼻を鳴らした。
「なんだよ、こっちにはお姫さんはいないのかよ……。ってことは、お姫さんをどこかに逃がそうって計画だったってことか? お姫さんはあっちか?」
シャルガズは管制室の窓から見えるシャトルを、顎でしゃくって示した。キゼルは無言を貫いた。答える義務などないからだ。
管制室にはシャルガズがひとりでいる以外、当然この場にいるべきはずのスタッフの姿が全くなかった。既にこの場から退去してしまったらしい。この手際の良さは、シャルガズの指示ではないはずだ。シャルガズは直情的なタイプだ。厄介な相手には代わりはないが、行動パターンはそれほど多彩ではない。ある意味、予想の範囲に収まる動きをする。しかし、自分たちの襲撃開始からの僅かな時間でスタッフ全員を退去させ、尚かつシャルガズを管制室に残しておくほどの手際を見せた相手がいるとなれば、自分たちが生き延びられる確率は極端に低くなる。
「みんな、すまんな。脱出は諦めてくれ」
キゼルは小さくそう呟くのがやっとだった。仲間たちは肯いた。もとより、脱出するつもりなど毛頭なかった。自分たちは「捨て石」なのだから。
だが、自分たちにはまだやるべき事がある。「時間稼ぎ」という重要な任務が。
「たったひとりとは、大した自信だな」
キゼルはわざと挑戦的に言った。窓外に顔を向けていたシャルガズが、正面に向き直った。
「雑魚は束になっても雑魚に代わりはねぇ。ナメんな」
シャルガズがククッと笑ったと同時に、三人の仲間の命が瞬時に絶たれた。耳障りな羽音が聞こえてきた。
体長五センチほどの蜂に似た昆虫が数匹、キゼルたちの周囲を飛び回っていた。毒々しい黄色と黒の斑模様で、足は異常に長く胴は細い。“蟲使い”シャルガズの下僕どもだ。シャルガズはニイッと顔を緩め、舌をベロリと出した。その舌の上にも、黄色と黒の斑模様の蟲が蠢いていた。シャルガズは、その体内に無数の蟲を飼っているのだ。
「俺の手下たちは容赦しないぜ。まぁ、男しか襲わねぇがな。女を襲うのは、俺サマの担当だ」
シャルガズは、下卑た視線をふたりの女性に向けた。怯えるかと思いきや、ふたりの女性は反対に睨み返してきた。
「いいねぇ、その表情。そそられるねぇ。食っちまいたいくらいだ」
嫌らしい笑いを浮かべながら、涎を拭う素振りを見せた。虫たちを警戒しながら、キゼルは身構えた。その背中に声が投じられてくる。
「アンはどこだ?」
顔を向けると、管制室の入口に少女がひとり立っていた。シンである。
「ちっ」
キゼルは舌を鳴らした。なるほど、シンがいたとなるとこの手際も納得できる。まだ若いが、彼女は皇帝軍でも指折りの策略家だと聞いている。
「ひとりで支援部隊を壊滅させて来るとは、さすがだな」
「誉めてくれるのは嬉しいけど、あなたたちのレベルと一緒にしてもらっては困るわよ」
「違げぇねぇ! 俺たちゃ特別だからよっ」
シンの言葉を受けて、シャルガズは愉快そうに笑った。
「アンはどこだ?」
シンは重ねて問い質してきた。
「ん? お姫さんは、シャトル( じゃねぇのか?」)
「シャトルにはいなかった」
「!?」
そのシンの言葉を耳にして、キゼルは愕然となった。既にシャトルは、シンによって奪還されていたのだ。となると、突入部隊で生き残っているのは、もう自分たちだけだということになる。シンはシャトルを真っ先に奪還し、支援部隊を瞬時に壊滅させ、この管制室まで自分たちを追ってきたのだ。いや、自分たちはこの管制室に追い込まれて( しまったのだ。)
「お前たちの仲間は、まだ生かしてある。しかし、お前の返答如何では、彼らの生命は保証できない」
「手ぬるいぜシン。とっとと殺しちまえよ、見せしめによ」
「あんたは黙ってて!」
ピシャリとシンが怒鳴ると、シャルガズは鼻を鳴らして口を閉じた。自分の方が序列が上だということを忘れてしまっているらしい。蟲たちはシャルガズの周囲に集まってくる。
「アンと交換だ。アンを渡せば、仲間たちを解放してやる。もちろん、お前たちも殺さずに解放してやる」
「姫様を渡せとは笑止な。姫様は、ご自身の意志で我々の側にいらっしゃるのだ。勘違いも甚( だしい」)
「アンを唆( しておいて何を言うか!! アンが弟君であられる陛下と袂) ( を分かつはずがない!」)
「どうして、そう言い切れるんだ?」
「なに!?」
「おめでたいな、あんたは……。何も知らないんだな。まぁ、だからアナキムなんかに仕えているんだろうがな」
「なに!?」
「姫様が弟であるアナキムと袂を分かつには、それ相応の理由があるってことさ」
「理由だと?」
「ああ、そうさ。姫様はな、ネ……」
キゼルの言葉はそこで途切れた。シャルガズの“蟲”が、キゼルの首筋から飛び上がる。
「てめぇ、気に食わねぇ」
「シャルガズ!」
蟲たちは、通信機を持ったまま硬直してしまっているエマの周囲に集まってきた。お尻から鋭い針を突き出し、女性の周囲を威嚇するようにホバリングしている。
「お前は手緩いって言ってんだよ、シン! さぁ、吐いちまいな。お姫さんはドコに隠れてるんだ? 言わねぇと、食っちまうぞ」
そんな状態だというのに、エマは平然としていた。それが定められた自分の運命であるかのように。生き残っている彼女の仲間たちも、彼女を助けようとする素振りさえ見せない。
(妙だ……)
シンは考える。
(こいつらのこの落ち着きはなんだ? 作戦は失敗したんだぞ?)
思い返してみると、入口で戦った連中の動きもおかしかった。必死で抵抗を試みるというよりは、適度に攻撃をして時間を稼いでいる風でもあった。その時は、自分を管制室に向かわせないようにするための時間稼ぎをしているのだと思っていたが……。
(時間稼ぎ!?)
シンの頭の中で何かが閃いた。シャトルに搭乗していたのも雑魚ばかりだ。あんな雑魚を脱出させるために、危険を冒してわざわざ宇宙港を襲撃するなど考えられない。だからシンは、制圧部隊の方にアンがいると思っていた。しかし、その部隊にアンの姿はなかった。そしてこの連中は、作戦が失敗したにも拘わらず落ち着いている。まるで、作戦の成否など関係ないかのように。いや、作成は成功したのだ。彼らは自分たちの役目を充分に果たした。「時間稼ぎ」という役目を。
「エンリル様!」
シンは慌てて左手首に装着しているブレスレット型通信機のスイッチを入れて、宮殿を呼び出した。
『どうした?』
すぐにエンリルが答えてきた。
「こちらは囮です! 連中の狙いは、別の宇宙港です!」
『何だと!?』
エンリルがオペレーターと慌ただしくやり取りをしている様が、通信機を通して伝わってくる。ややあって、エンリルのくぐもった声が返ってきた。
『ガストの宇宙港と連絡が取れない……』
「くっ!」
シンはそのまま顔を上げる。
「アンはそっちだね!?」
そう確かめようとしたが、それはできなかった。残っていた襲撃者たちは、既にシャルガズによって全員殺されていたからだ。
ガスト宇宙港は静寂に包まれていた。
管制室の制圧は、既に二十分も前に完了していた。投降した職員たちは、今は全員ロビーに集められている。
抵抗は思ったより少なかった。と言うより、エンキの手際を誉めるべきなのかもしれない。
静寂に包まれた通路に、ふたりの男女の足音だけが響く。
「連中も馬鹿ではない。そろそろあちらが囮であることに気付く頃です。急ぎましょう」
エンキは傍らのアンフィニアを促した。実直そうなその青年はアンフィニアの片腕であり、“レジスタンス”の実質的なリーダーだった。
「分かっているわ……。でも……」
自分たちの行動をカモフラージュするために、囮としてハルザグ宇宙港に向かった仲間たちの身を案じているのだ。彼らとて猛者である。宇宙港を制圧するだけならば問題はないだろうが、強大な皇帝軍とまともに戦えるだけの戦力は投入していない。皇帝軍本隊が到着すれば、あの少人数ではひとたまりもないだろう。アンフィニアは歩調を緩めることなく、表情だけを曇らせた。エンキの歩く速度に付いていくためには、小走りに近い形になってしまう。彼女の灰色の髪が肩で躍る。
「彼らは自ら志願してハルザグに向かったのです。彼らの覚悟を無駄にするわけにはいかないのですよ?」
エンキの言葉は慰めるようでもあり、諭すようでもあった。現在、レジスタンスが成り立っているのも、ひとえにエンキの尽力によるところが大きい。彼がまとめてくれなければ、烏合の衆であるレジスタンスなど、とうの昔に皇帝軍によって壊滅させられていただろう。
「シャトルの準備は万全?」
アンフィニアはエンキに尋ねた。失敗は許されないのだ。
「十機のダミーを自動操縦で発射します。ヘクトルの登場する本機の盾として二機。更に三機を同方向に向かわせます。残りの五機のダミーシャトルのうち、二機をプレアデス星団方面へ。三機を乙女座方面に向かわせます」
「地球に合計六機は多くない?」
「ニビルを脱した場合、地球に向かうのが一番妥当です。ですので、我々の計画の意図するところは、ネルガルならばすぐに勘付くでしょう。三方向に向かわせるのは、我々の意図を悟られないようにするためではなく、追っ手を分散させるためです」
そうこうしているうちに、ふたりは管制室へと到着した。中では三人のレジスタンスのスタッフが、急ピッチで作業を進めていた。
「ヘクトルを呼び出せる?」
アンフィニアは、スタッフのひとりに尋ねた。スタッフは可能だと答えて、すぐにシャトルの操縦席にいるヘクトルを呼び出してくれた。
「お呼びでしょうか? 姫様」
アンフィニアの眼前に立体スクリーンが出現し、まだ幼さの残るヘクトルの顔が映し出された。確か、弟のアナキムと同じ歳だったはずだ。スクリーンに映し出されているヘクトルの顔は、緊張のために強張っていた。
「あなたを信頼しているわ」
「はい! ありがとうございます」
「ギルガメシュ殿が援護をしてくれる。案ずるな。無事に辿り着ける」
エンキが会話に加わった。
「はい。必ずや、プリンセス・セレニティに姫様のお言葉をお伝えいたします」
ヘクトルは表情を更に引き締めた。
「生きて、必ず戻ってくるのよ」
母親が子供に言い聞かせるような口調で、アンフィニアはヘクトルに言った。ヘクトルは幾分和らいだ様子を見せたが、緊張は解けていない。
「分かっています、姫様」
「頼むわね」
ヘクトルは小さく敬礼して、アンフィニアからの言葉の返事とした。通信を終えた。シャトルの発射時刻が迫っている。既にカウントダウンに入っている。
「ヘクトルで大丈夫でしょうか……」
エンキは不安そうだ。若く、まだ経験の浅いヘクトルにこんな大役が務まらないと、エンキはヘクトルを人選したアンフィニアに対して苦言を呈した。それでもアンフィニアは、ヘクトルを推した。
「大丈夫。彼はやってくれるわ」
確たる自信があるわけではない。自分の勘を信じるだけである。
「レーダーに機影!」
レーダーで周囲を監視していた青年スタッフが、上擦った声を上げた。
「詳細は?」
すぐさまエンキは問う。
「皇帝軍所属の飛空艇です。数は三隻。接触まで十分!」
「ウル軍事基地からのものだな。意外と早かったな」
エンキは慌ててはいない。しかし、青年スタッフの裏返った声が、その上に重なる。
「ひ、飛空艇から高速戦闘艇が射出されました!! か、数は……えっと、た、多数! 三分後に接触します!!」
「先手を打ってきたか……。二分もすれば、戦闘艇の射程圏内入ってしまうな。シャトルがロックオンされる。カウントダウンを切り上げろ。あと一分で打ち上げられるか?」
「エンジンの臨界までもう少し時間が掛かります。あと一分四十秒必要です」
「くっ……」
青年スタッフからの報告に、エンキは頬を歪ませる。と言うことは、残りの二十秒でこの場から撤退しなければならない。全員が完全に徹底するには、あまりにも少ない時間だ。
「作業が完了した者から、順次撤退させて」
アンフィニアの判断は素早い。
「姫様も脱出なさってください。ここはわたしが……」
「駄目よ。わたしはシャトルの発射を見届けるわ」
アンフィニアの身を案ずるエンキだったが、本人は断固として譲らなかった。押し問答をしている時間もない。結果としてエンキは折れるしかなかった。
レーダーとの睨み合いが続いた。カウントダウンは続いている。
カウント・ゼロ。
天に轟く爆音とともに、合計十一機のシャトルが次々と打ち上げられていく。
「ヘクトル。頼むわよ」
祈るような瞳で、アンフィニアはヘクトルの搭乗したシャトルを見送った。
宮殿の司令室の中央に浮かんでいる立体スクリーンには、シャトル発射の様子が映し出されていた。
「ぐぬ……」
身じろぎもせず見詰めながら、エンリルは唸った。
「まんまとしてやられたな」
その声に振り返ると、ネルガルとエレキシュガルの冷ややかな視線があった。
「うむ」
下手な言い訳はせずに、エンリルは重々しく顎を引いた。人数が決して多くない反乱分子が、囮部隊を構成してくるとは考えてもいなかった。相手を侮りすぎていたと、反省せざるを得ない。
「忌々しい“灰被りめ”……」
エレキシュガルは、嫌悪感を露わにした表情で吐き捨てた。「灰被り」とは、アンフィニアの俗称である。灰色の、お世辞にも美しいとは言えない彼女の髪色を揶揄( して名付けられたものだった。灰色の髪と、片方だけ灰色の瞳を持つ灰被り姫。アンフィニアは、宮殿で王女として生活を送っていた時から、そう陰口を叩かれていた。右の瞳は色が異なっていた。毒々しいまでの赤い瞳。それが灰色の瞳と対照的で、ある意味不気味でもあった。)
赤い瞳を持つ者は、災いを招く。
ネフィルム・エンパイアでは、古くからそう言い伝えられていた。よりによって、片方だけではあるが王女の瞳が赤かったことが、揶揄される要因でもあり、前皇帝アヌ・アラル・ネフレイムの不運の始まりでもあった。
実際、何も災いなど起きてはいないのだが、それは今のところ起きていないだけであって、これからも起きないと言い切れるものではない。しかし、前皇帝はアンフィニアを庇護した。
「幼子の頃に処分していればよかったものを……」
エレキシュガルのその言葉は、幾人かの反前皇帝派の代弁でもあった。現にこうして、帝国に刃向かっている。
「三方向に分かれたか……」
エレキシュガルを無視し、ネルガルはレーダーを見据えている。
「我々を惑わす作戦だろうが、そうはいかんよ」
クククッと喉を鳴らした。
「追っ手を差し向けるか?」
返ってくる答えは分かっていたが、エンリルはネルガルに尋ねた。
「捨て置け」
予想通りの言葉がネルガルから返ってくる。この事態を想定していたネルガルは、既に先手を打っているのである。
「シャトル発進!!」
「ふん」
オペレーターから報告を受けたシャルウルは、小さく鼻を鳴らした。百九十センチという長身に、獰猛な毒蛇を思わせる逆三角形の顔。右頬がピクリと波打った。
「打ち落とせるか?」
出来ないと分かっていたが、形式的に問うた。オペレーターからの返事は、彼の予想通り「射程圏外」だった。
ガスト宇宙港にほど近いウル軍事基地に赴いていたシャルウルは、評議会の決定を皇帝アナキムに伝える“報告”の際には、宮殿にいなかった。
「全くもって、不愉快だ」
シャルウルは低く呟く。せめてハルザグ宇宙港襲撃の報が自分の元に届いていたなら、もう少し早く艦隊を発進させることができた。向かう先をハルザグからガストに変更すればよかっただけの話だ。そうであったなら、シャトルの打ち上げを阻止することができたはずなのだ。
シャルウルが不機嫌なのは、それが理由だけではなかった。事もあろうに、「シャトル追尾の必要なし」と、宮殿司令部から連絡が入ったからだ。
「エンリルめ……。いや、ネルガルか? いったい、何を考えているのだか……」
「如何致しますか?」
「ご指示に従おう。ガストの奪還を最優先とする。先発隊は到着する頃だな?」
「はっ! 既にガスト上空に到達して、待機しております」
「爆撃開始」
「は?」
「爆撃を開始だ」
聞き返してきたオペレーターに、シャルウルはジロリと鋭い目を向けた。
「そ、それでは宇宙港が……」
「無傷で奪還しろとは言われていない。占拠している反乱分子共々、宇宙港を焼き払ってしまえ」
「姫様はこちらへ!!」
エンキが怒鳴る。それでも、爆音によってかき消されてしまうほど、攻撃は凄まじかった。無差別の絨毯爆撃だった。
思いも掛けぬ皇帝軍の爆撃にレジスタンスは浮き足だったが、それも一瞬だった。例え自分たちが倒れたとしても、姫様だけはこの場から無事に脱出させなければならない。その思いが、レジスタンスを団結させた。
アンフィニアは猛火の中、エンキの怒声に引っ張られるようにして、ひたすら走った。自分が逃げ延びなければならない存在であるということを、彼女自身が一番よく分かっていた。まだ死ぬには早すぎる。全てを贖罪し精算するのは、全ての決着が付いてからでも遅くはない。我が弟アナキムを制止できるのは自分だけだ。言葉で駄目ならば実力で、それでも駄目ならば差し違えてもアナキムを止める。アンフィニアはそう覚悟していた。
どす黒い煙が上空を覆う。宇宙港は、既にその原型を留めてはいなかった。この状態では、宇宙港としての機能を取り戻すことはできないだろう。
飛空艇のエンジン音が響いているが、上空を覆う黒い煙のせいで、その巨体を見ることはできなかった。
それでもアンフィニアは、上空を見上げた。
「こんなやり方、わたしは絶対に許さない!」
低く、力強く、そしてゆっくりとアンフィニアは呟いた。