ネフィルム・エンパイア
スクリーンから通してみる地球は青々と美しく、せつないくらいに淡く輝いていた。対して、常に寄り添っている月の無骨さと言ったら、地球の美しさを際だたせると言うよりかは、その存在故に地球の品位を損なわせているとしか思えない。
全くもって不愉快だ。
アヌ・アナキム・ネフレイム七世は、スクリーンに一瞬だけ映った月を見咎めると、思わず渋面になった。
「何か、御気分を害することでも言いましたかな?」
自分の渋面の理由が、自らが発した言葉のせいではないかと懸念したネルビルが、厳つい顔を自分に向けて、細い目を益々細くした。おどおどとして顔色を伺っているわけではない。何か不満があるのかと、言いたげな顔だった。自分の父親ほどの年齢であるこの男は、皇帝である自分の参謀であり、後見人でもあった。この男の推挙があったからこそ、自分は皇帝の座を得ることができたのだから、この男の自分に対する態度も肯けないでもない。
俺のお陰で皇帝になれたのだから、俺の意見に異議など唱えるな。
と、常に顔に書いてある。
前皇帝アヌ・アラル・ネフレイムは良き父ではあったが、皇帝としてはいささか技量が不足していた。温厚なその性格は庶民には慕われたのだが、こと政治に掛けては徒となっていた。側近であったネルビルとよく衝突していたらしい。ネルビルは強硬派だったから、父とは意見が合わなかったのだ。
「いや、何でもない。続けてくれ」
努めて平静に、玉座から見下ろしてアナキムは答えた。アナキムは、まだ少年の初々しさを残している自分のこの声が、大嫌いだった。少しでも感情を声に重ねてしまうと、子供が駄々を捏( ねているような甲高い声になってしまう。皇帝という椅子は居心地がいいものではないが、なってしまったからにはそれなりに威厳を持たなければならない。だから、無理をして低い声を出している。背伸びをしているこの自分をあからさまに嘲笑っていた閣僚たちは、いつの間にか姿を消してしまった。自ら去って行ったのか、それともこのネルビルに追放されたのかそれは分からないし、知りたいとも思わなかった。自分にとっては都合がいいのだから、敢えて詮索する必要などなかった。)
「……以上のように決定いたしました」
ネルビルは報告を終えた。彼が議長を務めているネフィルム評議会の決定は、絶対だった。それは例え皇帝といえども覆( すことはできない。父である前皇帝は、そのネフィルム評議会のメンバーでもあったが、アナキムはまだ若いということでメンバー入りは認められなかった。だから会議が終了し、ネルビルから結果の報告を受けるまでは、評議会の議題すら知らなかった。当然、どんな話し合いがされているのかも分からない。)
それ故に、ネルビルも報告をしてアナキムの最終判断を仰ぐと言うことではなく、あくまで決定事項の報告という事務的で形式的な連絡をしているにすぎないのだ。
「あい分かった」
アナキムは大人ぶって重々しく肯く。
「確認だが、テレサは失敗したのだな?」
「はい。配下の者がテレサの言葉を持って帰還致しました。誠に遺憾でありますが、計画は失敗したようですな」
ネルビルの表情からは、とても「遺憾」という言葉は読み取れなかった。それ見たことかと、心の中で嘲笑しているようだ。この男、腹黒いわりにはよく感情を顔に出す。とは言え、分かっていなければそれと悟ることができないくらいの微妙な変化ではあるのだが。
「だから無駄だと申したのです」
刺々しい女性の声が響いた。アナキムは顔を上げた。謁見の間に入ることの出来る者は、序列第十二位までである。玉座に向かって左右に六人ずつ並んで中央に向かって直立していた。中央には真っ赤な絨毯が敷かれ、その両側に分かれて立っているという具合だ。言葉を発したのは序列第三位のエレキシュガルだ。右隣は序列第一位のネルビルなのだが、今は玉座の前でアナキムに報告をしているところなので、その場所は空間になっている。
ネルビルが余計な口を挟むなという風に、僅かに顔を歪めた。エレキシュガルは、ネルガルの妻の錬金術師である。その怪しげな魔力は絶大で、ネルガルも一目置くほどだ。
エレキシュガルは、チラリと自分の前方に目を向ける。序列第四位の位置は、今はただの空間となっている。本来なら、テレサがいる位置だ。
「長き時間を費やしたようですが、こんなにもあっさりと失敗するとは、開いた口も塞がりませんわ。所詮は、生ぬるい前皇帝陛下の計画。無駄に時を待ちましたね」
エレキシュガルは美人ではあるが、氷のように冷たい表情を常にしている女性であった。母子ほど歳が離れているせいか、アナキムのことを小馬鹿にしたような視線を時々向けてくる。今もその目をしていた。
「テレサの失敗が、そんなにも嬉しいか?」
アナキムから見て右側、序列第二位の位置にいる大柄の男が、その野太い声を不服そうに響かせた。親衛隊の隊長を兼任しているエンリルだ。前皇帝から仕えている猛者である。アナキムの父である前皇帝の急死に疑念を抱いている者たちの中で、ただひとり序列に留まっている男である。疑念を抱いていた他の者たちは皆、アナキムの知らぬ間に宮殿を去ってしまっていた。エンリルは前皇帝が全幅の信頼を置いていた男で、常に側に控えさせていた。自らの親衛隊の隊長に任命したのも前皇帝だ。エンリルは任務には厳しかったが、自分たち姉弟には優しかった。姉もエンリルを頼っていたが、自分は父や姉ほどこの男を信用することはできなかった。怖いのである。何もかも見透かしているようなこの男の目を、アナキムは常に恐れている。
「聞き捨てなりませんね、エンリル殿」
触れたら凍らされてしまいそうなほどの冷たい表情で、エレキシュガルはエンリルを見据えた。
「感じたままを申したまで」
その程度の威嚇で臆するエンリルではなかった。逆に冷淡な視線を向けている。その場の空気が張り詰めたものに変わった。
「陛下の御前である。醜い言い争いは止めよ」
ふたりを制したのは、以外もネルガルだった。味方だと思っていた夫に諫( められる形となったエレキシュガルは、不服そうに明後日の方向に顔を向けてしまった。)
「……して、ネルガル」
一段落したのを見計らって、アナキムは口を開いた。
「総攻撃は分かるが、具体的にはどうするつもりなのだ? まさか、“ソドム”と“ゴモラ”を使うつもりではないだろうな?」
「いえいえ、そこまでは……。ソドムとゴモラは最終手段です。地球は無傷であることが望ましいですからな。あの宙域には必要のない惑星ではありますが、地球の民と物資は利用価値があります」
「民は奴隷として使えるか」
「左様。しかし、まずは忌々しいシルバー・ミレニアムの戦士( どもを排除せねばなりますまい」)
「何か策があるのか?」
「既にひとつ、策を打って御座います」
「連中の力は侮れないぞ」
「殲滅はリスクが高すぎます。ですが、ようは地球上にきゃつらがいなければ良いだけのこと。幾つか策を用意して御座いますれば」
自信ありげな笑いをネルガルは浮かべた。
「分かった。任せよう」
「御意」
当然だと言わんばかりに、ネルガルは肯いた。
「我が帝国内に潜む反乱分子の方は、どうされるおつもりで?」
エレキシュガルはネルガルに尋ねた。評議会ではまだ取り上げていない議題だ。エレキシュガルも評議会のメンバーではあるが、敢えてまだ議論を避けている問題である。避けている理由は、もちろんある。
「次の評議会で決めなければならんな」
ネルガルの頬がピクピクと波打つ。この場で触れられたくない問題だったのだろう。腹は決まっているのだが、アナキムの耳にはまだ入れたくない問題なのだ。
「キャハハハハ……!」
序列第十一位。玉座に向かって右側の列の最後尾にいた少女が、突然狂ったように笑い出した。
「殲滅、殲滅、殲滅ぅ! まどろっこしいことしないでさ、とっとと終わらせちゃおうよっ! あたしがやるよ、あたしがやってあげるよっ。エヘエヘエヘ……」
言い終わった後も、ケタケタと笑いながら肩を震わせている。
「十分も大人しくできんのか、あの娘は……」
エンリルが不快そうに顔を歪めた。
「先日は三分しか保たなかった。それから比べると大進歩だ」
アナキムはその呟きに、苦笑しながら応じた。その少女―――ニムローデは、俯き加減のまま今もケタケタと笑い続けている。
「分かった。分かったから静かにしなさいって、エミスちゃんが言ってるよ」
ニムローデの向かい側、序列第十二位の位置から可愛らしい声がした。何故かそこには、ふたりの少女がいた。言葉を発した方は、そのうちのひとりだ。無表情のまま前方を見ているのが、たった今言葉を発したサリエス。そのサリエスの後ろに身を隠して小さくなっているのか、エミスである。この少女たちの関係は、いささか奇妙だった。姉妹というわけではないのだが、常にふたりで行動し、エミスの言葉はサリエスによって今のように伝えられる。対して、サリエスは全く自分の意見を持たない。エミスはサリエスから見れば、身を隠すための物体であり、自分の言葉をそっくりそのまま伝えてくれるスピーカーのようなものだった。だからこそ、ふたり一組で序列第十二位地位が与えられているのである。
サリエスの耳元で、エミスがまた何か囁く。その声はあまりにも小さすぎて、隣にいても聞こえない。
「あんまり騒ぐと、エレキシュガルのおばさんの皺が増えるから、少しは落ちつけって、エミスちゃんが言ってるよ」
挑発めいたその言葉に、エレキシュガルは乗らなかった。ジロリと冷たい視線をふたりの少女に向けただけだ。エミスは慌ててサリエスの後ろに隠れたが、サリエスは平然としていた。と言うより、何も感じていない様子だった。サリエスは、自分の感情を全く持たないのだ。だから、何を言ってもどんなことをしても、サリエスが反応することはなかった。
「皺かっ! 皺が増えるかっ! ギャハハハハハ……!!」
「静かになさい、ニムローデ!」
ピシャリと言い放ったのは、序列第八位の位置にいる少女だった。
「あたしに指図をするな。殺すよ、シン」
諫められたニムローデは笑いを引っ込めると、急に真面目な顔をした。笑っている状態からは想像もできないような、態度と口調だった。だがそれも一瞬だった。すぐに馬鹿笑いを再開する。シンは舌を打つ。
「あなたがその気ならこの場で一戦交えてもいいけど、陛下の御前であるということを忘れてもらっては困るわね」
「忘れた忘れたっ! そんなの忘れたっ! 今すぐやろうぜっ! 殺し合いしようぜっ! ギャハハハハ……!!」
見た目はシンの方が年下の感じを受けるが、序列は上である。とは言え、ニムローデには序列など全く無意味だった。
「ふん。こんな変な連中と一緒にいると、この俺様がまともに見えてくらぁ」
間の抜けたような声を出したのは、エレキシュガルの隣にいる痩せぎすの青年だった。内臓のどこかが悪いのではないかと感じられるほどの、土気色の鈍い顔色をしている。その反面、瞳だけは炯々と輝いている。
「確かにそう錯覚しても、あなたに罪はないわね、シャルガズ」
「なんだと、シン! 序列が下のくせに態度がでけぇぞ。下手な口叩いてっと、犯すぞコラ」
「お前たち……」
エンリルが頭を抱えた。ネルガルは無視している。
「陛下……」
エンリルは物言いたげにアナキムに顔を向けた。
「言うな、エンリル。あれでなかなか使える連中だ」
騒ぎを起こしている連中を序列の上位に加えたのは、他でもないアナキムなのである。ネルガルは黙認したが、エンリルは反対した。彼らを加えることによって下位に落とされる者たちからの反発を恐れてのことだった。しかし、結果的にはアナキムは自分の考えを押し通してしまった。
「だがよ、陛下」
シンといがみ合っていたシャルガズだったが、不意にアナキムにギョロリとした目を向けた。
「反乱分子の中に姫様がいるんだろう? 潰しちまってもいいのかい?」
アナキムの頬がピクリと跳ねた。痛いところを突かれた。
「殺しちゃおうよ、殺しちゃおうよっ。あたしがやったげるよ。ケヘヘヘヘヘ……」
「ニムローデの言うとおりだ。殺しちまってもいいんなら、幾らでもやりようはあるぜ」
それが簡単にできるのならば、アナキムも悩みはしなかった。シャルガズはそれが分かっていて、わざと訊いているのだ。
「シャルガズは姫様のファンじゃなかったの? って、エミスちゃんが言ってるよ」
「ファンだよ。大ファンさ。だからこそ、他のやつらに殺( られる前に、俺様が食っちまおうって言ってるんだ」)
烈火の如く、シンが動いた。シャルガズの喉元で、手刀を寸止めする。
「アンに傷を付けてみろ。あたしがただじゃおかない」
「おいおい。陛下の御前だって、さっきお前が言ったんだぜ。言ってることとやってることが違うんじゃねぇのか? 食っちまうぞ」
「やれるものなら、やってみろ」
「ほぅ。言ったな、シン」
「よさないか!!」
一触即発の場面だったが、とうとうエンリルの怒声が飛んだ。
「……申し訳ありません」
逆上していたシンだったが、そのエンリルの声で我に返り、頭を垂れたまま身を退いた。シャルガズはつまらなそうに鼻を鳴らした。
荘厳な扉が急に開かれたのは、そんな時だった。
「何用だ? 今は陛下に報告中である」
ネルガルがくるりと反転して、扉に向かった。入室してきた無礼者の兵士をジロリと見て、低く唸るようにそう言った。
「恐れながら、火急の用に御座います」
報告に訪れた兵士は、その場で畏まる。
「火急の用とは、ただごとではないな」
エンリルである。
「はっ! 反乱分子の一団が、ハルサグの宇宙港を襲撃しております」
「あそこには小ワープできる小型艇があります。きゃつら、それを狙っているのでは?」
エレキシュガルは慌ててはいなかった。冷静にそう判断すると、冷たい視線をアナキムに向けた。
「シャルガズ、シン。ふたりで向かえ。ひとりたりとも、宇宙港から出すな」
アナキムの指示を受けると、ふたりは即座に体を巡らした。