ACT5 銀水晶の追憶  (Part23)


 伝令として自分に急を告げたセーラーマーキュリーに知らされるまでもなく、セレニティは異状に気付いていた。宇宙を浮遊するマースのスタークリスタルを見つけたときから。
 ディモスとフォボスのふたりのエナジーが、必死にクリスタルに灯る生命の光を繋ぎ止めていた。そして、マースをセレニティに託し、ふたりは消滅した。
 遺されたマースのスタークリスタル――『スカーレッドストーン』はエナジー粒子で構成されるセレニティの体内で、過度の消耗を回復すべく眠りについている。
そして、マースが何故今のような状態に陥ったのか、妹であるヴィーナスがどのような状況にあるか、マーキュリーに詳細を説明され、セレニティは言葉を失った。
 己の胸の裡で眠るマースの献身を慈しむように、セレニティは胸を抑える。
 マースは魔剣『朱雀』の暴走を抑え込む代わりに、己の身体を維持するエナジーも失い、宇宙を彷徨っていたのである。瀕死の重傷を負った側近の尽力で、生命をかろうじて維持しながら。
 それをセレニティが見つけ、シルバームーンに帰還する途中、伝令役として宇宙艇『ノア』を駆るマーキュリーと遭遇したのである。
「最悪でも、運が良かった……。ノアのエナジー探知能力でも、貴女のほうから近付いてくれていなかったら、貴女を探すまで、まだまだ時間がかかったでしょう」
 己をノアの頭脳部・動力源として接続したマーキュリーの苦笑が光になって、声と共に艇内のセレニティに届いた。艇内に張り巡らされたパネルに、マーキュリーのエナジーが行き渡ったかのように青い光が灯っていき、前面の巨大なスクリーンに映る銀河を照らし出す。
 ノアにはワープ機能がある。マーキュリーが航路を覚えている限り、瞬時に空間を飛び越えることができる。セレニティが単独で地球に飛行するより断然早い。
「行きます、プリンセス」
「そのプリンセスって呼び方はやめて。私も、貴女と同じ星の海を旅する者――セーラーセレニティよ。セレニティでいいわ」
「し、しかし、あまりにもそれでは――」
「さあ、そんなことをいつまでも言っている暇はないわ、急いで」
 言いよどむマーキュリーの言葉を遮って、セレニティが今はまだ見えないくらい遠く彼方にある地球を見据えて気合にも似た声を上げた。
「はいっ」
 マーキュリーの返事と共に、スクリーンはブラックアウトし、光と闇が交錯する。何度目かの交錯が終わると、スクリーンの機能が再開された。映し出されたのは地球。
 セレニティは複雑な思いで地球を見つめる。
 生命に溢れた憧憬の惑星。
 そして、妹、ヴィーナスが四散した星。だが、エナジー体である自分たちなら、核となるスタークリスタルさえあれば、再生は可能である。ヴィーナスの核である『朱雀』は、マースが己を犠牲にしてまで確保してくれた。
「お気をつけて――セレニティ」
 一瞬の逡巡のあと思い切って言い放ったようなマーキュリーの言葉に、セレニティは嬉々とした声を返した。
「ありがとう」
 セレニティは朱雀を携えて、地球へと降下した。

 こうして、地球に降り立ったセレニティの意識に、兎和は遡っていた。兎和の身体に宿った銀水晶に導かれて。
 月夜の氷原で、生臭いものを、風がセレニティに伝えて来た。臭いも、風もセレニティは知覚することは初めてで戸惑った。しかし、生臭さに嫌なものを感じた。
 それが血の臭いであることを、セレニティは臭いのもとを辿って知った。
 クレバスに落下した娘の流した血の臭い。娘の顔は落下の際に無惨に裂かれ、既に絶命していた。氷原を駆け巡る風が、たまたま、その臭いを運んで来たのである。
 そのまま放置するのも哀れに思ったセレニティであるが、原型の崩れた顔は直視するに忍びなかった。そこで、憑依と同時に、肉体を修復する手段に出た。
 元の顔がわからない以上、セレニティは自分自身に沿って、肉体を修復させた。
 それには別の理由もあった。地球上で動くのに、とりあえず人間の肉体を確保しておきたかったからである。発光するエナジー体のままでは、何かと人の目に付きやすい。
 肉体を得たセレニティは、クレバスから浮上して、周囲を見渡した。
 何者かの気配を察知したのである。セレニティは警戒した。
 突如、大きな火の玉が燃焼した。その灯火が夜闇を裂いて、セレニティの姿を露わにする。
 突然の灯りに顔を遮りながら、セレニティは馴れて来た視力で相手の姿を確認する。
 ――インフェルノ!?――。当時のセレニティの思考ではない。兎和の意識が、火を灯すインフェルノを認識したのである。
(まだいる)
 インフェルノの後方には、複数の兵が控えているようであった。それでも、その気になれば、逃げることも蹴散らすことも造作もないが。
(地球人の異能者……アースに力を分け与えられた者か……それが、もうひとり)
 発火能力を有する赤茶色の束髪の男(インフェルノ)以外にも、もうひとり、地球人離れしたエナジーの持ち主が控えている。
 地球の化身――アース。彼女は生命を育むことに、そのエナジーを費やした。そのなかには、シルバームーンの“戦士(ソルジャー)”に近い能力を付与された者も稀にいると聞いた。地球自らの力で、惑星(ほし)を守護していく気概の表れとも。
(まだ幼い地球人類に惑星(ほし)の自立を任せられるのだろうか)
 アースの思想に、セレニティは疑問を持っていた。
 アースはシルバームーンの住人とは異なり、地球に留まったまま、惑星の行く末を見守っているので、第一皇女(プリンセス)であったセレニティも、直接アースと話をしたことはない。故に、直接対話する初めての機会であった。ヴィーナス再生には、アースの協力は不可欠である。
 そんなことを考えていたセレニティに、インフェルノの後ろから現れた少年が声をかけた。この少年が、もうひとりの異能者に相違なかった。
「君が客人か?」
 まだ幼さの残る見た目の年齢には不釣合いな、落ち着き払った声。
 ――あの人は――。兎和の意識は、少年に彼の面影を重ねた。
 セレニティとエンディミオンの、初めての邂逅であった。

 エンディミオンに連れられ、セレニティは巫女に謁見すべく冷気の結界を抜け、地球の深奥部にある神殿に繋がると説明を受けた洞窟を下って行った。
 巫女(シャーマン)――地球の意思、すなわちアースの意思を民に伝える女性。
 エンディミオンは、その巫女に見出された地球の御子(プリンス)だという。
 その出自の説明と、洞窟への案内以外、エンディミオンからは何も話さなかった。セレニティが話しかけても、素っ気無い返答ばかりで愛想がない。しかし、自分から名乗ったこと、そして、こちらの正体をやたらと詮索しない態度に、礼を弁えているとセレニティは評価した。
 ――まだ、うちの(駿)くらいの年齢なのに、やけに大人を気取った子供だったのね――。これは兎和の意識が抱いた印象である。
 洞窟の先に光が見えた。
 地球の深奥部に到着したのである。清浄な(オーラ)に満ちた空間に、水晶で構築された神殿。シルバームーンを参考にしているようであった。
 そして、神殿内の謁見の間に通されると、床まで届く絹のように滑らかな髪を、脛のあたりで真紅のリボンを用いて結わえた女性が、玉座の前で待ちかねていたように立っていた。想像よりも若く、美しかった。
 セレニティの後ろで、エンディミオンが畏まって跪く。
「ようこそ、月のお客人。私の名前は、テラ。アースの声を伝える者です」
「私がシルバームーンの住民であると知っているのね」
「はい。そのご用件も、アースは存じています」
「そう。なら話が早いわね」
 そう言うとセレニティはぬかづいた。エンディミオンも、テラも瞠目する。
「私の名はセレニティ。我が妹、ヴィーナスの再生に、貴女方のご助力をお願いしたいのです」
 セレニティは真心をもって請願することが礼儀と心得ていた。いかに自分がシルバームーンの住民であると知っていたとはいえ、外部からの侵入者としてではなく、客人として扱ってくれたことへの返礼でもあった。
 テラがセレニティの肩に優しく手を置き、目線を合わせる。
「セレニティ様、貴女の誠意、見届けました……私の覚悟も定まりました」
 そのとき、セレニティはテラの言う「覚悟」の意味をわかっていなかった。
「セレニティ様、その剣を私に貸して頂けませんか」
 朱雀を指していることはすぐにわかった。扱いには慎重にならざるを得ない魔剣であるが、ヴィーナスの(スタークリスタル)でもある朱雀は、彼女の引き千切れたエナジーを引き寄せる役割を果たす。そのために、セレニティは朱雀を持参したのである。
 セレニティから丁重に朱雀を受け取ったテラは、屹然と背を伸ばし、玉座へと、いや、更にその奥へ、玉座の背後のベールの向こうに歩を進める。
 熱と圧力を伴う光が束ねられて滝のように降り注ぎ、一本の太い柱を形作っていた。
「この聖地は、生命の循環の起点となる場所。故に、エナジーが集まる場所でもあります。この剣の引力によってエナジーを集めるのに、これ以上、効率の良い場所はありますまい。そして、我が胎内をもって、形としましょう」
「え」
 テラの言葉の真意を、セレニティが訊き返そうとしたときであった。
 テラが、朱雀を己の腹部に突き立てた。
「は――テラ様っ」
 言葉を失ったセレニティの横を駆け抜け、エンディミオンがテラの身体を支えた。遅れて、セレニティも駆け寄る。
 外傷はなかった。朱雀はテラの腹部、いや胎内に吸収されていった。
 セレニティは自分たちの願いが、いかに身勝手なものであるかを知った。マーキュリーの伝えた母クィーンアルテミスの指示は、アースの協力を得れば再生の媒体を得ることができるというものであった。
 再生の媒体とは、生命を生み落とせる母体を指していたのか。
 セレニティは、テラの身体にかかる負担を思うと、いたたまれない気持ちになった。義理の母とはいえ、テラを懸命に支えようとするエンディミオンに、申し訳なくて、手を貸さずにいられなかった。
 エンディミオンと共に、テラに連れ添うセレニティに、テラが声をかける。これまでとは異質な声で。
「気にしないでください、プリンセス。これはテラが、自分で考えて決めたことなのです」
「アース!?アースなの」
 セレニティの問いに、テラは微笑みを返し、眠りについた。
 その身体を、神殿最奥部の祭壇のような造りの台座に運び終えて、エンディミオンは神々しいまでに純白な布で、テラの身体を覆った。エンディミオンの眼差しは母を気遣う子供以外の何物でもなかった。セレニティは、それを間近で見て、詫びの言葉を口にする。
「ごめんなさい、エンディミオン」
「何を謝る。テラ様の選択に、ケチをつける気か?」
「そんなわけではないけど……」
 見るからに年下の相手に窘められ、セレニティは口をつぐんだ。
 まだまだ子供と言える年頃のエンディミオンが、自分が母アルテミスをクィーンと呼ぶことと同様に、テラを母と呼ぶことを控えている。アルテミスも、テラも、母親である以前に、民の指導者であるから。エンディミオンは、子供ながらに、それを知っている。
(地球の御子(プリンス)か……)
 エンディミオンの小さくても毅然とした背中を、セレニティは、その称号に相応しいと思って見つめた。
 だが、不安は頭を離れなかった。
 そして、その不安は的中することとなる。
 それから、九ヵ月ほどの月日が流れ、処女懐胎を経て、ふたつ(・・・)の命を生み落としたテラは、永久の眠りについた。エナジーの集約に、常人と変わることのない肉体の彼女は耐えられなかったのである。

 凍気を含んだ夜風が、容赦なく、エンディミオンの頬を打っていた。
 臣下は例外なくテラの逝去に際して、服喪のときを過ごしていた。
 ただセレニティだけが、神殿にてふたりの赤子を寝かしつけていた。(エア)(ガイア)、このふたりの女児に、そう名を贈ったのはエンディミオンであった。
 母の命と引き換えにして生まれた、この子たちを彼はどう思っているのであろう。
 エンディミオンは、テラの葬儀を終えてからというもの、神殿に立ち入ろうとしなかった。どこでどうしているのか、セレニティは知らない。
 赤子が安らいだ寝息をたて始めたことを確認すると、セレニティは地上に出て、エンディミオンを見つけ出した。
「体調を崩すわよ。貴方は、テラの後継者として地球を牽引していかなくてはならない。その貴方が、最初から体調を崩すなんてことあってはならないわ」
 氷原を漂う凍てつく空気のなかで、エンディミオンとセレニティのふたりは並んで、会話を交わす。地球の部外者であるセレニティにとって、警戒されない話し相手は、エンディミオンしかいなかった。
「頭を冷やしているんだ……地球の御子(プリンス)という役目を果たせるように」
「頭を冷やすって……程度ってものがあるでしょう」
「エアとガイアの温もりが、手に残っている……大丈夫だ」
 エアとガイアが生まれ、テラの瞼が二度と開かれることはないと知ったとき、赤子の脆弱な首に手をかけようとした自分を、一瞬でもエゴの狂気に囚われた自分を、セレニティをも含めた『月』を呪った自分を、エンディミオンは忘れることはできない。そんな危うい感情に、二度と囚われないように。
 エンディミオンは己の手を見つめる。
 エアとガイアを手にかけようとしたとき、ふたりの生命の温かさが伝わって来た。それは、独りきりであった自分を連れ出してくれたテラの手の温もりと同じものであった。
 テラの温もりが、愛が受け継がれているとエンディミオンは悟った。故に、狂気を打ち払うことができた。
「母は、命を温かく見守る悠然たる地球の愛を、身をもって示したんだ」
 「テラ様」ではなく「母」と。エンディミオンがテラをそう呼ぶのを、セレニティは初めて聞いた。
「だから、俺は一時の感情に押し流されないように、頭を冷やしているんだ。そうでないと、妹たちの前に、ましてや民の前には、立てやしない」
 セレニティは思わずエンディミオンを抱きしめていた。直観的に、母を失った彼の喪失感に気付いてしまったから。それを埋めることもできないまま、母を喪失した妹、指導者を失った民のため、己を厳格に律しようとする彼に必要なものがわかったから。
 エンディミオンの耳元で、目を瞑ったセレニティが穏やかに語りかける。
「もう貴方は指導者にならなくてはいけない。だから、子供である今のうちに、思いっきり泣いてしまいなさい」
「何だよ、それ……俺は泣くような弱い奴ではいけない、んだ」
 エンディミオンは俯きながら震える声を返した。セレニティの息吹が、新たに、内心求めていても表に出してはならなかった母の温もりを、彼の心身に染み渡らせていた。
「今日は我慢しなくていいから。きっと貴方は明日、もっと毅くなる。今日までの弱さを正面から受け止めて……」
 そう囁くセレニティの頬にも、伝うものがあった。
 
 兎和の意識は、ほんの僅かながら再度時を越えた。
 そこは、エアとガイアが生まれて六年の歳月が過ぎた先。
 凍気に守護された地でありながら、短い恵みの陽をふんだんに浴びて、エンディミオンは、宇宙(そら)に比喩できる煌きを放つ漆黒の髪を持つ、豊穣な大地を思わせる艶やかで逞しい肉体の若者に育っていた。地球の指導者と称されるに相応しい雄々しさであった。
 ガイアも、歳を重ねるごとに、ヴィーナスの面影を喚起させていくようにセレニティには思えた。特に、生みの母テラの形見の真紅のリボンで髪を結わえたときは、その感慨が強くなった。
 双児の妹エアも、ガイアと同じ金色の髪で、母テラ譲りの滑らかな長髪を蓄えた女の子に成長した。活発なガイアに比べ、独りで景色を眺めるのが好きなおとなしい子であったけれど。
 この仲の良い姉妹のうち、記憶は回復していなくても、ガイアがヴィーナスの転生体に違いなかった。では、エアは?
 テラ自身の願いが込められた希望だとセレニティは思いたかった。ただ、自分たち(シルバームーン)の勝手な願いを聞き届けて死んでしまったのでは、哀れすぎるから。彼女(テラ)自身の希望もまた形となったのだと、彼女の純粋な愛のもたらした奇蹟なのだと思いたかった。
これもまた勝手なエゴによる解釈とわかっていながら。
 そのことを、セレニティはのちに思い知らされることになる。

 この頃、セレニティの体内で休眠していたマースの覚醒に伴い、ガイアのヴィーナスとしての記憶が回復の兆しを見せつつあった。朱雀の犠牲者であり、朱雀の暴走を食い止めたマースの存在は、ヴィーナスとしての潜在意識に深く刻み込まれていたのである。
 記憶の回復は、金星の悲劇の記憶が蘇ることも意味していた。
 己の罪過に慄き半狂乱になる幼児の姿(ガイア)は、見るに耐えないものであったが、鴉に憑依してガイアから片時も離れなかったマース、辛抱強く見守ったセレニティとエンディミオンは月日をかけて、ガイアをヴィーナスとして回復させるに到った。
「別に隠すことはないだろう。テラ様ご自身が説いていた無償の愛の象徴が、ガイアだ」
 ガイアをヴィーナスとして月に帰還させ、シルバームーンとの国交を開くことを、エンディミオンは前向きに考え、その旨を侍従たちに説明した。
 仮にも地球の指導者たるエンディミオンの妹が月へと渡る、その経緯を隠し立てなく民に説明することに、エンディミオンは何の懸念も抱かなかった。
 が――。
 ガイアの素性とエンディミオンの方針が明らかにされてから間もなく、とある世論が巷にはびこるようになった。
「テラ様は、月に脅迫されてご自分の命と引き換えに、月の姫を転生させられたらしい」
「月と国交が開かれれば、地球は従属国にされるぞ」
御子(プリンス)エンディミオンも、月の女に誑かされているそうな」
 このような市井の声は、エンディミオンにもセレニティにも届いていた。
「火のないところ煙は立たないわ。地球の民から見れば、そのように映るかもしれないわね」
 セレニティは心を痛めていた。彼女自身、頭の隅にあった疑念である。自分は口にこそ出さなかったが、月の圧倒的な勢力を後ろ盾に、アースにもテラにも結局選択の余地を与えずに、協力させたのではないか、と。
 ガイアが落ち着いたことから、鴉に姿を転じていたマースは彼女から離れ、民衆の不穏な空気を観察・報告する任に自ら就いていた。
 マースの報告に動揺を隠し切れないセレニティであったが。
「すまない、いいか」
 入室を断る男の声に、表情を明るくする。
エンディミオンであった。部屋に入るなり彼はセレニティの胸中を察したようであった。
「お前は気にするな。俺の思慮が浅かった。民の心を占めるテラ様の存在の大きさを、俺は汲み取れずにいた。まだまだということだ、な」
 エンディミオンは溜息交じりに、わざとらしく肩を狭めて言うと、身を屈めてセレニティの不安を笑殺するような笑顔を近付ける。
 ――背高くなったな――。兎和の意識はしみじみ思う。そして、六年の歳月が、ふたりを更に気の置くところのない仲にしていたことを感じ取る。エンディミオンに顔を近付けられ、セレニティと共に、胸が高鳴っていた。
 ――ま、まままさか、まさかぁ、これって、こ、こ、ここ恋人!?――。例の猫のぬいぐるみの姿が思い出され、兎和は複雑な思いであった。 
 しかし、兎和の予想を裏切って、エンディミオンはおでこをぶつけるに留まる。
「いったぁ」
「無礼な、プリンセスにっ」
 思わず額を抑えるセレニティの横で、鴉姿のマースが鼻息を荒くするが、セレニティは慌ててマースを取り押さえる。マースは加減を知らない。
「お前はしけた顔するな。俺まで気が滅入る」
 痛みに一瞬でも悩みを忘れたセレニティの顔を指差して、エンディミオンは臆面なく言うと、
「また来る」
 素っ気無い一言を言い継いで、部屋を出て行く。
 おでこをさすりながら、セレニティはエンディミオンの不器用な心遣いに、思わず笑っていた。地球人ではない自分は歳をとらない。いつの間にか、彼は自分よりも成長してしまった。
(生意気に)
 セレニティは苦笑する。本心からそう思っているわけではない。本心では嬉しい。けれど、心のどこかで戸惑いがある。
「プリンセス……」
 マースがセレニティに声をかける。彼女もまた、セレニティとは別な嫌な予感に囚われていた。
「マース」
 セレニティが視線を向けた。反射的にマースは羽をきつく畳んで身を低く首を垂れて畏まる。
「何度も言っているけど、私はもうプリンセスではないわ。その堅苦しい呼び方はやめて」
 セレニティは、これで何度目とも知れないお願いを、マースにした。