ACT2 ふたりのつながり  (Part20)


 三時限目の授業を終えた休憩時間、二時限目が体育であったため、着替えで、その前後の休憩時間に余裕がなく、遅くなったが、兎和(とわ)は、つかさの在籍する2年4組の教室を訪ねてみた。
「え、今日も」
 昨日に引き続き、つかさは病欠らしい。
 つかさは輝鈴の帰り道も調べていた節がある。火織の周辺の人物を前々からマークしていたと考えられる。つかさは、家出をした火織の保護を頼まれたと言っていた、現在の火織の近辺を探っていたとしても不思議ではない。
 彼女は、火織と輝鈴が一緒に帰っていると聞いて顔色を変えた。その後の、あの急行ぶりはただ事ではなかった。ひょっとすると、火織が『月闇』の民として輝鈴のエナジーを奪うことを危惧しての反応だったのではないか。
 結局、輝鈴には何事も起こらなかったものの。
 はっきりさせないことには、きまりが悪い。
 ましてや、つかさだけではなく、火織もこの二日間休んでいる。前日まで、特に具合が悪くて休む気配のなかったふたりの病欠が重なったことが、兎和の胸に疑惑を呼んでいた。
 自分たちが、ミネルヴァと初遭遇したあの日、ふたりにも何かあったのか。
 つかさの教室をあとにして、兎和は腕組みをしつつ首を何度も捻りながら、廊下を歩く。気付けば、自分の教室を通り過ぎ、廊下を彷徨していた。
(いけないいけない、きりん(お目付役)がいないとこれだから、あたしは)
 兎和は自分で頭の後ろを小突く。
 憶測の域でしかないし、きな臭い件に輝鈴を関わらせたくないので、輝鈴には部活の用事とごまかして教室を出て来た。
 と、そこへ、ぺこりと頭を下げて、兎和に笑いかけてくる少女がいた。
「おはよ、せ・ん・ぱ・い」
 気安く声をかけられたが、この学校では見覚えのない顔である。放送部の後輩でもない。
 が、この十番中学の制服を着ているものの、別の所で会った気がする。真っ赤なリボンが印象的で……。
 少女は眼鏡を外しながら、
「やっぱ、眼鏡をしてるとわかんないかなあ」
と言ってウィンクして、にやりと笑う。
「あ、まさか……」
 眼鏡を外すと、端正な顔のパーツをしていることが鮮明になる。そんな顔立ちで、わざとらしく挑発的にこちらを睨め上げてみせる態度が、妙に堂に入っている。そんな態度をとる人物に、ひとり心当たりがあった。
「セ――」
 「セーラーV」と言いかけた兎和の口を、相手は含み笑いをしたまま指一本で閉ざす。
「ヴィーナスこと姫地(ひめじ)美菜子ですっ。よろしく、せ・ん・ぱ・い」
 美菜子は機先を制して、兎和の唇から離した人差し指を横に振って言う。
 絶句している兎和を横目に、美菜子は続ける。
「とりあえず、マースを探るのに、来てみたんだけどね」
「せ、“せんぱい”って何?第一、貴女、十番の生徒だったのぉ?」
 ようやく声を押し出して、会話の文脈には沿わないものの、まず浮かんだ疑問を、兎和は問う。びっくりしている兎和の様子に、内心ほくそ笑んだりしながら、声をひそめて美菜子は答える。
「だって、あたし中一で、兎和さん中2だから、“せんぱい”でしょ。ま、残念なことに、十番中学(ここ)の生徒じゃないけど」
「だって、その制服……」
 兎和が困惑気味に、美菜子の十番中学の制服を指差すと、美菜子は制服のリボンをつまみながら、空いている手で、ハート型のレリーフが施されたキャップ付ペンを取り出す。
「エンから、メタモルフォーゼペン渡されているでしょ」
「え、変身するだけじゃなかったの、それ」
 美菜子と同様に、ひそひそ声で返しながら、兎和は目をぱちくりさせる。
 とりあえず、話題が話題なだけに、あまり他人には聞かれたくない話である。世間的には、年甲斐もなくお遊戯に興じていると思われそうな非現実的な話であるから。
「そう、変身。でも、メタモルフォーゼできるのは、セーラー戦士の姿だけじゃないんだよ」
「え、知らなかったあ」
 ほかの姿にも変身できる、そんなお得な機能があったとは。今まで知らずに損した気分である。
 悔しがる兎和に、美菜子は廊下の窓際に背をもたれかけさせた体勢で、釘を刺すことも忘れない。
「でも、公私混同はしないでよ。例えば、水野藍の服を真似たり、なんか」
「えー、だってえ、それぐらいしかあたしに使い道ないじゃない」
 口惜しがって不平を口にする兎和は、事実、美菜子が告げたとおりの、カリスマアイドルのお洒落をコピーするぐらいの使い道しか思いつかなかった。
 美菜子は呑気な兎和に頭痛を覚え、頭を抑える。
 呆れる美菜子に、ばつが悪くなって、愛想笑いで茶を濁しつつ兎和は話題の転換を試みる。
「はは、でも、美菜子ちゃん自身のガッコはいいの?」
「非健康優良児は、いつ休むか家も学校もわかりませんからねー」
 美菜子は本気とも冗談ともつかぬ顔で嘯く。
 そこへ、休憩時間終了のチャイムが鳴る。
「じゃ、またあとで」
 美菜子は手を振って走り去る。
「あとでって……」
 呆然と見送りながら兎和は首を傾げる。ここの生徒ではない美菜子は、どこでどうやって時間を潰すつもりなのであろう。奇しくも、今日は明日からのテスト週間のため、授業は半日で終わりであるから、あと一時間ほど我慢してやり過ごせばいいのであろうか。
(うー……テスト)
 兎和は数瞬、真剣に考え込んでしまった挙句に嫌なことを思い出してうなだれたが、四時限目が始まっているのに、のんびり佇んでいる場合ではないと気がついて、急いで教室へと戻っていった。
 校舎で、そんなやりとりがあった折りも折り、十番中学の正門前に、一台の黒塗りのメルセデスベンツが停車した。
 後部席の車窓が開かれると、藍の事務所の後輩である生駒(いこま)いずみが、顔を覗かせる。
 彼女は、ピアスとして耳に付けている黒水晶と同じように、爛々と鋭く光る瞳を、十番中学に向けていた。
「ここが、貴女のステージとなる所よ」
 そう言ったのは、隣の座席に座る火織であった。彼女は、いずみがこくりと頷くのを見ると、ドアのロックを解除する。
「どちらへ?」
 運転席の鍛冶谷(かじたに)が、眉をひそめて、ドアに手をかける火織に質す。
「本番前に、余計な憂いを絶って来ます」
「佐輔を、護衛につけましょうか」
 鍛冶谷は、助手席に座る几帳面に詰襟の学生服を着た少年を一瞥する。服装とは対照的に、顔や袖から覗く拳には生傷だらけである。黙然と座ったまま、鍛冶谷の言葉に応じるように、肩越しに火織を見やる。
 味方にすら、殺気を抑えようとしない彼の目と、火織は目が合った。
 火織は苦笑して、
「弟さんは、本番まで野に放たないほうが賢明だと思います」
と鍛冶谷に忠告する。今度は、鍛冶谷が苦笑する番であった。
 しかし、当の佐輔と呼ばれる少年は、無関心に視線を前方に戻す。
 そんな佐輔に、火織は内心薄気味悪さを覚えた。その一方で、味方としては心強く思ったのも確かである。
 これから自分たちがやろうとしていることには、これまでの人間社会の通念など切り捨てなければならないから。人間社会の枠で判断できないくらいが丁度いい。
 車外に出て歩道に回った火織は、ベンツを見送ると、踵を返した。ベンツとは逆方向に歩き始めた。


 地に届くくらいに長く滑らかな金色の髪の、黒衣を纏った女児。綺麗に切り揃えられた前髪の下から、冷たく光る黄金(こがね)色の双眸が、こちらを凝視する。
「エア、これで最期だ」
 その子と対峙しながら自分(・・)はそう言い放った。自分に言い聞かせるように。
 背中が焼けるように熱かった。数本の剣が刺さっているのである。
 うち一本を抜き取り、エアと呼んだ子に向かって駆け出した。
 まだ頑是無い顔立ちに不釣合いなくらい、その金目を憤怒と驚愕で大きく見開いて、エアは手中に剣を錬成する。
それが新たに、身を貫こうとも構わなかった。
 これが、自分の決断であったから――。
 それが彼女(・・)と共に生きた証と信じた。ふと、彼女の泣き顔のイメージが浮かんだ――。
 ――目を覚ましたフォレストのまえに、その顔(・・・)があった。
「ジュピター……」
 我知らず、彼女(・・)の名前が唇から滑り出ていた。
「ん、なあに、ひょっとして、私を助けたのは知り合いに似てるからってオチ?」
 耳ざとくフォレストの独白を聞きつけたつかさの顔がそこにあった。冗談めかして目を細めて、フォレストの顔を覗いていた。
「こ、ここは……」
 フォレストは半身を起こす。
「アンタは寝てたほうがいいよ、相当衰弱して、一昼夜以上寝込んでいたから」
 つかさはフォレストを諌めると、アンバランスな姿勢で立ち上がる。右足の脛に包帯が巻かれていた。
「ま、そんなに寝込んでいたら、お腹も空くか。何か用意して来るから待ってて」
 つかさは、そう言って障子戸を開けると、右足をカバーするように小さく片足跳びの要領で、板張りの縁側へ出て行く。つかさの整った手筈に呑みこまれ、フォレストは呼び止める機を逸してしまった。
 あんな足で無理はさせたくはなかったし。
 自分は食糧を必要としない。エナジーを直接吸収する身体であったから。
 そのことを、フォレストは己の手のひらを見下ろすようにして確かめる。
 畳の、いかにも古き良き日本の家屋の一室といった部屋に、フォレストは取り残されていた。
 開いた障子戸の隙間から、縁側の先の庭に植えられている木々が見えた。
 フォレストは誘われるように、裸足で庭に出る。陽がまだ高いとはいえ、時季と照らし合わせると、真昼は過ぎているであろう。
 直に接したほうが、木や土からエナジーを分けてもらいやすいからである。
 フォレストが、庭先の瑞々しくつぶらな紫陽花(あじさい)に優しく指先で触れていると、
「裸足で出ることないでしょ、そんな分別ないくらい幼稚ではないと思ったけど?」
 後ろから咎める声が聞こえた。つかさである。
 その手には、綺麗に無花果(いちじく)を盛りつけた器を持っていた。
 その横に控えるようにして、初老の男性が立っていた。フォレストと違い、本当に痩せこけているという容貌であったが、背筋は芯が通っているように伸びているし、口許は引き締まり、年嵩に似合わない精悍な雰囲気すらある。
「元気になってよかった。話は聞いております、孫が迷惑をかけたそうで、申し訳ない」
「孫……?」
 フォレストは眉根に皺を寄せる。
「火織のことです」
 従容と、しかし、太くはっきりした声で、火織の祖父・紅堂錦蔵(きんぞう)は答えた。
「ま、とりあえず、今雑巾用意して来るから、足を拭いて上がって」
 つかさが妙な緊張感漂う両者の対峙を切り替えようと、声を挟めて来た。
「いやいや響木さんも、足を怪我されていることですし、私が用意して来ましょう」
 好好爺といった面持ちで、つかさを制して、錦蔵は奥へ戻って行く。
 つかさは錦蔵に恐縮しながら、彼が障子戸を閉めたのを見計らったように、フォレストに視線を転じる。厳しい表情で。
「アンタが鍛冶谷サイドにいたってことも話してある。何のつもりで私を助けたかは知らないが、その辺も含めて、きちんと説明してもらうよ」
 つかさは辛辣な口調で言ったが、フォレストは当然のように、それを受け止めた。黙って、その緑色の双眸で彼女を見返す。
 無作為な瞳であった。感情を超越する、吸い込まれてしまいそうな瞳。そんな印象を、つかさは受けていた。儚くて無防備で、敵愾心が殺がれてしまうのである。
「まあ、まずは腹ごしらえを済ませてからだ、ね」
 そう言い添えたつかさは一転して、明快な表情と声で、無花果をフォレストにアピールする。
 フォレストはきょとんとして、気付かぬうちに失笑していた。
 糾弾者に徹しようとしながら、彼女が生来の面倒見の良さを隠し切れないでいることが、可笑しかった。
 自分の所作が笑われ、つかさが頬を膨らませていると、そこへ、錦蔵が雑巾とお茶を持って来る。
 つかさは雑巾をもらうと、無造作にフォレストに投げ渡す。
 女性でも嫉妬するくらい中性的な美貌の彼と、所帯じみた雑巾という構図がおかしかったらしく、つかさは思わず噴き出す。
 フォレストはその反応に怪訝な顔をする。
「ふふ……アンタだって、さっき、笑ったでしょ、私のこと。これでおあいこ」
 意外に、根に持つ性分らしい。
 フォレストが寝ていた部屋の、その枕元に湯呑と急須を乗せたまま盆を置く。
 つかさの監視下で、足の裏を拭いたフォレストは、つかさに従うような形で、部屋に戻ると、錦蔵がそのまま枕元の盆横に正座し、つかさがそのはす向かいに陣取ったので、位置関係上寝ていた布団の上しか空いていなかったフォレストは、そこで胡座(あぐら)をかく。
 つかさは足の怪我のためか、足を崩した格好で、無花果を盆の上に置いて、各自の分のお茶を注ぐ。
「いや、申し訳ない」
 錦蔵は莞爾と笑って、つかさから湯呑を受け取る。それにつられるようにして、同様に湯呑を受け取ったフォレストも、
「すまない」
と礼を述べる。いささかどう処するかで困惑があったので、素っ気無い物言いであったが、つかさは、彼が礼を口にしただけでも、上出来と感じていた。
 つかさが無花果の薄い表皮を剥きながら、話を切り出した。
「そーいや、アンタ名前は?」
 今更ながら名前も知らないことに気づいて、つかさが問うた。
「フォレスト」
「それじゃあ、フォレスト。質問だ」
「いえ、この場合、こちらから、ここに到るまでのいきさつを話したほうが礼儀でしょう」
 俄かに表情を固くして、質問をしようとしたつかさに、錦蔵が言う。
「あ、そうですね」
 フォレストの、ここがどこかの質問にも答えていなかったことを思い出し、つかさは少し緊張を解いて、改めて口を開く。
「ここは火川神社。こちらの紅堂さんが宮司(ぐうじ)をしている。アンタが、瞬間移動って言っていいのか、それで私と一緒に連中から逃げ延びたわけだけど」
 瞬間移動という非現実的な語句が出ても、錦蔵は怪訝な色を浮かべるどころか、粛々と聞いている様子である。どうやら、異能には免疫があるらしい。
「アンタはそれっきり意識無くしちゃったから、私が世話になっている火川神社(ここ)に、タクシーで連れて来たってわけ。女手ひとりじゃ運ぶのに一苦労だからね。タクシー代あとできっちりもらうよ」
 金勘定のことも忘れていないのはさすがである。が、果たしてフォレストが人間世界の金銭を持ち合わせているかどうか。
火川神社(ここ)なら、事情もわかってもらえるし、私の雇い主だから、経過報告の必要もあった……紅堂さんにも、アンタからの情報直接聞いてもらったほうがいいと思ったし」
「私が、お前の背後関係を探るための間者だとしたら、そのための芝居だったとしたら、どうする?」
 フォレストは眉尻を上げて、冷然とした切り口を、話に滑り込ませる。
「ま、そんな野暮なことする三ノ下には見えなかったからね」
 つかさは己の眼力を疑わず即答した。
 フォレストが呆気に取られたのを機に、つかさは告げる。
「それじゃあ、こっちから質問始めるけど」
 庭先に、鴉が舞い降りていた。
 その目玉は、赤く禍禍しい光を宿し、障子戸が開け放たれたままの部屋の中を観察するように、くまなく巡っていた。
 それに呼応するように、類する真紅の眼差しが、同様に、部屋内の三人を見るように向けられる。
 正しくは、錦蔵宅でもある火川神社の石段の下から、見上げている。
 実際には肉眼に映っていない三人に、石段や神社そのものを見越して、狙いを定めるかのように。
 その眼差しの持ち主は、己の親指の絆創膏を取ると、その薄い傷口から滲む血で口紅のように、唇を彩る。
 そして、その唇から解き放たれるのは、呪詛。
「我が身に宿る魂よ、月に仇為す者たちを粛清すべく、我の求めに応じ給え――」
 詠唱するのは、火織にほかならなかった。
 
「来る」
 唐突に、フォレストが立ち上がった。
「なに?」
 質問の途中であったつかさが訊く。すぐ行動に移れるように、腰を上げる。
「火織ですな……」
 錦蔵が神妙な顔で呟く。
 フォレストが無言で首肯した。
 つかさも、肌が粟立つのを感じた。
 開いたままの障子戸から、庭へ変身した彼女が降りて来るのが見えた。
 先に庭にいた鴉が、彼女の肩に止まっていたもう一羽と、上空へと飛び立つ。
「火星の化身たる情熱の闘神・ソルジャーマース……月に代わって、あなたたちを粛清します」
 ソルジャーマースは儀礼的に開戦を告げると共に、紅蓮のオーラに包まれる。
「か、火織……」
 慨嘆に表情を歪める錦蔵の声は、彼女に届いていなかった。