ACT3 暗転する世界  (Part21)



 唐突に兎和(とわ)の視界に、天に昇るどす黒い煙が入った。
 いきなり空間に現れたかのように。
 煙の根元で、空が仄かに赤く色づいている。波立つような揺らぎを見せて。――火事!?
「結界で遮断(シールド)されていたのか!?」
 隣を歩いていた美菜子の襟元から、エンが顔を出して、最も有り得る可能性を口にする。
「け、結界……っ」
 兎和は思わずエンの顔を見入る。
 結界を使う者として、心当たりがあるのは、ソルジャーマースこと火織しかいなかった。
 それも、自分たちの目的地と同じ方角で。いや、むしろ――。
「あたしたちの向かっている先へ、マースが既に来ていると見ていいかもしれないわね」
 美菜子が厳しい表情で言いながら、懐からメタモルフォーゼペンを取り出す。そして、兎和に目配せする。
 兎和は俯き加減で顔をしかめた。
 エンと美菜子が訝しげに兎和の顔を覗き込む。
 少なくとも、現実に火事が起きている。十番中学に潜り込んで来た美菜子が、エンの指示で十番中学の教師に変装(メタモルフォーゼ)し入手した火織の情報から突きとめた、火織の実家――火川神社のある方角で。
 火事、結界、火川神社。火織に結び付くものばかりで、兎和は正直気が滅入った。
 火織が『月闇』の民としての行動を再開したと思いたくない。
 もし、『月闇』の民としての彼女(ソルジャーズ)と、変身した自分(セーラームーン)が出会ってしまったら、闘わずに済むことが有り得るであろうか。
 闘ったら、これまで積み重ねてきたことが、全て嘘のように崩れて消えてしまうような気がして、嫌でたまらなかった。
兎和姉(とわねぇ)っ」
 美菜子が兎和の眼前に顔を寄せて、呼びかけた。射るような鋭い視線が、兎和の心を見透かすように感じられた。
「止めたいんでしょ、紅堂火織を。なら、止めるってことは、お互いの気持ちをぶつけなきゃできないことなの。そして、ぶつかること、衝突に争いはつきものよ。でも、争いを避けてちゃ、馴れ合いのうわべの関係にしかなれないわ」
 エンを理解者として受け入れるまでの道程が平坦ではなかったからこそ、美菜子は断言できた。そして、必ずしも、争いが殺し合いになるわけではない、と思うこともできた。
 伏せ目がちであった兎和の目が刮目される。
(争いを避けてちゃ、馴れ合いのうわべの関係にしかなれない)
 だからだろうか。遠慮していたから、気持ちを素直にぶつけきれていないと思うから、火織を信じきれずにいるのだろうか。
 兎和は顎を上げると、溜息混じりに苦笑する。
「どっちがお姉さんなんだかわからないね」
 そして、美菜子に礼を言う代わりにウィンクすると、兎和は三日月レリーフのメタモルフォーゼペンを取り出す。
「急ぐわよ、兎和姉」
 兎和の様子をエンと確かめて、美菜子は炎上する行く先を睨み据える。
 そんな美菜子に従う形で後方に立つ兎和の口許に、また微苦笑が浮かんだ。
 美菜子からは、いつのまにやら「兎和姉」と呼ばれる間柄になってしまった。「兎和さん」と呼ばれるのがむず痒くて、「うさぎ」という渾名を呈示したのは、兎和のほうなのだが。
 自分より戦闘に限らない人生経験を積んでいそうな美菜子に、お姉さん扱いされるのも面映い。
 だが、そんな仲になれたのは喜ばしいことである。争ったというわけではないが、『月闇』の民という共通の敵に対するこれまでの闘いを通し、互いの真実の気持ちを見ることができたからなのであろう。
(火織ちゃんともなれるよね、きっと)
 何と言っても、互いのもうひとつの姿を見知っている間柄であるから。もうお互いの真実に一歩近付いているはずであるから。


 フォレストは互いの殺気でソルジャーマースと牽制し合いながら、無花果(いちじく)をつまむと、器用にするりと表皮を剥いて、頬張る。
 果実のエナジーを摂取したのである。甘味と共に、ほどよくエナジーが身体に広がった気分になる。余裕のあるフリでもして弱気を押し隠さないと、一気に畳み込まれる相手である、少しでも戦力を回復する必要があった。
「うまいが、ひとつしか食べている暇は無さそうだ」
 フォレストは、もてなしてくれたつかさと錦蔵をちらりと見やると、非礼を詫びた。
 フォレストの手のひらが向けられた無花果が見る間に干からびていった。
 言葉を失って、つかさと錦蔵は、庭に下りたフォレストの背をそのまま見送った。
 エナジーを直接吸収した。その原理を知らずとも、つかさは、フォレストが何をしたか直観で理解できていた。
(やっぱり、あいつと同じだ……)
 鍛冶谷唯一(かじたにただひと)と同様の、人外の者とつかさは改めてフォレストを認識する。先ほどまでの和んでいた気持ちが、嘘のように冷えて、代わりに、しこりが残ったように気持ちが重くなった。
 ソルジャーマースは冷徹な視線を周囲に巡らせる。
 瞬間、一帯の気圧が重苦しくなったことを一同は感じた。真っ先につかさが、異状に声をあげる。
「こ、これは!?」
(結界か……)
 フォレストは眉間に皺を寄せる。これで、瞬間移動は封じられたことを悟って。
 苦渋の色をフォレストの表情から見て取ったソルジャーマースはうっすらと冷笑すると、その親指を目許に持って行く。
 指先に滲んでいた血糊が、さながらアイシャドウのように、ソルジャーマースの双眸を縁取る。
「私の目は、相手の感情を映し力に変える。そして、自らの血で彩ることにより、己の感情を力として十二分に燃焼させることが可能となる」
 そう説明するソルジャーマースの相貌から表情が消えた瞬間、彼女が纏うオーラが現実の炎となって、一面に延焼する。
「ど、どういうつもりよ、アンタ!?」
 つかさが叫んだ。結界による気圧の変化に調子を崩したらしい錦蔵を支えながら、信じられないといった表情で。
 ソルジャーマースは無言のまま、手をかざす。それが合図のように、火勢は一層激しさを増し、境内の木々や神社を燃やし尽くしていく。
「自分のおじいさんまで焼き殺すつもりっ!?」
 つかさが動揺を露わにして怒鳴る。ソルジャーマースが一向に自分たちに目もくれないことで、表情には怒りによる険しさが増す。
 錦蔵の身の保証さえあれば、我が身を顧みず跳びかかっていたところである。
 そんなつかさを制するように、フォレストが動いていた。
 フォレストの手から散弾がソルジャーマースに放たれる。無数の植物の種子が弾の正体である。
 ソルジャーマースはよけない。身に纏う炎で、肉体に直に触れる前に焼き尽くされると踏んだからである。だが、それは判断ミスであった。
「あうっ」
 ソルジャーマースが悲鳴をあげて、両膝をついた。
 フォレストの種子の散弾は、ソルジャーマースの四肢に撃ち込まれていた。
 フォレストはうずくまるソルジャーマースに技の名を告げる。
散華種雨(さんげしゅう)……。植物の種子は暑さにも寒さにも耐える強固なものだ。それを強化すれば、一瞬の炎の通過ぐらい耐え得る」
 屈辱と痛みに身を震わせてソルジャーマースが、紅蓮の眼差しでフォレストを睨み上げた瞬間、更なる変化が彼女を襲った。
 唐突に瞳に映る画像がぐにゃりと崩れた。ソルジャーマースの身体そのものが地面に崩れた。
 頬を地面に当てながら、ソルジャーマースは呆然とする。身体に力が入らない。種子の散弾を撃ち込まれたダメージもあるが、それだけでは説明がつかない。
 歪む視界に、フォレストの足が見えた。
 フォレストは冷厳と彼女を見下ろしていた。
「撃ち込まれた種子が、お前の身体から養分を吸っている。そして、根は体内全てに行き届き、お前の身体を内部から拘束する」
 ソルジャーマースの表情が歪む。
「や、やった」
 つかさは拳を握り締め、快哉を叫んだが、ソルジャーマースこと火織の祖父である錦蔵の沈痛な表情が目に入った。孫娘の惨状は見るに忍びないものに違いない。
「すいません」
 つかさは申し訳なさそうに呟いた。
「いや、気にせんでください。私の到らなさが招いたことです。私は見届ける責任がある」
 どんなに表情を強張らせても、錦蔵は刮目してソルジャーマーズ(火織)を直視し続けた。
 火織から目を背けることは、火織を見捨てるに等しい。錦蔵はそう考えていた。同じ過ちを繰り返してはならないのである。
 逆に自分を気遣ってくれる錦蔵のつらい胸中を察し、つかさはいたたまれないこの場の幕を下ろそうと、フォレストに声をかける。
「とにかく逃げないと。フォレスト、火織を連れてって」
 燃え広がった火の熱は、つかさたちの肌を汗ばませるどころか、焦がすくらいの勢いである。このままもたもたしていては、本当に焼け死ぬことになる。
 傍から見ると勝敗が明らかなフォレストと火織であったが、異変がこのとき起こった。
「このまま立ち去れ。この闘いは、そっちの私怨による私闘で無意味な犠牲が出ることを防ぐため、応戦したまでのこと。介入は本意ではない」
 フォレストが翳りの落ちた深緑の眼差しで、ソルジャーマースを説いていた最中のことであった。
 周囲の気圧が元に戻った。つかさは火織――ソルジャーマースが負けたためと判断したが、違った。
 結界が急速に縮小し、フォレストを閉じ込める形になったのである。フォレストのオーラが反照して、つかさの目にもフォレストを捕らえる円筒形結界の形が見て取れた。
「う、迂闊……」
 フォレストは嘆息した。
 結界範囲の縮小を察知することは、結界内にいる者からは難しい。結界範囲から外れて初めてわかるぐらいである。今回のように、自分を囲むように結界を縮小されては、動きが封じられるまで気づかない。
 僅かに回復していたエナジーを散華種雨で消耗したフォレストに、結界を破壊する余力は残されていなかった。
「結界には、こんな使い道もあるのよ……」
 地に伏せたまま、ソルジャーマースが小さく言った瞬間、周囲の火勢からひとつの火の玉が飛び出して、身動きのとれないフォレストの身体を弾き飛ばした。
「フォ、フォレストっ」
 叫んだつかさに、闘いの様子を凝視したまま錦蔵が言う。
「私のことはいい。彼と早く逃げなされ」
「え。し、しかし……」
 つかさは躊躇しながらソルジャーマースに目を向ける、彼女もまた身体を地表に伏せたままである。傍から見ても散華種雨のダメージはそう簡単に回復するものではない。それを再確認すると、つかさは唇を一文字に結んで、錦蔵の手を引っ張って、フォレストに駆け寄っていく。
 つかさが怪我している右足の痛みをこらえていることは錦蔵にも察することができた。
「ひ、響木さん」
「紅堂さんを放って逃げるわけにはいきません」
 毅然と言い切るつかさの力のこもった眼差しに、錦蔵はそれ以上何も言えなかった。己の手を引くつかさの手の力、歩速、いずれも己を気遣ってくれている、とわかる。
(この少女を……私たちのために、危険な目に遭わせてはいかん)
 フォレストを抱き起こすのに、つかさが手を離した際、錦蔵はそんな決意を固めながら、つかさの作業に手を貸す。
 フォレストの胸は黒く焼け爛れていた。つかさは顔をしかめる。フォレストはつかさと錦蔵の肩を借りて、起き上がる。弱々しくも、己の両足で立とうとする意識がフォレストに残っていることが窺えた。
「気をしっかり持ってよ」
「私のことはいい……お前たちは逃げろ」
「アンタも、そう言うんだ。勘違いしているみたいだけど、私はひねくれ者なのよ」
 掠れたフォレストの声に、つかさは開き直ったかのような笑みを含んだ声をかぶせると、錦蔵にフォレストを預ける。
「な……」
 錦蔵とフォレストが揃って驚愕した。
 つかさの視線の先には、起き上がるソルジャーマースの姿がある。
「紅堂さん、貴方のほうが不案内な私より逃げ道を案内するには向いています。フォレストはお孫さんに関わる重要な参考人です。絶対無事に逃げて下さい、私が時間を稼ぐ間に」
「ば、馬鹿な」
 錦蔵が上ずった声で一歩踏み出し、つかさの提案に難色を示す。
「私、喧嘩が好きですから……」
 眼鏡を外して振り返るつかさの表情に、錦蔵は言葉を失った。先ほどまでの他人を気遣っていた彼女とはうってかわった、薄ら笑い。ここに来て、悦に入っているような印象を受けた。つかさの言葉が本心のものと確信できるほどに。
 立ち尽くす錦蔵を尻目に、つかさはソルジャーマースに向き直る。
「つかさ」
 ふと呼ばれた。
「――だったな……。お守りだ、受け取れ」
 フォレストが、応じたつかさに、歯噛みして吐き捨てるような言葉を放った。と同時に、つかさが反射的にかざした手のひらに、つかさの髪の色に似た金色とも形容できる表皮の色をしたどんぐりの実が受け止められていた。
「これは……」
 どんぐりに落としていた視線をつかさが上げると、フォレストの鋭い視線が、注意を促した。
 留意すべきことは、他方にあった。
 ソルジャーマースが片膝をついたままであるが、立ち上がろうとしていた。その細い身体に不釣合いな筋力で、撃ち込まれていた散華種雨の種子を押し出して。
 つかさはその様子に感嘆する。胸の高鳴りと鼓動が同調して、手のひらのどんぐりに連なっていた紐で指先から手首に絡めて、つかさは沸き立つ衝動のまま、ソルジャーマースに向かって走り出す。
(女であるお前を闘わせるとは……恨めしく思うぞ、この天の采配を)
 自分自身で彼女を守れない無力な自分と、対照的に好戦的な彼女を、やりきれない思いでフォレストは見ていた。
 いざ自らが闘いに臨むとなると、わくわくする気持ちのほうが強くて、つかさは足の痛みなど意に介さなかった。いや、むしろ、痛みが興奮を誘っていた。
 痛みが、生きていることを教えてくれる。
 痛みが、相手が真っ向からぶつけて来る想いである。
 今の自分の原点である、痛みの記憶。それが、つかさの喧嘩を期待する気持ちにつながる、眼前にいる相手との。
 つかさの中段の回し蹴りが、立ち上がろうとしていたソルジャーマースのちょうど顔面を捉えた。
 振り切られた爪先が、その威力を物語る。しかし、ソルジャーマースは頭こそたじろぎながらも、更に怒りでたぎる真紅に縁取られた紅蓮の(まなこ)は、つかさに固定されていた。
 つかさはさも愉快な面持ちで、小刻みなテンポで繰り返し小さくその場で跳ねる。
「このまえは、アンタが誑かされていると思っていた。だから、できるだけ穏便に済ませたい、説得したいと思った。だけど、アンタの執念、善悪抜きにして、感心したよ。喧嘩し甲斐のある相手だ。容赦なく、お互いの気持ちぶつけられそうだね」
 つかさの言葉に、ソルジャーマースは冷厳と返す。
「お互いなんてあり得ない、貴女は何もできずに終わる」
「どうかしら、フォレストとの喧嘩で、かなりダメージ残っているようだけど。私の蹴りをかわせなかったほどに」
 そう不敵に笑うつかさを、片膝をついたままのソルジャーマースは睨み上げる姿勢で、手刀を閃かす。そして、小さくぼそっと呟く。
「サラマンダー」
 つかさは瞬時に間合いを見切って、最短のバックステップでかわす。すぐに反撃できるように。その暇を与えず、周囲の火勢から炎の龍が躍り出て、つかさの頭上から襲いかかる。ソルジャーマースの手の動きは、手刀を意図したものではなく、炎の龍(サラマンダー)を召し寄せるものであった。
 間一髪直撃をよけたつかさであったが、地を喰らうサラマンダーの爆風と、高熱の余波を浴びて、ガードに回した両腕に火傷を負ったうえ、吹き飛ばされてソルジャーマースから離れざるを得なくなる。
 接近戦を避ければ、つかさに勝機を与えることはないとソルジャーマースは心得ていた。
(周囲の火を利用しなきゃいけないなんて……不甲斐無いわね)
 自力で発火できないほどにエナジーは消耗していた。が、炎を瞬間的に制御して、標的にぶつける余力は絞り出せるくらいは残っている。残り少ないエナジーの温存のため、操作の徹底は避け、方向だけ定めて放った。
 過去の遺物を焼き尽くすために放った火が、ここで役立つとは、ソルジャーマース自身想定外であった。
 そんな彼女の脳裏に、忠実な下僕である鴉(フォボスとディモス)たち の目が捉えた情報が映し出される。
兎和(うさぎ)ちゃん……早く終わらせなくては……)
 ソルジャーマースはこめかみを抑えて、顔をしかめる。
 そんな彼女に、近くから声をかけて来る者があった。
「もうやめておくれ」
 錦蔵である。厳しい表情とは裏腹に、嘆願する声音で。視線を転じて来たソルジャーマースの、苛烈な炎色の眼差しを正面から受け止めて。
「もうやめておくれ、火織。私ひとりで充分だろう」
 懇願するように、繰り返した。
 錦蔵は、動きのままならないフォレストを、その場で座り込ませて、孫娘の間近にまで歩み寄っていた。
 ソルジャーマースと対峙する錦蔵に、フォレストは自ら死地に赴く際に錦蔵が告げた言葉を鑑みながら、ぎりっと奥歯を噛み締める。
「無意味な死ではありませぬ。私ひとりが死ねば、この場は収まるはず。もともとのアレの目的は私でしょうから……」
 フォレストに錦蔵を止める言葉はなかった。少なくても、ソルジャーマースに対抗し得る戦力のない現状でつかさだけでも救うには、錦蔵の行動に従い、それに望みを託すしかなかった。フォレストからしてみれば、重んじるべきは、つかさの命であったから。
(お前を、ここまで追い詰めたのは、私の罪過だ)
 己の罪の象徴たるソルジャーマーズ(火織)を直視する錦蔵の視界に、こちらに挑みかかろうとするつかさの姿が目に入った。錦蔵の自己犠牲を非難する不承知の意志が、姿勢に体現していた。
「早くやるが良い。邪魔の入らぬうちに。ただ、私を殺したら、この場は引き上げてくれ、頼む」
 真摯な眼差しに促され、ソルジャーマースは無言で頷く。右手に熱気が渦巻いた。ヘブンズヒートを繰り出すべく。
 ソルジャーマースは細い吸気に合わせて、右手を構える。
「やめなさいっ」
 ありったけの声を出して、つかさは渾身の力で地を蹴った。だが、サラマンダーによるダメージは確実に、彼女の動きを鈍らせていた。いくら頑張っても届かない現実を、つかさは無力感と共に知った。
 その瞬間、上空からの銀光の玉が、錦蔵を突き飛ばし――。
 直後、湿った衝撃音が響いた。


 自宅にいた藍は、後輩の生駒いずみとの音信がここ二日間取れなくなったという連絡を伝えて来たケータイを切るなり、アラームで異状を知らせるセンサーアイのゴーグル兼ディスプレイを確かめる。
「この反応は、マースと……兎和(うさぎ)ちゃんたち……!?」
 そして、接近していたエナジー反応のひとつが、突然消えた。
「え……うさぎちゃん……」
 敵であるマースと接近しながら、セーラームーン(兎和)が変身を自分の意思で解いたとは考えにくい。行動を共にしていると思われるヴィーナスの反応に変化がないことを考えても。
 藍の胸中に、新たな暗雲が立ち込めた。


 火川神社に駆けつけたヴィーナスヴィーナス(美菜子)は絶句した。ヴィーナスが追いつけないほどの飛行スピードで急降下したセーラームーン(兎和)の胸を、ソルジャーマースの右手が抉るという光景を目にして、身体はおろか唇すら慄然と動かなくなった。
 ヴィーナスの襟元から顔を覗かせていたエンも同様である。
 その一瞬、場にいる一同、時間が止まってしまったかのように微動だにできなかった。
 セーラームーンの胸から地面に血が溢れ落ちるさまを見て、エンが、ようやく声を押し出す、絶叫という形で。
「セレニティィィッッッ」