ACT4 戦士、出陣  (Part16)

「み、美菜子……」
 セーラーVを踏みにじるフォレストの身に宿るミネルヴァの姿を認め、エンディミオンはよろめきながらも、強引に刃を抜くと同時にアクアから跳び退く。傷が多い、このまま放置するわけにはいかない出血量である。
 心臓に近い傷口を抑えるエンディミオンであったが、その指の間から七色の煌きがこぼれる。張り詰めた筋肉で傷口を閉じる。
 そんな荒業をしてのけるエンディミオンの力の根源に、アクアは共鳴するものを感じた。全身が粟立つくらい、内側から力が分泌され、ますますこの闘いに魅了されていく恍惚感に身を委ね、走り出す。
 左腕から伸びる血の刃は一本の突撃槍にまとめられ、突き出される。死刃薇(しにばら)で受け流すエンディミオンに、今度は鉾から濁流鞭が放たれ、連続攻撃が展開される。
(これほどの能力を使いこなすには消費するエナジーも相当のはず……やはり別種の力が働いている)
 攻撃に耐え凌ぎ分析することを通し、エンディミオンは冷静さを保とうと努めるが、確実にダメージは蓄積されていた。セーラーVが気にかかり、アクアに応戦しきれない。
(ミネルヴァは、フォレストを依憑にしてしか、まだ動けない。今なら)
 焦りでおろそかになったアクアに対する注意の間隙を縫って、その鉾がエンディミオンの脇腹を抉る。
 セーラーVの救出と同時にミネルヴァへの攻撃を試みようとしたエンディミオンであったが、逆に深手を負って片膝をつく。しかし、エンディミオンは鉾をそのまま傷口に押し付け、アクアの武器を抑え込む手段に出た。
「なっ」
 虚を突かれたアクアを、エンディミオンは死刃薇で袈裟懸けに斬る。
 エンディミオンはよろめくアクアの横を走り抜け、一顧だにしない。アクアの体内には、彼の能力を高める“別種”の動力源となるマーキュリーのスタークリスタルがあるに違いない。それを頭ではわかっていても。
 ましてや、アクアは一瞬身を引いた。致命傷には到らなかったはずである。それも気付いている、むしろ心の隅で安心した。隅に追いやったはずの、仲間を斬りたくないという思いが頭をよぎる自分を、エンディミオンは滑稽に思う。
 今の自分は、かつての仲間を斬ることも厭わない、そう覚悟を決めた。実際、アクアが相手でなければ、斬り伏せていた一刀である。
 セーラーVを救い出さんがためだけに、その覚悟の一刀を、エンディミオンは再び振り下ろすことを優先した。
「エンディミオン」
 同朋の姿で、ミネルヴァはこちらに跳びかかる彼の名を叫び、睨み上げた。
 一瞬にして勢いを殺され、エンディミオンの身体が宙で固定される。驚愕する彼の顔を、ミネルヴァはしたり顔で眺める。
 透明であったため、わかりづらかったが、雨が瞬間冷却され、蜘蛛の巣状の氷となって、エンディミオンの身体を絡め取っていた。目を凝らし、それを理解した彼の眉根には深い皺が刻まれた。
「其方に死なれては、地球を託す者がいなくなる。それは、我と共に生きるエアの意志でもある」
 エンディミオンの表情が哀切に歪む。
「エアの名を騙るな、エアを唆した貴様が」
「唆されているのはどちらだ?この娘を救うために、月の国――シルバームーンのために、其方の母君は亡くなったのだろう。エアの気持ちも理解してあげればよかろうに」
 ミネルヴァは憂いを帯びた視線を泳がせながら、優しい声音で呟くと、セーラーVの手を踏みつけながら、残る片足で脇腹に蹴りを入れた。
「美菜子」
 エンディミオンは目を剥いて呼びかけるが、セーラーVは微かに首を動かすしか反応を示せない。
「美菜子……それが、今生における名か……ヴィーナス、ガイア(・・・)、セーラーV、美菜子、忙しい身よな。だが、もう転生(REVERSE)できぬくらいに、今生にて、その魂、我が母星復興の肥やしとして使役してくれる」
 ミネルヴァは語尾に力を込めて言い放つと同時に、力なく横を向くセーラーVの顔を踏みつける。踵を捻るように押し付ける念の入れ様である。
 セーラーVの表情は見えない。身体すら動かない。最悪な予想に、エンディミオンは怒声をあげた。
「もうやめろおっ、そんなことをして何になるっっ」
「肥やしにする前に、生きながら地獄を味わってもらうため。せっかく、血の通う肉体のある地球人として転生して来たのだ、嬲り者にするのも面白かろう」
 陰湿な含み笑いをするミネルヴァは、上空の報道局のヘリコプターを()め上げると、セーラーVの襟口を引っ掴み、勢い良く振り上げる。
 びりりいっっ
 ミネルヴァの破壊的エナジーも手伝って、ボロボロのセーラースーツは引き裂かれ、はだけたところから、セーラーV――美菜子の下着が見えた。
 美菜子の口許が悲鳴をあげたげに歪んだ。
「いかんいかん、ショーはもっと見やすいところでやらんとな」
 わざとらしくミネルヴァは一度肩を小さくすると、美菜子の首を捕まえ持ち上げる。肌そのものも赤くしながら美菜子は首をもたげ、意力を示そうとするが、傾く顔は震えるぐらいしか動かない。それでも、恥辱を懸命にこらえながら、美菜子は目だけでも動かし、ミネルヴァを睨みつけ、反抗を試みる。
「ふん、どういう了見で、そんな目を我に向けることができるのか、正直理解に苦しむ……。お前の味わう生き地獄は、我が、この地の底から、地球の民の所業を見て来た結果だ……地球の民は誤った方向に進化した。他人(ひと)惑星(ほし)まで、自分たちの価値観で勝手に秩序づけようとする傲慢なシルバームーンの民であるお前のエナジーを浴びたことで……な。それは改めるには、もはや手遅れ。だからこそ、我は、人々に、偽善に彩られた世界の真実を――“月の闇”を受け入れるように導かなくてはならない」
 美菜子の瞳に、急速に力が失われる。全身は震えるだけで、ぶら下がったままである。“血の記憶”がまたも彼女の脳裏でフラッシュバックされ、気力を挫く。
「黙れ……」
 殺気のこもった沈んだ声がした。精神的支柱が崩壊しつつあった美菜子を見て悦に入っていたミネルヴァであったが、即応して振り返る。
 ミネルヴァが見たものは、炎のように揺らめくオーラに包まれたエンディミオンが氷の網を蒸発させて、鬼気迫る形相で地に降り立った瞬間であった。
「貴様はやり過ぎた……これ以上、俺の()の過去を弄ぶのは許さない」
「ふっ、インフェルノの遺したエナジーがあったか……」

「おいおい、こんなときにカメラ故障か」
 上空のカメラで地上の様子をライブ中継していたカメラマンは、悲鳴に似た声を上げる。ズームして、戦況を詳しく捉えようとしたところであった。はっきりとは識別できなかったが、セーラーVの服が裂けたときに、レポーター共々、良識が、これ以上の生中継に逡巡したのが、スクープを狙った彼らにとってみれば災いした。
 強烈な磁気を浴びたように、映像が乱れている。
「くそっ」
 歯噛みして、カメラマンはテレビカメラを叩いている。
 レポーターのほうは、せめて肉眼で実況しようとするが、建物が邪魔して、ヘリコプターはこれ以上地上に近づけない。
「この天候で、風も出て来たし、もう危ないです」
 パイロットが弱音を吐く。確かに、ヘリコプターが先ほどよりも不安定なってきたようである。警察のヘリコプターから頻りに発せられる警告にうんざりして、あきらめようとしたとき、レポーターは、地上に新たな銀色の光が見えた。

 対峙するエンディミオンとミネルヴァは、銀光を視覚的情報として捉えてはいなかったが、その光の発するエナジーを知覚し、動きを止める。エナジーは猛スピードで接近している。
「セレニティか……」
 ミネルヴァは忌々しそうに呟き終えたときには、銀色のオーラを発散し、ここまで飛来して来たセーラームーンが、ミネルヴァを見下ろす形で宙に静止していた。彼女もまたミネルヴァに対し、憤怒の面持ちであった。その怒り様を暗示するかのように、髪がオーラで大きく揺れていた。
「セーラーVちゃんに、何て真似してンの?」
 無惨な姿で、ミネルヴァの手に吊り下げられているセーラーVの姿が、セーラームーンの怒りを増幅させる。
 テレビ中継でセーラーVの苦戦を知って、慌てて駆けつける間に、ここまでひどい目に遭っていたとは。
 しかし、ミネルヴァはセーラーV――美菜子を人質であることを強調するように、更に高くぶら下げて見せる。
 セーラームーンはなす術なく悔しそうにエンの隣に着地すると、地団駄を踏む。
「大体、あいつ、チョー余裕ってカンジでむかつくンだけど、誰?」
「今生では、お初にお目にかかる……我が名はミネルヴァ、『月闇』の女王」
 セーラームーンのエンディミオンへの問いに先んじて、ミネルヴァ自身が答えた。
 セーラームーンはミネルヴァの声に驚いた顔で、
「なに?女王ミネルヴァってオカマ?」
 容姿が中性的なうえ、声が男声と女声が重複するミネルヴァに対する率直な、セーラームーンの言葉であったが、場の雰囲気に場違いな感想を述べられ、エンディミオンとミネルヴァは対峙したまま小さく肩を落とす。
「男の身体を乗っ取って喋っているから、そう聞こえる」
 エンディミオンは手短に説明する。
「へえ、ま、何にせよ、女の敵よね」
 セーラームーンはセーラーVへのミネルヴァの仕打ちに逆上する一歩手前であった。皮肉にも、マースとの闘いやインフェルノの件が、セーラームーンの頭を冷やしている。
 エンディミオンを見返り、彼女は言う。
「せっかく人の姿に戻れたくせに、セーラーVちゃんがあんな目に遭うの止められなかったわけ?」
 弁解の余地がないことを重々に心得ているエンディミオンであったが、彼女が辛辣な口調と共に、真摯な瞳を投げていることに気付く。訴えようとしている、彼女の考えを。
 エンディミオンは、その意図を読み取り、小さく目配せした。セーラームーンの身体で、エンディミオンの様子は、ミネルヴァの死角になっていた。
 セーラームーンは更に落ち着こうと深呼吸しながら、利き手の右拳で、左手のひらを打ってミネルヴァの様子を改めて窺う。
 ミネルヴァはセーラーVを盾にするようして、セーラームーンの正面に合わせて動かす。
 しかし、セーラームーンは再び息を大きく吸い込むと、
「だらしない男にゃ、もう任せておけないわ。人呼んで、月を冠する慈しみと育みの美少女戦士・セーラームーン。月に代わってぇ、お仕置きよっ」
 セーラーVとの違いを明確にするために考案中であった名乗りを声高らかに披露し、おまけに両腕を交差し、二本の人差し指をピンと伸ばしてミネルヴァに突きつけるポーズを決める。
 切迫する闘いのなかの、この緊張感のないセーラームーンの素振りにミネルヴァは失笑する。ぼろぼろのセーラーVですら唖然とするが、張り詰めていた心が思わず解けて楽になった。
 不思議に、胸の裡の力が戻って来る。
(こ、これは)
 セーラーVは胸にうっすらと灯り始めた銀光に、驚愕する。
 この銀色に光るエナジーにミネルヴァも感付く。
「銀水晶……己を嬲っても発現しなかったものが、姉が現れるなり発現するとは、な。手間が省けた」
 ミネルヴァは冷笑を浮かべる。彼女の、検分するかのような冷徹な視線に曝されたセーラーVはぞっとして身を硬くした。
 すると、視界の外から光が入って来た。
 ミネルヴァとセーラーVが目を向けた先には、セーラームーンの放った黒いエナジー光球――ルナティックブラックボールがあった。
「馬鹿め」
 ミネルヴァは盾代わりに、セーラーVの身体を差し向ける。読んでいたとおりのミネルヴァの反応を確かめて、セーラームーンは拳に力を入れる。
(今よ、エンっ)
 ミネルヴァは他所に気を取られている。
 そこへ、死角からエンディミオンが攻撃を仕掛け、セーラーVを助けるはずであった。しかし、セーラームーンの目は予期しなかったものを映す。
 逆にエンディミオンの背後の死角に回っていたアクアの姿。セーラーVを助けることに気を取られているエンディミオンはわかっていない。いや、アクアは気配を殺している。感知は難しい。
 声をあげて知らせれば、ミネルヴァも気付くことになるが……。
「え」
 迷った瞬間、セーラームーンは別の存在を捉える。
 水色に光る棒状のものが旋回しながら、エンディミオンに襲いかかろうとしていたアクアを遮る。
 エンディミオンは、その思わぬ助太刀に気付き瞠目しながらも、そのままセーラーVの細首を掴まえるミネルヴァの手めがけて蹴りを振り上げる。
 それと同時に、三者に接近していたルナティックブラックボールが内側から銀光が溢れる出るようにして破裂する。
「いけっ。ルナティックブラックボールッバージョンV、別名っルナティックホワイトボールッ」
 セーラームーンは渾身の力を込めて叫ぶ。
 エナジーを吸収するルナティックブラックボールッバージョンUの性質を利用して、自分の“ヒーリング”のエナジーを吸収させ、そのエナジーを、セーラーVに向かって解き放ったのである。
 まさに、セーラーVの鼻先で破裂し、弾ける銀色のエナジーは一瞬ミネルヴァの目を眩ませる。同様に目を瞑ったセーラーVであったが、その間、周囲に広がるエナジーが自分の身体を癒していくのを感じ取る。セーラースーツも修復されていた。
 直後の衝撃音と共に、セーラーVは首に込められていた力から解放される。
 ミネルヴァの手から地に崩れようとしていたセーラーVをエンディミオンが丁寧に抱き止め、ミネルヴァから離れ、セーラームーンの横に移動する。
 蹴りを振り上げた体勢の関係上、ルナティックホワイトボールに背中を向けていたエンディミオンは銀光を直視することなく、セーラーVを助け出すことができた。
「うまくいったわ。邪魔が入りそうになったときはヤバイと思ったけど、藍さんのおかげね」
「ああ」
 満面の笑みで快哉を叫ぶセーラームーンに、エンディミオンは頷く。両者の視線はミネルヴァから離れ、別のところを指していた。
「マーキュリーも来ているのね」
 セーラーVは、修復されたセーラースーツを確認するように、破けていた胸の部分に手を当てながら、仲間の視線の先に目を向ける。
 アクアと闘うセーラーマーキュリーの姿が、そこにはあった。
 彼女もまた、報道された現場の様子に、危急を悟り、駆けつけたのである。
 セーラーVが無事であったことを察すると、マーキュリーは正面のアクアと睨み合って、互いに牽制しながら、セーラームーンたちに叫ぶ。
「こっちは、あたしが引き受ける。あなたたちは、そっちの親玉お願いっ」
 しかし、以前アクアを相手に、揃って窮地に追い込まれたセーラーVは躊躇する。
「大丈夫よ、藍さんは」
 セーラームーンがセーラーVに、声をかけた。マーキュリーは新しい装備を携えている。その外見を見て取ったときは首を捻ったが、マーキュリーは自信のある表情である。理由を明確にしようとする姿勢から、明かな根拠ある自信しか持たない人だと、セーラームーンは彼女を心得ていた。
 セーラームーンに振り返ったセーラーVは、自分を気遣ってくれている眼差しを受け止め、もう一度マーキュリーを見る。
 エンディミオンは毅然とした視線でミネルヴァを牽制したまま、抱き上げていたセーラーVをゆっくりと地に下ろし、言う。
「マーキュリーも、セーラームーンも自分の意志で闘いに赴いてくれた……お前を助けるために」
 インフェルノの件で、セーラームーンの苦悩を知るエンディミオンは、己の言葉と共に、セーラームーン――兎和(とわ)の行動の重みを噛み締める。
 セーラーVは、マーキュリーの闘志という確固たる意志が漲る瞳を確認していた。それは、怪盗ではなく戦士としてのもの。
 「戦士の面汚し」と彼女を叱咤した自分が、弱気でどうする。セーラーVは気丈に顎を上げ、しっかりとミネルヴァを見据えた。
「そうね、あたしの(ごう)は、あたしがカタをつける」
「ううん、そうじゃないでしょ」
 そう口を挟んだセーラームーンは、セーラーVよりも一歩前に踏み出す。ミネルヴァに向かって。
「あたしたち(・・)でしょ。あたしたち(・・・・・)でカタをつけるの」
 ちらりとセーラーVを見やって、セーラームーンは諌める。戦闘態勢のなかで、愛嬌ある仕草を垣間見せて。
 その言葉を聞いていたエンディミオンは小さく微笑む。
(……戦士だったんだな……兎和(かのじょ)も。守ろうとばかり思っていたのは、俺たちの傲慢だったかもな、美菜子。共に支え合う――それが、仲間だった)
 忘れていたことを思い出し、決戦を前にしているというのに、心が晴れやかになる。
 セーラーVも、セーラームーンの言葉に不思議な安らぎを覚えた。力強く頷き返す。
(そうね、みんな闘っているんだ)
 マーキュリーも闘っている。
 セーラーVは決然と口を開いた。マーキュリーの耳にも届くくらいの大きな声で。“仮面”を外す――“仲間”に対して威儀を正すときと心得たから。
 コスチュームに、新たにエナジーが漲るかのように、光沢が帯びる。若干鎧のような硬度を思わせる質感に、スーツは変化している。実際のところは、布とも金属とも判別できない、不思議な光を放っている。
「あたしは、これから、愛の星・金星を守護する錬金の女王・セーラーヴィーナスとして闘うっ」
 それは、ミネルヴァとの第二ラウンドの宣戦布告であり。
 セーラームーンとマーキュリーに“仲間”として受け入れてもらうための通過儀礼。
 そして、ヴィーナスから始まった因縁に正面から向き合うという美菜子の決意表明であった。