ACT5 追うもの追われるもの  (Part11)


 鍛冶谷(かじたに)は丁重にメルセデスベンツの後部席のドアを開き、臣下の礼をとるように恭しく頭を下げて、火織を車内に促す。
「います」
 不意に、火織が車内に身を半ば乗り込ませつつ呟いた。
 火織の肩からドアミラーの縁に移っていた二羽の鴉――フォボスとディモスがギョロリと、猛禽類のように獰猛な視線を、ベンツとは反対側の車線に面した二階建ての民家の屋根に送っている。
「大丈夫ですよ、相手は決まっています」
 鍛冶谷は不敵な微笑を、火織に返す。
 フォボスとディモスは、赤眼を鍛冶谷に一瞬向けると、空高く飛び立つ。鍛冶谷は微笑を揺るがせることなく、二羽の視線を受けとめていた。
 火織は黙って、ベンツに乗り込んだ。鍛冶谷はドアを静かに閉め終えると、運転席に回り、何事もなかったように自動車(くるま)を発進させた。
 すると、フォボスとディモスが先ほど見ていた屋根の上から、小さな影が踊り出た。ベンツを追うようにして。――生き物のように動く白猫のぬいぐるみ、エンであった。
 そのエンを牽制するように、赤い目玉を禍禍しくぎらつかせて鴉が飛来する。
 一羽目の降下にエンは気を取られてしまった。降下のタイミングをずらしていた二羽目の嘴が狙い澄まして、エンの背中を裂く。
「ぐうっ」
 エンは呻き、屋根から大通りとは反対方向の、歩道と車道の区分けもない細道に転げ落ちた。人通りもない。受身もとれない有様であったが、ぬいぐるみの身体が幸いして、落下のダメージは軽い。
(メタルスが……鍛冶谷(かじたに)に憑依している理由……あの男になりすまして、マースを騙しているのだとしたら……)
 背中の痛みをこらえながら、エンは立ち上がる。美菜子から離れ、兎和の警護に当たった甲斐があったというものである、メタルスと火織が関係していることがわかっただけでも。今後の対策は、希望を持って練ることができるという気持ちを支えにして。
 だが、フォボスとディモスの追い討ちがかかる。神経を研ぎ澄まし、そのオーラを察知して身をかわしながら、エンは走る。メタルスと火織のオーラを追って。
(聞け!お前たちの主人は騙されているんだ、このままでは捨て駒にされるぞ)
 エンはテレパシーでフォボスとディモスの説得を試みるが、一切反応はない。
 そのことが、エンは腑に落ちない。
 嘴攻撃に身を翻し、覚悟を決めて四肢に力を入れたエンは鴉たちの目の色を観察する。そして、ひとつの推論に達する。
(メタルスの針か……)
 背後にメタルスがいるならば、確実と言ってもいいであろう。メタルスの針術をもってすれば、生物のエナジーの流れを制御することで、思念波の干渉を一切受けつけないガードを自動的に張ることも可能である。
 ならば、その針を抜けばいいということである。
 この鴉たちはマースの側近に違いない。将を射んと欲すれば先ず馬を射よの例えのとおり、こちらの話に聞く耳を持つようにでもなれば。
 一見防戦一方であるが、エンはそう考えて、攻め手の二羽と故意に肉薄しながら、針を見極めようとする。
 だが、それは中断されることとなる。
 気取られることなく炎の鞭(・・・・・・・・・・・・)が閃いた。
 瞬間、背後から熱気を感じた。エンは振り向く余裕もなく横に跳んだ。右後ろ足が炎に絡め取られた。一瞬で燃え上がる。
 声にならない激痛。炎が広がっていく身体を転がせながら、エンは霞んでいく目で、頭に浮かんだとおりの相手の姿を捉える。
「エンディミオン、待っていましたよ、この瞬間を」
 束ねられた赤茶色の髪先を仰々しくなびかせ、エナジーが転じた炎を纏う鞭を振り回し、インフェルノが立っていた。
 表情こそ半笑いながら、剣呑な佇まいと気迫。フォボスとディモスは、この場に留まることの危険性を察し、飛び去る。
「きゃああああ」
 悲鳴があがった。通り掛かりの女子中学生。十番中学の制服であることが、エンの朦朧とする意識の中でもわかった。だが、彼女が兎和の親友である黄野輝鈴とまでは判別できなくなっていた。
 兎和には部活があるため、塾のある輝鈴は独りで下校することが多かった。いつもの通り道で、炎の鞭を振り回す危ない人に出くわしたと輝鈴は咄嗟に分析する。更に、振り回される度、鞭から火の粉が散っていることから、いつ周囲に飛び火するかわからない状況であることを把握する。現に、ぬいぐるみらしきものが眼前で燃えている。ケータイを慌てて取りだし、110番通報しようとする輝鈴を、インフェルノが睨みつける。
 インフェルノの絶大なオーラによる重圧が、彼女の自由を奪った。ケータイは手からこぼれ、膝を落とす。
 ふん、インフェルノは鼻で笑い、身体に羽織るマントを翻すようにして闇水晶を取り出すと、輝鈴からエナジーを吸収していく。
 既に半身が炎に包まれたエンは、目の前で犠牲を出してもなす術のない自分に歯軋りする。火の回りを遅らせるためガードに回すエナジーの消費、それでも鎮火することのない炎に、意識は薄れていく一方であった。

 火織は車窓から外を覗くようにして、バックミラーに映る鍛冶谷の視線から逃れるように顔を背けた。
 鍛冶谷からは、表情は髪に隠れて見えない。
「どうかされましたか」
「いえ、何でもありません」
 正面に向き直った火織は、すまし顔でそう答えた。
 訝るように鍛冶谷の片眉がわずかに上がったが、火織はバックミラーから覗く彼の眼差しに動じる様子は見せなかった。
 逆に、それが虚勢のように思える。
 そして、火織は知らない。鍛冶谷は憑依され、憑依するメタルスがフォボスとディモスに打ち込んだ針を発信アンテナ代わりにして、彼もまた(・・・)二羽からの情報を受け取っていることを。
 鍛冶谷は思索に無口になる。思わぬ計画の狂いが出そうである。
 しかし、布陣の一角が崩れることは遅かれ早かれ予想済みである。
 鍛冶谷は直線道路を走っていたところで、不意にハンドルを回し、メルセデスベンツを道路の脇に停めた。
 これから落ち合うことになっている相手の気配を察知したからである。
「まったく、相変わらず傍若無人な男だ」
 鍛冶谷はそうひとりごちると、ドアを開けて、きちんと折り目の入ったズボンを履いた足を出す。助手席にあった一冊の雑誌を丸めて、片手に携えたところで、火織が問うた。
「結界を張りましょうか」
 鍛冶谷の様子に、彼が待ち合わせているという相手の属性を察したようであった。
「そうですね、ちょっと邪魔が入らないように」
 鍛冶谷はそう答えて、車外に出るなり、高跳びのはさみ跳びの要領で防護柵(ガードレール)を跳び越える。外車の左ハンドルは、いちいち車体を回りこむ必要がないから、運転席から歩道に出るときは便利である。
 場の重圧が一変した。感覚に障るだけで影響はない。火織の結界である。
 これにより、無能(・・)な人間には自分たちの姿はシャットアウトされる。
 鍛冶谷は足を止める。家電製品、IT機器の量販店が占有するビル。一階では、最新型テレビが並べられ、番組を垂れ流している。
 すると、そのビルの上から黒い影が、鍛冶谷の背後に舞い降りた。
 街の日常的な風景には到底溶け込めない、黒いマントで筋肉質のボディを包む男――アクアである。
 鍛冶谷は、メタルスとして振り返り苦笑する。
「まったく、その姿はどうにかならないのかい。デートもできやしない」
「貴殿のように、他人に媚を売る気はない」
 メタルスの軽口に憮然と答えたアクアは、顎でメタルスの後方を指した。こちら側からは見える雑踏、そしてメタルスすら視野には入れたくないと言わんばかりに目を閉じている。
 メタルスは肩越しに後ろを振り返った。
 ベンツの屋根の上に、片肘をもたれかかるようにして、こちらを見ている火織の姿が見えた。メタルスは苦笑いを浮かべるが、火織はこちらの視線に気づいても、さして気にする様子はない。メタルスにしても、特に問題があるわけではないので、アクアに向き直す。
「こっちはこれが仕事なんだから。その仕事のおかげで、君に耳寄りな情報を入手できたんだ、理解して欲しいね」
 メタルスが大袈裟に天を仰ぐ真似をして、そう言うと、アクアの片目が開いた。
「怪盗セーラーマーキュリー、素顔を知っていても彼女の素性は知らないだろ」
 メタルスは片手に丸めていた雑誌を、アクアに投げてよこす。水野藍が表紙を飾る音楽雑誌。そして、ふたりの傍らのテレビでは、新しいスタジオで新曲を完成させたという藍が映し出されていた。

 エンは既に声も出せない。ただ、インフェルノを毅然と見上げる。もうインフェルノの顔もぼやけて見えないにしろ。それでも、弱気を見せないことが、今の自分にできる唯一の抵抗であると、エンは心得ていた。
 輝鈴はエナジーを吸い尽くされ、蒼白になって倒れ込む。
「逃がすことはしません。貴方がここから逃げるようなら、一帯を火の海にするだけ」
 火の海を彷彿させるかのように、インフェルノはそう言って束髪と同色のマントを広げる。
 だが、エンが瀕死の状態にあって、そんな脅迫を持ち出すのは、裏を返せば、毅いエンの眼差しにインフェルノが気圧され警戒しているからにほかならない。
「では、死んでもらいましょうか」
 エンに反撃を許すことなく距離をとったインフェルノは、鞭を棍に硬質化させる。
 そのとき、パトカーのサイレン音が聞こえて来た。輝鈴の悲鳴で、事態に気づいた付近の住民が警察を呼んだのである。
 一瞬、それに気を取られたインフェルノだが、意に介する様子はなく、炎の棍でエンを串刺しにしようと、投げる体勢を整える。
 けれど、その一瞬が明暗を分けることになる。
「何してンのよおおっっ」
 サイレン音をかき消すような怒声がインフェルノの鼓膜を通り越し、脳髄に直接響いてきた。一種の超音波のように。
 頭痛が目眩を誘い、指先にまで力が入らなくなっていた。手から離れ、炎が解かれた棍が地面に落ちる。その有様と、頭痛に顔を歪ませて、インフェルノは声が聞こえて来た方向を睨み上げる。
 そこには、こちらに飛来して来るセーラームーンの姿が。
「貴様か、またしても……」
「『また』はこっちの台詞よっ」
 セーラームーンはインフェルノの目の前に着地するなり、そう怒鳴り返しながら、炎に包まれるエンを抱き上げる。炎など気にしていなかった。無意識のうちに手に浮かんだ三日月の紋章が放つ銀光が炎を消し、エンの身体を癒す。
 一瞬にして、セーラームーンは輝鈴の元に移動していた。
「きりん……っっ」
 輝鈴の顔の傍で膝をつき、セーラームーンはうなだれて、唸るように呟いた。
 自然に手が動いた。セーラームーンの銀色の光が点る手が、優しく輝鈴の額に触れる。休憩時間、兎和の熱を測ってくれた輝鈴のように。
 セーラームーンの一瞬の移動についていけなかったことに動揺を見せたインフェルノであったが、自分のことが眼中にない素振りのセーラームーンに、彼は自尊心が傷つけられた思いがした。そして、拾い上げた棍を握る手に力を込め、
「きさ――」
「静かにしててっ」
 セーラームーンの一喝と同時に迸ったオーラの重圧に、インフェルノは絶句し、身動きひとつできなくなる。
「こ、この女……」
 インフェルノは弱弱しい声で独白する。脳髄から痛みが引いていくと共に、記憶の断片がフラッシュバックしていた。空いている手を額に抑えつける。
(このオーラ、月に背き……エンディミオンの傍らで……)
 エンディミオンの傍で闘い続けた銀髪の女神――インフェルノはそんな記憶の断片を噛みしめる。しかし、記憶を取り戻すことに反発する自分がいる。女王ミネルヴァに助力を嘆願するように、額にある闇水晶に縋ろうと手が求めているのは、そのためである。

 鍛冶谷がベンツに戻ってくると、火織は安堵の溜息をつく。
「今の人も、お友達ですか?」
「まあ、そうです」
 メタルスは鍛冶谷の肉体で、今日何度目かの苦笑を洩らす。「お友達」と呼べるほど友好的な関係ではないから。火織は、それを察したのか。
 鍛冶谷は静かな物腰で後部席のドアを開け、火織を車内に促す。そのとき、思いついたように彼は火織に尋ねた。
「火織さん、貴女は、お友達と私のどちらが大切ですか?」
「私は貴方しか要らない……」
 火織は動きを止め、微塵の含羞もなく、鍛冶谷の正面から欺瞞なき眼差しで答えた。
「安心しました」
 鍛冶谷のほうがそう言って、先に視線を外した。
 火織が車内に腰を落ち着けたのを確認すると、ドアを閉め、自分が運転席に乗り込み、エンジンをかけるまで、静謐なまでに無音のままそつなくこなす。
 街では雑音と雑踏は日常。音をたてることもない彼らに気を留める人間は普段いるはずはなかった。
「鍛冶谷……唯一(ただひと)ッ」
 震える声で少女は呟く。ベンツが停まっていた脇の防護柵(ガードレール)に走り着いたときには、もうベンツを見送るしかなかった。口惜しそうに唇の端を上げた。
 十番中学とは異なる制服。セーラーカラーに入るラインとスカートは深い緑。胸元は紅色の細いリボンが結ばれている。
 染めたというより元々色素が薄い、光の加減で金色に輝いて見える髪を、几帳面に耳やうなじを隠すことがないように、頭の後ろでまとめ、先端を垂らしている。前髪はふわりと眉毛にかかる程度で、年齢の割には大人びた雰囲気であった。
 彼女は今しがたのことを振り返る。街の大きな道路を中心に散策するなか、たまたま見かけたベンツの傍に見覚えのある少女――紅堂火織が立っていたことを。
 懐から一枚の写真を取り出す。
「鍛冶谷唯一と紅堂火織、あのおじいさんの言ったとおりだったわけ、か」
 制服を着た火織が写っていた。ブレザーで、高級感を醸し出す制服であった。
 駆けつけるより先に、鍛冶谷が火織を連れて行ってしまったが、紅堂火織はこの写真とは違う制服を着ていた。近辺の別の中学に通い始めたと彼女は推理する。
(仇は討つから)
 少女はベンツの走り去った先を、険しい面持ちで見据えた。

 火のついた凶器を持った不審者がいるとの通報を受け、駆けつけた警察の目に飛び込んで来たのは、当事者であろう男が火のついた棒を片手に、空いた手で頭を抱えている姿と、横たわる同年代の少女の傍で立ち上がったセーラー服装束の少女であった。
「セーラーV……いや、違う」
 警察からそんな呟きが聞こえて来た。
 セーラー服装束の少女――セーラームーンは警察のほうに首を回すと、視線を落とした。その視線は横たわる少女――輝鈴を指していた。意識を失っているが、顔色は悪くない。警察のひとりが脈が正常であることも確認する。
「その()を連れて、ここから離れて」
「き、君は」
「……カッコを見ればわかるでしょ、正義の味方セーラーVの仲間。安心して、コスプレじゃないから」
 セーラームーンは手短に素性を説明すると、インフェルノの不穏な気配を察して、踵を返して彼に向かって行く。
「お、おい」
 警察が言いかけたときであった。インフェルノの額から黒い火花が飛び散った。
 警察も、これで不穏な空気を理解したと見えて、素直に引き下がることを決めたらしく、脈をとった男性がそのまま輝鈴を抱き上げる。
 同時に、セーラームーンは足を速め、インフェルノめがけ駆け出す。
「やっぱ、ここじゃ周りに迷惑がかかっちゃう」
 そう呟いたセーラームーンに、エンが襟元から顔を出し、眉をひそめながら彼女の顔を見上げ、状況把握のため周囲を見渡す。いまのところ、彼女は冷静である。マースとの闘いのときのように、我を忘れてはいないが……。
 セーラームーンの手の甲に浮かぶ三日月の紋章(エンブレム)の陰にあたる部分から黒いオーラが溢れ、反対側の掌中で集束し、バレーボール大のエナジーの光弾をふたつ作り出す。
「セーラームーンっ」
 不安にかられ、エンが声をあげた。また闘争本能に乗っ取られてしまわないか、と。
「気がついてよかったわ」
 正面に目を向けたまま、セーラームーンが胸元のエンに答えたときには、彼女はインフェルノの懐に飛び込んでいた。闇水晶の支配との反発が起きているインフェルノは対応しきれていない。
「この街であんなあんな真似(・・・・・)するなンて――コードネーム、セーラームーンが十番街の人々……そして、エンに代わって、アンタの根性を叩き直してあげるわっ!!」
 その宣言と共に、右手に作った光弾のひとつを、左手にあるもうひとつに持っていき、合成する。黒い光が抱えきれないくらいの大きさに膨れ上がり一段と輝きが増す。
 その反動を活かし、黒い光球を右手のほうに投げ返す。それをバレーボールのアンダーサーブの要領で、セーラームーンはインフェルノの顎めがけて叩きつけた。
「があっ」
 インフェルノはエナジー弾を顎から胸倉にかけて受けて、その威力に上空へと押し上げられて行く。
 それを追ってセーラームーンも飛び上がる。
 インフェルノを空高く押し上げる光球はセーラームーンの意志に呼応してスピードを緩める。それを見計らって、セーラームーンはインフェルノの頭上に回りこむと、彼の額に手を当てる。同時に、光球は宙で停止し、セーラームーンの手とインフェルノを挟む形で、彼を空中に固定する。
 そして、インフェルノの額から全身を駆け巡るスパーク状の光に、眉をひそめた。
 エンは、セーラームーンの身体を取り巻く黒いオーラに対し、眉間に皺を寄せていた。
 問題はこれからである。これから彼女がインフェルノをどう処するか。
「大丈夫……」
 セーラームーンがエンの不安を見越して、彼を見下ろし、静かな口調で言った。
 スパーク状の光と共に、インフェルノの額に顕在した闇水晶の黒い光――オーラがセーラームーンの手の甲に浮かぶ三日月の陰に吸い込まれ始める。
 エンの顔は強張り、セーラームーン自身緊張した面持ちになる。
「こ、これは……」
 エンは言葉を失い、ただセーラームーンの顔を凝視する。
 “負”のオーラを吸い尽くし、インフェルノを解放しようというのか?
「あたしのほうが受け入れる気持ちを持たなくちゃ……」
 セーラームーン自身、確信があるわけではない。ただ自分の身のうちから溢れる力は決して彼と相反するものではない。ならば、その枷を代わりに引き受けることもできるのでは、という単純な発想である。
「あたし、知っちゃったから、自分を見失う怖さを……自分が自分でなくなる恐怖を……」
 だから、卯之花兎和としての意識を強く保ち。
 先日の、そして今日のインフェルノの、闇水晶に操られる様子を見て。
 彼も助けたいと思ったのである。
 警察が介入した時間は、そう思い直す時間をセーラームーンに与えてくれた。輝鈴とエンが犠牲となり、逆上した頭を、自分の意志を再確認できるくらい冷ます時間を与えてくれたのである。その間に、インフェルノが闇水晶の拘束と反発を始めた様を見て取る時間が得られたのも大きかった。
「やっぱり、あたしの闘う理由や覚悟なんて、いくら考えたってはっきりしない……ただ、目の前にいる助けなきゃいけない人を見失わないあたしでいたい……そう決めたンだっ」
 セーラームーンは叫んだ。逃げるのではなく受け入れようという気持ちを得て、定まった決心――理由、覚悟を。
 吸い出されていくにつれて、闇水晶のエナジーは周囲へ圧力をかけ始める。それだけの力なのである。少しでも、気が緩めば、吹き飛ばされてしまう。
 しかし、エンの心は平静であった。セーラームーンの確固たる意志に触れ、彼女に成り行きを委ね、見守ることに徹すると決めたのである。