ACT4 炎の転校生  (Part10)

 兎和(とわ)はけだるい身体を、ベッドから引きずり出して、ラジオのスイッチに手をかける。
 耳慣れたBGMが、妙に安心させてくれる。拝聴が日課のN○Kラジオ英会話である。
 さすがに、二日間寝込んで眠るだけ眠ったせいか、眠くならない。眠くならないとわかると現金なもので、兎和はけだるさも忘れ、机に向かってラジオのセンテンスをノートに取るほどに、やる気が沸いてくる。かくして、まる45分間、聞き通した。
 二日間休んでいた不安が解消されるほどの快挙であった。自分で自分を褒めてあげたい。
 兎和がひとりでガッツポーズをとりながらニヤついていると、
「ねえちゃん、だいじょうぶか〜?」
 いつのまにやら部屋のドアから顔を覗かせていた駿が、おそるおそる声をかけてきた。察するに、姉が熱の余り、奇怪な行動に出ていると受け止めたようである。
 普段なら、ノックもせずにレディの部屋を覗くなんてお仕置よ、というパターンであるが、快挙に上機嫌の兎和は気にも留めない。
「聞いて聞いて駿、あたし今朝一睡もすることなく、ラジオ聞き切ったんだよ、凄くな〜い?」
「やっぱまだ熱あるんじゃないの、ねえちゃん」
 真顔で切り返す弟に、さすがに、
「失礼ね」
という一言と共に、兎和は駿の顔面に枕をヒットさせる。
 「いてて……」と鼻頭を抑える駿の横を、兎和は上機嫌に水野藍の新曲を鼻歌にしながら通り過ぎる。
 そんな姉の後ろ姿に、駿は安心してホッと胸を撫で下ろす。姉らしくない深刻な顔で帰ってきた晩から熱を出したものだから、少なからず心配していたのである。
 洗顔を終え、いつものように髪を梳かしながら食卓につく兎和に、父・馬月(まつき)が丼にご飯をよそいながら、にっこり笑って声をかけてくる。
「おはよう、兎和(とわ)。ラジオが聞こえていたから、元気になったみたいだな。今日の朝食は特製だぞ」
 「へえ〜」と兎和が呟いて席につくと、電子レンジが「チン」と鳴った。
 電子レンジで温め終えたものを丼内のご飯の上に乗せて、馬月は兎和の前に出す。途端に兎和が歓声をあげた。
「わ〜っ、あたしの大好きな野菜かき揚げの丼〜♪」
 馬月は顔をほころばせて、味噌汁をよそっている。
 駿が兎和の隣に座ろうとするなり、食卓に並ぶ野菜かき揚げ天丼に、目を丸くする。
「ママの十八番(おはこ)じゃん。どーしたの、これ」
 母の手製の野菜かき揚げは、駿も大好物である。
「ママが、兎和が早く元気になるようにって、出かける前に揚げておいてくれたんだ」
 味噌汁を配り終えて、子供たちのびっくりして嬉しがる反応に目を細めながら、馬月も食卓につく。
「こんなことなら、ねえちゃん、いつも熱を出してくれるといいのにな」
 そう冗談を口にする駿に、兎和は「身がもたないわよ」と一蹴しながら、軽く小突く。
 駿がそんなことを言えるのも、兎和の様子に安心しているからである。
 兎和は母の心遣いに胸が温かくなって、いつものようにテレビの画面上でニュースを読み上げる母・時子に「いただきます」と手を合わせる時間が若干長くなった。
 味噌汁も、農家育ちの母らしく、野菜の風味を活かした仕上がりになっていた。

「おはよ〜」
 兎和は駆け足で先を歩いていた幼馴染兼大親友の輝鈴の横に並ぶと、息を弾ませながら声をかけた。
 輝鈴も笑顔で挨拶を交わすと、病み上がりの兎和を気遣う。
「大丈夫なの?走ったりして」
「大丈夫大丈夫。それより、休んだ分のノート、FAXで送ってくれて有難う」
 兎和は腕に力こぶを作る真似をすると、輝鈴に礼を言う。駿が言うには、二日間、ノートの写しをFAX送信してくれていたということであったから、さすがに目を通す暇はなかったが、そのFAXは鞄にしっかり入れてきた。
「きりんには、世話なりっぱなしよね。ホ〜ント、神様仏様きりん様よ」
 そう言って兎和は輝鈴に手を合わせる。輝鈴は苦笑したが、いつもの調子の兎和に安心したのか、普段どおり談笑しながら、ふたりは登校した。
 本当に普段どおりで、兎和はセーラームーンとしての自分が、熱のさなかの夢にすら思えた。
 だが、セーラームーンとしての体験、出会いがあったからこそ、何気ない日常がいかに幸せなことか、理解するようになっていたのも事実であった。

「紅堂火織です。よろしくお願いします」
 朝のHR(ホームルーム)の場で、クラス担任に紹介された美人転校生が、教壇上で深深と頭を下げた。
 教室の一同は男女問わず喉を鳴らした。男子は美人に色めき、女子はその美人ぶりに羨望の念を起こさずにはいられなかった。
 ただひとりを除いて。
 兎和は喉を鳴らすこともできずに絶句している。
 美人転校生が教室に入って来た瞬間に、兎和の目は彼女に釘づけとなった。同時に血の気が引いた。
 先日、自分たちと闘ったソルジャーマースの変身前の姿に間違いなかった。
 机と椅子は昨日の放課後のうちに、ひとつ新しく用意されていた。兎和と輝鈴の席が並ぶ列の最後列に。
「先生、私、丈はありますけど、それほど目がいいほうではないので、前から三番目くらいがいいかと」
 火織は遠慮がちに担任に言いながら、すらっと伸びて均整のとれている身体の上に置かれた、すきっと余分な肉のない顎で兎和のほうを示した。
 ぎくっとした。兎和は思わず目を合わせないように俯く。
 担任の声が聞こえた。
「それじゃあ、黄野(おうの)からひとつ席を後ろに移動してくれるか?」
 出席番号順に並ぶ席で、卯之花兎和の後ろの黄野輝鈴は前から三番目の席であった。

 休憩時間、時期外れの転校生に、真っ先に声をかけたのは席の位置もあって、輝鈴であった。
「紅堂さんって声も綺麗ね、さっきの授業、うっとりしちゃった」
 一時間目の国語の授業で、音読を指名された火織は、読みにくい古典であったにも関わらず、落ち着いた声で、すらすら読みあげてみせて、教室の一同に感嘆の溜息をつかせた。
 火織は微笑んで、輝鈴と言葉を交わす。
 そんなふたりを尻目に、兎和は席を立つ。いつもなら会話に混ざるところなのであるが。相手が、あのソルジャーマースとなれば話は別である。
 火織の思惑を考えると、自分に狙いがあるとしか思えず、居心地が悪くて仕方がない。
 そんな兎和の胸中は、さすがの輝鈴もわかるはずなく、声をかけてきた。
「お手洗い?あたしたち(・・)も行く」
 女子というのは、連れ立ってお手洗いに行くのが生態のようである。
「え」
「紅堂さんに、お手洗いの場所とか教えてあげないと」
「ええ、お願いするわ」
 輝鈴に促されて、にこやかに席を立った火織に、兎和はぎこちのない笑顔を返すのが精一杯であった。輝鈴の手前、無下に断るわけにもいかなかった。

 もともと用がなかった兎和は、輝鈴と一緒に、入りはしたが、さっさと出た。
 待ち構えていたように、火織が立っていた。案内は口実で、お手洗いには用はなかったようである。
 兎和はあえて視線を火織から背け、蛇口を捻る。
 手を洗う兎和の隣に、火織が寄って来た。耳元に口を近づけて囁く。
「つれないわね。初対面でもないのに」
「初対面のふりをしているのは貴女も同じでしょ」
 官能的な火織の吐息から耳を遠ざけるように、顔を上げた兎和は憮然とした面持ちで言い返す。
 火織は黙って兎和の表情を見上げながら、唇に妖艶な笑みを浮かべた。
「貴女がそうしたがっているから……貴女に気に入ってもらいたくて」
 上目遣いで、悪びれずそう言うと、火織は身体を起こした。ハンカチで手を拭いていた兎和は言葉を失う。
(やっぱ、あたしを仲間にしたいってことよね)
 一瞬の沈黙。そこへ――
「うさぎ、早いわね」
 用を済ませた輝鈴が屈託のない声音を滑り込ませてきた。両者間の雰囲気を間が持たないゆえのものと判断して、火織と兎和の間に体をわざわざ割り込ませて、輝鈴は水道の蛇口を捻った。
 手を洗いながら輝鈴は、火織に特別教室のある階を教えている。
 傍らで、兎和は手持ち無沙汰に、相変わらずのうさぎのキャラクター入りハンカチを手中で弄んでいた。ふと藍のことが頭によぎった。
(藍さんに相談しようかな)
 ケータイのアドレスは教えてもらっている。
 兎和がそんなことを考えている横では、輝鈴と火織が互いのレース、隅に薔薇の刺繍の入ったハンカチを見せ合って、仲良く談笑するに到っている。
「ねえ、うさぎってば」
 輝鈴が兎和の肩を叩いた。それで、さっきから彼女が自分を呼んでいたことを兎和は理解する。すっかり聞き流していた。
 輝鈴が心配そうに兎和の顔を覗きこむ。
「大丈夫?ボーッとして。熱まだあるんじゃない」
 輝鈴は自分の額に手を当て、もう一方の手で兎和の額に触れて熱を測る。兎和はつくり笑いで、御茶を濁す。
「大丈夫よ、きりんってば心配しすぎ」
「ならいいけど」
 輝鈴は首を傾げつつも、笑みを返す。
「仲いいのね」
 輝鈴の背後で、火織がぽつりとそうこぼした。
 ふたりが彼女を見返すと、ばつが悪そうにしながら、遠い目をした。
「私には、触れてくれる人なんていなかったから」
 その言葉に、兎和は先日の闘いでの彼女の言葉を思い出す。
 『忌避される。人は己の理解・制御を超えた力を忌み嫌う。集団は異分子を排除する』
 火織の体験から来る言葉だったのであろう。兎和は不意に悲しくなった。
「それは、く――火織ちゃんが美人すぎて、みんな遠慮してたからじゃないかなあ」
 火織の言葉の重みを打ち消すように、火織の視線の正面に立った輝鈴が指を一本立てて諭すような仕草で、明るい調子で言う。
「火織ちゃん?」
 聞き慣れない単語に、火織は問い返す。
「そ、火織ちゃん。そう呼んじゃ駄目?」
 語尾は言いよどんでいる感じであったが、輝鈴は輝鈴なりに、火織の抱えていた孤独感を察し、精一杯(・・・)火織の気分を害さないように、親しく接しようと努めているようであった。
 兎和にはそれがわかる。輝鈴は元来自分ほど人見知りをしないタイプではない。だから、初めは「紅堂さん」と呼んでいた。会って間もない人間に、名前をちゃん付けで呼ぶ許可を得ようとするには、彼女はかなりの勇気を要したに違いなかった。
 火織は身じろぎひとつしなかったが、目線を所在無さそうに巡らせている。それは、彼女の内心の動揺を示している。
 そして、頬を紅潮させて口を開く。白皙にさした赤みが、一際兎和たちの目を引いた。
「か、かまわないけど……火織ちゃんで」
「えへっ、やった。じゃ、あたしはきりん、あっちはうさぎね」
 輝鈴は笑顔で親指を立てて兎和に向けて快哉を叫ぶと、火織に自分たちの呼び方を示す。
(きりん、貴女やっぱいい()だよ。そうだよね、友達になれたら、闘わなくていいよね)
 輝鈴は兎和のハンカチの柄にも言及して、火織との談笑を再開している。
 兎和は輝鈴に頼もしさを覚えながら、火織に対する認識をやや改めた。輝鈴の提案に対する反応が可愛らしかった。ペースを崩されると、クールな仮面が剥がれてしまうようであった。兎和は、ソルジャーマース――紅堂火織の素顔を見た気がした。

 その日は体育の授業もあった。無論、男女別であるが、共に体育館でバレーボールの授業である。
 そこで、Tシャツ・ブルマー姿を披露した火織は、男子の視線を、そのしなやかな肢体と脚線美で釘付けにした。
 女子からは羨望の眼差しが送られる。中には、嫉妬の念を抱く者がいて、それが悪いことに、バレーボール部所属で、その立派な体格もあって、クラス内に分立する女子の一派のリーダー格であった。名を赤城気恵といった。
 その気恵のグループと、兎和、輝鈴、火織がいるグループで試合をすることになった。
 ネットを挟み、気恵と対峙した輝鈴は敏感に、単なる授業の試合にしては、気負いすぎている気恵の様子を感じ取る。
 斜め向かいに立つ火織に顔を背けるようにしながら、気恵の細い目の焦点が火織に合わせられていることも、輝鈴には察することができた。
 そう思うと、軽口を叩いている相手チームの笑みが嫌なものに思えてきた。
「火織ちゃん、気をつけて」
 輝鈴は隣の火織に注意を促す。
「こんな剥き出し(・・・・)の感情、私は好きよ」
 そう答えた火織の言葉は、リベロのポジションにいた兎和の耳に届いた。火織の真意を量りかね、輝鈴同様、小首を傾げた。
 輝鈴が危惧していたとおり、火織を狙うかのような攻撃が展開された。
 が、火織は先読みしているかのような所作で、レシーブしたボールを回し、逆に攻撃の基点となって反撃する。
 終わってみれば、兎和と火織たちの圧勝であった。
 授業後、いわば本職の身で本気で潰しにかかりながら惨敗したショックで、さっさと体育館を後にして、不機嫌そうに廊下を歩く気恵のグループの前方に、いつのまにか火織が壁に寄りかかるようにして立っていた。
 火織は横目で一団を捉えると、口許に薄く笑みを浮かべ、彼女たちに歩み寄る。
 いつ先回りしたのか、そんな警戒もあって、当然、気恵はいい顔をしない。取り巻きたちも気色ばむ。
「何よ。あんたばかり狙ったことに文句あるの?」
 肩を怒らせて、開き直ったように気恵は言う。火織より頭半個分上の位置にある目は、若干赤くなっていた。
 しかし、火織の言葉は意外なものであった。
「貴女みたいな人、私は好きよ。これは友愛の印」
 差し出された火織の手が、気恵の胸の前で開かれた。黒く輝く水晶(・・・・・・)を根元に見立て、翼の装飾を施したブローチ。高価そうな輝きに、気恵以下一同は、火織の手のひらの上にある輝きに、我も忘れて物欲しそうに見入ってしまっていた。
「赤城さんがもっと大きな空へ飛び立てるように、みんなを空に導けるように」
 火織はにっこり微笑んで、手を更に前に出す。気恵は誘導されるように、胸の前でブローチを受け取った。
「では、私はお先に」
 火織は優雅な物腰で気恵たちに頭を下げる。そして背筋をピンと伸ばすと、そのまま前に歩き出した。気恵たちは思わず後ずさりをして、道を開けた。火織はそれを当然のように彼女たちを一瞥することなく、静かな、しかし強い足取りで教室へと歩いて行った。
「ただでくれるには、高価そうな」
「紅堂って、やっぱりお嬢様なんじゃ」
「仲良くして損はないんじゃない?」
 あとに残された者たちは、そう月並な意見を口にしながら呆気に取られていた。誰もが胸中に、火織に対し、同年代には不釣合いな畏怖の念を抱いたのである。

 放課後、放送部の部活に出かけようとした兎和は、片手を頭に当てて天を仰いだ。
「あちゃあ〜」
 部の後輩、波野少年に先日約束していた藍のサイン入りポスターを忘れてきてしまったのである。寝込んでいた間も、励ましのメールを送って来たかわいい後輩であるし、少々心痛の事態である。
「う・さ・ぎ・ちゃん」
 そんな兎和に、脇から火織が覗きこむようにして顔を近づけてきた。あだめく火織のアップに気圧されて、兎和は悲鳴に近い声をあげてしまった。
「わあっ」
 バランスを崩して、椅子にひっかかりひっくり返りそうになる。
「なにやってるのよ」
 逆隣から、輝鈴が呆れ顔で兎和の手を捕まえてくれた。
 輝鈴の手を頼りに、兎和が体勢を持ち直すと、火織が失笑を手で隠すところであった。
(あんたのせいでしょーが)
 今朝ほどわがかまりがなくなった兎和は火織に対し、無遠慮に睨み上げる。
 兎和の視線に気づいて、火織は素直に謝る。
「ごめんなさい、びっくりさせて。うさぎちゃん、部活に行くところでしょう?見学させてもらっていいかしら?」
「げ」
 このときの仰天度は、兎和の身を大きくのけぞらせるのに充分であった。またもや呆れ顔の輝鈴の手を借りて、身を起こす。
「アナウンサーという仕事に、私も興味があるの」
 とってつけたような火織の理由に、兎和は警戒した。火織と普通の友達でありたいとは思っても、こちらから、火織ことマースが言った『月闇』の民のなかに引き込まれるつもりはない。平気で藍を傷つけたことから、大義を掲げれば犠牲も厭わないという思考の持ち主たちと想像できた。兎和は、そんな考え方が大ッ嫌いである。
「火織ちゃん、声綺麗だもんね、意外にお似合いかも」
 輝鈴が平然と言っている。兎和はこめかみを抑えた。
 火織との仲は、正直、もっと時間をかけたいところである。急すぎると、出会いが出会いなだけに、あちらの思惑も不穏なものと見当がつくだけに、こちらとしても拒否反応が出るのを抑えがたい。
 そのとき、校庭側の窓を外から叩く音がした。ちなみに、ここは三階である。
 二羽の鴉が嘴で窓ガラスをつついていた。
 それを見た火織が鞄を胸に抱いて肩を竦めるようして言った。
「ごめんなさい。そういえば、用事があったの。部活見学は後日改めてお願いしていいかしら?」
「もちろん」
 兎和は内心ホッとした分、大仰(おおぎょう)に頷いてしまった。
 その心理を見透かしたのか、火織は苦笑しつつも礼儀正しくお辞儀をして、その場を立ち去る。
 輝鈴につられて、兎和も火織が教室を出るまで手を振る。
「火織ちゃん見てると、あんまり美人すぎるのも、って思っちゃうわね」
 ふと輝鈴が溜息混じりに言葉をこぼした。兎和は頬を指先でなぞるようにしながら、彼女の顔を見返す。
「高嶺の花って感じで、みんな敬遠しちゃうのよ。うさぎですら、火織ちゃんにはそんな感じじゃない?」
「そ、そうかな」
 言葉を濁した兎和は、傍目からもわざとらしく首を傾けた。
「でも、火織ちゃん、あのままでいいとは思えなかったから……本人が“高嶺の花”扱いに慣れて、変わるきっかけを作ろうとまで思えなくなっているとしたら、周りできっかけを作ってあげなきゃ」
 輝鈴は意気込むように胸の前で握り拳をつくった。兎和は首を曲げたまま、輝鈴をじいっと見つめていた。
 輝鈴が兎和の視線に気づき、曇りのない眼差しを返した。
「お節介かもしれないけど、ね」
 そう言い足して、輝鈴はチロッと舌を出した。
「ううん、そんなことないよ」
 輝鈴への後押しの言葉をかけつつ、兎和自身、親友の優しさに感化されて、火織と友達になろうという決意を新たにする。
 窓の外にいた二羽の鴉は、いつのまにか姿を消していた。

 二羽の鴉が連れ立って舞い降りる。真紅の目玉が、着地点の少女と視線を交わす。
「フォボス、ディモス」
 ちょうど十番中学の裏門を出たところの火織が呟いた。一瞬、彼女の双眸に赤いオーラが帯びる。
 名を呼ばれた鴉たちは嬉々とした様子で、それぞれ火織の両肩に止まった。そして、フォボスとデイモスの嘴に促された先に、火織が瞳を向けると、黒塗りのメルセデスベンツを停めて、銀縁の眼鏡をかけた男が彼女を待っていた。
 ――妖魔の将・メタルスの、憑依術「アロイ」による仮の姿。
鍛冶谷(かじたに)さん、迎えはいらないのに」
「友達ができたみたいですね」
 鍛冶谷の身体を介したメタルスの望遠な眼差しを受け、火織は数瞬黙り答える。
「……肝要な人が振り向いてくれなければ、不要なものでしかありません」