ACT6 汝の名は……  (Part6)


「妖魔とは、人の負の心をエナジーとして増幅させる闇水晶を植えつけられ化生した人々だ。君たちの見た獣人のように」
 ぬいぐるみに戻ったエンはセーラーVの腕の中で、セーラームーンとマーキュリーに説明を始めた。
「闇水晶は、人のピュアな心を奪い、逆に負の心で精神支配を施す。奪われたピュアな心は、妖魔の女王ミネルヴァの封印を解くエナジーに使われる。我々は、それを止めなければならない」
「女王ミネルヴァ……」
 セーラームーンは、インフェルノとメタルスの仕える女王、しかも、封印されるだけのとんでもない存在というイメージに唾を飲み込んだ。
 鼻白むセーラームーンの心を見通すかのような腕組みをした姿勢で、セーラーVはセーラームーンとマーキュリーに告げる、冷厳に。
「無理強いはしないわ。覚悟のない人間は無駄死にするだけだから」
「いや」
 セーラーVの組まれた腕に抱えられたままエンが口を挟んだ。セーラーVを諌めるように見上げている。
「少なくとも、今回の事件にはアフターケアが必要となる、それも今すぐに。残念ながら、俺とセーラーVだけでは役不足な規模だ」
「えっ」
 セーラームーンたちだけではなく、セーラーVもエンの言葉に困惑の表情を見せる。
「人間が獣人化することがニュースで流れでもすれば、人間社会は混乱する。良からぬ風説が起きないとも限らない。特に、一度、妖魔化した現場を目撃された人々に対して」
 そう言いながらエンが顎で示す先には、妖魔化から解放されたとはいえ気を失ったままの人々がいる。ここだけではなく、ほかのところにも、同様の犠牲者はいるはずであった。
 このことを思い返し、彼女たちの心には再び憤りの感情が沸き上がって来た。
 それを見透かし、新たな使命感に転嫁させるように、エンは彼女たちに移動を促す。
「セーラームーン、セーラーマーキュリーにも来てもらわなくてはならない。行き先は東京タワーだ」
「えっ」
 緊迫した雰囲気にそぐわない観光地然とした行き先を提示され、再度、エンを除く三人はそろって驚きの声を洩らす。
 ただ、今日出会ったばかりの他のふたりと異なり、セーラーVはエンへの信頼度が高いだけに、速やかの行動に移した。
 軽やかに、跳び上がり、エンを連れて手近なビルの屋上に上ると、地上に残されたふたりを無視して先を急いだかのように姿が見えなくなる。
 マーキュリーには、そのことが癪に障った。
「気に入らないのよね、そーゆー挑発気味な態度」
 妖魔との闘いに関しては場慣れしているし、戦闘能力が高いことも認めよう。だが、そのことを鼻にかけて自分たちを見下す態度をとるのは許さない。
 これは、マーキュリーこと藍が自らの矜持を取り戻そうと躍起になっている表れとも言えるかもしれない。
 マーキュリーは一歩踏み出しながら、セーラームーンのほうを振り返った。
「うさぎちゃん。ホントはあたしがどうこう言えることじゃないけど……うさぎちゃんの能力はこの先きっと必要になる。だから……」
 マーキュリーは真正面からセーラームーンと向き合った。
 セーラームーンは立ちすくんでいた。マーキュリー=水野藍、セーラーVたち、妖魔との邂逅。非現実にしか思えないくらいの状況で、生き死にの覚悟を問われ、混乱と動揺が彼女の胸中にはあった。
 しかし、今目にしている犠牲者、そして、この事態に自分を必要としているというマーキュリーの言葉が、混乱していたセーラームーンの心に、ひとつの指針を与えた。
「難しいこと考えるの後回しにするのが、あたしらしいわ。考えるより行動ね」
 自然にそうマーキュリーに答えることができたセーラームーンは、ぴしゃっと両頬を平手で叩き、気合を入れ直す。
 セーラームーンはマーキュリーの横に並ぶと、きつく唇を結んだまま目配せする。きっと頭上のセーラーVを睨むようにして見上げると、飛び上がる。
 マーキュリーもその後を追うように、建物の壁面に向かって跳ぶと、建物の突起に足をかけ、その足場をハイスピードで跳び移って行きながら屋上まで上がる。
 セーラーVは思いの外さほど離れていなかった。軽妙なステップで建物を跳び移りながら東京タワーへと向かっていた。
 飛行できるセーラームーンは勿論、マーキュリーも容易に追いつくことができた。
 セーラーVはそのことに意を介さずという様子であったが、あとから追って来たふたりがついて来ることができる範囲内でスピードを速める。
「待っててくれたってわけ?」
 マーキュリーが面白くなさそうに顔をしかめた。
 セーラーVの腕からひょっこりとエンが頭を出し、彼女の先導に従う形となったセーラームーンとマーキュリーに声をかける。
「すまない、ついて来てくれて」
「それで、あたしたちは何をすればいいの」
 やや険悪な空気が流れるセーラーVとマーキュリーの間を割くように、セーラームーンが話を切り出す。
「東京タワーの電波を触媒にして、セーラーVのエナジーを放ち、今回の妖魔に関する記憶、記録を消去する」
 事も無げに、手短にエンは説明した。
 セーラームーンとマーキュリーが、その内容を理解して愕然とするまで少々時間を要した。
「そ、そんなことができるわけ?」
「あたしにはそれができなきゃいけないのよ」
 問い返すふたりに、セーラーVが正面を向いたまま言った。厳しい口調であった。自分に言い聞かせているように、エンには聞こえた。
「だが、規模が規模だからな。君たちふたりのエナジーで、セーラーVの能力を補ってもらいたい」
 セーラーVが思い詰めているように思えたエンであったが、その一抹の不安を拭うように、説明を補足した。
 マーキュリーは上目遣いでセーラーVを見た。先刻の闘いで、センサーアイが捉えたセーラーVの体内にある爆発的なエナジーを思い起こしていた。
(あたしが探すクリスタル……あたし自身のスタークリスタルと、そして……)
 セーラーV、エン、そして妖魔に自分の探すクリスタルの手がかりがあると確信めいたものがマーキュリーには芽生えていた。それは、彼女にとって居場所を守るためのための闘い、それに臨む決意をより強くするものであった。
 その一行の上空を二羽の鴉が戯れていた。
 一見、戯れているかのようであったが、一行に伴うように移動していた。尋常ではない赤い目玉を輝かせて。

 一行は東京タワーの手前に佇むビルの屋上で、一度周囲を確認した。
 安易にタワーのアンテナに上って、人目については面倒であるし、地上333メートルをそのまま上るのは、いかに能力があっても腰が退ける。
 セーラームーンは東京タワーを指差しながら、おそるおそる念を押すかのように訊いた。
「で、外からあのてっぺんまで上るのよね」
「そうだ」
 エンに一言で片付けられ、セーラームーンはひきつった顔で苦笑する。
 高所恐怖症というわけではないが、身体ひとつで東京タワーを外から上るなど、進んでやりたいことではない。
 マーキュリーは溜息をつきながら諦め顔で、自分の脚力を確かめる意味で、ブーツのつま先で地を軽く叩いている。
 セーラーVは両手が空くように、襟口からエンを胸元に押し込むと、あとのふたりに声をかける。
「余計な邪魔が入らないように、さっさとカタをつけるわよ」
 今の時間、外から東京タワーを上るという暴挙が人目につかないわけがない。それも、記憶から消去するが、もたついていたら警察、報道の介入で事態が面倒になりかねない。第一、妖魔の邪魔が入らないとも限らない。そのことに用心して、セーラーVは両手を使えるようにしておく必要があった。
「了解」
 事情が事情だけに、文句は言っていられない。セーラームーンは不安を拭うように、できるだけ明るく返事を返した。
 マーキュリーも表情を引き締めて、うなずく。
 三人はセーラーVを筆頭に、東京タワーに向かって地を蹴った。
 その瞬間、一行は違和感を覚えた。沼地に潜り込んだような嫌な感覚が足元にまとわりつき、全身に広がっていく。
「な、なにコレ!?」
 慣れない感覚に、身を震わせて、自らの身体を抱えるセーラームーンがまず声をあげた。
「結界!?」
 セーラーVの襟口から顔を出したエンは、現状で一番可能性が高い答えを導き出した。
 センサーアイで、状況把握に努めていたマーキュリーが、それを裏付ける。
「空間が隔離されている」
「それってどーゆーこと!?」
 一番状況が飲み込めていないセーラームーンが不安を紛らわそうと、間髪を入れずに訊いてきた。
「あたしたち以外の人にはあたしたちが見えないってこと。こっちとあっちじゃお互い触れることもできないわ」
 センサーアイでわかる限りの状態を、マーキュリーは困惑顔で説明する。マーキュリーもこうした事態は初めてである。しかし、センサーアイからの情報を即座に理解する知能を彼女は持ち合わせていた。
「妖魔の邪魔が入ったってことね」
 セーラーVが舌打ちをして、手に黄金の槍ゴールドクィーンビーズスピアを錬成しようと構える。それをエンが制止した。
「やめろ、余計なエナジー消費は避けるんだ。人目につかなくなったことは、こっちにも好都合だ。更なる妨害が入らないうちに、アンテナまで行って、能力を開放しろ、急げ」
「こっちからでも、もとの空間には干渉できないのよ」
 マーキュリーが口を挟んだ。
「いや、セーラーVの能力開放は、この程度の結界なら打ち破ることができる」
 エンの説明に、マーキュリーは怪訝な表情を見せたが、一行に先を促すことに気をとられていたエンは気づかなかった。
(それだけの力があるのに……長持ちはしないってわけね)
 エナジー消費を心配する言葉と、能力への信頼が矛盾しているように思えた。セーラーV自身と、彼女に宿る能力を別物として考えているかのように。
「残念だけど……私の結界の中で勝手な振舞はさせないわ」
 不意に若い女性の声が聞こえた。
「妖魔っ!?」
 一同は身構えて、声のしたほうに向き直る。
 そこには、場にそぐわないほどカジュアルなブラウスとジーンズ姿の少女がいた。ジーンズがその長い脚を際立たせる。
 そのスレンダーなボディに、セーラームーンは思わず嫉妬してしまったが、そんな状況ではないことに気づいて、頭をブンブン横に振って雑念を消し、皆と同様に相手を観察する。
 肩に届くくらいに切り揃えられたストレートの黒髪。
 微かに幼さが残る顔立ちから、自分たちと年齢は離れていないように思えた。
 だが、それが返って彼女の清楚な顔立ちを際立たせている。
(センサーアイには妖気も、闇水晶の反応もない。だけど、この娘にある反応はっ!?)
 マーキュリーはセンサーアイの反応に、動揺を隠せなかった。自分でも、センサーアイが突然故障したとしか思えないほどの混乱であった。
 上空から二羽の鴉が飛来して、少女の肩に止まる。
 その鴉たちの両目が赤く輝いていることにセーラームーンたちが気づいたとき、少女の瞳にも真紅の光――オーラが宿った。
 真紅の瞳は、華奢な身体にそぐわないその強大なエナジーを物語る炯眼(けいがん)を意味していた。
 少女は無表情で、右手の親指を唇に持っていくと、皮一枚噛み切り、滲み出る血を口紅のように、唇になぞる。
「我が身に宿る魂よ、月に仇為す者たちを粛清すべく、我の求めに応じ給え――」
 血に彩られた唇は、言霊を紡ぎ出す。
「汝の名は――」
 彼女の全身から吹き出し始めた真紅のオーラに、彼女の髪が揺らぎ逆立つ。あらわになった額に、紋章が浮かぶ。
「馬鹿な!?」
 エンが声を荒げた。
 セーラーVも、紋章、そして、眼前の少女から感じるオーラに、記憶がフィードバックされ、言葉を失う。
 火星を象徴する紋章。更に――。
「あの()を知ってるの?セーラーVとそっくりなエナジー反応を感じるっ」
 エンとセーラーVの様子に、マーキュリーは問う。セーラーVと類似する反応、それはつまり、闇水晶とは別次元のクリスタルを持つ可能性が高いということ。
 そして、少女は言霊を紡ぎ終える。
「火星の化身たる情熱の闘神・ソルジャーマース」
 彼女の肩に止まっていた鴉たちが、甲高い声をあげて、上空へと飛び立つと同時に、彼女の身を包む真紅のオーラが膨れ上がり、彼女の服装がオーラの光と一体となり形状を変えていく。
 紅色の羽織袴姿――神社の巫女に比喩できる姿であった。
 そして、少女――便宜上ソルジャーマースと呼ぶ――は静かに宣告する。
「月に代わって、貴女たちを粛清します」
 ソルジャーマースは混乱する一同に、その牙を剥いた。